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(00) 1947 Ferrari 125 Sport (ポスターより)
<最初のモデル125>
ご存知のように初期のフェラーリは特別なレーシングカーを除いてすべて12気筒だった。その発端は、フェラーリを立ちあげるに際して招聘した、スクーデリア時代の相棒ジョアキーノ・コロンボに相談したところ、「マセラティには素晴らしい4気筒があり、ERAは6気筒車だし、アルファロメオは8気筒車です。あなたが造るべき車は12気筒でしょう」と言ったとか。元々エンツオ自身も12気筒のスムーズで柔軟性のある走りを1914年パッカード・インディで経験していて、いつかは12気筒を、と温めていたようだ。12気筒はストロークが短く高回転が可能、その分エンジンが低く、重心もスタイルも低くできるなどの利点がある。
本稿で紹介する順序は発生順だと型式が入り組むので、多少前後するが「型式順」とすることをご了解頂きたい。初期の「型式」は1気筒当たりの排気量なので、×12で総排気量が算出できる。 例(125×12=1500cc/166×12=1992cc)
(写真03-1) 1947 Ferrari 125 S
1947年 3月12日フェラーリと名前の付いた最初のマシーンが誕生した。「タイプ125」にはフルワイズのボディを持ったスポーツカー「125S」と、葉巻型のボディを持ったレーシングカー「125Corsa」があった。誕生早々の「フェラーリ125S スパイダー」はさっそくミッレ・ミリアに参戦したがリタイアで終わった。残念ながら僕は「125」の写真を撮って居なかったが、最初のモデルとして重要なので、スケッチでご勘弁願いたい。「125」は1947年シーズン終了後分解され、2リッターエンジンを載せて「166」に生まれ変わったので、現存する「125」はレプリカである。
<159スポルト>
1947年「125」と並行して「159」が造られた。「125」は各地レースで活躍したが、当時イタリアのレースが2リッターでクラス分けする動きがあり、フェラーリは「125」エンジンのボアを4mm広げ、ストロークを5.5mm伸ばした1902ccエンジンを積んだ「159スポルト」を造りこれに対応した。「159」は、外見も構造も「125スポルト」と変わらなかった。レースには3回しか出ていないが「トリノGP」で優勝して知名度を上げ、運転資金獲得に貢献した。しかし、新興メーカーには新しい車を造るだけの十分の資金が無かったから、旧型となる「125」「195」はエンジンを下ろされて、新しいエンジンを載せて次の挑戦を続けるという、創業時の済状況から「195」も現存していない。
<初期のヒット作166シリーズ>
166シリーズのエンジンは、60×58.8 =1995ccで、この後「195」「212」「225」「250」と進化していく過程でストロークは変わらず、ボアのみが73ミリまで拡大され最大3リッターとなった。これが「コロンボ系」と言われるフェラーリの初期型エンジンだ。
このエンジンを載せた「166」には「スポルト」「スパイダー・コルサ」「ミッレ・ミリア」「インテル」「F2/FL」の5種類の性格の違うシリーズがある。
<166スポルト>
「166 スポルト」は全部で3台造られたが、その中の1台「アレマーノ」製のベルリネッタは、1947年の「159スポルト」に2リッターエンジンを積み替え、1948年「166スポルト」となってミッレ・ミリアに参戦、フェラーリにとって最初の優勝を獲得している。(写真なし)
(2)<166スパイダー・コルサ>
葉巻型のボディを持つ「166スパイダー・コルサ」はフェンダーを付けてスポーツカー・レース、ライトとフェンダーを外せばフォミュラー・レースと簡単に変身した。海外初参加は4月のブラジルGPで、初優勝は5月のスエーデンGP、5月のモナコGPではF1として出走し、スポーツカーとしては1949年のタルガ・フローリオで優勝している。フェラーリとしては初めて販売したレーシングカーで合計9台が造られた。
(写真04-1a~e) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
ドライバーは多分名ドライバー「フィル・ヒル」さんだと思う
シャシー・ナンバー「161」のこの車は、1948年9月のパリ12時間レースで「ルイジ・キネッティ」の操縦でフェラーリに耐久レースとしては初の優勝をもたらした。
(写真04-2abc) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
9台しか造られなかった「スパイダー・コルサ」だったが、この年のイベントには2台が参加していた。こんな貴重な車だが、観客の子供にハンドルを握らせているのは驚きだ。
(写真04-3abc) 1947 Ferrari 166 Spider Corsa (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
市販モデルではないから、レースごとに適用するように変更されるのは当然で、ペブルビーチに登場したこの車は、初期の「125 F1」に似ている。
(3)<166ミッレ・ミリア(MM)>(バルケッタ)
最初のフェラーリを代表するのは「166」シリーズで、中でも最も有名なのは「166ミッレ・ミリア(MM)」だ。その魅力的なボディの製作を担当したのが「カロセリア・ツーリング」で、スパイダー・モデルは特別に「バルケッタ」と呼ばれた。イタリア語で「小舟」という意味だ。2人分の最小限の開口部で、しかも窓も屋根も全くない晴天専用のオープンボディだがなんとも魅力的だ。見た目だけではなく戦闘力も抜群で、1949年のミッレ・ミリアには4台参加し優勝.2位を占めた。また「ルマン24時間耐久レース」では史上最少の排気量で優勝した。ドライバーの「ルイジ・キネッティ」は23時間以上を一人で走り切った。続いてベルギーの「スパ・フランコルシャン24時間耐久レース」でもキネッティ組が優勝したから、3大長距離耐久レースの優勝は一気にその存在を世界に知られることになり、フェラーリに明るい未来をもたらした。
(写真03-1~d)1949 Ferrari 166 MM Touring Barchetta (2004-08 ペブルビーチ/アメリカ)
シャシー・ナンバー0008M を持つこの車は、1949年「ルマン24時間耐久レース」で史上最小の排気量で優勝した車そのものだ。
(写真03-2a~e)1949 Ferrari 166 MM Touring Barchetta (1999-08 ペブルビーチ/アメリカ)
この車もチームカーと表示されていたので1949年ミッレ・ミリアで優勝したNo.624の車ではないかと写真を較べてみたが、ボンネットの後部に2つのエアインテークがあるところが異なる。後から追加されたものだろうか、それ以外は同じに見える。
(写真03-3a~e)1950 Ferrari 166 MM Touring Barchetta (1995-08 ペブルビーチ/アメリカ)
シャシーNo.0054Mのこの車は、ルイジ・キネッティが購入し、1950年パリのモンテレー12時間耐久レースで優勝、その勢いで出たルマンでは残念ながら完走できなかった。
(写真03-4a~d)1950 Ferrari 166 MM Touring Barchetta (1992-10 ラフェスタ/神宮外苑)
(1994-05ミッレミリア/ブレシア)
シャシーNo.0040Mのこの車は、英国の愛好家ダドリー&サリー・メイソン・スタイロン夫妻が所有する車で、1987年に「365GTB/デイトナ」と交換して手に入れたそうだ。クラシック・フェラーリが高騰する直前の事で、今になってみればとても歩の良い取引だった。レースでの記録は1950年のミッレ・ミリアで4位に入賞した経歴を持つ車だ。この車は1度日本に来たことがある。
(写真03-5a)1950 Ferrari 166 MM Touring Barchetta (1997-05ミッレミリア/サンマリノ)
この車は1951年ミッレ・ミリアにNo.348で参加したが完走出来なかった。
(写真3-6a~e) 1949/57 Ferrari 166 MM Scaglietti Spider (1999-08 クリスティズ・オークション会場/カリフォルニア)
シャシーNo.0012M のこの車は、誕生当時はツーリング・バルケッタだったが1957年スカリエッティのボディに乗せ換えており、現在は250GT エンジンが載っている。この車は独特なスタイルなのでコマ数を多くした。
(3-2)<166MMルマン・ベルリネッタ>
(写真03-8abc) 1949 Ferrari 166 MM Tourinngu LeMans Berlinetta (1995-08 ペブルビーチ)
ルマン・ベルリネッタの誕生は1950年春となっているが、この車は1949年製だ。その根拠は権威あるペブルビーチのコンクールに参加した際のプログラムによるもので、年式に疑う余地がないとすれば、1949年製のバルケッタをベルリネッタに換装したものだろうか。
(写真03-9ab)1950 Ferrari 166 MM Touring LeMans Berlinetta (1998-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)
1950年にオリジナルで造られた「ルマン・ベルリネッタ」は僅か6台のみで、後年バルケッタからリボディされたものが何台かあるようだ。
(写真03-10ab)1950 Ferrari 166 MM Touring LeMans Berlinetta (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
この車は日本に現存するルマン・ベルリネッタと外見が極めて似ているので、同じ車ではないかと調べたところ、この車の「S/N0066」に対して日本の車「0060」で別物と判明した。1台ずつ微妙に違いがあると思っていたので意外だった。
(3-3)<166/212MM>
(写真03-11a~e) 1950 Ferrari 166/212 MM Touring Barchetta(1997-05 ミッレ・ミリア)
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............................(参考・1997年 ミッレ・ミリア参加リストより)
1997年のミッレ・ミリアに遥々日本から夫婦で参加したこの車は、関西在住の著名な愛好家のもので、No.250のこの車は別添参加車のデータによると「212」エンジンに換装されているようだ。
(写真03-12a~d)1950 Ferrari 166 MM Barchetta(2008-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)
...................................(参考・2008年ラフェスタ・ミッレミリア エントリー・リスト)
この車はエントリー・リストによれば「166 MM」となっている。外見は前項の「166/212」と酷似しており、同じ車ではないかと推定される。ナンバーは微妙に違うが何か関連がありそうな気もする。エンジンをオリジナルに戻したのだろうか。
(写真03-13a~e) 1950/51 Ferrari 166 MM/212 Uovo by Fontana (1994-05 ミッレミリア)
この奇妙な格好をした車も正真正銘「フェラーリ」だ。工場を出たのは1950年で、その時はツーリング製のバルケッタだった。初代オーナーは「ウンベルト・マルゾット」と記録されている。マルゾット伯爵家はイタリアでも有数の繊維会社を所有する富豪で、兄弟4人がいずれもドライバーとしてレース活動をおこなっており、中でもジャンニーノ・マルゾットは1950年と53年のミッレ・ミリアで優勝している。兄の「ジャンニーノ」が優勝した1950年のミッレ・ミリアに、弟の「ウンベルト」も参加したが、車の後ろ半分が吹っ飛ぶ大事故で車は大破してしまった。シャシーNo.0024Mのこの車は修復する際、そのデザインを彫刻家「レジアーニ」に依頼し、それを基に「カロセリア・フォンタナ」がボディを架装した。そのためか自動車デザイナーではとても思いつかないような芸術的?肉感的な「おデブさん」になってしまった。シャシーが大破したため再製されたシャシーには新たに024-Bのナンバーが与えられ、その後「212」エンジンに換装されたので166/212となった。外見が丸々しているところから「Uovo」(イタリア語で卵) のニックネームを持つ。
(4)<166インテル>
「166インテル」は「166MM」の140hpエンジンを110hpにデチューンした、フェラーリ初の市販ロードカーで、1948~50年に36台が造られた。ロードカーといってもレーシングカーに対しての話で、スポーツカーとしてレースが出来るポテンシャルは備えていた。ボディの多くは「カロセリア・ツーリング」のベルリネッタだったが、スタビリメンティ・ファリーナ」の他、「ヴィニアーレ」や「ギア」も造っている。
(写真04-1a~d) 1949 Ferrari 166 Inter Touring Berlinetta (2000-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
「MM ルマン」のファスト・バックに対して、「インテル」のベルリネッタはノッチバックで、印象からするとより乗用車寄りの印象を受ける。
(写真04-2abc)1950 Ferrari 166 Inter Touring Berlinetta (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
この車は沢山見た「166」の中で一番スポーツカーらしくない車という印象を受けた。
(写真04-3abc) 1950 Ferrari 166 Inter Stabilimenti-Farina Berlinetta(1999-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)
2トーンのシックなこの車は、有名なピニン・ファリーナの兄「ジョバンニ」が経営する「スタビリメンティ・ファリーナ」が造った。後年フェラーリと密接な関係をもつ「ピニン・ファリーナ」が最初に手掛けたのは1952年の「212」インテルからで、この時点ではまだ接触はなかった。
(写真04-4a~d) 1949 Ferrari 166 Inter Stabilimenti-Farina Berlinetta (2000-05 ミッレミリア)
前項の車と基本形は同じだが、塗装の違いで大きく印象が変わる。真横から見ると後半分は「Fiat 508CS MM Coupe」とよく似ている。
(写真05-5abc) 1950 Ferrari 166 Inter Vignale Berlinetta (2009-03 東京コンクール・デレガンス/六本木ヒルズ)
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カロセリア・ヴィニアーレは初期のフェラーリのボディ・メーカーとしてはツーリングと並んで重要な存在で、デザイナーは新進気鋭のミケロッティだった。
(5)<166MM / 53>
1950年で生産が終了していた「166」シリーズだが、2リッタークラスのレーシング・スポーツを望む声が多く、フェラーリでは既に 3リッターに迄発展・進歩していた「250」エンジンのスペックをそのまま生かして「新166」エンジンを誕生させ、従来と区別するために「166MM/53」と名付けた。ボディは主に「ヴィニアーレ」が担当した。このシリーズは13台造られた。
(写真05-1abc)1853 Ferrari 166 MM/53 Vignale Spider (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
この車に記されている「447」のナンバーは1953年ミッレ・ミリアに参戦した時のもので総合24位だった。因みにこの年優勝したのは「フェラーリ340MM」だった。
(写真05-2a~e)1953 Ferrari 166/250 MM Abarth Spider(2004-08 モンタレーオークション会場)
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どれを見ても間違えなく「フェラーリ」と判る「166シリーズ」の中にあって、全く特異なスタイルを持つのがこの車だ。この年の「タルガ・フローリオ」と「ミッレ・ミリア」に出場するため「アバルト」で1台だけ造られたスペシャルだったが、レースで結果は残せなかった。毎年8月「ペブルビーチ」「ラグナ・セカ」などクラシックカーのイベントに集まる愛好家を対象にカリフォルニア州モンタレー市内のコンベンション・ホールで開かれるオークション会場に現れた際撮影した。エンジンはコロンボ系最終発展型の「250」が載せられている。(シャシーナンバー0262M)
(6)<166F2/FL>
(写真06-1ab) 1949 Ferrari 166 F2 (2002-02 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
1948年シーズンの主力は2座の純レーシングカー「166スパイダー・コルサ」だったが、1949年にはシングル・シーターのフォミュラー・マシン「166F2」に発展した。
(写真06-2abc)1948 Ferrari 166 FL (1999-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)
この場所はモナコGPのコースで有名な「カジノコーナー」だ。
フェラーリらしくないこの塗装は、当時フォミュラーカーに指定されていたナショナルカラー(英/緑、仏/青、独/銀、伊/赤など)で「アルゼンチン」を現している。アルゼンチンの独裁者ペロン大統領が主催で開催される「テンポラーダ・シリーズ」という「フォミュラー・リブレ」レースに参加するため南米に送られたものだ。エンジンは「166」だが「125GP」用のルーツ型スーパーチャージャーが-装備され、シャシーも「125GP」のものが使われていた。4戦行われたが「ロザリオGP」で優勝している。
ー次回は「続・コロンボ・エンジン」で「166」の発展型「195」「212」「225」の予定です。ー
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