1963 Ferrari 250 MM Pininfarina Berlinetta
・「125」から始まった12気筒のコロンボ・エンジンは次々と排気量を増やし、「250」で究極の発展を遂げた。それはコロンボ・シリーズとしても最高の傑作として、次期「ランプレディ・エンジン」が登場した後も造り続けられた。元々フォミュラー・レースの為開発された「コロンボ・エンジン」は1.5リッター+スーパー・チャージャー付きからスタートしたものだが、F1レースの成績不振がつづき、スーパーチェージャーに頼らない自然吸気の大型エンジンが求められ、それは開発者の名前を採って「ランプレディ・エンジン」と呼ばれることになった。当時のF1は「1.5リッター(SC付)」と「4.5リッター(自然吸気)」のどちらかが選択できたから「ランプレディ・エンジン」はF1に、「コロンボ・エンジン」はスポーツカー・レースにと使い分けられ、1950年代は両者が併立することになった。しかし、「250」が限界のコロンボ・エンジンの枠を超えるレース界の流れに対しては、「275」から始まり「340」「375」と続く「ランプレディ・エンジン」もスポーツカーの領域で活躍することになった。
・「250」系は大別すれば「Sport」「MM」「GT」「TR}「LM」の5つのシリーズに分ける事が出来るが、今回は手始めに「250 Sport」「250 MM」と「250 GTの一部」を紹介し、次回以降に「250GT(続)」「250 TR」「250 LM」と進みたい。
(01)< 250 Sport >
シリーズ最初の「250」はレーシング・スポーツの為試作されたもので、コロンボ系のエンジンのボアを75ミリまで拡げて2953.21ccとしたエンジンを「225 エクスポルト」のシャシーに搭載し、ヴィニアーレ製のベルリネッタ・ボディを載せたものだった。テストのつもりで出た1952年のミッレミリアで、あの「メルセデス300SL」に5分28秒の差をつけて12時間09分45秒で優勝してしまった。試作車なので製作台数は1台だけだった。
(写真01-1ab) 1952 Ferrari 250 Sport Vignale Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/アメリカ)
たった1台しか造られなかった「250 Sport」だが、カリフォルニアで写真撮影することが出来た。ボディは前回紹介したヴィニアーレ製の「225」に酷似しているが、もちろんミッレミリアで優勝した車そのものだ。「611」はその時のナンバーで、それは出発時間「6時11分」を示すものだ。
(02)< 250 Mille Miglia (M M) >
「250 Sport」の成果を踏まえて、レーシング・スポーツカーが少数造られた。ピニンファリーナ製のベルリネッタが18台、ヴィニアーレ製のスパイダーが13台、合計31台だった。これらにはミッレミリアの優勝を記念して「250 MM」と命名された。フェラーリのワークスカーとしては参戦しなかったが、プライベート・チームやアマチュア・ドライバーによって多くの成果を残している。「166」の項で触れた「166MM/53」は「250MM」のエンジンを「166」用に縮小したもので、同時期に製造されたため共通点が多かった。
(写真02-1abc)1953 Ferrari 250 MM Pininfarina Berlinetta(1986-11 モンテミリア/神戸)
初期の 「MM」の特徴は全体に丸みを帯びていることだ。この形は「MM」シリーズの代表的なスタイルだ。
(写真)250GT用のV12気筒3リッター「コロンボ・エンジン」
(写真02-2a~e)1953 Ferrari 250 MM Pininfarina Berlinetta (2002-05 ミッレミリア/ブレシア)
この車はサンマリノの「マラネロ・ロッソ・コレクション」からのもので、薄暗い室内展示から太陽の下に出現したおかげで後ろまではっきり撮影できた。前項と全く同じスタイルは「ピニンファリナ」の標準ボディだ。(図面参照)
(写真02-3ab)1953 Ferrari 250MM Pininnfarina Berlinetta(1992-10 ラフェスタ・ミッレミリア)
今では年中行事として定着した「ラフェスタ・ミッレミリア」は、1992年第1回が神宮外苑絵画館前で 開催された。写真の車はその際イタリアから参加した車だ。
(写真02-4abc)1953 Ferrari 250 MM Pininfarina Berlinetta (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)
この車も「ピニンファリナ」の標準ボディだが、前後に簡単なバンパーがあり、フェンダーに大きなエアスクープがある。
(写真02-5abc)1953 Ferrari 250 MM Pininfarina Berlinetta (2004-08 ラグナセカ/アメリカ)
レース・ナンバー⑤番のこの車は、1953年の「パナメリカーナ・メヒコ」レースで、総合11位(クラス7位)に入った車だ。「1・2・3」のロゴは有力なスポンサーらしく、幾つかの車で見ているが、何の会社かは僕には判らない。(C/N 0239)
(写真02-6abc)1953 Ferrari 250 MM Vignale Spider (2004-05 ミッレミリア/ブレシア)
「250 MM」シリーズのスパイダー部門を担当したのが「カロセリア・ヴィニアーレ」だった。この車はミッレミリアの常連で、僕は1994,1997,2001年と3回撮影している。「0276MM」のシャシー・ナンバーを持つこの車が誕生した時は、「ピニン・ファリナ」のベルリネッタだったが1953年クラッシュし、フェラーラの「モレッリ」でスパイダー・ボデイに乗せ換えた。1971年「ヴィニアーレ」のスパイダー・ボディに再度変身し現在に至っている。
(写真02-7ab)1953 Ferrari 250 MM Vignale Spider (2001-05 ミッレミリア/フータ峠)
C/N:0296MMのこの車は最初ヴィニアーレ・スパイダーとして誕生したが、1956年スカリエッティの手で初期のTdF 風のベルリネッタに生まれ変わり、1990年再びオリジナルのヴィニアーレ・スパイダーに戻している。場所はフータ峠を登り切ったところだ。
(写真02-8ab) 1952 Ferrari 250 MM Scaglietti Spider (2002-02 フランス国立自動車博物館)
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案内板によれば1952年製とあり、パリ・サロンに出展されたとあるので、それが事実なら「ベア・シャシー」のまま展示された「MM」の1号車となる。案内板が上半分しか撮影してなかったので全文は不明だが、映画監督「R.ロッセリーニ」の文字があったので当時レースに出場していた監督がドライブした車かも知れない。
(03)< 250 Monza >
(写真03-1a~d)1954 Ferrari 250 Monza Pininfarina Spider(2001-05ミッレミリア/ブレシア)
当時市販車では12気筒に拘(こだわ)っていたフェラーリだが、レーシングカーでは4気筒も採用し,3リッター用として「750 モンツァ」があった。これに「250 MM」用エンジンを搭載して同じ3リッター用レーシングカーに仕立て「250モンツァ」と名付けられ4台が造られた。同じエンジンを積んだヴィニアーレ製の「250 MM スパイダー」の姉妹車とみることが出来る
< 250GTシリーズ・全 >
「250GT」シリーズはフェラーリのなかでも最もモデル数が多く20のバリエーションがあり、1953年から64年迄最も長く造られたモデルだ。だから「250GT」で一括りするのは無理な話で、今回はモデルごとに順次紹介することにした。
(番外)<250 Europa> (ランプレディー・エンジン)
(写真04-0a~e〉1953 Ferrari 250 Europa Pininfarina Coupe(2004-08コンコルソイタリアーノ)
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1953年秋のパリ・サロンには「ランプレディ・エンジン」の「375アメリカ」と、その縮小版として「250エウローパ」が登場した。これはあくまでも「375アメリカ」の姉妹車として造られたもので単発に終わり、コロンボ・エンジン系の「250GT」シリーズとは全く関係ないが、今回参考に紹介した。
(04)< 250GT Europa >(コロンボ・エンジン)
1952年「250 Sport」がミッレミリアで優勝した事で、1953年「250」(コロンボ)エンジンを使って、スポーツカー「250MM」が造られ、翌1954年には市販ロードカーが造られた。当初は「250エウローパ」と呼ばれていたが、同時期「ランプレディ・エンジン」を積んだ「250エウローパ」も存在していたため、途中から「250GTエウローパ」と「GT」が追加されて、「GT系」の最初デルとなった。
(写真04-1a~d)1955 Ferrari 250 GT Europa Pininfarina Berlinetta(1987-10 神戸モンテミリア)
ピニンファリナがボディを担当した初期の「250GT」は、外見だけだと「ヨーロッパ」「ヨーロッパGT」「コンペティション・ベルリネッタ」「初期のTdF」と見分けるのが困難だ。この車もプログラムから「250GTエウローパ」と確認できた。
(写真04-2ab)1954 Ferrari 250 GT Europa Pininfarina Berlinetta(1997-05 ミッレミリア)
一見「250MM」にも見えるこの車だが参加リストで「250GTヨーロッパ」と確認した。このあたりから「TdF」の初期型に至るまでは明確な区切りが無く、いつの間にかそう呼ばれている、と言った感じで区分けが難しい。
(写真04-3a~d)1955 Ferrari 250GT Europa Pininfarina Berlinetta Speciale (2004-08カーメル)
最初のグレーの車はこの翌日ペブルビーチのコンクールに出展されたので身元が明確になっている。2番目の赤い車はコンコルソ・イタリアーナで撮影した。これらの車の最大の特徴は」ルーフから後方に伸びるフィンだが、これはピニンファリナのデザインで1954年イタリアのロッセリーニ監督が女優「イングリット・バーグマン」の為に特注で造らせた「375MMクーペ・スペシャル」(バーグマン・クーペ)の流れを継いだものだ。
(写真04-4ab)1956 Ferrari 250 GT Zagato Berlnetta Special (2004-08 /カーメル市内)
ザガート製の「250GT」はどこに当てはめたら良いのか迷った。「コンペティション・ベルリネッタ」と言う資料もあったが、「TdF」のプロトタイプの9台には該当しない。「TdF」の項にザガートも5台造ったという資料もあるが、「スクーデリア」23号による全72台の中では見つけられなかった。「250GT」と言う共通項が大前提で、その後に「エウローパ」とか「TdF」が加えられるのだが「250GT」だけの資料は見当たらず、あってもそれはいろいろなモデルを総称した「250GT」だった。そんな訳で散々悩んだ挙句「エウローパ」の後に入れた。(翌日参加したペブルビーチのリストには「250GT Zagato Special」とあったが、ザガートが5台だけ造った「TdF」の1台かもしれない。)
(写真04-5abc)1957 Ferrari 250 GT Zagato Coupe Special (2004-08 ペブルビーチ/アメリカ)
この車も同じく「ザガート」製の車だが「ベルリネッタ」ではなく「クーペ」となっている。前項の車と較べると、ヘッドライト周りは初期の「TdF」に良く似ている。
(05)<250GT Boano/Ellena > 1956-58 (Boano)生産台数約90台
「250GTヨーロッパ」の後継車となる「ボアノ」と「エッレナ」は同じシリーズだが、途中から経営者が変わったので車名の変わった。1957年「フェリーチェマリオ・ボアーノ」がフィアット社のスタイリング・センター主任にスカウトされ、後は娘婿の「エジオ・エッレナ」が引き継いだ。「TdF」のスポーツカーに対して「ボアノ/エッレナ」はロードカーとして同時期併売された。
(写真05-1abc)1956 Ferrari 250 GT Boano Coupe (1986-11 モンテ・ミリア/神戸)
おなじ「250GT」シリーズの中で「ボアノ」はレースを目的としない市販のロードバージョンだった。見た目も大人しく、スタイルも平凡に見える。
(写真05-2abc)1956 Ferrari 250 GT Boano Cupe (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)
後継車「エッレナ」に較べるとキャビンのルーフが低い。当時はやりのテールフィンが目立つ。
(写真05-3abc)1958 Ferrari 250 GT Ellena Coupe (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
1957年から車名が「エッレナ」と変わったが基本的な中身は変わらない。外見で一番大きな相違点は、三角窓が無くなったことで、その他「ボアノ」と較べればルーフが高くなっているのが判る。
(写真05-4ab) 1957 Ferrari 250 GT Ellena Coupe (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)
ウエストから下は「ボアノ」時代から全く同じに見える。車検を済ませて、夕刻のスタートまで駐車するドーモ広場へ向かう。
(06)< 250GT Competetion Berlinetta > 9台
FIAは1955年から公認の「GTレース」を開催することを発表した。フェラーリではそれに備えて、「250GTエウローパ」をベースにしたレース用の「GT ベルリネッタ」が造られた。本格シリーズに先駆けて、試作された9台が「250GTコンペティション・ベルリネッタ」で、エンジンは基本的に「250MM」と同じ、ボディはピニンファリナが6台、スカリエッティが1台を担当した。このプロトタイプの1台はスペインの貴族「アルフォンゾ・デ・ポルターゴ伯爵」が入手し、いきなりスペインGTで優勝、続いてフランス全土を巡る5000キロにわたる過酷なレースでも優勝してしまった。(C/N:0557GT)この快挙を記念して、この車の生産型には「ツール・ド・フランス」(略称TdF)と命名された。
(写真06-1ab)1956 Ferrari 250 GT Competetion Berlinetta (1997-05 マラネロ・ロッソ)
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この車はサンマリノにあるフェラーリ専門のミュージアム「マラネロ・ロッソ」が所蔵するもので、博物館でも撮影しているが照明が暗く写りが悪いので、明るい場所で撮ったこちらを選択した。これらは「TdF」の先行モデルとして造られたもので、車体の後ろ半分は初期の「TdF」に影響を与えている。
(写真06-2ab)1955 Ferrari 250 GT Competetion Berlinetta (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)
この車の前半分は前項の車と共通点が多いが、後ろ半分は旧モデル「MM」とよく似たふくらみを持っている。いかにも過渡期の車らしい。
(写真06-3abc)1956 Ferrari 250GT Competetion Berlinetta(2004-08 ラグナエカ/アメリカ)
1956年9月ポルタゴ伯爵がツール・ド・フランスで優勝した車はブルーの73番(C/N 0557GT)だが、74番のこの車はC/N 0563GTで、同じ車ではない。多分同じレースを走った車だろう。
(07)< 250GT Berlinetta TdF (Tour de France) >1956-59
「TdF」と名付けられた車は1956年の優勝を手始めに1964年まで「ツール・ド・フランス・レース」で9連勝を果たし、その名に恥じない大活躍をした。GTレースから長距離レースまであらゆるジャンルに対応する万能選手で1956年から 59年までに72台が造られた。ボディは「ピニンファリーナ」がデザインし「スカリエッティ」が製作したが、「ザガート」でも5台造っている。「ヘッドライト」と「クオーター・パネル」にそれぞれ3種類バリエーションがある。
・シリーズⅠ(1956-57) 9台
へッドライトが一寸引っ込んでいる。クオータパネルに14のルーバーが切られている。
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(写真07-1abc)1956 Ferrari 250 GT LWB Berlinetta TdF (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)
1956年のジュネーブ・ショーに展示されたというこの車は「フェラーリ・バイヤーズガイド」には写真入りで「TdF」の項に掲載されているが、「スクーデリア」23号のTdF特集「14ルーバー」9台では確認出来なかった。「TdF」の定義があいまいで後から追加された可能性もあり、正体は「250GTエウローパ」かも知れないが、明らかに「TdF」シリーズⅠ (14ルーバー)のスタイルに影響を与えていることは間違えない。
写真07-2abc)1957 Ferrari 250 GT LWB Berlinetta TdF by Scaglietti (2001-05 ミッレミリア)
#341で出走したこの車はプログラムでは「250TdF」で登録されていた。スカリエッティ製のこのボディは標準型で同じタイプが何台ももあり、「スクーデリア」23号14ルーバーに黄色と黒のストライプが2台あったが同一とは確認できなかった。
(写真07-3ab)1956 Ferrari 250 GT LWB Berlinetta TdF by Scaglietti (2004-08 ペブルビーチ)
この車も「スクーデリア」23号の「14ルーバー」では確認出来なかった1台だが、ペブルビーチのコンクールでは「250GT LWB Scaglietti Berlinetta 」と登録されていた。前項の車と全く同じで「TdF」の可能性がある。
・シリーズⅡ(1957) 18台
ヘッドライトは後退しプラスチックのカバーが付いている。クオータ―パネルには3個の通気口がある。
(写真07-4a-e)1957 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅱ(2004-08 ラグナ・セカ/アメリカ)
8月のカリフォルニアでは3大クラシックカー・イベントが集中して開催される。ラグナ・セカに参加した車だが、偶然カ-メル市内で撮影したので掲載した。この時期モンタレー周辺ではあちこちでクラシックカーに出会うことが多い。
(写真07-5ab)1957 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅱ (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)
「250GT TdF」もシリーズⅡになると、スタイルが安定し、ほぼ同じものとなった。シリーズⅡはスカリエッティが独占し18台が造られた。シャシーナンバーは0723GTから0895GTまでの奇数が割り振られたのは、分類上は「レーシングカー(偶数)」ではなく「ロードゴーイング・スポーツカー」だった。
(写真07-6ab) 1957 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅱ(1994-05 ミッレミリア/ブレシア)
リアフェンダーがはっきりと目立つスタイルは、当時はやりのテールフィンに影響を与えたのか、受けたのか。
(写真07-7abc) 1957 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅱ(1999-02 平松コレクション/名古屋〉
日本に棲み着いているこの車のシャシー・ナンバーは0771GTで、名古屋在住の愛好家のもとにある。1989年にブルーに塗り替えられ、その4年後日本に入ってきたが、最近のインターネット情報によると、この車は1958年型となっており、オリジナル・カラーのチャイニーズ・レッドに戻されたとある。
・シリーズⅢ(1957-59) 36 台
ヘッドライトにプラスチックカバーあり。(但し1959年型のみカバーなし) クオータ―パネルの通気口は1個のみ。
(写真07-8ab) 1957 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ (2007-06 グッドウッド/イギリス)
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(写真07-9abc) 1958 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ (2004-08 ラグナ・セカ/アメリカ)
(写真07-10abc) 1958 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ(2004-08 ラグナ・セカ/アメリカ)
(写真07-11abc) 1958 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ(1999-08 ラグナ・セカ/アメリカ)
(写真07-12ab) 1957 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ(1997-05 ミッレミリア)
(写真07-13abc)1958 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ(2004-06 グッドウッド/イギリス)
シリーズⅡとの見た目の違いはクオータ―パネルの通気口が3段から1段に変わったことだ。このモデルは1957~58年と同じスタイルで30台近く造られたから外見から個体を見分けるのは至難の業だ。
(写真07-14ab) 1958 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ (1990-01 汐留ミーティング)
この車は以前御殿場にミュージアムをオープンしていた東京の愛好家のもとにあった車で、写真はその当時イベントで撮影したものだ。(C/N:0967GT)
(写真07-15abc)1959 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ (2002-01 レトロモビル/パリ)
ここからはシリーズⅢの後期型で1959年型は全てがヘッドライトのカバーが無くなりむき出しになった。
(写真07-16abc) 1959 Ferrari 250 GT Berlinetta TdF Sr.Ⅲ (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
シリーズⅢは36台造られたが、そのうち10台がヘッドライトカバーのないこのタイプだった。
・「250シリーズ」の初期「MM」から「TdF」にかけては、「スポーツカー」と「ロードカー」の区分けがやや曖昧で、市販の「ロードカー」でもレースで活躍したりしてややこしい。「ベルリネッタ」と「クーペ」で分けるのも正確ではない。特に「250GTエウローパ」「250GTコンペティシヨン・ベルリネッタ」「250GT TdF」に至る境目が資料で明確に確認できない部分があり、一部推定で配置した部分があるので、前後した場合はご容赦願いたい。
―― 次回は「250GT」の続きでオープンカーも登場します ――