1959 Fiat 1200 Cabriolet
(写真01-1abc) 1959-61 Fiat 1200 Gran Luce (1966-05 名古屋市内)
「1200」シリーズは前々回の「1100」シリーズに続いて紹介すべきだったが、うっかり積み残してしまった。外見からも判るように「1100TV」の後継モデルとして排気量を1221ccに増やした「1200」グランルーチェが1957年に誕生した。初代は1957~59年に製造され、写真の車はその第2世代で、1959-61年に造られた。「グランルーチェ」は直訳すれば「非常に明るい」という意味で、旧型に較べると窓の面積が大きくなっている。しかし流行りのテールフィンを付けドアを後開きに直しているが、ウエストラインから下は「1100」に少し手を加えただけのものだ。初代との違いはグリルの横バーが無くなり、サイドモールの幅が広くなったことだ。
(写真02-1ab) 1961-64 Fiat 1500 4dr Berlina (1965-10 赤坂溜池/日本自動車裏)
これから登場する「1500」「1800」「2300」は一つの流れの中に誕生したグループだ。排気量の少ない順に並べたが、発表された順番は1959年の「1800」と「2100」が最初だった。その後1961年になって「1400」の後継として「1300」と「1500」が誕生した。エンジンは「1800/2100」から2気筒減らした4気筒で、「1300」は72×79.5 1295cc 、「1500」は77×79,5 1481cc と云うことは、ボアは「1800」「2100」と同じで、ストロークは両車とも「2300」と同じという関係だった。ボディは「コルベア」を真似た流行のスタイルで、ぐるりと1周縁取りがされているのが特徴だ。「1300」と「1500」はエンジン以外はほとんど同じだが、「1300」はモーターショーに展示されたことはなく、街中でも僕は1度も見ていない。
(写真02-2ab) 1966 Fiat 1500 Berlina (1965-11 東京オートショー/晴海)
1965年マイナーチェンジを受けたのが写真のモデルで、ボディシェルは変わらないが、グリルと、テールランプのデザインが変わり、後ろのバッジの位置が上に移動した。
(写真02-3a~d) 1961-68 Fiat 1500 Vignale Berlinetta (1997-05 ミッレ・ミリア/フータ峠)
同じ「1500」シリーズだが多分日本には輸入されなかったと思われる珍しい車がこれで、「ヴィニアーレ」製のベルリネッタだ。ボンネットが円筒形で少し突き出しているのはレーシングカーを連想させる。この程度のグレードの車をワンオフでオーダーすることは考えられないから、カタログモデルかも知れないが資料で見たことはなかった。
(写真03-1ab) 1959-61 Fiat 1800 4dr Berlina (1962-08 赤坂溜池/日本自動車裏)
一連のこのシリーズで最初に登場したのが1959年の「1800」(72×73.5 1795cc)と「2100」(77×73.5 2054cc)だった。このエンジンが後年4気筒に改造され、前述の「1300」「1500」に流用されるベースとなったものだ。写真は「1800」だが、「2100」も外見は変わらない。いずれもシングルライトで、直線を基調としたボディはピニンファリナのデザインによるものだ。このスタイルはこの一連のシリーズの基本となったもので、他のモデルもここから生み出された。
(写真04-1ab) 1961-68 Fiat 2300 4dr Berlina (1965-11 東京オートショー駐車場/晴海)
1961年になると「1800」はエンジンを強化され「1800B」となったが、「2100」の方は78×79.5 2279ccと一回り大きくなり、排気量を基に命名されるフィアットの慣例に従ってモデル名は「2300」となり、ボディは新しく4灯式に変わった。偶然右端に少し写っているのは1963年の「セドリック1900」だが、一見姉妹車かと思われるほどイメージが似ているのは、フィアットのデザインが世界に大きな影響を与えていた証拠だろう。
(写真05-0a) 1961 Fiat 2300S Coupe (初期型) カロッセリア・ギアのアイデア・スケッチ
ボディサイドのエアスクープを飾るメッキバーが後期型の3本に対して、前期型は1本しかない。
(写真05-1ab) 1966 Fiat 2300S Coupe (1977-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
(写真05-1cd) 1966 Fiat 2300S Coupe (1977-04 TACSミーティング/筑波サーキット)
「2300S」クーペは1962-64/1965-68年に造られたが、スタートとなった「2100S」は1960年のトリノショーでデビューし、翌年のからカタログモデルとして市販された。ベースとなる車が「2300」となったので1962年からは「2300S」となり、1965-68年マイナーチェンジが行われた。写真の車は第2世代の車で、エアスクープの穴についているメッキのラインが3本で上が長い。かなりスポーティなスタイルで、サーキットも似合う。
(写真05-2abc) 1966 Fiat 2300S Coupe (1965-11 東京オートショー/晴海)
(写真05-3ab)1967 Fiat 2300S Coupe (1966-11 東京オートショー/晴海)
(写真05-4ab) 1969 Fiat 2300S Coupe (1968-11 東京オートショー/晴海)
この車が日本に最初にデビューしたのは1964年10月開かれた第6回東京オートショーだった(65年型)。生憎僕はこの時は写真を撮っていなかったが、その後66,67,69年型と連続して撮影した。ホイールキャップのデザインが多少変わっただけで本体の方には殆ど変化が見られなかった。どの資料でもこの車の製作期間を1965-68年としているが、日本では1969年型としてオートショーに展示された。
(写真05-5abc) 1968 Fiat 2300S Coupe (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
本場イタリアで見つけた「2300s」2+2クーペだ。ギアのデザインで「カロセリア・OSI」が製造した。イメージでは一見「フェラーリ」かと見える角度もあり、性能も最高速度205km/hが可能で、日本に入った時の値段は344万円だった。実は僕も一目惚れした車だ。
< トラスフォルマビーレ(コンバーチブル)/カブリオレ >
(写真06-1a) 1957-60 Fiat 1200 Trasformabile(Convertible) (1961-11 立川市内)
「トラスフォルマビーレ」とはあまり聞きなれない言葉だが、英語では「コンバーチブル」で、オープンとクローズに「変換できる」車種の事を云う。この車は今回の冒頭に紹介した「1200」シリーズのオープン・バージョンで、スタイルは前々回紹介した「1100-103TV」の発展型といえる。写真は立川市内を走行中のスナップで、オープンカーは当時としては非常に珍しい存在だった。
(写真06-2ab) 1957-60 Fiat 1200 Trasformabile (1997-05 ミッレ・ミリア/フータ峠)
前項と同じ車を至近距離で撮影したのがこの車で、ミッレ・ミリアの観戦に来た車をフータ峠で見つけたものだ。50年代を代表するなだらかな曲線を持ったボディは、バランスのとれた美しいスタイルだ。
(写真07-1ab) 1959-67 Fiat 1200 Cabriolet (1999-08 コンコルソ・イタリアーナ/アメリカ)
前項の車がモデルチェンジした際ボディは「ピニンファリナ」が担当した。性能は変わらないが直線を主体としたデザインは時代に合わせ近代化したものだ。このタイプが基本となってこの後「1500」「1600」に引き継がれることになる。このモデルの形式名は正式に「カブリオレ」となっているが、本来「カブリオレ」は幌に裏打ちが付き厚くてかさ張るもので、この車は完全に格納されているから「トラスフォルマビーレ(コンバーチブル)」ではないかと思うのだが、イタリアでは解釈が異なるのだろうか。「1200」の特徴はボンネット上のエアインテークの幅が比較的狭く両端が空いている事だ。
(写真08-1ab) 1962 Fiat 1500S Cabriolet (1965-11 CCCJコンクール・デレガンス/池袋西武)
1959年「1500」を誕生させた理由は、ベルリーナとは関係ない。(ベルリーナは2年後の1961年「1500」になったが別エンジン) マセラティ兄弟が造る「オスカ」の1.5リッター(78×78 1491cc)DOHC 90hpの高性能エンジンを「1200」に積み込んだということは、このシリーズを本格的なスポーツカーに仕立てようという事で、最高速度は145キロから一気に170キロまで上がった。この車はオプションで「デタッチャブル・ハードトップ」を装備している。
(写真08-2ab)1960-62 Fiat 1500S Cabriolet (1977-01 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンス)
大雪だったこの日、トップを上げている姿がこれで、幌は薄く一般に「カブリオレ」と言われているものではない。ボンネット上のエアインテークの幅が広く両端に殆ど空きが無いのが「1500」の特徴だ。
(写真08-3a~d) 1962 Fiat 1500S Cabriolet(2014-11 トヨタクラシックカーフェスタ/神宮外苑)
最近撮影した車だが、1963年第1回日本グランプリに出場したオーナーが、強い愛着を持って同型車を現在も所有されている、と書かれていたので、当時のその雄姿をコレクションの中からご紹介する。(場所は出来たばかりの鈴鹿サーキットのヘアピンカーブ)
(写真09-1abc)1963 Fiat 1600S Cabriolet (1988-11 モンテ・ミリア/神戸ポートアイランド)
「1500」の78×78のボアを2ミリ広げ、80×78 1568ccとしたのが「1600」で、両車は併売された。ダブルチョーク・ウエーバー・キャブレターを2個付けて100hp迄馬力アップを図ったが、それをクリアするためのバルジがボンネットの左側にあるのが「1600」の特徴となった。
(写真10-1ab)1963-65 Fiat 1500 Cabriolet (1997-05 ミッレミリア/フータ峠)
1963年モデルチェンジが行われ、シャシーとエンジンはベルリーナと同じものに変わった。(OHV 77×79.6 1481cc 72馬力) グリルのデザインも幅いっぱいまで変更され、正面のバッジは四角形のものが付いている。
(写真10-2abc)1965-66 Fiat 1500 Cabriolet (2004-08 コンコルソ・イタリアーナ/アメリカ)
1965年ベルリーナのパワーアップに伴って、カブリオレも75馬力となり、正面グリルのバッジが角形から丸型に変わっている。
(写真11-1ab)1966 Fiat 1600S Cabriolet (1965-11 東京オートショー/晴海)
前項の車と同じ年度の「1600」版で、こちらはヘッドライトが4灯なので「1500」とは明確に区別出来る。100馬力のエンジンに5速フルシンクロで最高速度は170キロが可能だ。日本での価格は220万円となっていた。
< ディーノ >
ここに登場する「フィアット ディーノ」はご存知の通り「(フェラーリ)ディーノ」の兄弟分だ。これらの車が生まれた背景は、1964年発表された「1967年からのフォーミュラ2」の規定が「排気量1600cc」で、年間500台以上生産された「市販車のシリンダー・ブロック」を使用すると決まった事だった。(参考) この規定でフェラーリが造った「1968 1.6リッターF2レーサー」
この規定に対応するため「フェラーリ」が取った対策は、当時のF1に使用していた1.5リッターのV6/V8エンジンを流用することだった。しかしこのエンジンは純レーシングエンジンで「市販車」には使用されていなかった。そこで考え付いたのは生産力の高い「フィアット」にこのエンジンを提供して「フィアット」で市販のスポーツカーを造ってもらうことだった。「フィアット」にしても実績のある高性能エンジンが利用できるのは悪い話ではないから、この話は1965年初めには実現が発表された。当初は「V8」が予定されていたが、FIAがその後最大気筒数を「6気筒」と決定したので「V6」に変更された。エンジンの開発は勿論「フェラーリ」の手で行われ、1961~64年に使用された1.5リッターF1用をボアアップし,市販車用車の2リッターとしたが,このエンジンのストロークを縮めれば、直ちにF2用の1.6リッターに変身できるという物だった。ボディに関しては「スパイダー」は「ピニンファリナ」、「クーペ」は「ベルトーネ」がデザインを担当し、生産はエンジンを含めすべて「フィアット」の自社工場で行われた。両車は姉妹車と言われるので、中身が同じでボディだけが違うように思われ易いが、フェラーリ社の「Dino 206GT」のミッドシップ・ンジンに対して、「Fiat Dino 2000」はフロント・エンジン/リア・ドライブでレイアウトが全く異なる別物である。
<ディーノ・スパイダー(2000)>
(写真12-1a~d)1967 Fiat Dino Spider (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
スパイダーは1965年のトリノショーでデビューしたとされる資料もあるが、僕が確認した資料は1966年11月の第48回トリノ・ショーで初めて登場したとある。この時ピニンファリナのブースには屋根の付いた「ベルリネッタ」も展示されていたが、「クーペ」は「ベルトーネ」が造ることはすでに決まっていた。この車は何台も見ているが、どの車にも全く改造された形跡はなく、みなホイールもオリジナルだった。
(写真12-2ab)1967 Diat Dino Spider (1997-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)
正規輸入はされなかったようだが、20年以上前にはすでにわが国にも入っていた。
(写真12-3a~d)1967 Fiat Dino Spider (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
イギリスに輸入された車も左ハンドルだったから、右ハンドルは造られなかったと思われる。
(写真12-4ab)1968 Fiat Dino Spider (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
この車に貼ってあった「車名」にオーナーの気持ちがよく表れている。その気持ちは「フィアット」ではなくて「フェラーリ」を持っているつもりだろう。
(写真12-5abc)1968 Fiat Dino Spider (1984-01 TACSミーティング/明治公園)
毎年1月に行われていたTACSミーティングで撮影した。トップを上げているが、リアウインドウが曲面でうまく収納できるか心配だ。CG84年4月号にこのイベントの紹介記事があったが、この車に関しては何も触れられていなかった。というほど当時は注目を集めない地味な存在だったのかもしれない。
(写真12-6ab)1968 Fiat Dino 2000 Special Scaglietti Spider (2002-02 レトロモビル/パリ)
今まで紹介した「スパイダー」各車には、どこにも相違点が無く解説の仕様がなかった。最後に登場すこの車はパリのレトロモビルで撮影したもので、ヘッドライトがフランス仕様の黄色になっているのが特徴だ。
<ディーノ・クーペ(2000)>
(写真13-1ab)1967 Fiat Dino Coupe (1995-08コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
クーペはスパイダーに遅れる事4か月、1967年3月のジュネーブ・ショーでデビューした。「ベルトーネ」社の製品だがデザインは「ジウジアーロ」が手がけたものだ。最高速度は「スパイダー」の210キロに対して、205キロとやや落ちるが4人乗ってロングドライブが可能だった。写真はカリフォルニアで「ジウジアーロ」の作品を集めたイベントで撮影したものだ。
(写真13-2ab)1967-69 Fiat Dino Coupe (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/アメリカ)
クーペのグリル・デザインはハニカム模様を横に引き伸ばしたものがモチーフとなっている。(1980年頃のスカイラインにも似た様なデザインがあった)この車にも小さな「跳ね馬」が遠慮がちに付いているのは、やっぱりオーナーのフェラーリへの憧れだろう。
(写真13-3ab)1967 Fiat Dino Coupe (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
並んだ2台は寸分の違いも見られない。スパイダーの項でも触れたように「ディーノ」シリーズは本当に違いが見出せない。
(写真13-4ab)1967-69 Fiat Dino Couipe (2002-02 レトロモビル/パリ)
「クーペ」の方も最後まで残して置いたのは標準型とは一寸だけ違っているこの車だ。と言っても外見ではバンパーとボディサイドの通気口カバーが取り外されただけだ。ただボンネット中央に大きな空気取り入れ口が見えるということは、エンジンにもそれなりの手が加えられている証拠だろう。「クラブ ディーノ フランス」とあるからレース活動にもかかわっているものと思われるが、詳細は不明。
<ディーノ 2400 スパイダー>
(写真14-1ab)1969-73 Fiat Dino 2400 Spider (1999-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
1969年になると排気量が2400ccに増加した。それは「F2」のホモロゲーションを獲得するために必要な500台の市販車の製造が完了したからだ。その数は「Fiat Dino 2000」とフェラーリ社の「Dino 206GT」を合算したものだが、それぞれが何台造ったのかは確認できなかった。これまでのシリンダーブロックは、本来の使用目的がレーシング・エンジンの為のものなので、敢えて高価な軽合金を使っていたが、その目的から解放されたので重量は増加するがコストの安い鋳鉄製に変わった。重量の増えた分は排気量増加による馬力増でカバーし、最高速度の210キロは変わらなかった。外見では正面のグリルに2本の横線が入った事で見分けられる。
(写真14-2ab)1970-73 Fiat Dino 2400 Spider (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
この車はイタリアで撮影した「ヨーロッパ仕様」の車で、フェンダー先端のパーキングランプは白色のカバーが付いている。
(写真14-3ab)972 Fiat Dino 2400 Pioninfarina Spider (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ)
こちらは「アメリカ仕様」で、パーキングランプはオレンジ色だ。サイドマーカーはヨーロッパ仕様がフェンダーの先端にあるのに対して、アメリカ仕様では前輪の後ろのバッジの上にある。
<ディーノ 2400 クーペ>
(写真15-1abc)1970 Fiat Dino 2400 Coupe (2001-05 モンツアサーキット/イタリア)
ベルトーネの「クーペ」バージョンも「スパイダー」と同時に1969年「2400」となった。全体のスタイルは「いすず117クーペ」にもどこか似ている印象を受ける。最高速度は205キロで、重量が重い分スパイダーよりはやや遅い。正面に「跳ね馬」のバッジが付いているが、これもオーナーの気持ちの表れで、勿論純正ではない。
―― 次回から大量にデータのある「フェラーリ」に入ります。ご期待下さい――