<戦後のフィアット乗用車>
「フィアット」は随分車種が多いような印象を受けるが、1945年、第2次世界大戦が終わった時点では戦前から引き続いて製造していた「500」(トポリーノ)569cc、「1100」(ミッレチェント)1089cc,「1500」1493ccの3種だけだった。最初に戦後型が登場したのは1950年で、1493ccの「1500」にかわる1395ccの「1400 」だった。「1400」に続いて同じボディに一回り大きいエンジンを載せた強化版「1900」シリーズが1952年誕生した。次に登場したのが1953年の「1100」シリーズで、戦前型の「ミッレチェント」と区別するために、わざわざ「Nuova (新)1100」と新時代を強調している。そして最後は1955年の「600」シリーズだが、旧「500」(トポリーノ)の569cc に対して633ccだから実質上は後継車となるのだが、この後1957年登場する479ccの「500」シリーズと両方が後継車を引き継いだ形で「Nuova500」はこちらが名乗った。
<1400/1400A/1400B>(1950-54/1954-56/1956-58)
(写真01-1abc)1953 Fiat 1400 4dr Berlina (1958年 静岡市内)
昭和30年代の静岡市内にはアメリカ車のほかにヨーロッパの小型車が多数走っていた。イギリスでは「ローバー75」「ウーズレー4/44」「ボグゾール・ベロックス」「ヒルマン・ミンクス」「シンガーSM1500」「スタンダード・エイト、バンガード」「トライアンフ・メイフラワー」「オースチンA40」「英フォード・ゾディアック、ゼファー、コンサル」、ドイツでは「メルセデヌ・ベンツ・190,220,300」「ボルグワルト・ハンザ」「オペル・オリンピア、カピタン」「DKW・マイスタークラッセ、ゾンダークラッセ」「メッサーシュミット・KR200」、フランスでは「シトロエン2CV、11CV」「シムカ・アロンド」「ルノー4CV」、スエーデンでは「ボルボ・PV444」「サーブ・92B」等々、つい懐かしさのあまり当時を思い出して網羅してしまった。イタリアは「フェラーリ」は勿論「ランチャ」「アルファロメオ」などは存在しておらず、「フィアット」の1100と1400だけだった。
(写真01-2ab)1953 Fiat 1400 4dr Berlina (1958年 静岡市内)
地方都市の静岡に何故こんなにヨーロッパ車が沢山走っていたのか、本当のことは僕には判らないが、一つ言えることは、当時厳しかった外貨割り当てが1953年と54年だけは何故か外車の購入にも沢山回って来たらしい。だから当時見かけたヨーロッパ車は皆1953年型だった。写真の車もその中の1台で、バックに写っている東海銀行静岡支店の車だった。「ローバー75」が静岡銀行本店の車、「ウーズレー」はNHKの車、「オペル・カピタン」は読売新聞の車など、絶対量が少ないからそこそこ身元の判っている車もあった。
(写真01-3ab)1953 Fiat 1400 4dr Berlina (1962-04 渋谷駅前)
「1400」シリーズは1954-56年の「1400A」、1956-59年の「1400B」とモデル・チェンジをしたが、これらには出会っていない。写真の車も静岡で撮った2台と同じく1950-54年に造られた初期型だ。場所は首都高速3号線のため用地買収を済ませた空き地で、坂の下は山手線渋谷駅だ。後方に珍しい車「ウーズレー6/99」が見えるが、この時僕は何故かこの車の写真を撮っていなかった。
<1900/1900A/1900B> (1952-54/1954-56/1956-58)
「1900」シリーズは戦後の2番手として「1400」シリーズに2年遅れてデビューした。と言っても、見た目の印象も、寸法もほとんど「1400」と変わりなく、エンジンの排気量が1901ccと増え、ギアが4段から5段に変わっただけで、「1400」の強化版ともいえる存在だった。このシリーズをもっと強力にしようと計画されたエンジンが量産に適さないため転用されて誕生したのが、前回の「8V」シリーズの「スーパー・スポーツカー」だった。(「1900」シリーズは国内でも海外でも僕は一度も出会うことがなかったので、残念ながら写真をお見せすることが出来ない。)
< 1100シリーズ>
戦前から戦後にかけて30年にわたってフィアットの屋台骨を支えた「1100」シリーズは、大別して1939年から戦後の1953年までを「初期型」としこれは前々回紹介した。1953年「Nuova1100」(新ミッレチェント)として発表されたモデルを「戦後型」として今回取り上げた。記録によれば8種のバリエーションが存在するが僕が出会ったのは「太字」で表示した3種だけだった。
<初期の「1100」シリーズ> (1939-51)
傑作車「バリッラ」の後継車として登場したのが「1100」シリーズで、直列4気筒 OHV 68×75 1089cc のエンジンは1939年から69年まで30年間基本的には殆ど変更なしに造り続けられた。その間このエンジンの提供を受けて生み出されたイタリアの小型スポーツカーは数知れない。
1939-48 1100 1089cc 32hp/4400rpm
1947-50 1100 S 1089cc 51hp/5200rpm
1948-49 1100 B 1089cc 35hp/4400rpm
1949-53 1100 E 1089cc 35hp/4400rpm
1950-51 1100 ES 1089cc 51hp/5200rpm
(上記の1939年から1951年までの戦前シリーズは前々回(第65回)に掲載したのでそちらをご参照下さい。)
<「新1100」シリーズ> (ヌオーバ・ミッレチェント)
1953-56 1100-103 1089cc 36hp/4400rpm
1935-56 1100-103TV 1089cc 50hp/5400rpm
1956-57 1100-103E 1089cc 40hp/4400rpm
1957-60 1100-103D 1089cc 43hp/4800rpm
1959-60 1100-103H 1089cc 50hp/5200rpm
1960-62 1100 Export & Special 1089cc 50hp/5200rpm
1962-66 1100 D 1221cc (この車だけは1200系の別エンジン)
1966-69 1100 R 1089cc 48hp/5200rpm
(写真02-1a) 1953 Fiat 1100-103 4dr Berlina (1958年 静岡市内)
静岡市内には「1400」だけでなく「1100」も走っていた。ダンテ・ジアコーサのデザインによるフルワイズ(車幅一杯)のボディは当時としてはなかなか進歩的ではあったが、デザインもメカニズムも、性能も際立って優れたという程では無かった。しかし大衆車としては「平凡」こそ最大の特徴で、長生きの大きな要因だったのかもしれない。
(写真02-2abc) 1953 Fiat 1100-103 4dr Berlina . (1966-04 池袋付近)
この車はあちこちに錆が酷いが初期型の特徴をしっかりと保っている。特にテールランプの上段が尖っているのがはっきり見える。原稿書きに疲れて一休みしながら一寸いたずらに「錆び落とし」をして往年の姿を再現してみた。
(写真02-3ab)1953 Fiat 1100-103 4dr Berlina (1962-08 港区内)
この車も初期型の「1100」だが、よく見ると「右ハンドル」だ。イタリアは勿論「右側通行」だが、ずっと昔に右ハンドルが存在したこともあった。しかし戦後の市販車はすべて「左ハンドル」の筈だから、この車は英国向けの輸出用か、あるいは英国内でライセンス生産されたものかもしれない。
(写真02-4abc) 1953-56 Fiat 1100-103 4dr Berlina (2004-08 ラグナセか/カリフォルニア)
この車も初期型の「1100」だが、こちらは「アメリカ仕様」だ。と言っても外見は本国仕様と何処も違わない。テールランプが変わっているのは年式の違いと思われる。
(写真03-1ab) 1953 Fiat 1100-103TV 4dr Berlina (1960年 港区内)
1953年「新1100」の誕生と同時にそのデラックス版、というよりは「高性能版」の「TV」シリーズも発売した。「TV」シリーズといっても中に「テレビ」が付いているわけではなく、イタリア語の「Tulismo Veloce」の略で、直訳すれば「旅行が速くできる」となるが、要は「速い車」ということだ。性能的にはエンジンの圧縮比を6.7から7.6に上げ36hp/4400rpmから50hp/5400rpmに強化した結果、最高速度は116km/hから135km/hまで上がった。外見の特徴はグリルの中央に大きなフォグランプ を持つ「三つ目」だ。このタイプは後年「ピニンファリナ」からスタイリッシュなクーペも発売されたが、オリジナルは「スタンダード」モデルと同じボディで、自社のリンゴット工場内で造られたスペシャルだ。
(写真03-2ab)1954 Fiat 1100-103TV 4dr Berlina (2001-05 サンマリノ、フータ峠/ミッレミリア)
ミッレミリアの参加車は大半が「フィアット」で占められているが、「新1100」が登場する前年1952年も「1100ccクラス」は46台中41台がフィアットだった。1953年からはクラスが「1300cc」となったが、125台中、「旧1100」が92台、「新100-103」が22台、と新旧取り混ぜて計114台が出走した。翌1954年になると「1100」の強化版「1100-103TV」がいよいよ登場する。(前年は5月に開催される「ミッレミリア」には時間的に間に合わなかったのか1台も参加していなかった。)参加95台中「1100-103」が61台、「1100-103TV」が14台、計75台だった。そして1955年には遂に「Fiat1100-103/Lancia Appia」という専用クラスが新設されて「フィアット」64台、「ランチャ」14台が参加した。他に750~1300ccクラスにも「1100-103TV」を中心に37台が参加している。写真の1枚目はサンマリノのチェックポイントを通過してお土産屋が並ぶ急坂を一気に駆け降りるところ。2枚目は「フータ峠」のストレートを走り終え大観衆の声援を受けてこれから峠を下りにかかるところだ。
(写真03-3ab)1954 Fiat 1100-103TV 4dr Berlina (2008-10 明治神宮/ラフェスタ・ミッレミリア)
イベントの参加車なので年式は確認できる。大型のドライビング・ランプが追加されているが、とても綺麗な状態にオリジナルが保たれている。このタイプのボディには中央と下部にプレス加工された突起がみられるのは、軽量化を図って限界まで薄くした鉄板を補強する為だろうが、視覚的には「ステーション・ワゴン」にも通じるアクセントだ。
(写真04-1ab) 1953-56 Fiat 1100-103TV Trasformabile (1995-08 コンコルソ:イタリアーナ/カリフォルニア)
(参考)1950 Cadillac 61 sedann
「Trasformabile」とは「コンバーチブル」のことだ。平凡な「ベルリーナ」をベースに見た目の格好良さだけを武器に売り出したが、性能は変わらなかったから「スポーツ」とは名乗らなかったのは、オープンカーならなんでも「スポーツカー」と言ってしまう国産車に較べれば、良心的(?)と評価したい。この車はれっきとした「カタログモデル」で、外部のカロッセリアは関与しておらず社内製のスペシャルボディだ。フェンダーの処理には「キャディラック」の影響も感じられるのはアメリカ輸出も視野に入っていたのだろう。
(写真05-1a) 1955 Fiat 1100-103TV Pininfarina Coupe (1994-05 ミッレミリア/ブレシア)
地味な感じのオリジナル「1100-103」も、ピニンファリナの手にかかると見違えるようにきびきびした「小粋なスポーティカー」に変身する。写真はミッレミリアの車検場「ビットリア広場」に向かう車の列で、ここから30メートル先を左折すれば車検場だが、渋滞でなかなか進まない。この写真は僕が海外で初めて自動車を撮影した思い出の場所で、次々と素晴らしい車が角を曲がってやってくる、あのドキドキした感激は今の鮮明に思い出される。
(写真05-2a)1955 Fiat 1100-103TV Pininfarin Coupe (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)
ブレシア市内の当日の移動は渋滞に続く渋滞だから、写真を撮る僕には有難いが、古い車にとってはオーバーヒートが恐ろしい。だから殆どの車がエンジンを止めて手押しで移動していた。写真の場所はドーモ広場から続く細い道で、後ろの石造りの建物は12世紀に建てられたロマネスク様式の古い教会だ。
(写真05-3ab)1955 Fiat 1100-103TV Pininfarina Coupe (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
殆どの車は自走してくるが、中にはトレーラーに乗せられて車検場入りをする車もある。場所は車検場のビットリア広場で、積まれた車の正面には「TV」の文字が巧妙にデザインされてラジエター・グリルに収まっている。2ドアのクーペは後ろ姿が特に魅力的だ。
(写真05-4abc)1954 Fiat 1100-103TV Pininfarina Coupe (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)
この車も外見は全く同じだが「黒」の塗装はなかなか精悍だ。フェンダーの中央の「ピニンファリナ」のバッジと文字が見える。
(写真06-1ab)1960-62 Fiat 1100 Export 4dr Berlina (1990-01 JCCA汐留ミーティング)
長命だった「1100」シリーズも「600」「500」「1200」と、次々後継モデルが登場して来て、最後のモデルとなったのがこのタイプだ。1959-60年の「1100-103H」を簡素化したベーシックモデルで、古いモデルを価格の安さで何とか売ろうとした苦肉の策だろう。
<600シリーズ(初期型)> 1955-60
戦前の小型車の大傑作「500」(トポリーノ)は戦後も引き続き造り続けられてきたが、1955年ついにその後継者「600」が姿を現した。ホイールベースは2000ミリで「500」と変わらず、全長は300ミリも短縮されたにも拘らず、コンパクトなリアエンジンのお陰でキャビンのスペースは大幅に広がり、「500」の最大の泣き所だった「2人乗り」を解消し、待望の「4人乗り」が実現した。初期型のエンジンはOHV 633cc 22hp/4600rpmだった
・1956年初期型ボディにサンルーフ付きが追加された。
・1957年マイナーチェンジではそれまでスライド式だったドアウインドーが巻き上げ式となり、ボディからドアにかけてモールが追加された。
・1958-59 初期型最後のこのモデルはそれまでフェンダーの上にあったウインカーがサイドモールの先端に移動し、ヘッドライトの下にサイドランプが追加された。
(写真07-1ab)1957 Fiat 600 2dr Berlina (1961-06 山王ホテル駐車場/赤坂溜池)
この車の年式判定には一つ疑問点がある。それは①サイドモールが先端まであってマーカーランプがないのは1957年だが、その場合フェンダー上にあるべきウインカーがない。②その代わりヘッドライトの下にサイドランプがある(ウインカー兼用?)。ナンバープレートからイタリア大使館の車ではなさそうで、止まっていた場所は日本人立ち入り禁止の接収されていたホテルなので「アメリカ輸出仕様」かとも疑った。その場合はサイドモールが無い筈だが、その可能性も捨てきれない。
<600Dシリーズ(後期型)> (1960-69)
「600」シリーズは1955年の誕生から69年生産を終了する迄に大きなモデルチェンジは1960年の「600D」への1回だけだった。「600D」の「D」はエンジンの型式「100 D」に由来する。排気量が34cc 増えて767ccとなり、出力も29hp/4800rpmとなった。
・1960-63 「600D」となって大きく変わったのはエンジンの排気量で、外観は1958-59年とほとんど変わらない。唯一の変更点はドアに三角窓が付いたことだ。
・1964 この年の最大の変化はドアが従来の「前開き」から、前ヒンジの「後ろ開き」に変わった事だ。それ以外は1960-63年と変わらない。
・1965-69では正面の意匠が変わった。それまでは丸い「FIAT」のバッジを中心に左右3本のひげで構成されていたが、新デザインは四角のバッジにひげは1本だけとなった。ヘッドライトが大型になり、バンパーのオーバーライダーにゴムのプロテクターが付いた。
(写真08-1ab)1960 Fiat 600D 2dr Berlina (2011-11 トヨタ博物館クラシック・フェスタ/神宮絵画館)
この車はドアに三角窓があり、前開きなので「600D」の初期型と確認できる。
(写真09-1abc)1964 Fiat 600D 2dr Berlina (1965-09 大英博覧会/晴海)
この車はナンバープレートからイタリア大使館の車ではないかと推定した。しかし不思議なことに「右ハンドル」だから考えてしまう。大英博覧会の会場だからといって、まさか「英国」?ということはないだろうが。
(写真09-2ab)1964 Fiat 600D 2dr Berlina (1966-05 池袋・西武百貨店前)
この車は前項の車と同じだがよく知られた場所である事と、背景にトロリーバスが写っているので再度取り上げた。
(写真09-3ab)1965 Fiat 600D 2dr Berlina (1984-01 TACSミーティング/明治公園)
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この車は1965年変更された「600D」シリーズ最後のタイプと同じ特徴を備えているので一応「1965年型」としたが、ミーテングのプログラムによる本人申告では「1970 フィアット600R」となっていた。僕の確認出来た資料では、600Dは1969年には製造は終了しており、「R」モデルは「500」にはあったが「600」には存在が確認できなかった。(イタリア以外でライセンス生産された車か?)
(写真10-1a~d)1969 Fiat 600D Jolly (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド・英国)
構成上別々になってしまったが、フィアットでは「600」「600ムルティプラ」「500」のそれぞれにフルオープンの「レジャー・カー」を造っている。600シリーズの場合は「ジョリー」と名付けられ、ドアはなく2列のシートは「籐編み」で水着にも対応出来そうだ。
<フィアット600ベースのいろいろな車>
(写真11-1abc)1956 Fiat Smart 600 2dr Berlina by Bertone (1997-05 ブレシア/ミッレミリア)
「1100-103TV」をイメージしたような変形三つ目のこの車はカロセリア・ベルトーネが造ったもので、フェンダーには「Smart 600」の文字とベルトーネのバッジが付いている。場所は車検場の中で後方の縞模様の建物は1927年の第1回ミッレミリア以来ずっと同じ姿の郵便局だ。
(写真12-1abc)1957 NSU-Fiat 600 Jagst 2dr Limousine (2008-01 ドイツ博物館/ミュンヘン)
ドイツの「NSU」社では殆どの「フィアット」をライセンス生産していたが、同時に一寸だけ色付けした独自モデルも造っていた。写真の車もその1種で、顔付きだけは変えられているが、それ以外は全くフィアットのままだ。案内板には1957年とあったがドアの窓が引き戸で、サイドモールがなく、サンルーフ付きなので、特徴としては1956年と合致する。
<オリジナルの面影を残すアバルト・チューンの車> (750TC~1000TC)
(写真13-1ab)1960 Fiat-Abarth 850 TC 2dr Berlina (1986-11 モンテミリア/神戸ポートアイランド広場)
ベースは前開きドアなので1960年の600D(前期型)と確認できる。アバルト・チューンとしては珍しくエンジンルームのボンネットが「完全に」に閉まっているから、外見からは全くノーマルと変わらない。数々の過激なスタイルのアバルトが登場するがその手始めとして最も大人しい物からスタートした。
(写真13-2abc)1964 Fiat-Abarth 850TC 2dr Berlina (1988-01 TACS ミーティング/明治公園)
前項と全く同じタイプだが、「連装のワイパー」や「少し閉まりきらないエンジン・フード」で、只者でない事を控えめに主張している。
(写真13-3ab)1956 Fiat-Abarth 750TC 2dr Berlina (1997-10 ラフェスタ・ミッレミリア/原宿表参道)
この車は「ドアの窓が引き戸」で「サイドモールが無い」ので、1955-56年の初代「600」シリーズのボディがベースとなっている。「TC750」はアバルトでは1956年から59年まで造ったが57年からはドアの窓がが巻き上げ式になっているので1956 年と特定した。
(写真14-01abc)1963 Fiat-Abarth 1000TC 2dr Berlina(1987-01 TACSミーティング/明治公園)
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アバルト・チューンの「TC750」から「TC1000」は排気量はずいぶん違うが、考えてみれば、ベースの「600」から生まれた兄弟だから、ボディは皆同じで、バッジなりレタリングを見なければ区別がつかない。
(写真14-2ab)1062-63 Fiat-Abarth 1000TC 2dr Berlina (1997-05 ミッレミリア/フータ峠)
ドアが前開きで三角窓があるので、ベースは1960-63年の「600D」初期型だが、アバルトで「1000TC」の製造が始まったは1962年からだ。
(写真15-1ab)1962 Fiat-Abarth 850 TC Corsa 2dr Berlina (1085-05 TACSミーティング/筑波サーキット)
プログラムで本人の申告は1962年となっており、特徴は1962-63年の「600D」(初期型)と合っているが、グリルは本来短い「3本ひげ」だった筈が、後期型の長い「1本ひげ」に変わっている。ここからはフロント・ボンネットに「ゴムバンド」が付き、これまでしなくても十分空気は吸い込めるだろうに、と思うほど「ド派手」なグリルを取り付け、リアのエンジン・フードにしても閉めればもっと閉まるのにと思わせる、そんな「わくわくする演出」でやる気満々な雰囲気を出している。
(写真15-2ab)1965-69 Fiat-Abarth 850TC Corsa 2dr Berlina 2001-05 モンツァ・サーキット/イタリア)
前項と同じ「850TC」だが、こちらはドアが後開きの「600D」(後期型)で、しかもヘッドライトが大きいので1965-69年の最終モデルだ。
(写真15-3ab)1965 Fiat-Abarth 850TC Corsa 2dr Berlina (2008-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)
この車は前項と全く同じ仕様でイベント参加車なので本人申請で年式は1965年と確定できた。
(写真16-1abc)1966-67 Fiat-Abarth 1000TC Corsa 2dr Berlina (2001-05 モンッア・サーキット/イタリア)
この車は外見上は前項の「850TC」と全く変わる所はない。しかし、フロント・フェンダーには「Fiat Abarth 1000」と書き込まれている。アバルト「1000TC」の初期型は1962-64年、後期型は1966-70年に造られた。
(写真16-2ab) 1965 Fiat-Abarth 1000TC Corsa 2dr Berlina (2003-02 レトロモビル/パリ)
パリの「レトロモビル」は狭い場所にぎっしりと詰め込んで展示されているので、超広角レンズが必需品だ。そのせいで大口が強調されたきらいはあるが、この車は「グループ2」仕様の本格的に仕上げられたレーシングカーだ。その証拠にはフロント・ボンネットに大型のレーシング用の給油キャップが取り付けられている。エンジンは982ccで110hpまで強化されている。
<600 ムルティプラ> (1956-66)
「600」は「旧500」(トポリーノ)と同じ2000ミリのホイールベースで「4人乗り」を実現したが、「ムルティプラ」は同じ物を「6人乗り」迄進化させた。後ろの半分は乗用車の「600」と殆ど変わらないが、その前にもう1列運転席を無理やり押し込んで、3列シートを作り上げた。後ろの傾斜が緩やかで、前の方が急角度なので全体像は前後のイメージが逆だ。「セダン」でも「ワゴン」でもないこの形は、現代では当たり前の「ワンボックスカー」の元祖で、今から60年も前に実用化されていた。しかし当初は全く初めての仕様で、見た目も馴染まない奇妙なスタイルだったから、初めて見た僕の印象も「変な車」だった。しかしその使い勝手は抜群で、タクシー仕様は2列目をたためばストレッチ・リムジン並みのレッグスペースがあった。また懐のあまり暖かくない大家族にとっては、屋根まで荷物をいっぱいに積んで一家全員でバカンスに出かける際には、その恐るべき収納力は救いの神ともいえる有難い存在だったろう。イタリアの道路法が改正されドアはすべて前ヒンジとなったため、運転席のドアが前開きの「ムルティプラ」は1966年で製造中止せざるを得なかった。
(写真17-1abc) 1956-66 Fiat 600 Multipla (1969-11 東京オートショー会場付近/晴海)
この車は僕が最初に見た「ムルティプラ」で「変な車」と思った車そのものだ。どこから見ても「前と後ろが逆ではないか」と妙にすっきりしなかった。
(写真17-2abc) 1956-66 Fiat 600 Multipla (1978-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
この車は1枚だけカラーで撮影しているので上が白、下が赤と確認できている。真横から見ても右側が前と錯覚してしまいそうだが、シートの配列図でしっかり前後の確認をするしかない。
(写真17-3ab) 1956-66 Fiat 600 Multipla (1984-01 TACSミーティイング/明治公園付近)
「ムルティプラ」の外見は最初から最後までほとんど変わらなかったが、エンジンは1960年乗用車が「600D」に進化すると、同様に633ccから767ccに変わった。しかし外見に変化が無いので僕には見分けがつかない。資料には「600D」も存在するが僕が撮影した中に「600D」のバッジをつけたものはなかった。
(写真17-4ab) 1956-66 Fiat 600 Multitpla (1999-08 コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
こちらはカリフォルニアで撮影した「アメリカ仕様」だが、もともとヘッドライトの位置は高い位置にあり、その他補器類にも特別アメリカ仕様に変更された形跡はない。ドイツ語版のカタログにいろいろなシート・アレンジを見つけたので参考に取り上げた。タクシー仕様は2列目が補助席となり3列目が厚めのシートに変えられている。4/5人乗りの場合は、ベンチ・シート2列で、3列目はなく荷物スペースとなっており、背もたれを倒せばベッドとなる。6人乗りの場合は2+2+2のセパレート・シートで、2・3列をたためば大きな荷物室が生まれる。
(写真17-5abc) 1956-66 Fiat 600 Multipla (2001-05 ミッレミリア/サンマリノ、ブレシア)
2001年のミッレミリアにサポートカーとして登場したこの車は沿道の観衆から大きな声援を受けていた。もともと「ムルティプラ」は乗用車としてだけでなく、多用途車として荷物の配達などにも広く利用された結果、8万3千台以上が製造された。
(写真17-6a~d) 1957 Fiat 600 Multipla Marinella by Ghia (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
乗用車ベースの「ジョリー」に比べるとキャビンが広く、全体のスタイルもレジャーカー風だ。この手の「ビーチカー」は籐で編んだ洒落たシートが目に付くが、この車のリアシートに見る左右の張り出しは、豪華に見せる効果は十分に果たしているが、実用的には「無い方が座り易い」なんて夢のないことを考えてしまう。ネーミングの「マリネラ」は「マリーン」から連想して海に関する何かではないかと調べた、が僕の持っている「イタリア語中辞典」には該当する語句は発見出来なかった。しかし僕の記憶の中にあるもう一つの「マリネラ」は若い頃聞いたルンバ「マリネラ」で、戦前の映画主題歌だったこの歌詞は「マリネラ 恋し懐かしの 君が唄声に 胸はときめくよ」とあるので、この場合は「女性の名前」だ。ところで最近はラテンの曲はみな「ボサノバ」風に演奏してしまうので、「クラベス」(拍子木)の入った「ルンバ」の演奏はレコード以外では殆ど聞けなくなったなぁ、と本題と関係ないことを嘆く僕だ。
― 今回は「600」で一杯になりました。次回は「新500」から始まります ―