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1962 Ferrari 250 GTO
・今回は250GTシリーズの中で傑作として人気の高い「SWB」と「GTO」をご紹介する。レーシングカーの流れから行けば、「250GT MM」に続くのは「250TR」だが、以前にも触れたように、発表された年代順に並べるといろいろなモデルが錯綜するため、引き続き「GTシリーズ」を紹介する。そのため年代が前後することをご容赦ください。
(01)<250GT インテリム(LWB)>
1959年のルマン24時間レースに出走した新顔のベルリネッタが後年傑作車として名高い「250GT SWB」のプロトタイプだった。この時はまだホイールベースは「ヨーロッパ」などと同じ2600mmnのロング・ホイールベースだったが、ピニンファリナのデザインでスカリエッティが造ったボディは「SWB」を予測させるスタイルを持っていた。合計7台が造られた。
(写真01-1abc) 1959 Ferrari 250 GT Inerim Scaglietti Berlinetta (1997-05 サンマリノ)
この車はサンマリノにあるフェラーリ専門のミュージアム「マラネロ・ロッソ」が所有する車だ。説明にもある通り1959年の「ルマン24時間」にN.A.R.T.がエントリーしピレット/アレンツのドライブでGT2位(総合4位)となった車そのものだ。
(写真01-2a~d) 1959 Ferrari 250 GT Interim Scaglietti Berlinetta (2004-08 ラグナセカ)
アメリカのイベントで撮影したこの車は、1959年のルマン24時間レースで総合3位となったシャシー・ナンバー1321GTと外見が似ているが、この車のシャシーナンバーが不明なので確実ではない。「SWB」との違いは変わった形のリア・クオーター・ウインドゥを持っていることだ。「インテリム」とは「仮」「暫定」や「合いの子」と言う意味も有るようだが、実際にも「TdF」と「SWB」を繋ぐ存在だった。
(02)<250GT ベルリネッタ(SWB)>
この車が最初にお披露目されたのは1959年10月のパリ・サロンだった。当時は単に「250GTベルリネッタ」と呼ばれていたが、他にも「250GTベルリネッタ」に相当する車もあり、「TdF」に較べるとホイールベースが短い所から「ショートホイールベース・ベルリネッタ」と呼ばれるようになった。それががいつの間にか単に「SWB」と呼ばれるようになりこの呼び名が定着した。「SWB」の特徴の一つは、「レーシング・バージョン」と「ロード・バージョン」の2種類があり、見た目は変わらないが「性能」や「材質」に大きな違いがあった。しかし約170台造られた中にはロード・バージョンでありながらアルミ・ボディだったり、かなりのチューニングを受けた高性能版があったりして個々に性格が異なり、ロードバージョンでもレースが可能のものもあった。1959年製の最初の11台はすべてがレーシング仕様で、フロントとリアのフェンダーにエア・アウトレットがまだ無く、サイドマーカー・ランプもない。この後1960年前期型では前後フェンダーにエアスクープがあけられるが、この段階ではサイド・ウインドーの上縁後端が下にさがっており、三角窓は無かった。次の段階では後縁が下がったサイドウインドーに三角窓が付く。そして最終的にはサイド・ウインドーの後縁が緩やかなカーブとなる。三角窓かサイドウインドー後縁の変化か、どこからが後期型なのだろうか。
(写真02-1abc) 1959 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (1998-08 ペブルビーチ/アメリカ)
シャシーNo.1593GTのこの車は1959年製で、只1台だけ造られた「SWB」のプロトタイプだ。この段階ではフロントとリアのフェンダーにエアアウトレットはなく、サイドマーカーランプも三角窓もない。
(写真02-2a) 1960 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (1987-11 モンテ・ミリア/神戸)(1995-06 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.1757GTのこの車は、量産車としては2号車で、サイド・ウインドーに三角窓がない初期型だ。神戸のイベントで初めて撮影した8年後,カリフォルニアで再会しているが日本に棲み付いている車だ。給油口がトランクリッドの左隅にあるのは初期型の特徴だ。
(写真02-3ab) 1960 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (2004-08 ラグナセカ)
この車は1960年型だが、三角窓があるので中期型といえる。バンパーが付いているのでロード・バージョンだろう。
(写真02-4ab) 1960 Ferrari 260GT SWB Scaglietti Berlinetta(2004-08 コンコルソイタリアーノ)
この車も前項の車と同じく三角窓があり、サイドウインドーの上縁の後端がカーブしているので中期型だ。バンパーが無いのはレース仕様か。会場はゴルフ場のフェアウエイだ。
(写真n02-5ab) 1960 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (2004-08 ラグナセカ)
このイベントには㉒番が8台登録していたが「SWB」に該当する車は見つからなかった。うっかりサークルの外に追加されていた「1」を見落としていた種で実際は(122)番(シャシーNo.2291)で登録していたのだ。このペイントと同じ特徴の車が㉜番(シャシーNo,2095)で出走していた。
(写真02-6ab) 1961 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (1999-02 平松コレクション)
シャシーNo.2521 のこの車は、1960 年から62年まで造られた中でほぼ中間に造られている。特徴から見ると三角窓があり、サイド・ウインドーの上縁が直線に近い最終型だ。61年には73%がレーシングバージョンだったが、62年になると比率は逆転し、ロードバージョンが62%となった。名古屋の愛好家が所有するこの車はロードバージョンなのでバンパーが付いている。
(写真02-7a~d) 1961 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (1963-05 第1回日本グランプリ/鈴鹿サーキット)
シャシーNo.2729のこの車は、1963年5月出来立ての鈴鹿サーキットで日本初の本格的な自動車レースに参加したフェラーリだ。当時「フェラーリ」と言う車を見る事が出来る出来るなんて夢のような時代だったから、遠くから憧れの目で眺めた記憶が蘇る。出来立てのサーキットはまだ芝生が根付いていなかったから、山肌がむき出しだ。場所はヘアピン・カーブでテールをスライドしてカーブを回っているのが判る。
(写真02-8a~d) 1962 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (1986-11 モンテミリア・神戸)
1963年鈴鹿サーキットで遠くから見たフェラーリから23年ぶりに間近に見た本物のフェラーリだ。非常に良いコンディションのこの車は有名な「松田コレクション」から出展されたものだ。「SWB」のシャシー・ナンバー・リストによるとこのコレクションには1960年のNo,1997GTと、1962年のNo.3605があることが判った。ところで、このイベントのプログラムには1961年型とした登録されていたが、サイドウインドーの特徴と給油口の位置から62年型と推定した。
(写真02-9ab) 1961 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (2004-08 ラグナセカ)
この車は三角窓がある、サイド・ウインドーの上縁が直線に近い、リアウンドーの面積が広い、給油口がトランクリッドに無い、など最終モデルの特徴をすべて備えている。
(写真02-10abc)1961 Ferrari 250GT SWB Scaglietti Berlinetta (2010-07 グッドウッド)
シャシーNo,2735GTのこの車は、1961年スターリング・モスのドライブでツーリスト・トロフィーを獲得した車そのものだ。ダーク・ブルーにホワイトのノーズ・バンドの塗装は、当時の「ロブ・ウオーカー・レーシング・チーム」のままだ。
(写真02-11ab)1960 Ferrari 250GT SWB Bertone Berlinetta(1995-08 コンコルソイタリアーノ)
シャシーNo.1739GTのこの車は数少ないスペシャル・ボディだ。ベルトーネで2台の試作モデルが造られたがカタログモデルとして採用されることは無かった。
(写真02-12abc) 1960 Ferrari 250GT SWB Bertone Berlinetta (2004-08 ペブルビーチ)
この車も前項と同じくプロトタイプとして2台造られたもう1台で、両車に殆ど違いはみられない。
(写真02-13abc) 1961 Ferrari 250GT SWB Pininnfarina Prototype (2004-08 ペブルビーチ)
「SWB」は殆どが「スカリエッティ」のボディを纏っているが、大御所「ピニンファリナ」でもスペシャル・ボディを5台造っている。当時手掛けていた「400SA」のボディとそっくりなスタイルだった。参考に「400SA」の写真を添付した。⑫番はシャシーNo.2643GTで1961年のルマン24時間レースに出場した車だが、実質「250GTO」のプロトタイプといわれる。61年には完走できなかったが、翌年再チャレンジし総合で9位を獲得した。
(03)<250GTO>
1962年から世界選手権のタイトルがこれまでの「スポーツ・プロトタイプ」から「GTクラス」に変更された。その対象は12か月間に100台以上生産されたGTに与える物とされた。この規定が「ホモロゲーション」でイタリア語の「Omologato」(オモロガート)が車名「GTO」の由来だ。ところで「GTO」は全部で39台しか造られなかったから100台に達していないのではないかと言う疑問が生じる。そこにはフェラーリが使った裏技があった。「GTO」は新しい車種ではなく、すでに200台以上造られていた「SWB」のファミリーでその発展型と言うことでホモロゲーションをクリアーした。だから本当は「SWB-Ⅱ」と名付けるべきだったかもしれない。
・70年を超えるフェラーリの長い歴史の中で「GTO 」は最高の傑作として燦然と輝く存在であることは万人の認めるところだ。何が凄いのか。レースの成績でいえば製造された1962、63、64年の3年間ワールド・チャンピオンを獲得している。
・初期型のスペシフィケーションは全長4400mm、全幅1675mm、全高1245mm、ホイールベースは「SWB」と同じ2400mmだった。全備重量は800~1000kgと非常に軽量だったのは「SWB」から受け継いだ「アルミ外皮」「鋼管フレーム」のお陰で、アルミの厚みは0.8~1.25mmと言う薄さだった。フロントエンジン、リア・ドライブで、エンジンはコロンボが設計した水冷60度V12気筒SOHC 73mm×58.8mm (1気筒当たり246.1cc) 総排気量2953cc ,最高出力は296~302hp/7500rpmだった。最高速度はルマンのストレートで280㎞/hを記録している。 .
・この車はいくらお金を積んでも買うことが出来ない(コレクターがなかなか手放さない)と言われるが、たまたま2014年オークションに出された1台は39億円で落札され、史上最高値を更新した。「GTO」は1962~64年の3年間で39台造られたが、60年近く経った現在でも全てが存在する。
(写真03-1ab)Ferrari 250 GTO Skelton model (1997-05 マラネロ・ロッソ博物館/サンマリノ)
博物館に展示されて居た骨格モデルだが、展示用であって実際の構造を示すものだはなさそうだ。
(写真03-2abc) 1963 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.3387GTのこの車は「GTO」の2号車で、新車所[NART]にデリバリーして以来オーナーがずっと変わってもずっとアメリカに止まっている。
(写真03-3a~d) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo,3445GTのこの車は1962年のルマン24時間レースにイタリアのスクーデリアSSSからエントリーされたが、15時間目に10位走行中ダイナモのトラブルでリタイヤした。ルマンでのナンバーは58番で塗装は赤、ブレーキ・ダクトは縦長だったが、現在はブルー/イエローの塗り替えられブレーキ・ダクトは丸型に改造されている。1963年3月の「セブリング12時間」で5位、9月の「モンツァ・コッパ・インターナショナル・ヨーロッパ」で7位の戦歴を残している。
(写真03-4abc) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.3705GTのこの車は1962年ルマン24時間レースにフランス人「ピエール・ノブレ/ジャン・ギシェ」が個人でエントリーし、GTクラス優勝(総合2位)を獲得している。トリコロールのストライプを始めルマン出走時のオリジナルを良く保っているがボンネットの⑲番はルマンの時はストライプの中央だった。その他1963年9月の「モンツァ・コッパ・インター・ヨーロッパ」で6位を獲得している。、
(写真03-5ab) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo,3451GTのこの車は1962年型だが、現在は「63年型」に改造されているため、特徴からの特定作業では辻褄が合わず確認できなかった。オリジナルではフロント・フェンダーのルーバーは2個、ブレーキ・ダクトは縦長、スポイラーはリベット止めだった。
アメリカのイベント・プログラムからシャシーNo.3451が判明した。1962年5月に「タルダ・フローリオ」でクラス優勝(総合4位)、8月の「グッドウッド」で優勝と素晴らしい結果を残している。.
(写真03-6a~d) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2007-06 グッドウッド/イギリス)
シャシーNo.3505GTのこの車は1962年ルマン24時間レースにイギリスのUDTレイストールからエントリーした。17時間目に13位走行中ダイナモのトラブルでリタイヤした。この車は62年(前期型)の特徴を良く残している個体だ。
(写真03-7abc) 1963 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーN0.3729GTのこの車は1962年製で、最初は2個だったフロント・フェンダーのルーバーは3個に改造されている。スポイラーは一体ではなく、リベットで後から取り付ける初期型の方法が採られているので改造はされていない。この車のオーナーは代々イギリス人で一度も国外には出ていない。戦歴としては1962年8月の「グッドウッド」で2位、1963年の「グッドウッド」で再び2位となっている。
(写真03-8a~e) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2003-08/1999-08カリフォルニア )
シャシーNo.3943のこの車は、「GTO」の1号車のシャシーNo.3223GTと殆ど外見が同じだ。しかも1号車も現在は㉒番を付けているのですっかり騙されてしまった。しかし2003年のイベントのプログラムからシャシー・ナンバーを特定することが出来た。1962年10月の「パリ1000km」で4位、1963年5月の「スパ・フランコルシャン」で2位、同じ5月の「ニュブブルクリンク100km」でクラス優勝(総合2位、7月の「ランス12時間」で4位、と様々な活躍をしている。
(写真03-9ab) 1962 Ferrari250 GTO Berlinetta (2000-06 グッドウッド/イギリス)
シャシーNo.3757GTのこの車は、撮影当時はイギリスのロック・ミューシシャン「ニック・メイソン」が所有している車で、1962年のルマン24時間レースにベルギー・ナショナル・チームがエントリーしGTクラスで2位(総合3位)を獲得している。9月の「ツール・ド・フランス」で3位、1963 年5月の「スパ・フランコルシャン」で優勝と素晴らしい戦歴を残している。この車は1962年当初はフロント・フェンダーのルーバーが2本だったが後年3本に改造されている。
(写真03-10a~d) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.3767GTのこの車は、ナンバープレートから推定して1963年型と思われたが、シャシー・ナンバーではこの後もしばらく62年型が続くので途中から63年型に改造したのかもしれない。細部の特徴は63年型である。1962年8月の「グッドウッド」で4位、9月の「ツール・ド・フランス」で4位、1963年5月の「ニュルブルクリング1000km」で6位の戦歴を持つ。
(写真03-11abc)1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta(1997-05 マラネロ・ロッソ博物館/サンマリノ)
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シャシーNo.3851GTのこの車は、フェラーリ専門の博物館「マラネロ・ロッソ」が所有する車だった。この車には一寸騙された。と言うのは、車を特定する際最初に手掛かりとするのは「レース・ナンバー」で、輝かしいヒストリーを持つ車の場合は優勝したナンバーが付いているからそこから手繰って行くことが多い。手元にはマラネロ・ロッソで撮影した⑧と㉒の「GTO」があったが、㉒の向こうに写っていた⑧は実は鏡に映ったもので、1台の車が右に⑧番、左に㉒番を付けていたのだ。1962年9月の「ツール・ド・フランス」で2位に入賞している。この車は2014年のオークションで約39億円で落札され、史上最高値を更新した。
(写真03-12ab) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta) (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.3909GTのこの車は、確実な資料では確認できなかったので「推定」だ。フロント・フェンダーに3個のルーバーを持つ車は右ハンドルが多く、すべての条件を満たすものは見つからなかったが、ルーバーが2個から3個に改造されたとして最終判定をした。1963年の5月の「スパ・フランコルシャン」で3位となっている。
(写真03-13a~d)1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2007-06 グッドウッド/イギリス)
シャシーNo.4115GTのこの車は、1962年型で、製造された当時はドイツで活躍していたが現在はイギリス人オーナーの下にある。初期型の標準となるタイプだ。特に記録されるレースでの戦歴はない。
(写真03-14abc) 1962 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo,4153GTのこの車は1963年のルマン24時間レースにベルギー・ナショナル・チームからエントリーされ、GT クラス2位(総合4位)を獲得した。ルマンでのナンバーは㉕番だった。1963年7月の「ランス12時間」で6位、1964年9月から10月にかけて行われた「ツール・ド・フランス」で優勝、10月の「パリ1000Km」で5位と素晴らしい戦歴を残している。
(写真03-15abc) 1963 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.4219のこの車は新車の納入先は「NART」で、アメリカのナショナル・カラー「ホワイトにブルー・ストライプ」に塗装されていた。以来オーナーが変わってもずっとアメリカに棲み付いていたが、撮影時はフェラーリとしては珍しい「ブラック」に塗装され、香港のオーナーの手に渡っていた。1963年2月の「デイトナ3時間」で優勝している。
(写真03-16abc) 1963 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.4293GTのこの車は1963年のルマン24時間レースにベルギー・ナショナル・チームからエントリーされ、GTクラス優勝(総合2位)を獲得した。ルマンでのナンバーは㉘番だった。7月の「ランス12時間」でクラス優勝(総合3位)となった。一時期日本人オーナーのもとにあったがその後香港に移住してしまった。
(写真03-17abc)1963 Ferrari 250 GTO 330SA Berlinetta(1991-03 幕張メッセ/2004-08 ラグナセカ)
シャシーNo.4561SAのこの車は、「GTO」の中で数少な「4リッター・モデル」だ。エンジンは「400SA」(スーパー・アメリカ)のものがベースとなっている。このエンジンは77×71mmで、総排気量3967.44ccだった。大排気量は「ランプレディ・エンジン」の領域かと思われたが、「コロンボ・エンジン」の流れを汲む新しいエンジンとのことだ。そのせいかこの車のボンネットには他の車には見られない高い盛り上がりが見られる。
(写真03-18abc) 1963 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.4713GTのこの車は1963年のルマン24時間レースにノースアメリカン・レーシング・チームからエントリーされ総合6位を獲得した。ルマンでNo.は㉖番だった。8月の「グッドウッド」で8位となっている。この車は「330LMB」のボディを持っているが、エンジンは「250GTO」の3リッターと変わりない。
(写真03-19a-d) 1963 Ferrari 250 GTO Berlinetta (2004-06 グッドウッド)(2004-08ラグナセカ)
シャシーNo.5111GTのこの車は、「ツール・ド・フランス」では1963年優勝、翌64年には2位と素晴らしい成績を残している。ボディは初期型「GTO」の典型的なスタイルだ。
(写真03-20abc) 1965 Ferrari 250 GTO Berlinett Reprica (1991-01 レールシティ汐留)
シャシーNo.9713GTのこの車は1965年「330GT 2+2」として誕生したが、オーナーの希望でフェラーリの工場で純正部品を使って「250GTO」のボディが架装された。だから「レプリカ」ではあるが本物に限りなく近い。松田コレクションが「250GTO 400SA」(C/N3673SA)を購入した際、同じ仕様で造られたこの車をスペアカーとした購入したものだ。
(04)<250GTO/64>
・「250 LM」によく似た「250 GTO/64」の誕生には次のようなエピソードがある。それは64年シーズンに当たって「250LM」をGTクラスに投入しようと考え、「GTO」の時使った裏技によって「SWB」の発展型として申請したが、さすがにミッドシップ・エンジンではレイアウトが全く異なるので否決されてしまった。そこで取り急ぎ空力的に優れた「LM」風のボディを「GTO」に乗せた「250GTO/64」が3台造られたのだ。その他にも62,63年型から改造された「250GTO62/64」モデル1台、「63/64」モデル3台が造られた。
(写真04-1abc) 1964 Ferrari 250 GTO Sr.ⅡBerlinetta (2004-08ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.5571GTのこの車は、最初から64年型として3台造られた「250 GTO/64」の最初の1台で、5月の「スパ・フランコルシャン」で3位入賞、6月の「ルマン24時間レース」では9時間目にトランスミッションを壊しリタイヤ、7月の「ランス12時間」で11位、8月の「グッドウッド」ではクラッシュして棄権と言う戦績を持っている。
(写真04-2abc) 1964 Ferrari 250 GTO 62/64 Sr,ⅡBerlinetta (2004-08 ラグナセカ)
シャシーNo.3413GTのこの車は1962年型から改造されたシリーズⅡだ。別の表示方法では「250 GTO 62/64」となる。補助灯が無く、ブレーキ・ダクトが縦長と言うのが特徴だ。空力的に優れた「LM」とよく似たボディに換えられている。9月の「コッパ・インター・ヨーロッパ」で5位、10月の「パリ1000km」で12位となっている。
(写真04-3abc) 1962 Ferrari 250 GTO Sr.Ⅱ (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.4091GTのこの車は、1963年型とした誕生したが、64年シーズンに向けてより空力性能の優れた「LM」風ボディに改造された。改造のきっかけとなったのは前年の「ツール・ド・フランス」レースでクラッシュしダメージを受けていたためだ。初戦は3月の「セブリング12時間レース」だったがリタイヤに終わった。
(写真04-4abc) 1963 Ferrari 250 GTO 63/64 Sr.ⅡBerulinetta (2004-08 ラグナセカ)
シャシーNo.4399GTのこの車はイギリスの「マラネロ・コンセッショネアーズ」にデリバリーされ、1964年にシリーズⅡのボディに換装された。この車はシリーズⅡの中では最もホットな車で、ボンネットのパワーバルジに空けられたエア・インテークや、ルーフのスポイラーにその片鱗が見える。
1963年8月に「グッドウッド゙」で優勝、9月の「モンツァ・コッパ・インター・ヨーロッパ」でクラス優勝(総合2位)、改造後の1964年5月の「スパ・フランコルシャン」で優勝、6月の「ルマン24時間」で6位、7 月の「ランス12時間」で3位、8月の「グッドウッド」で6位と数々の戦歴を残している。
(写真04-5a~e) 1963 Ferrari 250 GTO 63/64 Berlinetta(2009-03 六本木ヒルズ/2004-08 ラグナセカ)
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シャシーNo.4675SAのこの車は、1963年型として誕生したが、1964年シーズンで、予定したミッドシップ・エンジンの「250 LM」がGTのホモロゲーションが取れなかったのを埋めるべく急遽改造された4台の内の1台だ。補助灯が無いのがこの車の特徴だ。ナンバーからも判るように日本人の所有する車で、この車は1964年の「タルガ・フローリオで」総合5位を獲得している。
(05)<330LMB>
330LMBのエンジンは3960cc (4 ℓ)で「400SA」(スーパー・アメリカ)用の4 ℓエンジンから流用された。4 ℓの「GTO」は3台造られたとあるが「330 LMB」との関係が僕の調べた資料からはいまいち判然としない。シャシーNo.3673,4561,4675の3台は4 ℓの「SAエンジン」だが「GTO」39台の中に含まれている。しかし同じ「SAエンジン」の4381と4725については「330 LMB」とされている。両者の組合わせは ①「GTOボディ+SAエンジン」、②「LMBボディ+3 ℓエンジン」、③「LMBボディ+SAエンジン」の3種があったが、①②が「GTO」で③は「LMB」と言うことだろうか。。
(写真05-1ab) 1963 Ferrari 330 LMB Berlinetta Prototype (2004-08ラグナセカ/カリフォルニア)
シャシーNo.4381SAのこの車は「LMBボディ+SAエンジン」の組み合わせだから、「GTO」とする要素は無く、「LMB」そのものだろう。しかし「GTO」の派生モデルであることは間違えない。1963年のルマン24時間レースにSEFACフェラーリからエントリーされたが8時間目でリタイアした。ルマンでのナンバーは⑨番だった。
―― フェラーリはかなり大量に撮影している上に、モデルの仕分けも難しく今回は非常に苦戦しました。次回はGTシリーズ残りの市販モデルの予定です ――