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・前々回にも触れたように「TRシリーズ」は1957年その発想がスタートしており、時系列的には「250MM」の後で、「250TdF」と並行して登場したモデルである。
・FIAは1958年からのスポーツカー世界選手権を「3リッター」に制限することを発表した。これに合わせて「4カム12気筒」や「V6」等もテストされたが最終的にはコロンボ系の「250GT TdF」のエンジンを使って「プロトタイプ1号」が造られた。量産に際してはシリンダー・ヘッドに改良が施され、プラグの位置が吸気側から排気側に変わり、バルブスプリングがヘアピン式からコイル式となった。他のコロンボエンジンと区別するため新しいシリンダーヘッドは赤く塗られたので、イタリア語で「赤いヘッド」という意味の「Testa Rossa」と呼ばれ 、そのエンジンを使ったこのシリーズ名が「250TR」となった。
・このエンジンは優れた性能に加えて柔軟性もあり、メンテナンスも容易な傑作機で、レーシングエンジンとしては異例の長命を保ち61年まで現役で活躍した。
・「250 TR」は「ワークス・カー」と「市販車」にはっきり違いがあり、「市販車」は「右ハンドル」で「ポンツーン・ノーズ」だが、「ワークス・カー」は「左ハンドルで」、初期の一部を除いて「ポンツーン」ではない。
(00)<500TR/335 スポルト>
(写真001a) 1956 Ferrari 500 TRC (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア
「TR」」(レッド・ヘッド)は「250 TR」が最初ではない。1956年レース専用に造られていた4気筒2リッターの「ランプレディ・エンジン」に「アルベルト・マッシミーノ」(1940年エンツォ・フェラーリが初めて作った「アウトアビオ815」の開発の中心となったエンジニア)が改良を加えたエンジンのヘッドカバーを赤く塗ったのが最初だった。
(写真00-21ab)1957 Ferrari 335 Sport Spyder (2008-08ペブルビーチ/カリフォルニア)
ポンツーン・ノーズと言えば「250TR」の専売特許のように思われているが、そのベースとなったのは前年活躍したこの「335 Sport」だったのはあまり知られていない。外見は「250TR」と全く変わらないから説明が無ければ見分けは付かない。
(01)<ワークス 250TR>(1957)
(写真01-1a~d)1957 Ferrari 250TR Spider Prototype (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
シャシーNo.0666TRのこの車は「290MM」をベースに造られたプロトタイプの第1号だ。現在の外見は参考にした「335Sport」とそっくり同じで、ブレーキの冷却効果を狙った特異な形のポンツーン・フェンダーが特徴だ。(語源は正面から見たとき双胴船(ポンツーン・ボート)に似ている所から付いた)現在のボディは1957年スカリエッティで再架装された2代目で、初代がどんな姿だったかは確認で来なかった。この車は1958年のルマン24時間レースでジャガーと接触して全焼したが元の姿にレビルトされた。
(写真01-2a~j)1957 Ferrari 250TR Spider Prototype (2003-01 レトロモビル/パリ)
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(2007-06 グッドウッド/イギリス)
シャシーNo.0704TRのこの車はプロトタイプの2号車で、ベースとなったのは「500TRC」といわれる。1957、58 年ルマン24時間に参戦したが何れもリタイアに終わった。1960年代から30年近く「フォード・ミュージアム」に展示されていた車で、ドアのヒンジが外に付くタイプだ。
(写真01-3Aa~d)1957 Ferrari 250GT Spider (2010-07 グッドウッド/イギリス)
この車はファクトリーカーの証「右ハンドル」ではあるが、シャシーナンバーが不明なので確証はない。塗装はアメリカのレーシングカラーと思われるがその線からも手掛かりは得られなかった。
(02~05)<ワークス 58TR/59TR/60TR/330TR・LM>(1958~62)
(写真02-1a~d)1958 Ferrari 250TR/58TR Spider (2000-06 グッドウッド/イギリス)
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この車は「左ハンドル」なのでワークスカーかどうかは疑問だが、権威ある「グッドウッド」の表示が「250TR」ではなく,ワークスの「TR58」となっているので敢えてワークスに分類した。しかしシャシーNo.0738TRのヒストリーを追うと、ブラジルに売却され1964には一旦クーペボディに改装され、再度オリジナルに戻されているのでワークスカーではなさそうだ。
(写真03-1a~e) 1959 Ferrari 250TR/59 Spider (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
1959年からはワークス・カーのデザインが「スカリエッティ」から「ピニンファリーナ」に代わり、ボディの製造は「ファントゥツイ」が担当した。この年から全輪ディスクブレーキとなり、ドラムブレーキの冷却効果を狙ったと言われるフロントフェンダーを切り欠いたポンツーン・スタイルは必要が無くなったので、高速時により直進性の良い普通のフェンダーに変わった。
(写真03-2abc) 1959 Ferrari 250 TR/59 Spider (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
ゼッケン⑥番のこの車は前項の③番とほとんど変わらない。僅かに相違するのは③番は運転席の外にはバックミラーが無く室内は丸型なのに対して、⑥番の方は外側に丸型、室内は横長のバックミラーが付いているだけの違いだ。「TR59」の製造台数は2台といわれる。
(写真04-1a~e) 1959 Ferrari 250 TR 59/60 Spider (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
1960年FIAはフロント・スクリーンの高さを最低25cm以上とする新しい規定を制定した。それに合わせて59年型に規定をクリアーする背の高いスクリーンを付けたのがこのタイプだ。シャシーNo.0774 TRのこの車は1960年のルマン24時間レースで優勝している。
(写真04-2a~d) 1960 Ferrari 250TRI/60 Spider (2004-06 グッドウッド/イギリス)
60年から新しく規制された背の高いスクリーンは残念ながらカバーに隠れて見えない。シャシーNo.0784のこの車は⑫番のナンバーでルマンに出場しているが、3時間目ガス欠でリタイアした。形式の後に付く記号の「I」は「インデペンデンス」(独立懸架)の略。
(写真05-1a~d) 1962 Ferrari 330 TRI/LM Spider (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
・1961年(250TR/61)は通称キティ・ノーズと呼ばれる2分割のグリルに大きく変身したが残念ながら写真を撮っていない。しかしその外見は翌年の「330TR/LM」(本稿)にそのまま受け継がれ、ボンネット先端の大きなエアインテークとヘッドラト下のパーキングライト?を除けばそっくり同じだ。
・1962年にはなぜ突然「250TR」から「330TR」に変わったかと言うと、この年から「スポーツカー世界選手権」が「GT」に変更され、フェラーリでは「250 GTO」で戦うことになり、「250TR」の出番が無くなってしまった。たまたまこの年から「ルマン」が「4リッタープロトタイプ・クラス」を新設したので、これに対応するため「400スーパーアメリカ」のエンジンをレース用にチューンして造られたのが「330TR/LM」だった。シャシーNo.0808のこの車は圧倒的に強く「フィル・ヒル/オリビエ・ジャンドビアン」組は2ラップ目からトップに立ちそのままフィニッシュして優勝した。「TR」系はルマンで4回優勝しており、今回の優勝はフロント・エンジンの車としては最後となった。
(06)<250TR 市販車> (1957-58)
(写真06-1a~d) 1957 Ferrari 250TR Spidr (1986-11 モンテミリア/神戸ポートアイランド広場)
シャシーNo,0714TRのこの車は市販車としては2台目(全体の4台目)と言う極初期に造られた車だ。1984年日本の「林コレクション」が購入し1995年からは「松田コレクション」に移った。多くの「TR」を見てきたが、僕が最初に見たのがこの車で、この時はまだ林コレクションの所有だった。
(写真06-2a~d) 1957 Ferrari 250 TR Spider (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.0718TRのこの車も市販車としては4台目の1957年製初期モデルだ。1970年代にシルバーグレイに赤いストライプが入った現在の塗装に塗り替えられた。
(写真06-3ab) 1958 Ferrari 250TR Spider (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.0722TRのこの車は全体で8台目となり1958年に入ってから造られた。新車はキューバに売却されたが最初から塗装はイエローだった。1958年のルマン24時間レースに出走したが完走できず、その時のゼッケンが⑰番だった。
(写真06-4a~e) 1958 Ferrari 250TR Spider (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.0756TRは34台中23台目に造られた車で、最初からアメリカに送られて、ずっとそのままアメリカでレースを続けてきたが、ゼッケンの㊻番は変わらなかった。市販車がワークスと異なる最大の特徴は「左ハンドル」だった事だ。
(写真06-5abc) 1957 Ferrari 250TR Spider (2001-05 ミッレミリア/サンマリノ)
シャシーNo.不明。写真はミッレミリアでサンマリノのチェックポイントに向かう途中で、既にかなりの高さまで登ってきている。ここは180度のカーブで大型車は切り返さないと曲がれない難所だ。
(写真06-6ab) 1997 Ferrari 250 TR Spider (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)
非常に状態の良いこの車はレプリカと言うことだが、ベースとなった車は何だろう。市販車は1957年から58年にかけ造られたが、外形に変化は見られないから57年でも58年でも構わない。場所は車検場の「ビットリア広場」から正面の郵便局の横を通って隣の「ロッジア広場」へ向かう裏道。(先行するのは1949 Stanguellini 1100 Coupe Motto)
(写真06-7abc) 1958 Ferrari 250TR Spider (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
この車はプログラムにシャシーNo.の記載がなく不明。1958年製となっているがドア・ヒンジが外に付いているので初期の57年製ではないかとも思われるが確認できない。
(写真06-8abc) 1958 Ferrari 250TR Spider (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.0748TRのこの車は1958年製で、オーストリアに住む初代オーナーの下に送られ6月のニュルブルクリング1000kmに出走したがレース後のクールダウン中にクラッシュ大破してしまった。一旦モデナに送られたが、そこでは修理されることなくそのままアメリカに売却され、アメリカで修復作業が行われて元の姿に戻った。
(写真06-9ab) 1958 Ferrari 250TR Spider (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
ナンバープレートが「TR60」となっているので、一瞬1960年製かと思ってしまうが、市販車の製造は58年まで、ワークスの「TR60」だったら「ポンツーン・フェンダー」ではなく「右ハンドル」の筈だ。案内板からも「1958」と読める。
― 次回は「250」系の最後、ミッドシップ・エンジンの「250LM」の予定です ―