1957 Ferrari 250GT Pinin-Farina Cabriolet Sr.Ⅰ
今回は「250GTシリーズ」の括り締めくくりとして市販の「クーペ/ベルリネッタ」と「スパイダー/カブリオレ」を取り上げる。
① <250GT ピニン・ファリナ・クーペ>
・1954年パリ・サロンで発表された「250GT」が最初で、「250エウローパ」と呼ばれていたが「ランプレディ」系にも「250エウローパ」があったので、「コロンボ」系は「250GTエウローパ」と「GT」を付加して呼ばれるようになった。
・初代クーペは「ピニン・ファリナ」で、約30台造られた。1956年からはボディは「カロセリア・ボアーノ」に変更され、呼び名は「ボアーノ・クーペ」と変わった。57年には経営者が変わって「エッレナ・クーペ」と変わったがここまでが「初代250GTクーペ」だ。
・1958年モデルチェンジして2代目となったが、デザインは引き続き「ピニン・ファリナ」が担当した。直線と平面で構成され全くイメージが一新されたこのモデルは「ピニン・ファリナ・クーペ」と呼ばれ、この後フェラーリの基準となった。
(写真01-1ab) 1958 Ferrari 250GT Pinin-Farina Coupe (2002-02 フランス国立自動車博物館)
それまでの丸みのあるボディに較べると直線を生かしたスタイルはすっきりとした印象を与える。この博物館では後ろから見えない代わりに、全面鏡張りになっている。
② <250GT ピニン・ファリー・カブリオレ >
・「250GT」の最初のオープン・モデルが登場したのは1956年のジュネーブ・ショーで、当時クーペを手がけていた「ボアーノ」がクーペをベースに造ったものだった。(写真なし)
・翌年のジュネーブ・ショーに展示されたのは「ピニン-ファリナ」が造った「スパイダー」だった。全体には後年の「スパイダー・カリフォルニア」との共通点も多く影響を与えたと思われるが、ショー・モデルはドライバー側のドアに英国のスポーツカーのような切り欠きがあった。
・ショー・モデルの他に3台の「スパイダー」が造られ、これらを参考に生産型「カブリオレ」が約40台造られた。ヘッドライトはカバー付きと、カバーのない2種があり、初期のものはバンパーが小さく、後期では車幅全体となっている。
(写真02-1abc) 1957 Ferrari 250GT Pinin-Farina Cabriolet (2003-03 レトロモビル/パリ)
この車は1957年9月、「オスカー・オルソン」にデリバリーされたとあった。(「オルソナイト・イーグルス」と言うインディー・チームのオーナーとあったが確認できなかった)車の特徴はバンパーが左右分割タイプなので初期型だ。(シャシーNo.0729GT)
(写真02-2ab)1958 Ferrari 250GT Pinin-Farina Cabriolet (2004-08ペブルビーチ/アメリカ)
この車はバンパーが車幅全体の後期型だが、それだけで前期型の奇異な印象は全く消えた。後ろ半分は両車共全く同じで、テールランプが特徴だ。
③ <250GT LWB スパイダー・カリフォルニア>
フェラーリ創業10年を迎えた1958年には、生産数も年間1000台の大台を超え、メーカーとしての基礎が固まり、製品の評判も「高性能」「高級車」が定着し、「世界最速」の名称も獲得していた。この年のライン・アップは「410スーパー・アメリカ」「250GTカブリオレ」「250GT ベルリネッタTdF」「250GT エレッナ・クーペ」の4種だったが、これに加わったのが、「スパイダー・カリフォルニア」だった。オープン好きなアメリカ人の好みの車を造ったらと云う発想を、カリフォルニアでフェラーリのデーラーだった「J・ニューマン」が「ルイジ・キネッティ」に伝え、それが「エンッオ・フェラーリ」に提案された結果実現したもので、市場では「ポルシェ356スピードスター」をライバルとした。誕生当初は「TdF」をベースとしていたのでホイールベースは2600mm(LWB)だった。製造は「スカリエッティ」が担当した。
(写真03-1abc) 1959 Ferrari 250GT LWB Spider California (1995-08 ペブルビーチ/アメリカ)
「スパイダー・カリフォルニア」と「カブリオレ」は1957年同じころプロトタイプが造られ、殆ど同じ形をしていた。量産モデルではフロントは両車共よく似ているが、テールランプ廻は全く新しくデザインされたものに変わっている。ヘッドライトはカバー有りと無しがあった。
(写真03-2abc) 1959 Ferrari 250GT LWB Spider California (2004-08 ラグナセカ/アメリカ)
初期の「スパイダー・カリフォルニア」はベースが「TdF」なので、ロング・ホイールベースだ。この車はレーシング仕様なのでトランクにレース用の給油口を持っている。
(写真03-3abc)1959 Ferrari250GT LWB Spider California (1998-08 ペブルビーチ/アメリカ)
この車は同じ1959年型だがヘッドライトにカバーがある。ペブルビーチのコンクールで何かの賞を受賞したらしく、ボンネットにリボンが飾られていた。
(写真03-4ab) 1959 Ferrari 250GT LWB Spider California(1995-08 モンタレー・オークション)
8月の「モンタレー」では「ラグナ・セカ・レースウエイのヒストリックカー・レース」「ペブルビーチのコンクール・デレガンス」「コンコルソ・イタリアーノ」の3大イベントを目当てに世界中から大勢のマニアがやってくる。それを狙って幾つかのオークションが開催されるが、モンタレー市内のコンベンション・ホールではイベントから帰ってきたお客を対象に夕方から夜にかけてオークションが開かれる。
④ <250GT SWB スパイダー・カリフォルニア>
1959年パリ・サロンで「250GT SWB」が発表されると、翌1960年からは「スパイダー・カリフォルニア」もそれに合わせて、ホイールベースが2400mmの「SWB」となった。元々ロード・ゴーイング・カーとして誕生した車だったが、その軽量と高性能を生かし、レースバージョンとしてハイ・チューン仕様が4台、アルミ・ボディが3台造られ、「ルマン24時間」や「セブリング12時間」などにも出場している。「SWB」は54台造られた。
(写真04-1ab)1960 Ferrari 250GT SWB Spider California(1999-08 コンコルソ・イタリアーナ)
「SWB」となったがホイールベース以外、外見に変化は見られない。この車は「スパイダー」だがオプションの「ハードトップ」を付ければ全天候型に早変わりだ。
(写真04-2a~d)1960 Ferrari 250GT SWB Spider California (2010-07 ウッドウッド/英国)
この車はイギリスに棲み付いている「スパイダー・カリフォルニア」だ。アメリカのカリフォルニアと違って雨の多いイギリスだから、幌を上げて走ることも多かっただろう。「カブリオレ」と違って「スパイダー」の幌は薄手で簡単だ。
(写真-4-3ab)1962 Ferrari 250GT SWB Spider California (1999-08 ペブルビーチ/アメリカ)
この車は1962年型だからそろそろ製造終了に近い頃造られたものだが、初期の59年型と殆ど変わっていないから、コンクールのプレート以外には年式の判定は難しい。
⑤ <250GTE 2+2>
1950年代、フェラーリでは後部座席のある車を何台か造っているが試作のまま終わり、量産されたのはこの「250GTE 2+2」が最初だった。1960年の「ルマン」でペースカーとして登場したのがお披露目だったが、その後「パリ・サロンで正式デビューした。「ピニン・ファリナ・クーペ」の後継車としての位置づけで、ホイールベースは「クーペ」と同じ2600nn(LWB)だったが、エンジン/ギアボックスを前進させることで「2+2」のスペースを確保している。エンジンはこの車の為マイルドに調整された「タイプ128E」が用意された。製造は「ピニン・ファリナ」が行い、シリーズ1、2、3と変化した。全体で約950台造られるヒット商品となった。1964年にはこれに「スーパー・アメリカ」の4リッター・エンジンを載せて「330GT 2+2」に変身することになる。
(写真05-1ab) 1960 Ferrari 250GTE 2+2 Coupe(推定) (1980-05 船橋サーキット跡地)
この車は放置されていた車なので詳細は不明だが、テールランプを除いては1960年の試作車と酷似している。ドライビング・ライトが無いこと、ヘッドライトのトリムがボディの内側にある、などがそれで、テールランプだけは後期のものと同じなので変更されたものかもしれない。(シリーズ3のドラビング・ランプは埋め込みなので対象外だが、シリーズ1のランプを取り外した可能性はある。)
(写真05-2a~d) 1960 Ferrari 250GTE 2+2 Coupe Sr.1 (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
この車はドライビング・ランプがグリルの中にあり、ヘッドライトのトリムがボディの内側にある、テールランプが3連、とシリーズ1の特徴をすべて備えている。
(写真05-3ab) 1962 Ferrari 250GTE 2+2 Coupe Sr,3 (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シリーズ3になるとドライビング・ランプはグリルの外に出された。ヘッドライトのトリムは普通にボディの外になり、テールランプも上下一連のものに変わった。
(写真05-4a~e) 1960(63) Ferrari 250GTE 2+2 Coupe Sr.3 (2009-03コンクール・デレガンス)
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この車は案内板によると1960年型とある。パリ・サロンにデビューした車そのものなのか、それ以前に造られたプロトタイプなのかは、文面から判然としないが、60年型(シリーズ1)の特徴は全く備えていない。レストアされた際すっかりシリーズ3に変身したようだ。
(写真05-5abc) 1963 Ferrari 250GTE 2+2 Coupe Sr.3 (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
アメリカで日常の足として使用されている感じの250GTE 2+2だ。ラグナセカの駐車場にはこんな車がごろごろしている。
(写真05-6ab) 1963 Ferrari 250GTE 2+2 Coupe Sr.3 (1991-01 レールシティ汐留ミーティング)
国内のイベントで捉えた「250GTE 2+2」だ。セールの張り紙があったが、残念ながら値段は書いてなかった。
⑥ <250GT ベルリネッタ・ルッソ>(250GT /L)
1962年フェラーリでは「SWB」「カブリオレ」「スパイダー・カリフォルニア」が姿を消し、それに代わって「250GT」系としては最後となる「250GTベルリネッタ・ルッソ」(250GT/L)が登場した。「ルッソ」とはイタリア語で「贅沢」「豪華」と言う意味だが、それに見合うだけの性能も兼ね備えた万能型で「GTO」と「GTE2+2」の中間的性格を持っていた。分割式のフロント・バンパー、テールを切り落した「コーダ・トロンカ」と呼ばれるスタイルが特徴的だった。デザインは「ピニンファリナ」(1961年従来のPinin-FarinaからPininfarinaとワンフレーズに名称が変更された)が行い、製造は「スカリエッティ」が担当した。ホイールベースは2400mmと「SWB」だった。
(写真06-1ab) 1962 Ferrari 250GT Berlinetta Lusso (1980-01 TACSミーティング/神宮絵画館前)
僕が国内で初めて「フェラーリ」を見たのは1973年の事で、赤坂の修理工場に入っていた「365GT 2+2」だったが、70年代も終わり頃になるとイベントでも顔を出すようになった。「ベルリネッタ・ルッソ」はこの時が初お目見えだったと記憶する。
(写真06-2ab) 1962 Ferrari 250GT Berlinetta Lusso (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
この車は1962年から64年までに350台が造られたというが、その間殆ど変化していない。この写真を撮影した時に、隣に全く同じ塗装で外見も同じ車が並んで停まっていた。変化が無いということは従来のオーダーメイドに近い手のかけ方から量産体制が確立した証拠だろうか。
(写真06-3abc) 1962 Ferrari 250GT Berlinetta Lusso (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
前項のダークブルーに較べると、フェラーリはやっぱり明るい赤が似合う。真横から眺めても流れるような曲線が美しい。
(写真06-4a~d) 1962 Ferrari 250GT Berlinetta Lusso (2010-07 グッドウッド/イギリス)
アメリカだけではなくイギリスにもフェラーリの愛好家はいた。ナンバープレートの「ENZ250」は間違えなく「エンツォ・フェラーリ」の略だろう。白いフェラーリは非常に珍しい。
(写真06-5abc) 1963 Ferrari 250GT Berlinetta Lusso (1998-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
この車はプレートから1963年型と確認できる。しかし、今まで登場した62年型との違いは何処にも見つけることが出来ない。
(写真06-6ab) 1964 Ferrari 250GT Berlinetta Lusso (1995-08ペブルビーチ/カリフォルニア)
この車もプレートから1964年型と確認できたが、前の63年型や、それ以前の62年型とも全く変わりがないので、敢えて追加して掲載する必要もないような気がしてくる。
(写真06-7ab) 1964 Ferrari 250GT Berlinetta Lusso (1989-10 モンテミリア/神戸)
国内のイベントに登場したこの車はプログラムから1964年型と確認している。撮影したのは1989年だが、この頃になると国内でもフェラーリがちらほらと見られるようになってきた。
―今回で「250GT」シリーズが終了しました。次回は「250TR」シリーズの予定です―