1921 FIAT Tipo 501
「フィアット社」は1899年7月設立された。この設立に際しては、多くのメーカーが自動車好きの創立者がひたすら自動車を造り続けるための組織だったのと違って、貴族を含む地元の有力者が将来を見越して、地元の発展を図るだけでなく、フランス、ドイツからの攻勢に対抗する「イタリア」のメーカーと成り得る「量産」可能な工場を目指したものだった。音頭を取ったのはジョバンニ・アニエッリ(1866-1946)で、これに賛同したのがエマヌエレ・カチェラーノ・ディ・ブリチェラジオ(1869-1904)、ロベルト・ビスカレッティ・ディ・ルッファ((1845-1940)を初めとする地元名士8名だった。社名は「ファッブリーカ・イタリアーナ・アウトモビーリ・トリノ(Fabbrica Italiana Automobile Torino)」(トリノのイタリア自動車製造所) で、車名はその頭文字から「FIAT」 と名付けられた。母体となったのは当時トリノにあった「ジョバンニ・チェイラーノ」のモーターサイクル工場で、そこに居た技師「アリスティーデ・ファッチオリ」(1862-1919)が、初代主任設計者に迎えられた。
・「フィアット」は歴史が長く、小型から大型、レーシングカーまで車種が多い。しかも車名が初期は「馬力」に「ローマ字」や「番号+シリーズ」などが入交じり、1919年以降も.「501」(1460cc)から始まり「505」(2296cc),「510」(3446cc),「801」(2973cc)など排気量とも関係ないネーミングで系統付けるのが難しい。
(写真99-1ab) 1899 FIAT 31/2hp Visavis (2007-06 英国国立自動車博物館/ビューリー)
「フィアット」が設立された年に最初に発売された第1号がこの車で、時期的に見ても「ファッチオリ」が3か月前に既に完成させていた車をベースに造られたものだろう。この向かい合うシートのスタイルは「ヴィザヴィ」と呼ばれ、創成期から1900年前後までは一つの標準型だった。エンジンは水冷 水平対向2気筒 679cc 4,2hp/800rpmと小型車でスタートした。
(写真04-1abc)1904 FIAT 75hp 10.5Litre Grand Prix (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)7
小型車からスタートした「フィアット」だが、つぎつぎと排気量の大きい車を誕生させて行った。創立者の「アニエッリ」は、自身もレース経験を持っていたが、ビジネスとしてレースで優勝することの宣伝効果を十分に認識していたから積極的にレースに参加し、最初は1901年のイタリア周回1642km「ジーロ・ディタリア」だった。参加した「12hp」は3770cc だった。1903年からは国際レースに「24hp」(6371cc)で参戦、1904年には写真の「75hp」が「コッパ・フローリオ」で初優勝を果たした。
(写真11-1a~d)1911 FIAT S74 140hp 14Litrte Grand Prix (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
大排気量時代の代表的なレーシングカーは大排気量化にエスカレートし、「S61」は遂に10,087ccとなり、1911年ル・マンで開かれたグランプリ・ド・フランスで優勝したが、2位に入ったのは僅か1300ccの「ブガッティ」だったから、レーシングカーの今後のあり方に大きな問題提起がなされた瞬間だった。(「フィアト」で最大の排気量は1911年「S76」の速度記録車で28,353cc 300hpというモンスターだった)
(写真13-1ab) 1913 FIAT Tipo Zero Torpedo (2007-06 英国国立自動車博物館/ビューリー)
1900年代初期には大型高級車を造っていた「フィアット」だったが、1910年になると設立当初の目標だった「大衆車」の分野への進出を実現した。当時のラインアップは以下の通り。1910-12「Tipo 1/12-15hp」(1,846cc)、1910-11「Tipo 2/15-20hp」(2,612cc)、1910-12「Tipo 3/20-30hp」(3,967cc)、1910-18「Tipo 4/30-45hp」(5,699cc)、19910-16「Tipo 5/50-60hp」(9,017cc)、と幅広く品揃えされていた。1912年末ここに登場したのが写真の「Tipo 0」(ゼーロ)で、1846ccの排気量は5000cc超が当たり前の当時では小型車の扱いだ。この車の大きな特徴はその価格の安さで、その秘密はボディをカロセリアに外注する当時の習慣を破って、オープン4シーターのみに絞って自社工場で大量生産したところにあった。低価格で提供することで「イタリア」に大衆車が普及するきっかけになった車で、アメリカの「フォード」との共通点も多い。
(写真18-1a) 1918 FIAT Tipo 2B Torpedo (2003-02 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
この車は1912年から18年にかけて造られた車で、「ティーポ・ゼーロ」より大型の「ティ-ポ2」の後継車とみられる。エンジンは2,813ccと約200㏄ほど大きくなっている。ラジエターの角が丸くなり初期のブガッティにも似ている。
(写真21-1ab) 1921 FIAT Tipo 501 (1973-11 第20回東京モーターショーくるまのあゆみ展/晴海)
「フィアット」初の大衆車「ティーポ・ゼーロ」(1846cc)は1912年から15年まで造られた。その後継車は排気量から2001ccの「70」で、1915年から1920年まで造られた。その間に1919年登場したのが「501」でこのあと戦前を通して幾多の傑作車を生みだした「500シリーズ」はここから始まった。「501」の排気量は1,460ccで過去最少だが出力は23hpあり、排気量で386ccも大きい「ティーポ・ゼーロ」の19hpを上廻っていた。1919年という年は第1次世界大戦が終わった翌年に当たるが、戦時中の軍需で航空機を初めとするエンジンの高性能化の開発が進んだ結果だろう。
(写真25-1abc) 1927 Fiat 509 Torpedo (1969-11 第11回東京オートショー会場前/晴海)
「509」は1925年から29年まで造られた。このシリーズは番号順に登場しないし、車名と排気量の関連も無関係だ。だから登場する度いちいち「排気量」を表示しなければならない。「509」の排気量は990ccと見た目より意外なほど少ない。よく見れば小型の「5ナンバー」だ。この車は岡山から東京モーターショーに駆け付けたようで、当時まだクラシックカーなど古い車を見る機会が少なかったから注目の的だった。
(写真25-2ab) 1925 FIAT 509SM Spinto Monza (2002-01 レトロモビル/パリ)
前の車のスポーツバージョンがこの車で、詳細は判らないが名前から推定すると「モンッア」で活躍した車だろう。1927年から始まった「ミッレ・ミリア」には早速10台も参加、翌年も13台 と大挙して参加しているから当時もっとも手軽なスポーツカーだったと思われる。
(写真26-1ab)1926-27 FIAT 503 Pick-up Truck (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
この車は珍しいピックアップ・トラック」だが、残念ながら僕が持っている資料には、乗用車やレーシングカーしか載っていないので「商業車」のこの車の詳細は、排気量が1460ccであることしか判らない。場所はブレシアの車検場「ビットリア広場」近くに停車していたが参加車ではない。
(写真29-1a)1929 FIAT 514 (1999-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)
「503」に続いて「514」もほぼ同じ排気量の1438ccだ。車名と排気量は関連がありそうに見えるが偶然の一致で関係は無い。この車は極平凡な実用車だったが、やや馬力不足だったようだ。
(写真31-1abc)1931 FIAT 514 MM (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
この車は「514」のスポーツバージョンで、普通は短く詰めるホイールベースが2555mmから2779mmに延ばされている。馬力は28hpから37hpに増加し、重量は 1320kgから 1085kgに減少しているから、馬力荷重は47.1から29.3まで好転している。「バリッラ」が出現するまではミッレ。ミリアの多数参加していた。
(写真508-0ab)1932 FIAT 508 Balilla Berlina(3速モデル) (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
いよいよ戦前の傑作「バリッラ」シリーズが登場する。「508」のモデルを登場順に列記すると①1932-34「508 Balilla 3速」②1932-37「508 M」(ミリタリー・モデル)、③1933-37「508 S Balilla Spotr」、④ 1934-37「508 Balilla 4速」、と、基本的には4種類だが、スポーツモデルには各地のレースで活躍したそれぞれの名前の付いたバリエーションが多く存在する。僕らは華々しく活躍したスポーツ・モデルばかりが印象に残っているが、「508」という車は平凡な大衆車で、最も標準的なタイプは写真のような2ドア4座ベルリーナだった。日本では見かけないが当時もっとも多く走っていたのはこのタイプだろう。因みに「バリッラ」とはファシスト政権下で組織された少年団の名前で、語源は1746年反オーストリア軍の民衆蜂起の口火を切ったジェノバの少年に付けられた呼び名からきている。「勇敢な若者」という意味で、きびきびと走り回る小型車に相応しい名前だ。
(写真508-1ab)1934-37 FIAT 508 Balilla Berlina Lusso (2004-08 コンコルソ・イタリアーナ・カリフォルニア)
こちらは後期型の4速モデルで、世界的に流行した「フォード」のようなハート型のグリルに変わり、トランクもビルトイン式でずっと近代化した印象だ。
(写真508-2ab) 1934-37 FIAT 508 Balilla Cabriolet (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
この車も前の車と同じ後期型の4速モデルで、ランドウジョイントが付いているが、スチールの屋根にレザーを張った見せかけのカブリオレの様だ。場所はミッレ・ミリアの車検場に近いドーモ広場で、車の前に見える石積みの建物は12世紀に建造された古い「ベッキオ・ドオーモ」だ。
(写真508-3ab)1934 FIAT 508S MM (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
「MM」の名前がついているだけあって「508 S」はミッレ・ミリアには多数参加している。 1933年参加98台中26台(最高30位)、1934年63台中17台(最高14位),1935年106台中40台(最高7位)、1936年85台中28台(最高12位)、1937年150台中29台(最高18位)の実績を残している。順位は何れも3リッター・クラスを含む総合順位で、1934年の3位以外はクラス優勝している。(もっとも701~1100ccクラスの参加車は殆どがフィアットだった)
・写真①は急カーブの山道を登り切って「フータ峠」に向かう。②はサン・マリの急坂を駆け上るとカフェ前のヘアピンカーブが待っている。
(写真508-4ab)1934 FIAT 508 Balilla Sports Spyder (1999-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)
標準タイプの「508 S」でこの写真は8月のカリフォルニアで開催される「コンコルソ・イタリアーナ」に参加した車だ。このイベントはアメリカ中のイタリア車が全部集合したかと思われるほど集まり、アトラクションの舞台ではカンツオーネが歌われ、場内アナウンスがイタリア語だったりと雰囲気満点だ。
(写真508-5abc)1934 FIAT 508S Cop d'Oro (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
珍しい幌を上げたスパイダーで、この車は「コッパ・ド・オーロ」と名前が付いているが、外見からどこが違うのかわからない。場所はミッレ・ミリアの車検場「ビットリア広場」だ。
(写真508-6ab)1935 FIAT 508S Balilla Sport (1989-11 モンテ・ミリア/神戸ポートアイランド市民広場)
1985年から4年間、神戸で「モンテ・ミリア」という素晴らしいイベントが開催された。イタリア車を中心に関西在住のクラシックカーが集まる大会で、会場のポートアイランド市民広場は一面イタリアン・レッドで埋め尽くされる盛況だった。東京のイベントでは見られない車を求めて僕も新幹線で駆け付け貴重な写真を撮ることが出来た。この車はその時撮影したもので極めて良いコンディションに保たれている。
(写真508-7ab)1935 FIAT 508S Coppa d'Oro (2014-04 ジャパン・クラシック・オートモービル/日本橋)
この車は東京に在住する「バリッラ」の中でも最も状態の良い車の1台だ。撮影場所は日本銀行本店の旧館前で、毎年4月開催される「ジャパン・クラシック・オートモービル」に参加した際撮影したもの。
(写真508-8ab)1935 FIAT 508S MM Berlinetta (2001-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
「508 S」のバリエーションの一つがこの魅力的な「ベルリネッタ」だ。「ベルリーナ」より小さい「ベルリネッタ」は小型セダンを表すタイプの呼び名だ。小型ながらよく纏まったプレーンバックのボディは、どこか著名のデザイナーの作品かと思いきや、フィアット自製のカタログモデルである。これから車検を受けるためビットリア広場に並んでいるところだ。
(写真508-9ab)1935 FIAT 508CS MM Berlinetta (2000-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
こちらも「508 S」のベルリネッタで真横から見ても、小型車と思えない程見事なバランスだ。場所は車検場「ビットリア広場」の隣にある「ドーモ広場」に続く細い道路で、車検を終えた車が夕方のスタートまでの時間を過ごす為それぞれが場所を求めて散っていく。
(写真508-10ab)1936 FIAT-Siata 508 Balilla Sport MM (009-03 東京コンクール・デレガンス2009/六本木ヒルズ)
1926年創業の「シアタ」は、「フィアット」のチューナーとして知られるが、それ以上に開発部門と密接な関係があり、実行部隊として先行開発にも関わっていた。写真の車は性能のデータを持っていないのでどの程度チューンされているのかは不明だが、外見は殆どオリジナルと変わっていない。場所は六本木ヒルズの52階で開かれた「東京コンクール・デルガンス2009」の会場だったか、この催しはこの回限りだった。
(写真508-11ab)1938 FIAT 508CS MM (1997-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
この車の年式は1938年だが、オリジナル・ボディに較べると著しくモダンで、恐らく戦後の1948年頃のデザインではないかと思われる。
(写真508-12abc)1939 FIAT 508C Ala D'oro (2008-10 ラフェスタ・ミッレ・ミリア/神宮)
この車もオリジナルとはかけ離れたモダンなンボディを纏っている。1939年にはまだフラッシュサイドのボディは実用化されては居なかったから、載せ替えたのは1950年ころだろうか。独創的で印象に残るデザインだ。フィアットベースの小メーカ「スタンゲリーニ」によく似ている個体があるがどちらが真似たのか?。
― 次回は戦前の小型傑作車「トポリーノ」から始まります ―