三樹書房
トップページヘ
kawasakiw
第11回 ツインキャブW1S=スペシャル国内投入
2018.4. 2

 北米向けに開発されたW1及びW2シリーズであったが、現地アメリカでの評価は芳しいものではなかった。その要因は高速道路などで発生する、振動によるパーツの脱落などで、これは走行速度の低い日本でも同様であった。
 だがWの登場した1966年当時の日本では、重量車の多くが「憧れの輸入外国車達」であったところに、Wの登場で中古の外国車を購入していた人達が、たちまちWに乗り換える現象が生じた。外国車崇拝が「W崇拝」になった感があったのである。
 したがって目的とした北米市場では散々だったWも、日本国内では最大排気量の最速モデルであり、「まさに王者」と呼ばれ、ツーリングに出かければ、誰もが「いいですね~」と声をかけたものだった。
 このように、Wに乗っていれば、まさに「バイクマニア」と評価されたことで、輸出用に製作されたマシンではあったが、日本国内でのステイタスモデルにも成長したのであった。
 そのW1をさらに高性能にしたのが1968年3月発売のW1S=スペシャルで、エンジン出力もW1の47psに対しW1Sは国産二輪車最大の53psとなった。国産重量車としては他にDOHCツインのCB450も1965年に発売され、最高速度もW1と同じ180km/hだったが、出力43pのマシンを乗りこなすには高回転を強いられ、通常の乗り方ではW1の方が好評であった。
 そして1968年のW1S=スペシャルの投入があった。すでに海外向けにはW2となっていたが、日本向けはW1(ダブワン)の名前が定着していたことと、1=トップの意味あいもあってW2やW3でなく、W1のスペシャル=Sということになる。このスペシャルの名称は250A1や350A7にも展開されたが、メーターがヘッドランプボディ内から独立したスピード&タコの2個に分かれたことで"特別装備車"といった感じでもあった。

1_6612_KMJ_W1oza.jpg

 これは、1967年から投入されたW1のマイナーチェンジ車、250A1にあわせてシートを2トーンカラーにしたのが特徴。モールも輸出用に使用されていたクローム仕様になり目立った外観になったが、販売台数は極めて少ない。

2wIMGP0520ozのコピーa.jpg

 これはオーストラリアで当時撮影されたもの。W1の日本仕様にタックロールシート、ショートマフラーなど装備されている。こうした写真がヒントになってWのシートなどが開発されたのかもしれない。オーストラリアでは英国車が多いためか、女性が簡単に乗りこなしていたという。

 3_W1S_FIRSToza.jpg

 これはW1Sの初期出荷車である。威風堂々の大きな前後フェンダーはW1後期型のもの。2キャブエンジンをはじめ、メーターやマフラーが異なっているが、一見しただけではW1と変わらないが、フロントのフラッシャーランプ位置がヘッドライト側に移っているのに注目してほしい。

4_KAWA06a.jpg

 これは二輪誌向けの雑誌広告。W1スペシャルという名称が強調され、当時のユーザー達は、愛車を呼ぶ際にはWの存在は当然として省略し、単に「スペシャル」と呼んでいた。今日では車名の「W1S」そのままに呼ぶ人が多い。

5_6803_KMJ_SSa.jpg

 このように雑誌広告では「カワサキのスーパースポーツ」としても展開された。W1と共に250A1、350A7、250A1SS、120C2SSなどのスーパースポーツシリーズが並べられた。120C2SSはモトクロスなどでも活躍した関係で、カワサキのテストライダー山本信行は果敢にもW1をモトクロッサーにしてレースに参戦したことがあった。

6_IMGP1928a.jpg

 これはスペシャルのエンブレム。250A1スペシャルなどはビニールステッカーなのに対してW1は豪華なアルマイト仕上げで型押しをしている凝った仕様。Wファン達からは「向かい獅子」仕様とも呼ばれている。

7_W1S_sidecvra.jpg

 日本国内専用パーツリストによるエンブレムの使用数は1台あたり1枚で左側サイドカバーに貼られる。反対側のオイルタンク側にはエンジン側からの高温のオイルが溜められているため、あえて貼られていない。輸出仕様はSSステッカーが左右に貼られて出荷された。

8_6803_KMJ_W1Sa.jpg

 総合カタログ中の車名は「650-W1のスペシャル」という表現になっていたのがわかる。あくまでもW1の特別仕様車という印象があった。この時期のカワサキでは、新型4サイクル4気筒モデルの開発も進んでおり、おそらくは、これで終了して次世代モデルへバトンタッチとなるのでは、と感じられた。

8_IMGP1959a.jpg

 W1Sのツインキャブエンジンは、W2SSそのままで市販されたので出力なども変わりない。推測だが、輸出仕様のエンジンを搭載したので「スペシャル」だったのかもしれない。シリンダーヘッドはインテークポートが左右に分かれた新設計で、タンク下は隙間のないように見える。

9_CARB 1a.jpg

 キャブレターはW1のVM31をボアダウンしたVM28を装着。左右2本ボルト締めのフランジタイプでキャブボディにOリング、シリンダーヘッドとのにベークライト製断熱ピースとパッキンが加わる、戦前からのオーソドックスな設計がされていた。

10_IMGP1936a.jpg

 高性能化に伴い、W1にはなかったエキゾーストパイプクランプ(左右をつなぐステー)でエキゾーストパイプの抜け落ちるのを防止できるようになる。この処置は初期のW1、W1SS、W2SSにはなく、ロングマフラーになって排気脈動的に抵抗が多くなっての処置であった。

11_SmeterJPN1_ssa.jpg

 これは販売店向けカタログの一部。上からエンジンにツインキャブ採用。そして初期型W1S、つまりタンク後部に垣間みられる2トーンシート装着車にとっての豪華装備が、初期型W2TT用に設計された左右別体スピード&タコメーターであることを示している。これは左右別体のステーにラバーマウントされたもので、当時としては豪華なパーツ構成されていた。また英国車風マフラー(当時はキャブトンマフラーとは呼ばなかった)にも特徴があった。

12_W1S_meter1sta.jpg

 メーターのパーツリストから。生産台数が少ないこともあってか、初期のW1SやW2TTに装備されたメーターのマウントはアルミステーで極めて凝った設計であった。このメーター装着時のフォークトップブリッジ部品も専用である。

13_IMGP2191a.jpg

 W2TTのメーターまわりが初期W1Sと共通であることは、当時は全く知られていなかった。というのも、それまでのW1ともメーターが全く異なると、後期W1Sが発売されて気がつかされることになったからである。国産、外国車と比べても優れてはいても、見劣りするものではなかった。

14_IMGP1975a.jpg

 これは1969年4月以降の新型W1Sのメーターまわり。いわゆるスペシャルシリーズのA1SSなども同じ構成で、カワサキ500SSマッハIIIに合わせた振動対策品が開発され、共通構造としたもの。

15_IMGP1916oz2のコピーa.jpg

 新型W1Sのブルーカラー車はWファンの間でも人気のあったモデルといえた。外装が輸出仕様のSSシリーズ譲りで、東京モーターショーの展示車も同色でWファンの脳裏に焼き付いていた色だったのであろう。短くなった前後フェンダー類が実に新鮮な印象を与えた。

15_W1S_lastMter1a.jpg

 外観がスッキリ、構造が簡易になった新型メーターのパーツ構成。旧メーターは外全周ラバーマウントだったが、新型ではメーター下部装着ボルト部とメーターにラバーダンパーを配して振動吸収する方式。この手法が以降の1970年代カワサキ車の標準方式になった。

16_IMGP2093a.jpg

 大きく変わったのがフラッシャーランプである、カワサキ車共通の砲弾型デザインを採用した後期型W1S。ヘッドランプは1960年代の標準160mm径に、大型フラッシャーはとってつけたような大口径で、米国のCHP(カリフォルニア・ハイウエイ・パトロール)規格品。マッハ500、H1用に開発され、小排気量90SS始めオフロード車350TRまでの多くのマシンに装着された。

17_W1ShedLmp1a.jpg

 パーツリストを見ると新しい灯火類は重量車らしからぬ設計という印象を持たざるを得ない。ヘッドランプ球がK2までの3穴式P150-30口金からP150D25-1口金式に変更されている。米国向けはシールドビームであったが、国内向けはソケット式で、このランプ球は後に排気量50~125ccで使用されたサイズで、光量不足は明確だった。

18_6804W1special-01a.jpg

 これはW1Sのカタログ第二弾。第一弾は2トーンシート車で表紙にBMW、ノートン、BSA、トライアンフ、ハーレーなどのタンクマークを配し、「W1スペシャルの出現によって外車を買う必要がなくなった!」「最大にして最高=W1スペシャルはマニアが選ぶ最後の車です!」と欧米車との性能比較表を入れた大胆なものであった。これは逆に品格に溢れる写真を用い、余裕すら感じられた。

19_6804W1special-020a.jpg

 見開きの中央部分、新型W1スペシャルの姿を、堂々と表現しているのが特徴だった。当時のカワサキ特約店でも新車のWを展示する余裕はなく、入庫車はあっという間に売れてしまう時代であった。

20_6804W1special-04a.jpg

 カワサキ特約店での購入を促していたカタログ裏表紙。通常はこの部分に販売店の印が押されることが多かった。カワサキのスーパースポーツ車は90から650まで、どれもがクラストップレベルの性能を誇っていた。

21_W1_1a.jpg

 このように、販売店向けカタログの一部分には「大排気量の余裕とかんろくをたっぷり味わえます!」とあり、これを顧客に説明して購入してもらうことが多かったという。

22_IMGP1929a.jpg

 新型W1Sへの憧れを象徴する装備が、このレーシングスタイルのシートである。後部のフォルムがロードレーサーのカウル状をしており、これが、その後の350SSテールカウル付きに発展することになる。また90SSや500SSのシート後部もレーシングスタイルをほうふつとさせるデザインであった。

23_IMGP1988a.jpg

 ハンドルバーは威風堂々のアップハンドルで全幅865mmあり、他の重量車よりも100mmほど広かった。ちなみに500K2は900mm。なお、高速道路網の普及でハンドル幅を1文字の720mmほどにできるように、純正が一応は設定されていた。

24_IMGP1950a.jpg

 W1からW1Sの初期、後期型のハンドルバーのスイッチ部分が、外観が同じようでも、中身の構造が大きく換えられていることにも注目。振動対策のためと思われ、スイッチ系はこの後もモデルチェンジ毎に変更されてゆくことになる。

25_W1S_H-BAR1a.jpg

 パーツリスト比較、上が旧型でスイッチ組み込みの部品が細かく分かれており、下の新型ではスイッチ部分がアッセンブルされて組み込んであることが大きな違いである。当時はハンドルバーを交換することは少なかったが、メンテナンス時に扱いやすくする方法がとられてゆく過程の一端であった。

26_IMGP2041a.jpg

 W1Sまでは「マニアのW」であった。ミッションを右側で操作する、いわゆるダイレクトチェンジであったからである。これは次回に出てくるW1S-Aで左チェンジになるが、あえて右チェンジに戻すライダーも少なくなく、同時にタンクもメッキタイプに換装して「W1S」への憧れを実現した例も少なくなかった。

27_Wカタログb_650 W1スペシャル_W1S_1a.jpg

 販売店向けの全車種カタログが当時は流行して、各社が製作したものだった。カワサキもパインダー式の正方形のものを製作して、主要特約店に配布した。1台につき1枚で、表に左右画像、背面にスペックやメーター画像などを載せていた。カタログの置いていない販売店では、来店した客に、総合カタログを観せて商談することが当たり前の時代であった。

28_6904W1s-01a.jpg

 W1Sのカタログ表紙に、日本全国に派生したW1クラブのイベントを想わせる写真が使用された。このカタログは、その際たるものといえる。「W1ミーティング」の情景そのもので、見た人はW1思わずを欲しくなってしまうような表紙になっていた。

29_6904W1s-03oza.jpg

 このような横見開きのカタログの出始めがこれである。左右に大きく広がることで商品性をアピールするもので、クルマのカタログ同様に印刷所が大手に限られる様式であった。以降ほとんどの二輪車のカタログがこの体裁になってゆく。キャッチフレーズに「高速GT」とあり、トヨタ、プリンス、いすゞ、ダイハツなどからGTの名を持つマシンが登場、GT時代の真っ只中にあった。

30_6904W1s-04a.jpg

 カタログの裏表紙。集まったW1は、本当のオーナーたちが集結したことがわかるようなシーンである。特にバンパー付きのWは当時のステイタスであった。こうした乗り方で隊列を組んで走るクラブが日本全国にたくさんできたのもWの時代の特徴であったといえよう。今日からちょうど50年昔のことである。

31_KMC68_SS_1a.jpg

 カワサキのスーパースポーツ時代は1966年から1970年代始めまでのことだった。この時代のカワサキは新型車投入が成功、さらにはマッハやZシリーズに継承されてゆくが、その始まりがWであったのは誰もが認めるところであろう。

32_69W1SP_oza.jpg

 メグロから継続されてきた白バイもW1SPが1969年度に製作されている。前後フェンダーは深めのW1のもので、W1P後期からこのスタイルで製作された。この時代ホンダのCP77左チェンジ車も導入され、乗り手を選ぶ白バイになったのは確かなようだった。

33_KMJ_W1S_1a.jpg

 圧巻はカワサキ重量車!のキャッチコピーで展開された雑誌広告。4サイクルのW、2サイクルのマッハ、とこの時代のカワサキは躍進の一途にあり、二輪車の黄金期はまだまだ続き、Wもマッハもさらなる進化を続けるわけである。

このページのトップヘ
BACK NUMBER
執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

関連書籍
カタログでたどる 日本の小型商用車
カワサキ マッハ 技術者が語る―2サイクル3気筒車の開発史
トップページヘ