(00) 1950 Ford Custom
今回対象となる1946年から63年という年代は、僕が14才で写真を撮り始めたのが1948年なので、対象の車が現役で街を走っていたり、ピカピカの新車で登場した時期と同時進行で捉えた写真が多い。当時はまだカラーは実用の段階では無かったからモノクロが大部分ということはご了承頂きたい。その代りイベント会場ではなく街中での生き生きとした姿と、昭和の雰囲気一杯の背景も一緒にお楽しみいただきたい。
(写真46-1ab)1946 Ford Super Deluxe 2dr Coupe Sedan (1962-04 立川市内)
第2次世界大戦は1945年8月15日に事実上終結した。(正式には9月2日ミズリー号で調印式が行われた)アメリカの乗用車はいち早く、秋には戦後型を発表したが各社とも戦前最後の1942年型のグリルに手を加えただけの応急処置だった。こうして生まれた戦後モデルは1946~48年は殆ど変化なしで造られたため、資料では3年間を一纏めにしているものが多い。しかし細かく調べると1945 年夏から47年始めまで造られた最初のモデルが「1946年型」で、それ以降が1947・48年型となる。(通常のモデルイヤーの区切り方として46年秋以降を47年型としている資料もあるが、外見ウオッチャーの僕は見た目に拘った)「46年型」の特徴はパーキング・ライトがグリルの上にある事で、ヘッドライトの下に移動した「47,48年型」とは区別出来る。
(写真46-2ab)1946 Ford Delux Fordor (1998-02 フロリダ州オーランド)
フロリダのディズニー・ワールドの中に「ディズニー・MGM・スタジオ」というゾーンがある。ここには街全体がタイム・スリップしたエリアがあり、写真の場所は1940年代後半の設定だから、当然車も1946年型だ。
(写真47-1a~e)1947-48 Ford Deluxe Fordor ( 1958年 静岡市追手町/県庁周辺)
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1947年初めから造られた「47年型」(モデルNo.7GA/79A)からはパーキングランプがヘッドライトの下に移動した。48年も同じでこのタイプが最も多く見られたのは、製造台数が多かったからだろう。写真は静岡県庁の周辺で撮影したものでナンバーは異なるが2台とも官公庁用の「た」ナンバーなので、県庁のお偉方が乗る車だ。ただし当時の県庁には「リンカーン」や「クライスラー」以下「フォード」よりグレードが上の車が沢山あったからせいぜい「課長」さんクラス用だったかも知れない。
(写真47-2ab) 1947-48 Ford Deluxe Fordor (1959年 羽田空港駐車場)
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写真の車はフロントに日よけの「庇(ひさし)」が付いている。カタログ・オプションで用意されたものだと思うが、かなり大げさだ。この年代には一種の流行で他社の車にも多く見られた。
(写真47-3a~d) 1947-48 Ford Deluxe 2dr Sedan Coupe (1962-04/1961-11 立川市内)
この年のクーペには6人乗りで屋根の後端がふっくらしている「セダン・クーペ」と、3人乗りでなだらかな屋根の「ビジネス・クーペ」があった。「ビジネス・クーぺ」はセールスマンのため後席が荷物を積むためのスペースになっていた。立川で見つけた写真の車は、ファミリーの為の「セダン・クーペ」だから6人乗りだ。静岡でも東京でも丸いお尻のセダンしか見たことがなかったから、段付のクーペボディはとても新鮮に見えた。
(写真49-1ab) 1949 Ford Custom Fordor (1956年 静岡市追手町/県庁前)
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(左)1948 カイザー、(右)1948 パッカード
1949年はビッグ・スリー各社も本当の戦後型を発表した。その中でも「フォード」はサイドにステップや膨らみの無い完全にフラットなスタイルで登場した。「フラッシュ・サイド」と呼ばれ、幅一杯に室内のスペースが使える大きな利点は見逃せない。「GM」も「クライスラー」もリアフェンダーはまだ完全に残ったままだった。(カイザー/フレーザー、パッカードなど小メーカーでは1948 年にはすでにフラッシュサイドになっていたが(写真参考)やはり大メーカー「フォード」が採用したことで世界中に大きな反響をもたらした。)一般的にはこの「フォード」が乗用車のスタイリングにおける「エポック・メイキング」な車と言う事になっている。
(写真49-2abc)1949 Ford Custom Fordor (1912-04 トヨタ自動車博物館)
この年はただの「フォード」と「フォード・カスタム」の2種類しかなかった。それに6気筒と8気筒が付いたから全部でも4種類で区分けも楽だった。トヨタ博物館が所蔵している車は僕が現役時代街で捉えたものと違って製造されてから60年以上経っているが、新車当時と全く変わらない素晴らしいコンディションだ。
(写真50-1ab) 1950 Ford Custom Fordor (1962-04 港区芝公園・東京タワー駐車場)
1950年型フォードは去年とそっくりだが、よく見るとボンネットの先端にあった「FORD」の文字がオーナーメントに変わり、グリルの横棒の端にあったパーキングランプがバーの下に独立した、など細かい変更点がある。ホールベースは114インチのみで、シリーズは「デラックス」と「カスタム」があり、それぞれに直6とV8のエンジンが選択できた。どのエンジンが付いているかは正面のスピナーの真ん中に入っている⑥⑧の数字で見分けられた。
(写真50-2ab)1950 Ford Custom Deluxce Fordor (1957-08 静岡市紺屋町/中島屋前)
写真の場所は静岡駅に近い「江川町通り」で、正面150メートル先が静鉄「新静岡駅」、右に250メートル先が「JR静岡駅」で、車の止まっているのは老舗旅館「中島屋」の前だ。実はこの旅館の手前が僕の勤務先だったから実によい環境に恵まれていた訳だ。中央に見える工事中の建物は市内で一番の商店街「呉服町通り」で、昭和32年全国に先駆けて全商店が街区毎に一つのビルを共同で建築するという画期的な街造りの最中だ。
(写真50-3ab) 1950 Ford Custom Fordor (1998-02 フロリダ州オーランド)
フロリダで見つけたこの車は完全なオリジナルであるだけでなく、造られてから48年経っているにも拘わらずいま工場を出てきたばかりかと思うほどピカピカだった。
(写真50-4ab) 1950 Ford Custom Club Coupe (1999-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
ラグナセカ・レースウエイは小高い丘の頂点から逆落としのコークスクリュウ・カーブなどでも知られるが、レース当日は丘の斜面も駐車場になっている。この車はステッカーがいっぱい張ってあるが基本的には改造はされていない。
(写真50-5ab)1950 Ford Custon Deluxe Station Wagon(2004-08 ラグナ・セカ/アメリカ)
戦後のステーションワゴンは丸いお尻の1946年型から存在していたが、残念ながら僕は見て居ないので、戦後型としてはこの車が最初だった。戦前からの伝統に従ってトリムには本物の木材が使われている。この年はまだステーションワゴンがシリーズとして独立はしておらず、乗用車のボデイタイプの一つと位置付けられており、2ドアしかなかったので、後席の窓が異常に大きい。ホイールは現代風の物に変えられているが、全体がオリジナルなので年代的に不釣り合いな印象を受ける。
(写真51-1abc)1951 Ford Custom Deluxe Fordor Sedan (1956年 静岡市追手町/県庁付近)
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この車もまたまた静岡県庁の車で、ナンバープレートも横1列の古いものだ。(平仮名入りのプレートは1955年から導入されたがこの車は車検更新前だ)中央に1個だけだったスピナーは左右に分かれて2つなり、その分いくらか小ぶりになった。背景の建物は静岡県庁。
(写真51-2a) 1951 Ford Deluxe Tudor Sedan (1960年 横浜市内)
1951年は「デラックス」と「カスタム」の2シリーズで、それぞれに直6とV8が選択できた。「デラックス」は廉価版で、ボディサイドのクロームラインが無いので見分けられる。「デラックス」シリーズには「フォードア・セダン」「テュードア・セダン」「テュードア・ビジネスクーペ」の3種があった。この車はリアウインドに三角窓があるが、ビジネスクーペにはこれが付かない。
(写真51-3ab)1951 Ford Custom Victoria Tudor Hardtop (1957年 静岡市両替町/江川町通り)
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「カスタム」シリーズV8付きには「フォードア/テュードア・セダン」のほかに「クラブ・クーペ」「ヴィクトリア」「コンバーチブル」「ステーションワゴン」の4タイプが用意された。写真の車「ヴィクトリア」はサブシリーズとした位置付けで、新登場したハードトップ・クーペにつけられた名前だ。透かして見えるリアウィンドが他の車と違ってフルワイドだ。屋根は固定式だが、デタッチャブルのようにわざわざ段が付けてあり、塗装も本体とは別にクリーム系の明るい色で塗られていた。ナンバープレートの「3A」は1952年5月制定された「米軍関係自家用車」を表す表示だ。
(写真52-1ab) 1952 Ford Customline Fordor Sedan (1958年 静岡市両替町/江川町通り)
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1949年の戦後最初のモデルはその後マイナーチェンジで50,51年と経過したが、1952年本格的なモデルチェンジが行われボディも新しくなった。ただ、フロントグリルはスピンナーのモチーフが再び中央に戻り、1949年のオリジナルイメージが戻った。このモチーフは余程気に入ったと見えて両端にも入れてしまったからこの年は3連装となってしまった。写真の車は平凡な「4ドア・セダン」だが、背景の木造家屋がいかにも昭和を感じさせる。
(写真52-2abc)1952 Ford Crestline Sunliner Convertible (1960年 横浜市内)
1952年のシリーズは下から「メインライン」「カスタムライン」「クレストライン」の3段階があり、最上位の「クレストライン」はすべて「V8」で「ヴィクトリア」(ハ-ドトップ)、「サンライナー」(コンバーチブル)、「カントリー・スクエアー」(ステーションワゴン)が設定されていたが、このシリーズには「セダン」「クーペ」はなかった。写真の撮影場所は横浜市内だが土地不案内の僕は特定できない。しかし車の前方にマリンタワーが見えるので山下公園からあまり遠い所では無い場所で、「藤壷モータース」と読めるトライアンフなどを扱っていたくるま屋の前だから横浜に明るい方なら判る筈だ。
(写真53-1ab)1953 Ford Customline Fordor Sedan (1956年 静岡市追手町/県庁前)
発売されてから3年しか経っていないフォードが静岡市内で見られた。この車は「す」ナンバーだから自家用で、場所は県庁の正面入り口だが、県庁の車ではない。右の石垣は駿府城の外堀で、その向こうに見える背の低い木造の建物は消防自動車が待機している車庫、左は消防署の本部で、電話が発達している現代と違って火事の発見は目視によっていたから消防署にはどこにも高い望楼があって24時間体制でぐるぐる廻っていたものだ。(この建物の上の方が見える写真を参考に添付した。)
(写真53-2abc)1953 Ford Customline Fordoe Sedan (1961-11 羽田空港駐車場)
1953年はフォード社にとっては創立50周年の記念すべき年に当たるが、その「記念モデル」は世間の大いなる期待をよそに、驚くほど少ししか変化しなかった。フロント・グリルも開口部は同じで、中の水平バーが同じモチーフのまま少し大人しいデザインに変わっただけだ。しかしイメージとしては1949年のオリジナルをそのまま引き継いでいるから、この車が「フォード」だとすぐ判る。この当時の車はそれぞれにこのように独特の個性を持っていたから見る方も楽しかっが、1960年代に入ると殆どの車から個性がなくなって、ただの箱になってしまったので僕の興味はアメリカ車からだんだん離れて行くことになる。
(写真53-3ab)1953 Ford Mainline Tudor (2004-08 カーメル市内/カリフォルニア州)
この車は2004年カリフォルニア州カーメルの街中で撮影したもので流石にアメリカ車だから背景とよくマッチしている。しかしこの車のナンバープレートには「カリフォルニア・ヒストリカル・ビークル」と入っているので普段に街中を走っている車と言うわけではなく大切に保存されて居る車だった。
(写真54-1abc) 1954 Ford Customlione Fordor (1961-11 羽田空港)
(左)1952年 フォード、 (右)1953年 フォード、 (上)1954年フォード
1954年のグリルは1949年のオリジナルのイメージを引き継いだ「スピンナー」をモチーフにしたもので、再び両端にも小型の丸いものが付いた三つ目の逆戻りした。と言う事は52年型の進化型とも見えるものなので、全く予備知識がない状態で54年と53年の2枚(参考)を見せて「52年の後に来るのはどちらか」と言われたら、間違えなく54年を選んでしまう。53年のデザインは「フォード」としてはあまり気に入らなかったのだろうか。この年1932年から続いていたサイドバルブのV8エンジンに変わって、新しいOHVのエンジンが登場した。排気量は239cu.in(3915cc)と変わらないが20馬力増えて130馬力となった。このエンジンはブロックの断面の形から「YブロックV-8」(略称Y8)と呼ばれ、従来のエンジンは「アーリー・フォードV8」と呼ばれることになった。
(写真55-1ab)1955 Ford Fairlane Sunliner Convertible (1990-07 アメリカン・ドリームカー・フェア/幕張メッセ)
長年続いた「フォード」のトレードマーク「スピンナー」のモチーフはこの年遂に姿を消した。この年はビッグチェンジの年でシリーズは下から「メインライン」「カストムライン」に加えて「フェアレーン」が新しく登場した。このシリーズは60年代に入って品揃えが多様化するとホイールベース119インチの「フルサイズ」に対して、115インチの「インターミディエート」シリーズの名前となるが、1955年当時は115インチがフルサイズだった。この年からフロントグラスがラップアラウンドとなり視界が良好となっている。ボンネットからボディサイドにかけて大胆に波打ったクロームラインはこのシリーズ独自なもので「フェアレーン・ストライプ」と呼ばれ、この後も続いて使われた。因みに「フェアレーン」の由来はヘンリー・フォードⅠ世が故郷のディアボーンに建てた邸宅に付けた名前から頂いたものなので、フォード社にとってはおろそかにできない名前だろう。
(写真55-2abc)1955 Ford Fairlane Fordor Town Sedan (1960年 中央区銀座3丁目)
車はフェアレーンの最も一般的な4ドア・セダンだがこの場合は背景が重要な建物だ。場所は銀座3丁目3-1で、マロニエ通りにあり、先頃閉店してしまった「プランタン銀座」のすぐ裏だった。建物は「東邦生命本社ビル」で1931年(昭6)竣工した戦前の銀座ではランドマーク的な風格のある「ビルヂング」だった。2004年のある日、インターネットでこのビルが解体されるという記事を見つけ、その前に写真を撮っておこうと現地に行って見たら既に更地となっていた。実はその記事は1年前のものだった、というお粗末。跡地は現在「ZOE銀座」となっている。
(写真55-3a)1955 Ford Customline Fordor (1959年 静岡市追手町/県民会館前)
写真の「カストムライン」はシリーズでは中間クラスで、サイドモールに一本直線がはいっているが、廉価の「メインライン」にはサイドモールはない。場所は静岡市役所の隣にあった「県民会館」の前で、この場所は昭和20年6月の米軍の空襲で焼けるまでは皇室の為の「御用邸」があった所だ。
(写真55-4ab)1955 Ford Customline Tudor(1990-07 アメリカン・ドリームカー・フェア/幕張メッセ)
3段に塗り分けられた2ドア・セダンだがこの紫色は現役時代には見たことのない色だ。1952年から始まった丸いテールランプはこの年も受け継がれており、「フォード」の特徴に一つとなっている。
(写真56-1ab)1956 Ford Fairlane Fordor/Customline Tudor(1959,57年 静岡市内/江川町通り)
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この写真の2台は別の車だが場所はいずれも僕の勤務先の前の「江川町通り」だ。最初の正面の車はすぐ隣の中島屋旅館の前に停まっていた車で仮ナンバーだが「岐/笠松」と入っている。ここは静岡市だが高速道路が出来る前は国道1号が東海道唯一の幹線だから、東西の移動では東京から約200キロの静岡は恰好な休憩ポイントで、県内の車だけでなく東京ナンバーの車もよく見られた。横向きの車は勤務先から50メートルほど先の「電話局」の横に停まっている。歩道には親・子・孫だろうか3人連が歩いているが、服装にご注目頂きたい。昭和30年代にはまだ婦人が和装で外出するのは当たり前のファッションだった。
(写真56-2abc)1956 Ford Fairlane Sunliner Convertible (1966-04 渋谷区代々木付近)
「サンライナー」はフォードがコンバーチブルに付けた愛称だ。東京オリンピックが終わって間もない東京は、マンションの建設が各地で行われていた。ここもその一つだが、車の前方に見える建物は昭和の代表的な木造家屋だ。
(写真56-3abc)1956 Ford Fairlane Crown Victoria Skyliner (1985-05 11thTACSミーティング/筑波サーキット)
フェアレーンシリーズには「ヴィクトリア」と名付けられた「ハードトップ」があるが、去年から「クラウン・ヴィクトリア」という新しいタイプが登場した。ハードトップなのにBピラー(窓桟)があるように見えるが「ロールバー」と言う事の様だ。このタイプはフォードの乗用車の中で最上位の車で、一番安い「メインライン」の2ドア・セダンが1500ドルの時、2607ドルもした高級車だ。ルーフの前半分は、スチールとプラスチックがあり透明の屋根を持つ車は「スカイライナー」と呼ばれた。この車は東京の街が路上駐車禁止になってしまった後、僕が珍しい車を求めて足を運んだイベント会場の一つ、筑波サーキットで撮影したもので、こんなお洒落な車は1950年代の日本人には高嶺の花だった筈なので、後年趣味の対象として購入されたものだろう。
(写真57-1a)1957 Ford Custom Tudor Sedan (1998-02 フロリダ州オーランド)
アメリカのイベントで撮影したパトカー仕様の「カスタム・シリーズ」で、最廉価版のこの車にはサイドモールなど余分な装飾品は付いていない。
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(写真57-2abc)1957 Ford Fairlane 500 Fordor Sedan(1969-11 東京オートショウ駐車場/晴海)
1957年はモデルチェンジの年で、ホイールベースの違う2つのシリーズとなった。上級シリーズは118インチで「フェアレーン500」と「フェアレーン」、下級シリーズは116インチで「カスタム300」と「カスタム」の4種だった。エンジンは直列6気筒OHV 223cu.in(3653cc) 144hp/4200rpmとV8 OHV 272cu.in(4455cc) 190hp/4500rpmの2種があり、各モデルが選択可能であった。1956年のクライスラーから目立ち始めた「テールフィン」競争は、57年にはかなりの存在感を持った流行となっており、フォードにもその影響は見られるが他社よりは控えめだった。撮影場所は晴海の貿易センター周辺の駐車場で、毎年の自動車ショーはいつもここで開催されていた。僕はショーの会場に入り前に必ず駐車場を一回りして珍しい車を探して歩いていた。今と違って「公共交通機関をご利用ください」という時代ではなかったからだ。
(写真57-3abc)1957 Ford Fairlane500 Skyliner Retractable Hardtop(1959年 一之橋付近)
この年フォードは全く新しい機能を持ったタイプの車を発表した。それは最上位の「フェアレーン500」の中でもV8エンジン付きだけに設定されたスペシャルで、「スカイライナー」という名前だった。この名前は去年は透明の屋根を持ったハードトップの名前だったが、今回はハードトップの屋根を電動でトランク内に格納できる装置付きで、今では軽自動車でも装備されているので当たり前だが、60年前には見た人をびっくりさせるのに充分な仕掛けだった。だから人の集まる場所で必要でもないのに上げたり下げたりしているのを見たこともあった。写真を撮影した場所は、1960年代の初期「デル・コンテッサ」などモノポスト・レーサーで知られた「塩沢商工」の前だ。
(写真58-1abc)1958 Ford Fairlane500 Fordor Town Sedan (1958年 羽田空港)
この写真を撮影した時は58年型が発売されて間もないピカピカの新車だった。2台は別の車だが[あ1238][あ1260]といずれも業務用の「あ」ナンバーなので早くもタクシー業界に配車されたものだ。後方に見えるマイクロバスは1959「メルセデス・ベンツO-319」で、この手の車は「VW」がよく知られているが、メルセデスでも以前から存在していた。唯日本では殆ど見る機会がなかった珍車だった。
(写真58-2a)1958 Ford Country Sedan (1958年 羽田空港)
フォードは1958年から「デュアル・ヘッドランプ」(4灯式)を採用した。この年のグリルは「サンダーバード」と共通で、6角形の「ハニカム・パターン」が採用された。ワゴン・シリーズには3種あり「ランチ・ワゴン」「カントリー・セダン」は乗用車タイプ、「カントリー・スクエアー」はウッド・トリムが付いたステーションダゴンタイプだった。このナンバーは通称「青ナンバー」と呼ばれるもので、「外」の文字は大使館用として割り当てられたもの。
(写真59-1a~d)1959 Ford Fairlane500 Galaxie TownSedan (1959年 羽田空港)
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1957年フォードとしては初めて116インチと118インチのホイールベースを設定したが、僅か2年で長い方の118インチ一本に戻した。輸入小型車の高い経済性に対して、ガソリンがぶ飲みのアメリカ車に対する世間の風潮は厳しくなり、それに応えるべく馬力を下げてまでして経済性を高めた結果、1935年以来24年振りに全米1位の座を取り返した。シリーズは最下位の「カスタム」が無くなり、それに代わって最上位に「ギャラクシー」が誕生した。
(写真59-2ab)1959 Ford Fairlane500 Galaxie Skyliner (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
(左上)フォード、(右上)キャディラック、(左下)シボレー、[右下)ビュイック
「ギャラクシー」(銀河)の名の通り、46個の星をちりばめたグリルはとても見事で、折からブリュッセルで開かれた万博で金賞を貰うほどだった。だがこの星たちは近くで見ると薄い金属板をプレスしただけの物なので、重量感はないが軽量化には貢献した筈だ。1959年はアメリカ車のデザインの中で一つの頂点を迎えた年だと思っているが、グリルの「星」の他、忘れてならないのはこのテールランプで実に単純かつ大胆だ。この後もこんなに個性のあるデザインは出ていない。1959年という年は「キャディラック」「シボレー」「クライスラー」などテールフィンが頂点を極めた年だが、あまり関心を示さなかった「フォード」は殆ど気付かない程だ。(他社のテール・フィン参照)
(写真59-3ab)1959 Ford Fairlane500 Galaxie Skyliner (1961-05 熱海温泉)
旅行の途中で見かけた"必要も無いのにトップを上げ下げしている"「フォード・スカイライナー」。 2枚目右側の一斉に注目している家族に注目。
(写真59-4a~d)1959 Ford Fairlane500 Galaxie Skyliner (2010-11 トヨタ・クラシックカー・フェスタ/神宮)
スカイライナーの3連発だが、この車の場合は「リトラクタブル」(出し入れする機能)の仕掛けがよく判る。トランクの蓋が開いて、アームに繋がった屋根がすっぽりとトランクに収まる。だから「屋根」と「トランク」が同じ大きさだという事が納得できる。
(写真59-5ab)1959 Ford Fairlane500 Club Victoria (2dr Hardtop) (1966-06 原宿・表参道)
「フェアレーン500」の箱型には「セダン」と「ハードトップ」(ビクトリア) の2タイプがあり、それぞれに「4ドア」(タウン)と「2ドア」(クラブ)があった。だから「グラブ・ビクトリア」は、「2ドア・ハードトップ」の事だ。撮影場所は原宿・表参道で、現在に比べると車の数が多く、外国ブランドに占領されるよりずっと前だから背景の風景は日本的だ。
(写真59-6ab)1959 Ford Fairlane 500 Sunliner Convertible (1966-05 名古屋市内)
幌付のオープンカをフォードでは「サンライナー」と呼び「フェアレーン500」と「ギャラクシー」に設定された。場所は名古屋市内で多分駅前だったように思うが土地不案内なので自信はない。車は「品川」のナンバーなので東京からやって来たようだが、僕が静岡で見ていたように、国道1号線を使って東京ナンバーの車が関西方面まで走り回っていたことが判る。
(写真60-1abc)1960 Ford Fairlane Town Sedan (1966-06 原宿・表参道付近)
1960年は好調の輸入小型車に対抗するため、ビッグ3各社から「コンパクトカー」と呼ばれる小型車が出現した。フォードの場合は「ファルコン」と名付けられ、ビッグサイズの119インチに対して109.5インチのホイールベースだった。この年から車種の多様化が始まり、それまでは基本的に「フォード」という同一車種を使って「フェアレーン」とか「ギャラクシー」というグレードの違ったシリーズで構成されていたが、コンパクトシリーズ「ファルコン」は同じフォードでも別の車種なので、「サブ・シリーズ」という独立した存在となる。世間の要望に応えて、この後大きさの異なる色々なシリーズが次々と誕生することになり構成が複雑になるのだが、この年がその第一歩となった。生産技術にコンピューターが導入されるようになり、品質向上には有効だったかもしれないが、デザインではたどり着く結論が似たようなものなのか、外見に個性がなくなって、僕にとってはだんだん魅力的で無くなっていった。しかし1960年型にはまだその影響は無く十分個性的で魅力を感じさせる。このテールランプは1966年誕生した「マツダ・コスモ・スポーツ」に大きなヒントを与えたようだ。
(写真60-2ab)1960 Ford Fairlane500 Town Sedan (1966-07 千駄ヶ谷・神宮プール前)
撮影場所は千駄ヶ谷駅前の東京体育館の隣にあった「神宮プール」の前で、2枚目写真の右後方に見える丸いドームは、毎年クラシックカー・イベントが開かれる「明治神宮外苑絵画館」の後姿だ。
(写真60-3ab)1960 Ford Country Sedan (1960-10 虎の門・ニューエンパイア・モータース前)
この年のステーションワゴン・シリーズには下から「ランチ・ワゴン」「カントリー・セダン」「カントリー・スクエアー」の3種があった。写真の「カントリー・セダン」はギャラクシー譲りのクローム・ストーンガードを持っている。一寸エキゾチックにも見える撮影場所は虎の門交差点付近の三角の敷地にあった、フォード系列の「ニュー・エンパイア・モータース」で、アメリカ大使館が近いせいもあっていつ行っても最新型アメリカ車が見られた。写真の車のナンバーは[OVA-43]と読める。大使館は「外」だから、米軍関係の物だろうか。
(写真61-1abc)1961 Ford Galaxie Town Sedan (1962-04 小田急沿線・向ヶ丘遊園地)
1961年になるとそろそろ自動車の個性が薄くなって"これぞフォードだ"というインパクトが感じられない。撮影場所は小田急、向ヶ丘公園で開かれた「自衛隊ショー」の駐車場で、隣のいすゞトラックも自衛隊の車のようだ。
(写真62-1abc)1962 Ford Galaxie500 Sunliner Convertible 1963-19 杉並区・阿佐ヶ谷)
個性が無くなったといっても「サンライナー」と名付けられたコンバーチンブルにはそれなりの魅了はある。嬉しいことにフォード伝統の丸いテールランプが復活している。場所はJR阿佐ヶ谷駅南口付近でここから青梅街道までアーケードのある「パールセンター商店街」が続く。この年は多様化の第2弾としてコンパクトより少し大きい「インターミディエート」シリーズを誕生させ、そこに「フェアレーン」の名前を持ってきた。この2年後には「マスタング」シリーズも誕生し、ますます構成は複雑になっていく。
(写真62-2abc)1962 Ford Galaxie500 Club Victoria (1966-04 表参道・青山通り)
こちらの車は「クラブ・ビクトリア」だから2ドア・ハードトップだが、電動でトランクに収納する機能は無い。場所は原宿の表参道と青山通りとの交差点で、3枚目に写っている都電は渋谷から青山通りを通って赤坂見付-半蔵門-九段下-神田須田町まで走っていた⑩番系統だ。
(写真63-1ab)1963 Ford Fairlane 500 Tudor Hardtop Coupe (1966-04 横浜市内)
この車は去年から登場したインターミディエートの「フェアレーン500」で、フルサイズの「ギャラクシー」では「クラブ・ビクトリア」と洒落た名前で呼ばれるこのタイプも、このクラスでは普通に「テュードア・ハードトップ」だった。年毎にだんだん「個性のないただの四角い箱」に変わっていくアメリカ車には「外見ウオッチャー」の僕としては次第に興味を失って行ったから撮影枚数も減っていった。
今回は車と同時進行の白黒写真が多かったので、懐かしさのあまりかなり独りよがりの説明が多くなってしまいました。細かいことは別にして、昭和を感じられる背景については十分お楽しみいただけたでしょうか。
― 次回はイタリアの老舗「フィアット」の予定です ―