三樹書房
トップページヘ
catalog
第74回 空飛ぶクルマ
2018.9.27

 今回はアメリカ車でも、ちょっとユニークな空飛ぶクルマについて紹介したい。
 近頃、ドローンを活用した空飛ぶクルマの開発が話題になっているが、アメリカでは1910年代から、この夢の実現に向けて挑戦してきた記録があり、その数は20件ほど存在する。特に第二次世界大戦が終焉した1940年代後半に西海岸では空飛ぶクルマ開発が大ブームとなった。今回はその中のいくつかを紹介する。

◆Waterman Arrowbile

05-74-01.jpg

白バイの警察官に職務質問を受ける、背中にプロペラを付けた奇妙な三輪車の名前は「Waterman Arrowbile」。カリフォルニア州サンタモニカにウォルド・ウォーターマン(Waldo D. Waterman)が設立したウォーターマン アロープレーン社(Waterman Arrowplane Corp.)で1937年に製作された空飛ぶクルマのプロトタイプ。これは翼を外してクルマとして使用しているところ。この個体にはヘッドランプが2つあり、おそらくプロトタイプ1号車(機?)であろう。
 このモデル開発のきっかけは、1934年に航空通商局(Bureau of Air Commerce)が主催した、軽くて、手軽で手頃な価格(目標価格700ドル)の飛行機開発のコンペティションで、受賞した2つのデザインの1つとして認定されたのが事の始まりであり、世界初の実用的な空飛ぶクルマとなった。

05-74-02.jpg

05-74-03.jpg

05-74-04.jpg

上の3点はWaterman Arrowbileの地上を走るときと空を飛ぶときの姿、およびその三面図。プロトタイプNo.1とは外観も異なり、ヘッドランプは1個になっている。エンジンはスチュードベーカーのコマンダー6を積み、駆動力は後輪またはプロペラにトランスミッションを介して切り替えられる。コストを低く抑えるためスチュードベーカーをはじめ、フォード、オースチン、ウイリスなどの自動車部品を多く流用している。飛行機としてはテールレスの、プロペラを後部に持つプッシャー方式で、最初のテスト飛行は1937年2月であった。
 エンジンその他の部品を提供したスチュードベーカー社はウォーターマンとフランチャイズ契約を結び、選ばれたディーラーを通して3000ドル(目標であった700ドルにはほど遠い)で販売することを計画、市場の反応を見るため各地でデモンストレーションを実施したが、1929年の大恐慌から回復基調にあったアメリカを再び襲った1937年恐慌と、1938年春にはウォーターマンが病に倒れ、会社を閉鎖してしまったために計画は頓挫してしまった。さらに、5台製作したコストから、1台当たり7000ドルかかることも判明した。ちなみに1937年型フォードの価格は529~859ドル、キャディラックは1655~9230ドルであった。

◆Waterman Aerobile

05-74-05.jpg

05-74-06.jpg

上の2点はSmithsonian National Air and Space Museumに展示されている「Aerobile 」。1940年に病気が快復したウォーターマンが、1937年に5台製作したArrowbileの残っていたパーツを使って組み立て、名前をAerobile としたもので1947年に完成した。ただし、エンジンはスチュードベーカーではなく、フランクリン社がタッカーのために製作したフラット6を積む。そのほかの大きな変更は翼が2分割されていたものが一体化されている。1957年にはFAA(Federal Aviation Administration:連邦航空局)から飛行機としての認定も受け、エクスペリメンタルカテゴリーの登録ナンバー「N-54P」を付け、量産のための支援者を探したが、支援者は現れなかった。そこでウォーターマンはAerobile をレストアして、1961年にスミソニアンに寄贈した。サイズは翼長11.5m、全高2.6m、全長6.3m、重量952.5kg。(Photos:Smithsonian National Air and Space Museum)

◆Aerocar

05-74-07.jpg

1948年に元海軍司令官であったモールトン・テイラー(Moulton B. Taylor)がワシントン州ロングビューに設立したエアロカー社(Aerocar Corp.)が製作した「Aerocar」のおそらく最初のカタログ。1948年11月、ロサンゼルスで開催されたモーターショーで配布されたものであろう。開発の最終段階にあると記されており、クルマから飛行機に変換するのはたった3分でできるとある。シアトルからロサンゼルス間(約1800km)はゼネラルペトロリウム社がスポンサーになり、モービルガソリンとオイルを使用して自走したとも記されている。車体にはモービルのトレードマークであるペガサスが大きく描かれている。

05-74-08.jpg

これも初期のカタログで、すでに数千マイルの走行テストと、すでにCAA(Civil Aeronautics Administration:米国商務省の民間航空管理局)の認定(エクスペリメンタルカテゴリー)も受け、数千時間(1961年に発行されたカタログには数百時間と記載されている)の飛行テストを終え、限定生産が可能となったと記され、量産になった時の目標価格は1万ドル以下にしたいとある。クルマとして使う場合、写真のように翼とテールは畳んでトレーラーのようにけん引することができた。エンジンは当初フランクリン製航空機用100馬力を採用したが、このカタログではすでにライカミングO-320型空冷フラット4の143馬力に換装されている。

05-74-09.jpg

05-74-10.jpg

05-74-11.jpg

上の3点は、1956年に発行されたAerocarのカタログ。サイズは飛行機状態では翼長10.36m、全長6.55m、全高2.29m。クルマ状態では全長3.15m、全高1.63m、全幅は記載なし。テールと翼をけん引した時の全長は7.93m。飛行時の最高速度177km/h以上、航続距離483km以上。クルマとしての最高速度108km/h。クルマと飛行機の変換時間はどちらも5分と記載された。

05-74-12.jpg

05-74-13.jpg

上の2点は1961年に発行されたAerocarのカタログ。10年以上の長い期間販売されていたが、製作台数は7~8台と言われている。最大の原因は価格で、7500~1万ドルと公表されているが、受注生産で顧客の要望を取り入れてカスタマイズされ、実際の価格は5万ドル近くに達したと言われている。

05-74-14.jpg

Aerocarの写真を1点紹介する。飛行場でのデモンストレーションではないかと推察する。長いテールの後端にプロペラを持つプッシャー方式であった。

◆Fulton Airphibian

05-74-15.jpg

05-74-16.jpg

Fulton Airphibianは経験豊富なパイロットであり、飛行機のデザイナーであったロバート・フルトン(Robert E. Fulton Jr.)がデザインし、コネティカット州ダンバリーのコンチネンタル社(Continental Inc.)が製作を担当、1950年にエクスペリメンタルカテゴリーではなく、通常の飛行機としてCAAの認定を受けた最初の空飛ぶクルマであった。最初のプロトタイプのテスト飛行は1945年春で、最初の生産試作機のテスト飛行は1947年5月であった。エンジンはフランクリン6A4-165-B3空冷フラット6、150馬力を積み、飛行時の巡航速度177km/h、路上での速度89km/h。カタログにはクルマと飛行機の変換時間は女性一人で5分とあり、その方法および6000回以上実施した平均値が4分15秒と記されているが、実際には作業はややこしく、時間を要したようだ。製作台数の正確な記録は見つからなかったが、プロトタイプとプロダクションモデル2台のほかに、CAAから8台受注し、製作されたが納入には至らず、その後、資金援助者に何台か渡っており、1台はヨーロッパに渡ったとの記録もあることから、おそらく10台前後製作されたと推察する。価格は1万~1万5000ドル。

05-74-17.jpg

05-74-18.jpg

05-74-19.jpg

05-74-20.jpg

上の4点は、1960年にSmithsonian National Air and Space Museumに寄贈された、カンチレバーウイングタイプのFA-3-101で1952年6月にCAAの認定を受けている。テールと翼は一体で、クルマとして使用する際にはプロペラはテールの側面に固定している。(Photos:Smithsonian National Air and Space Museum)

◆ConvAircar

05-74-21.jpg

05-74-22.jpg

05-74-23.jpg

上の3点はカリフォルニア州サンディエゴのコンソリデーテッド・ヴァルティー・エアクラフト社(Consolidated Vultee Aircraft Corp.)が1947年に製作した「ConvAircar」。このプロジェクトの特徴は、クルマだけを販売して、飛行モジュールは空港に常備してレンタルすることで顧客の負担を少なくすることであった。クルマは当初クロスレーセダンを改造して採用することを検討したが重すぎて断念。クロスレーの26.5馬力エンジンをリアに積む、アルミチューブラーフレームにグラスファイバーボディーのアトラクティブな小型車を製作した。ルーフに小窓があり、飛行モジュールとアタチメントを介して結合する方式であった。飛行モジュールにはライカミング空冷190馬力が積まれた。飛ぶ姿は美しいとは言えないが、テスト飛行は順調に進んでいたが、ある時着陸時にクラッシュ。原因は単なるガス欠であったが、これを機に計画を中止してしまった。それまでに投じた開発費用は80万ドル以上と言われる。

◆Stout Skycar IV

05-74-24.jpg

Stout Skycar IVは戦前から開発が進められていたもので、他社のモデルと大きく異なるのは、翼を脱着せずに90度回転させて車体と平行にして、屋根の上に固定したまま路上走行できた。リアエンジンでプロペラも後端に付けたプッシャー方式が採用されている。ただ、スタウト社は自社で製作は行わず、製造権を売る前提で開発しており、まず初めに興味を示したのはグラハム・ペイジであったが、カイザーと組んでカイザー・フレーザー社を立ち上げたので契約には至らなかった。もう1社興味を示したのはコンソリデーテッド・ヴァルティー・エアクラフト社であったが、前述のとおり、途中で断念してしまったがConvAircarを開発したため契約には至らなかった。

◆Ford Volante(Concept)

05-74-25.jpg

1958年にフォードモーター社が発表した空飛ぶクルマ「Volante」。これはスケールモデルであったが、現在のドローンに近い発想であった。「Volanteは、すべてのガレージにエアロカーがある日はまだ遠いが、そのようなクルマのスタイリングの方向性を示したものです。」とある。3基のブレードユニットを持ち、フロントの1基には逆回転する2組のブレード、リアの2基には左右逆回転する1組づつのブレードをセットしてトルクをオフセットしている。

◆Pop.Up Next(Concept)

05-74-26.jpg

05-74-27.jpg

上の2点は2018年3月に開催されたジュネーブモーターショーで発表された、アウディ、イタルデザイン、エアバスの3社で共同開発した、道路および空中を移動する完全な自動運転の電気自動車コンセプトモデル「Pop.Up Next」。超軽量の2人乗りキャビンは、車両モジュールまたは飛行モジュールのどちらにも取り付けることができる。2017年のジュネーブショーで発表された「Pop.Up」コンセプトモデルよりも大幅に軽量化され、インテリアデザインもリファインされている。(Photos:Audi)

実用的で市場性の高い空飛ぶクルマの探索が、21世紀のいまふたたび熱を帯びてきたようだ。

このページのトップヘ
BACK NUMBER

第111回 ミカサ – わが国初の前輪駆動AT車

第110回 BMWアート・カー

第109回 AMC グレムリン(Gremlin)

第108回 1963年型ビュイック リビエラ(Riviera)

第107回 キャディラック エルドラドブローアム

第106回 日産自動車創立25周年記念冊子

第105回 Automobile Council 2021

第104回 ランチア デルタS4

第103回 アバルト(ABARTH)

第102回 日野コンテッサ

第101回 鉄道が趣味だった時代

第100回 コレクションの紹介

第99回 Supercar ランボルギーニ

第98回 チェッカー

第97回 Automobile Council 2020

第96回 スズキジムニー誕生50周年(第3世代)

第95回 スズキジムニー誕生50周年(第2世代)

第94回 スズキジムニー誕生50周年(第1世代)

第93回 アメリカでコレクターズアイテムとなるR32 GT-R?

第92回 戦後のアメリカンコンパクトカー(3)

第91回 戦後のアメリカンコンパクトカー(2)

第90回 東京オートサロン 2020

第89回 戦後のアメリカンコンパクトカー(1)

第88回 シトロエンのロータリーエンジン車

第87回 シトロエン トラクシオンアヴァン

第86回 シトロエン創立100周年記念イベント

第85回 「モーターファン」誌1952年1月号に載った広告

第84回 英国人のハートをつかんだフィガロ

第83回 サクラ・オートヒストリーフォーラム2019

第82回 ジャパン・クラシック・オートモービル 2019

第81回 Automobile Council 2019

第80回 MINIの60周年記念

第79回 日産自動車初の大型トラック&バス(80型/90型)

第78回 東京オートサロン 2019

第77回 新町暮らシックCarまちなか博物館

第76回 2018トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第75回 三菱500

第74回 空飛ぶクルマ

第73回 Automobile Council 2018

第72回 戦後から1950年代初頭のジャガー

第71回 フォルクスワーゲンのアメリカ進出

第70回 ACC・JAPANの東京交歓会

第69回 1949年型アメリカ車 – フォード編

第68回 1949年型アメリカ車 –クライスラー編

第67回 サーブ 92

第66回 東京オートサロン2018

第65回 ボルボ・カー・ジャパン、1959年式PV544をトヨタ博物館へ寄贈

第64回 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

番外編 2017トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑

第63回 1948年型アメリカ車 – インデペンデント編

第62回 1948年型アメリカ車 – ビッグ3編

第61回 Automobile Council 2017

第60回 1947年型アメリカ車 – インデペンデント編

第59回 1947年型アメリカ車 - ビッグ3編

第58回 戦時下に発行されたアメリカ車メーカーのポスター

第57回 AC & Shelby AC Cobra - 2

第56回 AC & Shelby AC Cobra - 1

第55回 ナッシュヒーレー&ハドソンイタリア

第54回 東京オートサロン2017

第53回 リンカーン コンチネンタル

第52回 2016トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑

第51回 クライスラー300 レターシリーズ – その2

第50回 Automobile Council 2016 – そのⅡ

第49回 Automobile Council 2016

第48回 クライスラー300 レターシリーズ – Ⅰ

第47回 フォードランチェロ

第46回 1954年カイザー・ダーリン161

第45回 1950年代ポンティアックのドリームカー

第44回 1950年代オールズモビルのドリームカー

第43回 1950年代ビュイックのドリームカー

第42回 1950年代キャディラックのドリームカー

第41回 クラシックカー・フェスティバル

第40回 アメリカの初期SUV/MPV

第39回 メトロポリタン

第38回 フォード サンダーバード

第37回 シボレーコルベット(第1世代 – 2/2)

第36回 シボレーコルベット(第1世代 – 1/2)

第35回 1950年代のアメリカンドリームカー(4)

第34回 1950年代のアメリカンドリームカー(3)

第33回 1950年代のアメリカンドリームカー(2)

第32回 1950年代のアメリカンドリームカー(1)

第31回 1940年代のアメリカンドリームカー

第30回 戦後のアメリカ車 - 11 :1940年代の新型車(フォード)

第29回 戦後のアメリカ車 - 10 :1940年代の新型車(GM)

第28回 戦後のアメリカ車 - 9 :1940年代の新型車(パッカード)

第27回 戦後のアメリカ車 - 8 :1940年代の新型車(タッカー)

第26回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ナッシュ)

第25回 戦後のアメリカ車 - 7 :1940年代の新型車(ハドソン)

第24回 戦後のアメリカ車 - 6 :1940年代の新型車(クライスラー・タウン&カントリー)

第23回 戦後のアメリカ車 - 5 :1940年代の新型車(クロスレイ)

第22回 戦後のアメリカ車 - 4 :1940年代の新型車(カイザー/フレーザー)

第21回 戦後のアメリカ車 - 3 :1940年代の新型車(スチュードベーカー)

第20回 戦後のアメリカ車 - 2 :1940年代の新型車(ウイリス/ジープ)

第19回 戦後のアメリカ車 - 1 :1946年型の登場(乗用車の生産再開)

第18回 アメリカ車 :序章(6)1929~1937年コード・フロントドライブ

第17回 アメリカ車 :序章(5)1934~37年クライスラー・エアフロー

第16回 アメリカ車:序章(4)1924~1929年

第15回 アメリカ車 :序章(3)1917~1923年

第14回 アメリカ車 :序章(2)フォード モデルT(1908年~1927年)

第13回 アメリカ車 :序章(1) 登場~1919年

第12回 AF+VKの世界:1959~1971年型ポンティアックのカタログ

第11回 コペンの屋根:リトラクタブルハードトップ

第10回 スクリーンで演技するクルマたち

第9回 シトロエンDSのこと

第8回 よみがえった『力道山のロールスロイス』

第7回 メルセデス・ベンツ300SL - SLクラスの60周年を祝して

第6回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その2)

第5回 近代的国産乗用車のタネ:外車のKD生産(その1)

第4回 短命だった1942年型アメリカ車のカタログ

第3回 「ラビット」から「スバル」へ - スバル最初の軽乗用車と小型乗用車

第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」

第1回 自動車カタログ収集ことはじめ

執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

関連書籍
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー
トップページヘ