今回は、もう一度だけプジョー・シトロエン・ジャポン株式会社が開催した、シトロエン創業100周年記念イベント「CITROËN CENTENARY GATHERING(シトロエン・センテナリー・ギャザリング)」について、展示されていた非常に珍しいクルマ、ロータリーエンジンを積んだシトロエンGSビロトールを紹介する。
いまからおよそ60年前、レシプロエンジンに取って代わるのではないかといわれた画期的なエンジンの出現に大騒ぎしたことがあった。フェリックス・バンケル(Dr. Felix Wankel)が発明し、ドイツのNSU社(NSU Motorenwerke AG)の協力で開発したロータリーエンジン(RE)(発明者の名前からバンケルエンジンとも称する)の登場であった。NSU社への技術提携の申し込みは、世界各国から100社に及び、日本だけでも34社を数えたという。
しかし、1973年に第1次石油ショックが発生すると、ほとんどの自動車メーカーが予定していた発売計画あるいは開発計画をキャンセルしてしまった。ガソリン価格の高騰と供給不安が、当時は燃費が悪かったロータリーエンジンの息の根をとめてしまったのである。かくして大騒ぎしたあげくのはてに、市販されたクルマ(4輪車)はマツダを除くと、短期間販売されたNSUとシトロエンだけであった。ロシアでも生産されているが詳細は不明。
いままた、2008年のリーマン・ショックを引き金に、世界経済は1930年代の大恐慌以来の危機に突入し、ビッグ3の凋落に象徴される先進諸国の自動車市場の縮小。その一方で世界一の市場に躍進した中国の台頭、新興国における低価格車競争、地球環境対策を背景としたガソリン車からハイブリッドや電気自動車へのシフトなど、劇的な変貌を遂げようとしている。
懐かしいビロトールを目にしたので、50年ほど前のシトロエンの資料をファイルから引き出してみた。
展示されていた1974年GSビロトール。脇に置かれた説明をそのまま引用すると、
「2CVとDSとの間の開きがあまりに大きいためアミに続いて、「中問車種」がシトロエンには必要だった。C60というDSの弟分のようなモデルが開発されたが、試作だけで終わった。さらにその後「F」というモデルが計画されたが、「F」は難物であるロータリーの搭載も画策されており、それが開発を遅らせ実現にまでこぎつけなかった。
「F」に代わって急遽浮上したのが「G」で、短期間で開発されて1970年に発表された。これがGSである。迅速に開発できたのは、既存の技術の組み合わせで設計されたからであり、2CVの空冷水平対向エンジンと、DSのハイドロニューマチックが組み合わされた。ただしエンジンは4気簡であり、新たにSOHC化されている。また空冷で問題になる振動対策も入念になされた。ハイドロニューマチックを大衆車にも採用したことでも賞賛されたモデルである。
排気量は当初1015ccしかなく、シリーズを通して最大でも1299ccにとどまった。そのいっぽう車体全長は4 120mmあったが、空力的ボディにすることで、小さいエンジンでも高速巡航を可能にしている。背景にはフランスの税制があったといわれるが、小さいエンジンで大きなボディを走らせるのはフランス車のひとつの傾向であり、シトロエンはその典型例といえよう。GSは回転がスムーズで、なおかつ低重心な4気簡水平対向エンジンのおかげもあり、その滑らかな走りは賞賛された(とはいえアンダーバワーを解消するために、開発を続けていたロータリーエンジンを1973年、GSビロトールと名付けた市販モデルに搭載している。しかし耐久性の問題などのため1年余り847台で生産中止、その多くはメーカーにより回収されDSとの交換や返金が行われた)。
スタイリングもGSの特徴であり、空力性能を極めるために、ドーム型のファストバック形状が採用された。これはかつてアンドレ・ルフェーヴルが理想とした設計の反映ともいえるが、1967年に発表されたピニンフアリーナのコンセプトカー、BMC1800ベルリーナ・エアロディナミカの影響も指摘されている。もちろん見事にシトロエン流にデザインされており、ドーム型ファストバックスタイルは、このあと長い間シトロエンのひとつのトレードマークとなる。スタイリングは、フラミニオ・ベルノーニのあと、シトロエンのデザイン部門を率いたロベール・オプロンが統括した。アミ8を発展させてモダンにしたようなスタイルは、空カを極めたボディ形状だ。
GSはファストバックながら後部の荷室はトランク式だったが、1979年にGSAに進化し、車体形状は変わらないものの、より実用的なハッチバック式に変更された。また、プレークもラインナップ、前輪駆動であるうえに、2550mmの長いホイールベース、スベース効率に優れたトレーリングアームのリアサスベンションなどにより、GSは抜群の窒内空間の広さを誇った。」とある。
1973年9月にシトロエン広報から発行された「COMOTOR」のタイトルが付いた32頁の冊子。ロータリーエンジンの歴史、作動の解説、ロータリーエンジン実験車「M35」についての紹介などが記されていた。
シトロエンのロータリーエンジン開発は、1950年代終わり頃から始まったといわれるが、1965年3月にNSUと合弁でロータリーエンジン車の市場開拓、車両の企画などを担当するコモビル社(Société d'Étude Comobile)をジュネーブに設立し本格化した。そして、1967年にはNSUと合弁で製造会社のコモトール社(Comotor SA)を設立、1969年に西独に工場用地を購入し1971年には完成している。
シトロエンは1934年にトラクシオンアヴァン、1949年に2CV、そして1955年にはDSと次々と斬新なモデルを世に送り出しており、当時の社長ピエール・ベルコット(Pierre Bercot)がつぎの目玉はこれだと決めたのはごく自然な成り行きであろう。1967年5月、世界初の2ローターエンジンを搭載したマツダ・コスモスポーツの登場にも背中を押されたことであろう。
上の5点はテスト用に限定販売された「M35」で、フロントフェンダーに「prototype Citroën M35 no 1」のようにシリアルナンバーが表示されていた。1970年1月、実車による市場テストのためM35を500台限定生産することを発表。このクルマはアミ8のプラットフォームに2+2クーペボディを載せ、このクラスでは初めてハイドロニューマチック・サスペンションを備えていた。サイズは全長4050mm、全幅1554mm、ホイールベース2400mm。駆動方式はFF。エンジンはNSU製KKM613型シングルローター995cc、49ps/5500rpm、7.0kg-m/2745rpm。販売対象は年間3万km以上走行するユーザーを優先するとの触れ込みであったが、1971~72年にかけて実際に生産されたのは267台であった。車両の保証期間は1年であったが、エンジンに関しては2年/走行距離無制限が与えられた。M35の総走行距離は3000万kmを超えたといわれる。
上の2点はGSビロトールのカタログから。フロントフェンダーとリアに「GS birotor」のオーナメントが付くので識別できる。1970年のパリ・ショーで、1015ccの空冷水平対抗4気筒55.5ps、FFの新型車シトロエンGSが発表されたが、1973年のパリ・ショーには、このモデルにコモトール製KKM624型995cc x 2ローター、107ps/6500rpm、14.0kg-m/3000rpmを積んだGSビロトールを発表した。翌1974年3月に発売されるが、同年6月、シトロエンはプジョーの傘下に入り、プジョーがロータリーエンジンに興味を示さなかったのと、タイミング悪く1973年に発生した石油ショックが、燃費の悪いロータリーエンジン車を敬遠させ、わずか847台造られただけで1年後の1975年3月に生産を終了してしまった。
当初シトロエン・アミ(Ami)とDS/IDとのギャップを埋めるモデルとして、「Fプロジェクト」の名前で、平凡なモデルと、ハイドロニューマチック・サス、ロータリーエンジンなどを採用したユニークなモデルを同時立ち上げすべく計画していたが、途中で中止して、のちにGSとなるレシプロエンジンとハイドロニューマチック・サスを積んだ単一モデルを開発する「Dプロジェクト」に切り替えている。ロータリーエンジンの玉成が計画どおり進まなかったのも計画変更の理由ではなかろうか。
GSビロトールも発売したが、新開発の空冷水平対抗4気筒エンジンを積んだモデルが、1970年に発売するや大ヒットとなり、信頼性や燃費が劣るロータリーエンジンに魅力を感じなくなってしまったのもうなずける。市販されたGSビロトールは、将来のサービス対応の煩わしさを勘案し、その後リコールされほとんど処分されたといわれるが、わが国には少なくとも1台は現存していると聞いていたので、今回それが実証された。
GSより車格が上のDSの後継車、CXにロータリーエンジンを搭載する計画もあったが中止されている。
GSビロトールの透視図。
GSビロトールの4面図。サイズは全長4128mm、全幅1644mm、全高1370mm、ホイールベース2552mm。
GSビロトールの運転席。
GSビロトールに積まれたコモトール製KKM624型995cc x 2ローター、107ps/14.0kg-mエンジン。
GSビロトールに積まれたロータリーエンジンと同程度の排気量/出力を持つレシプロエンジンとの本体構成部品の比較。ロータリーエンジンがいかにシンプルかが分かる。
シトロエンはコモトール社製ロータリーエンジンを他社にも供給して生産台数を増やし、生産コストの低減を目論んだが、組立コストは高く、さらに最悪のタイミングで発生した1973年の第1次石油ショックによって燃費が悪く、信頼性も低かったロータリーエンジンは、わが国のマツダを除く世界中の自動車メーカーから敬遠されてしまった。
シトロエンでは1960年代中頃、ライカミング製エンジンを搭載したオートジャイロの研究をしていたが、これにロータリーエンジンを積むことを考え、やがて小型ヘリコプターの開発に移っていく。1971年に航空宇宙産業公社(S.N.I.A.S.:Société nationale industrielle aérospatiale)からの依頼で、コモトール社製2ローター180psエンジンを積んだヘリコプターを完成するが、燃料消費量が多いのがネックとなり採用には至らなかった。その後もヘリコプターの研究は続けられ、一時はスウェーデンのサーブ社との合弁事業も検討されたが実現には至らず、1979年にヘリコプター研究を終了している。
シトロエンが開発したロータリーエンジン・ヘリコプターとそのエンジン。