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第13回 ダブルディスク採用のロードスターW3登場
2018.5.28

 カワサキの1970年代は、新型モデルの「スーパーフォア900Z1」で始まった感があった。北米向けに生み出した650W1系の振動が凄まじく不評となり、カワサキの年次モデルにラインナップされ、二輪雑誌にも紹介されていたにもかかわらず、カワサキの現地法人では積極的には売り込まなかったと言う。
 そうした間に、ホンダはインラインフォアのCB750FOURで市場を席巻し、ヤマハはバーチカルツイン650XS1をリリースした。CBはスムーズであり、XSはW同様に振動が凄まじかったが、日本国内では多様なバイクを求めていた時代であり、いずれもユーザー達に好まれていた。
 時代は若者達にバイクの乗り換えを、ごく自然にさせていた感があった。50ccモペットで育った世代が、やがて90cc、さらには250ccへと乗り換えていった。ホンダCB、ヤマハYDSはじめスズキT20、カワサキA1で育ったライダー達の次のターゲットが「自動二輪」であった。だが多くのマシンが250ベースで、純然たる重量車はCB450、カワサキW1などだったが、そこにナナハンブームが到来することになる。
 ナナハンブームの起源は、やはりアメリカの影響であった。アメリカのレース規定が1970年以降、排気量750ccのマシンで戦われることになったからだ。内外の北米向けモデルが「新型750ccマシン」を繰り出してゆく。英国車のBSAトライアンフ、ノートン、ドイツのBMW、イタリアのモトグッチやドゥカティが新型車を揃えた。日本のホンダもCBを生み出し、スズキもT500を水冷3気筒化したGTを、カワサキも500SSを750にして対応した。
 そして900Z1である。誕生の経緯は書籍やネットで述べられているが、要はCB750が発表された1968年東京モーターショー時点で、カワサキの4気筒が開発過程で競合を回避するため、排気量を見直して900としたのであった。海外では歓迎されたが、国内では「公道用市販車の排気量は750ccまでとする」ことが決められてしまったのである。カワサキ側は「900での販売」を考えていたので、結果的にZ1を750にしたZ2を開発したわけである。
 1972年末の東京の高輪プリンスホテルにおける報道記者向け発表会には新型750-RSと650-RSはじめ全国内向けの新型車が披露され、カワサキの「ヤル気」を見せたのであった。

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 カワサキは1973年の日本国内向けの新型自動二輪車にRS=RoadSter=ロードスターという名称をつけた。正式な車名は「カワサキ650-RS」W3で、1973年2月発売となっていた。二輪雑誌の広告も2月発売の3月号に掲載された。上は「モーターサイクリスト」誌のもので右下のカタログ請求券が「B=Bike」とあった。ちなみに「オートバイ」誌は「A=Autoby」で、画像の2人の立ち姿勢も異なるものだった。当時は4×5判のカラーポジ複写=デュープ代金が1点あたり数万円する時代で、画像を数枚撮る方が安く済んだから、広告画像は雑誌毎に異なっていた。

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 「オートバイ」誌1973年5月号の広告は3月に発売された750-RS Z2と650-RS W3の2台が並ぶもの。すでにトップモデルが750-RSであることがわかる。このWのカラーはパールキャンディゴールド。フロントにダブルディスクを装備しており、この点ではZ2よりは豪華であった。シーン的には午後3時のティータイムにバイクで出かけようというもの。

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 「モーターサイクリスト」誌1973年6月号の広告は、霧にむせぶ港町でのロードスター2台が並ぶもの。コピーには「誰の眼にも確かな感覚。気品と信頼感はインターナショナルなもの。そお!これがロードスター。」とあった。

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 「オートバイ」誌1973年7月号の広告は霧の中から現れた2台のRSが並ぶもの。コピーの文面などは6月号と変わっていない。時節柄、カワサキが8月の第1週に開催してきたバイクミーティング「カワサキオートジャンボリー」告知のため、画面を横長にして下段に告知スペースを設けていた。ジャンボリーは宮城、新潟、奈良、愛媛、熊本でキャンプ形式で開催、当時のカワサキ車の人気ぶりを示すイベントとなっていた。

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 「モーターサイクリスト」誌1973年10月号の広告、750-RS、650-RSにポルシェ356Cクーペが並ぶ。バックは"アマンドピンク"の1962年に赤坂にオープンしたアマンド赤坂店前(現在閉店、有名な六本木店は64年開店)の撮影と思われる。コピーにはCOOL ADVENTURE「午前0時の赤坂 まっかなポルシェにジャジャ馬ちゃん こうそろいすぎちゃかなわないな でもロードスターはクールな騎士! 何かが起こりそう、いまサタデーナイト」原文のままで、画像はクロスフィルターによる特殊効果を狙ったものだった。

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 初期型650-RSのカタログ表紙。画像は黒い皮革ツナギを着用したカップル。ヘルメットも750-RSはフルフェイス、650-RSにはジェットという仕分けがされていた。まだジェット着用のライダー達が多い時代で、フルフェイスヘルメットは珍しい部類だった。車名の下のコピーは「クラシックと赤ワインが好きな人向け」といった感覚だが、実際にはマシン自体の振動と排気音で、そんなことは吹っ飛んでしまう迫力があった。

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 カタログを開くと、650-RSの特徴を述べている様子がわかる、フロントフォークはディスク化に伴い、アルミアウターにはZ1系のパーツをおごり、ダブルディスクもZ1用のダブル化キットをそのまま流用。カワサキ車初のダブルディスク装着車となる。当時のダブルディスク車はスズキGT750、ヤマハTX750ぐらいであったから、650-RSに乗るライダー達は優越感に浸ったものだ。

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 650-RSの左右画像、上は初期型であるが、下は最終型のタンク部分などを変更したモデル。両車の違いはステアリングステム部分のノブが初期型は装着されているのに対して、最終型は装着されていないこと。さらにリアサス部のリフレクターが初期型は橙色に対して、最終型は北米仕様車に使われる赤色に変わっていた。

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 前後のフォルムを眺めると、フロント部はまさに900Z1のパーツで構成されていて重厚感あふれるものになっている。リアからの眺めはW1S-Aと大差ない部品構成ではあるが、リアショックが変更されているので力強い感じがある。

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 650-RSのエンジンの基本はW1S-Aと大きく変わらないが、無煙ガソリンへの切り替えに対応させたバルブシートなどの採用があった。また、W1S-A以来ダブルホーンが採用され、ダウンチューブ間とエンジン左前方に設置して、歩行者に聞こえやすくされた。

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 初期型の広報写真。当時のカラー画像は横向き画像の掲載が一般的で、このアングルでカラー印刷する雑誌などは少なく、報道向けにはモノクロプリントのキャビネ版が配布された。

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 燃料タンクそのものはW1S-Aとほぼ同じであるが、CG=カラーグラフィックを変更、日本向けモデルも年次毎のデザイン変更が実施された一例であった。当時のカワサキ販売店ではメッキタンクなどの旧型パーツも扱っており、カワサキのタンク塗装工場には、スペアタンクなどが置いてあったりした。

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 Wファンよりも、750RSユーザーが憧れたダブルディスクとフロントフォークの全景。フォークはカヤバ製だが寸法は750RSより短く、ストロークも10mm短い130mmである。ステアリングヘッドのスチールボールのベアリング径と個数も750RSと共通部なっている。

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 腰をかがめてフォーク部分を眺めてみる。650-RSを購入した当時のオーナー達は、過剰品質になったWではあるものの、ブレーキ部分は750-RSより勝っている部分であると悦に入ったものであった。発売当時は「フロント部が重くなった!」と嫌われたものだが、数年もするとダブルディスクが当たり前になり、誰も気にしなくなった。

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 フォークのパーツリスト図、フォーク径は34から36mmになった。これはカワサキ車ではマッハ750SS H2以降、500SS H1B以降に36mmフォークが採用され、そして900Z1開発に際して見直しがされたもの。650-RS用ではアウター後部にフェンダー装着部分が追加されているが、この図では描かれてない。

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 パーツリストに描かれているディスクの角度に揃えたブレーキ系の画像。マシンの性能から判断すると、シングルディスクでもいいわけだが、「カワサキのダブル(W)であるから、ダブルディスクを採用した」というのを、当時の関係者から聞いたことがあった。

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 パーツリストによるブレーキ構成部品。実際のパーツと異なって描かれている部分があり、ディスクは図では4穴だが、実際は6穴であった。ディスク径=296mm、厚さ7mm=750-RSと共通で、さすがに重い、ということになりダブルディスク化されたZ750FOUR以降は厚さが5mm程にされ、ハブも小径の4穴ディスクになるなど重量軽減策が採られた。

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 パーツリストによる左右のディスク&キャリパーの構成図。ただし右側のキャリパーはマッハ系のもので外観が異なり、パーツ番号も異なるもので作成上の間違いと思われる。なおマッハ系キャリパーはH2Rなどに装着されたものと同じ外観のため、一部マニアには未だに人気がある。

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 フロントフェンダーの構成もアルミアウターチューブへの変更で、取り付けが前後に分かれたトライアンフスタイルとなった。フォーク下部にフェンダーステー取付部があり、Z1系と異なるアウターチューブで、コストが掛けられた部品であったことがわかる。 

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 前後フェンダーのパーツリスト図。上のフロント部はフォーク変更で前側がフォークブレースを兼ねていることがわかる。リアのステーもシート変更で、タンデムグリップパイプ部が大型化したものになった。

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 ヘッドライト&メーター部のパーツはZ1系であるが、フラッシャーレンズはZ1系にも流用されたものの、ヘッドライトに関しては球の形状やワット数などはW1S-A時のままにされた。これは発電機が直流で、Z1系が交流の関係で旧来のままとしていたため。ただし、Z1系もW3系も12V100Wの発電量であった。

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 ヘッドライト、メーター部のパーツリスト図。Z1系とメーター球などは共通であるが、それ以外は微妙に異なる部品が多い。ヘッドライトなどは純正のままでは暗いので、フランスのシビエ製などにするライダーも少なくなかった。

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 メーターは速度計200km/h、回転計7500rpmスケールで、回転計内にヘッドライト&テールライトの断線警告灯、キーパネル部は左からターンシグナル(フラッシャー)、ニュートラル、ハイビーム、チャージが、ヘッドライトボディ上部に速度警告灯が並ぶ。

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 W1S-Aとは全く異なるハンドルバースイッチ&レバー類。1960年代のモデル然としたものから、まさに1970年代の最新技術に変更され、扱いやすくなった。上の右側スイッチは上部にキル、水平方向にヘッドライト、その下にセルスイッチの文字だけあるのはZ1との共通パーツのため。中段はキャブレターのチョーク(スターターワイヤー引き上げレバー)がクラッチレバーのシャフト部にマウントされている。下は左側スイッチで、上がヘッドライト切り替え、水平方向にターン=フラッシャー、下にホーン、さらにパッシングスイッチが並ぶ。

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 ハンドル部パーツリスト図。市販されている650-RSには図33番のハザードスイッチが外されている例が多く見られる。これは機能的にエンジンスイッチを切らないと作動しないため、実際には停車中にハザードを点滅させると、バッテリー容量が減るため、始動できなくなることが多かったため、外された例が少なくないからだ。

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 W2譲りのタル型スプリングをシート下部横方向に配置してテンションをかけていたダブルシートも、新時代のフォームラバー製に変更され、形状も変更され、乗り心地も一段と改善された。形状的にはBSA的フォルムといえなくもなかった。

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 シート、サイドカバー、チェーンケース部のパーツリスト図。基本的にシート以外はW1S-Aのカラーリング変更程度の差異であったが、Z1同様にシートベースがフレーム部分に対してラバーベース3個で支持されるようになる。

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 サイドカバー部は一見してW1S-Aと同じに見えるが、モールにはROADSTERのロゴが加わり、カラーもブラックのみからタンクに合わせたキャンディトーンゴールドまたはオーシャンブルーに塗られたものに変更された。

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 シートに加えてリアショックも変更された。カヤバ製でZ1用350mmを320mmに、サスストロークは80mmから70mmとしたもので、Z1系アッパーとW1S-Aショックアブソーバー部を組み合わせたような感じであったが、質感はリフレクター付きでグンと高まった。右側にはヘルメットロック(ホルダー)が加えられた。

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 スイングアームはW1S-Aと変更がないが、リアショックの上下のラバーブッシュが左右わけの2ピース挟み込み式から、一体化したものに変わった。ちなみに前回(第12回)のW1S-Aスイングアーム図と比較して頂ければ一目瞭然である。

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 1974年2月発売、「モーターサイクリスト」誌3月号の広告には「イヤーカラーチェンジ」を加えられた750-RSと650-RSが公開された。650-RSの価格は36万3000円から38万8000円と2万5000円アップ、750RSは3万5000円アップだった。

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 1974年5月号の「モーターサイクリスト」誌広告、画像はカタログ撮影時のものであるが、なんと価格の表記がなくなっていることに注目。この時期は1973年10月からの中東戦争による「第一次石油ショック」の影響でトイレットペーパーをはじめ物資が不足して、ガソリン価格がリッター50円代から一気に倍の100円に、土日のガススタンド営業停止によりツーリングもできない時代になっていたからだ。物流の停滞で全てが値上げを強いられた。ちなみにこの頃の650-RS価格は41万5000円に上昇している。

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 650RSの中期型ともいえる新パターンタンクのモデル。リアリフレクターがオレンジで、ステアリングダンパーノブが付いていることなどで見極めがつくのが特徴。これより後期型はリアリフレクターがレッドで、ステアリングダンパーノブがつかないこと、などであった。

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 ROADSTERとある1974年の中期型カタログ。750-RSも2代目になり、俗にいうタイガーカラーのタンクを持つ。既出の広告のライダー達が乗っているようだが、Zのライダーの服装がブルー系に変わって、ヘルメットも異なる。

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 カタログは750-RSのタテ見開きの次に、縦長のポスターが登場。ただし主役は750で650はフロントとエンジンの半分しか見えない。さらにZのライダーのヘルメットがホワイトに変わっていることに注目。

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 ポスターの次に見開きの650-RSカタログが展開される。コピーには「漂う男の体臭。伝統のロードスター。OHVバーチカルツイン 頑固なまでにオートバイの雰囲気を守る650-RS。堂々とオートバイの心を守り抜くゆるぎない伝統の名車。」とあるが、この頃から1980年代に向けて空前のバイクブームが到来、Wも若いユーザー達に引き継がれてゆくことになる。

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 カタログの最終ページにはRSが2台並んでのツーリング風景となる。実際にもカワサキライダー達の絆は強く、こうした光景は各地で観られたものだ。カワサキはSOHCツインの400-RSを追加したため、カタログは750-RS、650-RS、400-RSそれぞれ独立したものになり、650-RSは終焉を迎えることになる。しかし、今日でも650-RSは750-RS同様に人気を保っており、北海道から箱根そして九州まで......日本全国でWミーティングが開かれているのである。

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執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

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