1971 Ferrari 365 GTB
1947年の発足以来「コロンボ・エンジン」を中心に構成されてきたフェラーリだが、もともと小排気量を前提に設計されたこのエンジンの排気量を増やすには限界があり、1950年代に入ると大排気量が可能な「ランプレディ・エンジン」が登場した。最大の顧客であるアメリカ人が好む大パワーは、「275」(72mm×69mm 3,322cc)のボアを80mmに広げ4,101ccとなったエンジンは「340」と呼ばれる。(フェラーリは1気筒当たりの排気量で型式を表すので、これに気筒数12を掛けた数字が総排気量)このエンジンを使って造られた車が1951年の「340アメリカ」だった。この「アメリカ・シリーズ」は1953年「342(4,100cc)」、1954年「375(4,500cc)」と排気量を増やしていった。そして1956年新しく誕生したのがより豪華となった「スーパー・アメリカ・シリーズ」で、排気量は4,962ccとなり「410」と呼ばれた。
・「スーパーアメリカ/スーパーファスト」の型式と排気量の関係だが、最初の「410」は伝統に従って1気筒410×12は4,962ccで問題ないが、1959年以降「400」は3,967cc(旧表示なら330),「500」は4,962cc(旧表示なら410)と総排気量表示になっているので紛らわしい。
(01)<510 スーパーアメリカ>
(写真01-1abc) 1956 Ferrari 510 Superamerica Ghia Coupe (1991-03 ワールド・ビンテージカー・オークション/幕張)
この車は当時流行のテールフィンを大きく取り入れたデザインで、「カロセリア・ギア」が手掛けた。カタログ・モデルとして採用され「410SA」となったが、この車は愛好家のためのスペシャル・バージョンでエンジンの排気量が大きいため「510」と呼ばれる。
(02)<410 スーパーアメリカ>
(写真02-1a~d)1957 Ferrari 410 Superamerica Coupe (1999-08 コンコルソ・イタリアーノ)
この車は「スーパーアメリカ・シリーズ」としては極初期にピニンファリーナによって造られた。ルーフ、特にクオーターパネルの形状は当時造られていた「250GT」とよく似ている。初期型はグリルの開口部が丸く突き出しているのが特徴だ。ナンバープレートは「SA410」と身分を明らかにしている。
(写真02-2abc) 1959 Ferrari 410 Superamerica Coupe (1999-08 コンコルソ・イタリアーノ)
この車もピニンファリーナのデザインで、初期型は寄せ集め感が否めなかったのに反して、ずっと垢抜けた印象だ。フロントエンドにエッジが付き開口部は幅広く横長になったのが特徴で、フェンダーのエアアウトレットも前期型に較べるとスピード感がある。「410」の標準となったボディだがヘッドライトのカバーの有無や、サイドのプレスの形状などオーダーメイドらしくバリエーションは多い。
(03)<400 スーパーアメリカ>
(写真03-1a~d) 1961 Ferrari 400 Superamerica Coupe (1998-08 コンコルソ・イタリアーノ)
「410」に続く「400」シリーズは総排気量3,967ccで、従来の1気筒当たりの表示方法で命名すれば「330」となる筈だった。真相は僕にはわからないが「スーパーアメリカ」のイメージを維持するためには「330」では貫禄不足と考えた苦肉の策?と勘繰れないこともない。この車のデザインもピニンファリーナで、前から見たところは「410」と全く変わらない。ただサイドビューは大きく変わり、フェンダーのエアアウトレットは斜めに傾いだ11本の細いスリットが特徴だ。後ろ半分は全く新しいコンセプトで、丸みを持った緩やかなファストバックは「400」シリーズに共通する大きな識別点だ。
(写真02-3abc) 1960 Ferrari 400 Super America Coupe (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ)
1960年になると「410」とそっくりだった顔つきは「スーパファスト」譲りの細く絞られたグリルに変わり、より速そうになった。この車の案内板には「Super America」と2分割で書かれているが、「Superamerica」と続けて書かれるのが普通だ。
(写真03-3a~e) 1962 Ferrari 400 Superamerica Aerodinamco (2010-07グッドウッド/イギリス)
この車には「アエロダイナミコ」と名付けられている。文献にもこの分類はみられるが、それが後期型クーペの総称なのか、この車を含む別の車種なのかは、確認できなかった。
(写真03-4ab) 1962 Ferrari 400 Superamerica Coupe (1995-08 コンコルソ・イタリアーノ)
1962年後半からはホイールベースが2,420mmから2,600mmに延ばされ、シリーズ2となったが外見に変化はない。
(写真03-5a) 1964 Ferrari 400 Superamerioca Coupe (1999-08 コンコルソ・イタリアーノ)
この車もシリーズ2の「400」だが、20台造られたこのシリーズは基本的には変化なく造られたようで、塗装以外に相違点は見当たらない。あまり見たことがないがこのチョコレート色?もなかなか似合っている。
(写真03-6・参考) 1955 Ferrari 375 America Coupe Special
このフェラーリらしからぬ車が最初に造られたのは1955年で、その時ベースには「375アメリカ」が使われた。注文主はフィアットの御曹司、当時若干34歳で副社長だった「ジョバンニ・アニエッリ」だった。「出来るだけフェラーリらしくない車」というのがデザインに対する注文だったと言われている。写真は1999年アメリカで撮影したもので、何人かのオーナーを経てかなり荒れた状態にあったが、その後レストアされグリーンに塗装されてミニチュアカーにもなっている。
(写真03-6abc) 1959 Ferrari 400 Superamerica Coupe Special (2004-08 ペブルビーチ)
「スーパーアメリカ」になって再び試みられた「フェラーリらしからぬ車」造りは、フェラーリとしては多分初めてとなる「四ツ目」が採用された。もちろん注文主は「ジョバンニ・アニエッリ」で38歳になっていたが、フィアットの社長となったのは1963年のことだから4年後だ。「フェラーリ」が「フィアット」の傘下に入ったのは1969年でこの時は会社としての関係は全くなかったと思われる。個人的な関心で他社の「フェラーリ」に乗るとすれば、立場上この注文は判らないでもない。「400」シリーズの1号車として造られたのがスペシャル・ボディのこの車で、1959年のトリノ・ショーでデビューした。
(04)<500 スーパー ファスト>
(写真04-1abc)1964 Ferrari 500 Superfast Coupe (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
「500スーパーアメリカ」の後継車として1964年登場した「500スーパーファスト」シリーズの排気量は4,962ccで、「410スーパーアメリカ」と同じだったが、なんか一回り大きいような錯覚に捉われる。全体には「400アエロダイナミコ・クーペ」の流れを継いだものだがヘッドライトにカバーはなく、大きな違いはテールが切り落としとなっている点だ。全部で24台造られたが、僕はこの1台しか写真を撮っていない。
<365シリーズ>
1950年代から10年近く造られ「フェラーリ」の地位を不動のものとした「コロンボ系」3リッター「250GT」シリーズは、1964年3.3リッター「275GT」となり、ほぼ同じ頃「250GT 2+2」の後継としてエンジンだけ「ランプレディ系」の4リッターに換えた「330アメリカ」が登場した。このエンジンは豪華シリーズ「400スーパーアメリカ」から転用したもので、面白いのは「400」は総排気量を示し、「330」は1気筒当たりの排気量で、実際は同じ排気量のエンジンだが、イメージでは「400」の方が大きく感じてしまう。この後一連の「330」シリーズを経て、1966年ジュネーブショーでさらに排気量を増やした「365カリフォルニア」が発表され「365」シリーズがスタートし、これらのシリーズが最後の「フロント・エンジン車」となった。1972年には「365GT4/BB」が登場して「フェラーリ」も「ミッドシップ・エンジン」の時代に入ることになる。
(05) <365 カリフォルニア 2+2>
(写真05-1a~d) 1966 Ferrari 365 California 2+2 Cabriolet (1995-08 ペブルビーチ)
「スーパーアメリカ」の発展型として誕生した「365シリーズ」のトップを切って、1966年のジュネーブ・ショーに登場したのが「365カリフォルニア」だった。フロントエンジンで2+2のオープンモデルはこれまでになかったタイプだ。デザインはピニンファリナのものでカバー付きのヘッドライトや細い楕円のグリルなどは「400」の流れをくむものだが、リアビューは限定モデルとして大胆なデザインを見せる新鮮なものだ。排気量は4,390ccだが型式は「440」ではなく「365」ということは従来1気筒当たりに戻っている。ヘッドライトの内側に見える丸い切り抜きには電動式の補助ランプが内蔵されている。
(写真05-2abc) 1967 Ferrari 365 California 2+2 Cabriolet (2004-08 ペブルビーチ)
全く同じモデルの幌を上げた姿がこれだ。雨の少ないカリフォルニアだから滅多に幌を必要とする機会はないだろうから貴重な写真かもしれない。カブリオレだから幌は裏打ちのある厚手なもので収納しても完全にボディ内に収まらない。全部で14台しか造られなかった限定モデルで、この車には補助ランプは内臓されていないようでボンネットに丸い切り欠きはない。
(06)<365P3ポスティ>
(写真06-1a~d) 1966 Ferrari 365P 3-posti Pininfarina Special (2004-08 ペブルビーチ)
この車は「365」エンジンを使った「習作」的存在で、シリーズの他のモデルとは異なり、エンジンがミッドシップに配置された「GTカー」である。ファストバックのスタイルも見事だが、一番の特徴は中央にハンドルがあり、両脇に2人座る3人掛けにお気付きだろうか。座席が3つ有る事をイタリア語で「3posti」と言い、単純にこれがモデル名となった。
(07)<365GT 2+2>
(写真07-1ab) 1967 Ferrari 365GT 2+2 Coupe (1973-02 小林工業所/赤坂)
国内で撮影されたこの白黒写真は、撮影した日付にご注目頂きたい。1973年(昭和48)といえば東京近郊で「フェラーリ」を見たという情報は全くなく、青森の米軍三沢基地にあるらしいという噂を聞いた程度だった。この当時僕は中野に住んでおり、チョイ乗りの足として「ホンダ・ダックス70」に乗っていたので、休日には赤坂辺りまでカーハントに出かけた。特に目的が決まっている訳ではなく、闇雲に裏道を走り回って見つけたのがこの写真だ。後で判ったのは知る人ぞ知る有名な修理工場の「小林工業所」だった。若し雑誌に投稿すれば一大センセーションを巻き起こしたかも?知れない大ニュースだったことは間違えない。次に国内でフェラーリに出会ったのは5年後の1978年だった。
(写真07-2ab) 1968 Ferrari 365GT 2+2 Coupe (2001-05 モンツァ・サーキット/イタリア)
国内で出会った「フェラーリ」は暗く狭い修理工場で後ろ半分は詳細に把握出来なかったが、イタリアで出会ったこの車のサイドビューは流れるような美しい曲線を見せている。改めてこんなに素晴らしい車だったかと見直した。
(写真07-3ab) 1967-71 Ferrari 365GT 2+2 Coupe (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
同じイタリアで見つけた車だが、この車はグリルの周りにクロームのトリムを付けており、もちろんカタログモデルではないと思うがアメリカ人好みだ。
(写真07-4abc) 1967 Ferrari 3656GT 2+2 Coupe (1995-08カーメル市内/カリフォルニア)
カーメルという町はかつて俳優「クリント・イーストウッド」が市長を務めたことでも知られるとても落ち着いた雰囲気の町で、この車にはこの背景が良く似合い非常に上品に見える。
(08)<365GTC >
(写真08-1abc) 1969 Ferrari 365 GTC Coupe (1995-08 コンコルソ・イタリアーノ)
1968年「330GTC」に「365」のエンジンを載せ「365GTC」が誕生した。外形は全く変わっていないが、「330」にあったフロントフェンダーのベンチレーションが無くなった分、スポーティからエレガントに変わった印象だ。
(09)<365GTC/4>
(写真09-1abc)1971 Ferrari 365 GTC/4 Coupe (1989-11 モンテミリア/神戸ポートピア広場)
1972年「365」エンジンが4カムになってモデルチェンジした際ボディも新しくなった。同じ「365」でも「ベルリネッタ」と「スパイダー」はデビューからモダンなボディだったが、「クーペ」だけは元々のボディが60年代初めのデザインだったから時代に合わせたものに換えたのだろう。
(写真09-2ab)1971 Ferrari 365GTC/4 Coupe (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
フロントは黒いゴム製のバンパーでガードし、リトラクタブル・ヘッドライトでずっとモダンな印象に変わった。
(10)<365GTB/4 (デイトナ) >
(写真10-1ab)1970 Ferrari 365GTB/4 (Dytona) Berlinetta (1978-01 4th TACSミーティング/東京プリンスホテル)
「365」シリーズの本命となる「365GTB/4」は1968年パリサロンで発表された。ライバルたちがミッドシップに変わる傾向の中、フェラーリの新型車は昔ながらのフロント・エンジンだったからその賛否については大きな反響を呼んだ。又スタイルは先端が幅いっぱいのプレクシグラスで覆われ、その中には4灯式のヘッドライトが収まっており、初期型のヘッドライトはリトラクタブルではなかった。日本で最初にお目見えしたのは写真のこの車だと思われる。この時はまだ白黒時代でカラーはこれ1枚しか撮っていなかった。
(写真10-2a)1969 Ferrari 365GTB/4(Dytona) Berlinetta(1998-08 コンコルソ・イタリアーノ)
プレクシグラスの初期型の生産は1969年から始まったが、1970年中ごろ以降はリトラクタブルに変わってしまったので、初期型は約130台しか造られなかった希少モデルだ。因みに「デイトナ」いう愛称は新型が発表された前年アメリカで開催された「デイトナ24時間」で「フェラーリ330P4」が優勝したことを記念してマスコミが勝手に付けたもので、「フェラーリ」では正式に採用してはいない。
(写真10-3ab)1971 Ferrari 365GTB/4 (Dytona) Berlinetta (1998-08 ラグナセカ)
リトラクタブルに変更した主な理由は、最大の輸出先アメリカの安全基準に配慮した結果だ。変更された当初の何台かは、ヘッドライトカバーと、その中央部分をシルバーに塗装し、プレクシグラスのように見せかけたものもあったがすぐに姿を消した。写真の車がそれで、光線の加減で中が見えないようにも見えるが透明ではない。
(写真10-4a~d)1973 Ferrari 365GTB/4(Dytona)Berlinetta(2007-06 グッドウッド/イギリス)
何台か撮影した後期型の中で一番状況の良かったのがイギリスで見たこの車だ。正面から見ると格納されたヘッドライトがチラリと見える他に、全体的には前期型と変わりはない。
会場の壁には60周年を記念して1947年から2007年までのポスターが展示されていた。
(写真10-5ab)1973 Ferrari 365 GTB/4 (Dytona) Berlinetta (2010-07 お台場潮風公園)
前項と全く同じだが、大ヒットした「デイトナ」なのでお馴染みの赤い塗装でもう1台だけ追加した。2010年お台場の潮風公園で開催された第4回東京コンクール・デレガンスに展示された車で、完璧なコンディションだった。
(写真10-6abc)1969 Ferrari 365GTB/4 Pininfarina Special (1986-11 モンテミリア/神戸ポートピア広場)
この車は日本の車好きの間ではよく知られた松田コレクションの「フェラーリ」だ。ピニンファリーナがショーモデルとして手掛けたスペシャルで世界に1台しか存在しない。この車の特徴は「ルーフ」から「リアウインド」にかけてのデザインで、「クオーターピラー」が独立して反対側迄廻っており、一見タルガトップ風に見える。(但しトップは外せない)最もユニークなのは「リアウインド」で、ジッパーで取り外すことができる。このアイデアがどのような評価を受けたのか知らないが、その後同じものは見たことはない。
(11)<365GTB/4 コンペティツィオーネ>
(写真11-1ab)1969 Ferrari 365GTB/4 Competitione (1997-05 マラネロ・ロッソ/サンマリノ)
「デイトナ」はもともとレースを目的として開発された車ではなかったが、そのポテンシャルは高く、又フェラーリ伝統の「ベルリネッタ」でレースを、という強い要望に押されてレース仕様の「デイトナ」が造られた。「シリーズ1」から「シリーズ3」まであり各5台ずつ計15台が造られたという。この車の案内板に戦歴は記されていないが1971年「「ルマン」に初めて登場し総合5位となった58番のナンバーを付けた車ではないかと思われる。
(写真11-2abc)1972 Ferrari 365GTB/4 Competitione (2007-06 グッドウッド/イギリス)
1972年の「ルマン」にフェラーリは10台エントリーしたが、「ディーノ246GT」を除く残り9台はすべてが「365GTB/4」だった。ポッジ・フランス・チームの㊴番が総合5位(GTクラス優勝)、ノースアメリカン・チームが総合6位、スクーデリア・フィリピネッティ・チームが総合7以、エキュリー・フランコルシャン・チームチームが総合8位と、各チームもれなく入賞した。写真の車は塗装から推定すると「GTSクラス」にエントリーしプラクティスでは最速タイムを出しながら惜しくもリタイヤに終わった75番の車ではないかと思われる。
(写真11-3abc) 1973 Ferrari 365GTB/4 Competitione (2004-06 グッドウッド/イギリス)
この車はライト周りに特徴がある。それはヘッドライトの下に四角い大きな補助ランプが付けられていることだ。1973年の「ルマン」にノースアメリカン・チームからエントリーされ、ルイジ・キネッティの息子のドライブで総合13位に入った。
(12)<365GTŞ/4 (デイトナ) スパイダー>
(写真12-1ab) 1970 Ferrari 365GTS/4 Spider (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ)
1968年デビューした「365GTB/4」シリーズは69年から本格的に生産に入り売れ行きも順調だった。そこで次の一手を模索するため造られたのが「365GTB」をベースにしたバリエーションで、1台は前述の「松田コレクション」のジッパー付きのタルガトップ風のスペシャルだったが、これは量産はされなかった。もう一台の「スパイダー」は「365GTS/4」として1970年から主にアメリカ向けに120台が造られた。
(写真12-2a~e)1970 Ferrari 365GTS/4 (Dytona) Spider (2010-07 グッドウッド/イギリス)
「スパイダー」のウエストから下は「ベルリネッタ」と同じだから、初期のものはヘッドライトが「プレクシグラス」で覆われた内臓式でリトラクタブルではない。イギリスで撮られたこの車は、雨の多い土地柄のせいか幌を上げた状態で展示されていたが、その後ろ姿は「ベルリネッタ」にはかなわない。この時期「フェラーリ」のロードバージョンはすべて「365」に統一されていた。(6気筒の「ディーノ246」は対象外)
―― 次回は50年代からの積み残しをピックアップする予定です ――