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第10回 本格的対米輸出モデルW2シリーズ誕生
2018.3. 5

 カワサキというブランドの二輪車が北米市場に輸出された1960年代前半時、米国で拡販に努めていた種子島経は、125B8を持ち込んだものの、当時のこのクラスの人気車はスペイン製のブルタコやモンテッサなどのオフロード車であった。B8では重量があるため新型の85J1をオフロード車にした85J1TRと、B8のパワー不足をなくした175F1TRで対抗した。
 二輪専門誌で信頼の高かった「サイクルワールド」誌が1966年1月号で85J1TR、3月号で175F1TRを扱った。「W1の評価はどうか?」と、当時種子島が尋ねた英国車の販売店で「あれは古い英国車のフルコピーだ。あんな車を発売するのは商業道徳に反する。問題続出、と聞いているが、君達の販売店にはそれを直す技術なんてないから、不幸なお客群を生み出し、それはバイク一般への不信感に繋がる。大型車として我々の市場を混乱させる。あんな車、すぐ引き揚げてくれ!」と言われた。そして3月のアメリカにおけるバイクの祭典である、デイトナショーでの発表に立ち会ったが、やはり非常に不評で、「やはり目黒の500ccをボアアップしただけ、という安易なやり方では駄目だな」と反省したという。
 それでも「サイクルワールド」誌は、1966年8月号で650W1を掲載、0-400m加速15.6秒、最高速度はなんと7000回転も回して161.92km/hだった。
 トライアンフの1キャブ車TR6が45psで0-400m加速15.8秒、最高速度は6500rpmで164.8km/hだった。トライアンフのツインキャブ車T120Rは52psで0-400m加速14.2秒、最高速度は7000rpmで174.4km/hだった。また750ccOHVツインながらW1の1195ドルより71ドル安いノートンアトラスは60psで0-400m加速14.5秒、最高速度は6500rpmで190km/hだった。
 そうした折にカワサキの社員が、W1で新婚旅行のツーリングに出たところ、振動が凄く、オイル漏れなどして不満が続出したという。このためW系モデルはアメリカでは売ることに躊躇することになる。
 当時の米国のカワサキ現地法人の担当者達に話を聞いてみると、Wについては。いずれも芳しくない話が出てくる。それでも救いがあった。新型車のカワサキ250A1のプロトタイプが米国で極秘テストされていたものの、その性能が凄まじく高いという評判が拡がっていたのだ。カワサキではA1を売る条件として、他のカワサキ車も販売することを条件にしたから、販売店ではフルラインナップを扱わざるを得なかった。

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 「すべてわかっている人達のためにカワサキはバイクを造ります。」とアピールした1967年の広告。0-400m加速15.4秒とWを上回った人気車サムライ250A1SS=ストリートスクランブラー、0-400m加速14.5秒とトライアンフT120Rに迫った速いアベンジャー(復讐者)350A7が並び、W1のツインキャブ車W2SSも勢ぞろいしていた。

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 650SSについては、「サイクルワールド」誌1967年10月号に掲載された。彼等は「Super Saki」とカワサキを表したマシンの意味だとした。ツインキャブ化して53psとして0-400m加速14.5秒。8000rpmで179km/hとした。ペラのカタログには「Short Street Scrambler Muffler」と表現してあるからSS=ストリートスクランブラーという意味合いが強かった。まだ部品もなく、マフラーを外して荒地を走るライダー達がいたことも確かだった。また、フロント19、リア18インチのタイヤサイズになったが、これは英国車に習ったものだった。

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 カタログがペラ1枚ではチープすぎるため、折り畳み式のデラックス版がつくられた。しかも名称は「COMMANDER」コマンダー=司令官、指揮官で、カワサキの最高峰モデルであることを表していた。ノートンがコマンドという車名を用いるのが1967年からであり、彼らにヒントを与えたのであろう。W1は当時の単車部門の責任者に高橋鐵郎、技術部長に山田熙明(えんめい)、エンジンの稲村暁一、販売促進に岩崎茂樹らが担当していた。

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 SSシリーズには1966年4月発売の1キャブW1、10月発売の2キャブW2が存在した。0-400m加速のカタログデータ13.7秒は、国内仕様よりは短く、抵抗の少ないマフラーによって速かったであろうことは想像できる。さすがに川崎のテストコースでは最高速度170km/hがやっとで、0-400m加速と最高速度は谷田部に持ち込んで実施した。

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エキゾーストのマフラー=サイレンサー部分比較。上がW1及びW2SSの初期型北米仕様、下が国内向けのW1Sが出荷されて以降のバッフル付きロングマフラーである。走行中にエキゾーストパイプが抜け落ちないよう、W1E43569号機から左右を結ぶステー(メーカー呼称ブラケット)が加えられたことがわかる。

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輸出仕様のSSモデルのカタログとは異なる画像。ハンドルの角度、下のW2SSなどはタンクの写り込みが修正されていたりする。アメリカでは、この頃のモデルがB級映画の演出用などに貸し出されたのか、暴走族などが外装をいじったWに乗るシーンを観ることが多かった。

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朝永敬助ひきいるデザインルームの面々がWも手がけた。今やマニア垂涎のSSマークは、K2なども手がけてきた三秋郁夫が担当、市松模様を配した印象深いものである。ただ右側のオイルタンク部はエンジンの発熱をオイルが受けて潤滑されるため、結構熱くなる部分であった。

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北米用にダブルシートはタックロールの後部がダートトラッカーのレーシングカウルを意図としたスタイルに変わった。いわゆるカワサキの1970年代に実現化する「テールカウル」の考え方がこの時点で確立されつつあったことが窺える。

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 タンクやサイドカバーなどのカラーリングはそれまでの「メタリック」よりも輝く粒子の大きさを増したキャンディトーンが塗られた。SS系の「メッキショック」は当時のチョッパーも同様だったし、キャンディトーンもカスタムチョッパーからのものだった。タンクデザインは多田憲正が担当した。

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 ヘッドランプとメーターケースは一体化したもので、当時の日本製スポーツ車の標準的な仕上げであったが、1968年以降の日本車では一斉にメーター別体になってゆく。ロードスポーツ車ではW1S、CB350エクスポートなどが先駆車であった。

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 W1では輸出も国内も同じテールランプであったが、輸出用のW1SS、W2SSではテールランプが各種トライされた。上はC2SSや500SSマッハIIIにも装着される左右リフレクター付きのCHP(California Highway Patrol)規格適合品である。下の写真はW2SS専用にCHP規制のない州向けに、試験的に装備された円筒テールで125B1輸出用や国内向け90SSなどに流用されてゆく。

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 CHP規制用テールランプは、国内向けよりも小振りである。リフレクター=反射鏡がまだ小さい頃のもので、1970年代に反射鏡は大型化されると、後部のみの反射鏡が左右2個になり、このまま大型化したようなテールになって1971年のW1SAやマッハ350SSなどに装着されるようになる。

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 1967年10月の東京モーターショーに展示されたW2SSはブルーカラーの丸型テールであった。これはレッドカラーのW2SSだが、色彩以外は展示車と同じでツインキャブ、ショートマフラーということで話題沸騰した。米国での人気は今ひとつのW2だったが、日本では依然「最大排気量車」ということで高い人気を誇っていた。

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 輸出仕様125B1に装着されていた丸型テールランプ。カワサキメグロK2に始まりカワサキペットM50などに装着された丸型テールの集大成といえるもので、国内向けで人気の、中間排気量モデル90SSでおなじみになった。

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 海外のショーに展示されたW1スクランブラー&TTマシン、立つのは豪州販売を担当した岸田正昭。豪州では英国車よりも故障の少ないW系の人気が高く、W1SAの時代まで販売された。隣のブースはドイツ車DKWと思われる。マシンの下はNEHIという飲料のボックスで1959 年までの製品、W1製品時には米ロイヤルクラウンソーダの名なので、おそらくはマシンごと、愛用者からの借り物であろう。

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 なかなかヒットに結びつかないW1ながら英国車よりは信頼性があったのだろう、ストリートスクランブラーとしてW2TTがラインナップに加わった。エキゾーストはホンダCL300同様にBSAタイプの左2本アップマフラーながら、リアエンドに膨張室を持たせて中速トルクを稼ぐ構造を採用していた。おそらくは「Wでツーリングに出る人はないだろうから、オフロードで楽しめるように」といった目的で設計されたと思われる。

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 カタログ裏面には真横のフォルムが展開されている。バックが他のW2系と同じであることから、撮影場所は同じであろう。SS=ロードスポーツ用もTT=ストリートスクランブラー用も、カタログ上の装着タイヤはブロックパターンのダンロップK70(通常はリア用)が装着されていた。

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 上はW2TTのブラック仕様のレストア車で、フロントにトライアンフなども装備のダンロップ製トライアルユニーバーサル、リアにはブリヂストン製のトレールウイングが装備されているため、タイヤのブロックパターンが野性味を醸し出している。下のTTにはダンロップユニバーサルK70が装備されている。SSのダウンマフラーよりTTのが短くなったフェンダー類にマッチしている感じである。

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 カタログのメーター説明部分。フロントフォークのアッパーブラケット部を専用部品とし、片側のメーターを容易に外せるようにしたもの。ブラケット部とメーター間に円筒状のゴムダンパーをつけて振動を減らすようにしていた。このTT仕様メーターは凝ったものであったが、振動共振が多く出たために67年モデルのみの採用に終わって、国内向けW1S初期型にも流用された。

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 エキゾーストのパーツリスト図。カワサキとしては凝った構造を採用していたが、いかんせん排気音が大きすぎて、すぐにモデルチェンジされた。当時の主要カワサキ販売店では、顧客の要望によってTT仕様エキゾーストセットを特別販売したが、初期型は極めて少数だった。

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 写真のようにシンプルな構成のエキゾーストで、ホンダのCLシリース人気が高かったために国内にも売ってくれという要望があったが、国内最大排気量車の威厳を保つために、そうした意見は聞き入れられなかったと聞く。もっとも市販していたら、騒音違反で、白バイのW1Pに捕まったであろうから、結果的に良かったといえよう。

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 後部からエキゾーストパイプの曲げ具合を観ると、ライディングポジションを邪魔しないように配置されているのがよく分かる。カワサキは2サイクル車の左出し2本アップマフラーを250A1SS、350A7SSで実施したが、その先鞭となったのがW2TTだった。

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 このW2TTには、カワサキのモトクロッサーF21Mなどに装備された細いブリッジバーが装備されている。もちろん標準装備品ではないが、1967年のノートンP11Aスクランブラー等に標準であったから、アメリカ帰りのW2TTに装備されていても不思議ではない。

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 1968年最終モデルのW2シリーズのカタログである。この年式からカワサキ車はコスト低減のための共通ボディのメーター類、メッキを廃した塗りタンクにデカール貼りなどを採用してゆく。

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 アメリカ向けモデル一辺倒になった感のあるカワサキでは、マシンの核となる燃料タンクのデザインのCG=カラーグラフィックに、遂に米国人デザイナーを起用することになる。またカタログも当時のアメリカの広告で流行していたイラストタッチのデザインを採用しているのが特徴だった。

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 横見開き4ページのカタログ背面、W1系が消えてW2のみになる。日本向けにW1S、W1S-Aから、いきなりW3になってカワサキファンを驚かせたものだが、輸出仕様がW2だった、というわけである。今日でこそ、こうした情報が得られるが、W3当時はまだパソコンもなく、ファックスがようやく出現し、携帯電話の前身とも言えるポケットベルが普及するのは1980年代のことだったから、海外の事情は入手しにくかった。

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 1968年W2SSのフォルム、250や350は国内、輸出仕様ともタンク全体をペイントしたものにしたデザインでニーグリップゴムを廃止したが、輸出用Wについても同様にニーグリップゴムを廃止したが、塗りタンクにはオフロード車同様にステッカーを貼ったデザインにして、この手法がカワサキ全車に採用されてゆく。しかし国内向けは「最大排気量車」ということでメッキタンクが継続される。

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 1968年の東京モーターショーに展示されたW2TT。しかしショーではホンダのCB750FOURプロトタイプが展示され、二輪車会場の人気を独占していたため、注目したのはW1マニアぐらいであった。しかし、この新型を観たマニア達の中にはマフラーなどを特注する人達も多く、CB対策もあってか、特約店で扱ってゆくようになる。

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 サイドカバーはタンク部に合わせたシルバーになった。エンブレムなどは変更がなかったが、カバーの色彩でも印象がガラッと変わることを知らしめたモデルといえる。

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 パーツリストによる部品構成の主要部品の共通性はほとんどなく、エキゾーストパイプはサイレンサーの大型化によりショートタイプになっている。もっともエキゾーストクランプなどは共通だがエキゾーストカバーなども新設計になっている。

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 大型化されたサイレンサー部分。これで公道を走ってもらおうというわけである。W2TTシリーズは2年あまりで639台しか生産されなかったレアな存在で、欧州のマニア達が渡米して各地にあった残存モデルを購入したという情報が多くある。

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 後期型W2TTのエキゾースト。ライダーには良いが、タンデムすると左足はマフラー、右足はオイルタンクで火傷しかねなく、販売的に難しくなったモデルともいえよう。北米市場には1969年春まで販売された。

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 特徴的なW2後期型のタンクは、当時カワサキのコンサルタントデザイナーだったモーリーグラフィックが1970年モデルまで担当した。その後はハーレーのレインボーラインや、ヤマハの米国法人インターナショナルのストロボラインを担当、さらに米国トヨタのグラフィックにも関与した。

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執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

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