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第9回 我が国最大車種カワサキ650W1登場
2018.2. 1

 川崎航空機工業が単車事業に進出したのは「単車の生産で得た利益をガスタービンの研究にまわす」という、資金捻出のためだったことは第2回目に述べた。実際の生産台数について、1966年当時のカワサキ社内報によると「昨年4月頃はわずかに月産3000台前後であったが、今年に入ってコンスタントに5000台となり、この4月には販売が9200台という未曾有の記録を出し、非常に気を良くしている。当面の目標を月産1万台(輸出4000台、国内6000台)計画の達成で、黒字経営を実現のために全員一丸になって頑張っている。販売体制、生産設備とも万全なので来年度中にこの計画の実現を計る。」とあった。

 つまり、この時点までの6年あまり、二輪事業は赤字続きだったことがわかる。会社名である航空機の仕事に燃えて入社した人が、赤字の単車部門に配属されると「ガッカリした。」という声は、後年に単車事業に携わった人達の手記によく出てくることである。
 当時のカワサキ社内報にある「岩城単車事業本部長に聞く」では、「開拓者精神で海外に伸びるカワサキ、カワサキオートバイの現在の状況については、50ccの小型車、85cc〜115cc級の中間車、125cc〜175cc級の普及車、250cc級以上の高級車と大体品揃えが終わり、本年度内で全車種の開発を完了する予定。今年から500cc K型をボアアップした650ccW1型、また未公表のデザイン、性能とも画期的なオートバイ250ccA1型を特に輸出向けとして発売する準備を進めている。」
 そしてW1については、「3月に試作車としてフロリダのデイトナビーチのモーターショーに出品したところ、非常に人気を集め、ぜひ量産をとの現地の要望で500台を輸出。サブデーラーの店頭にだすと、5日以内に売れてしまうほどの人気で、今年あと500台は出る見込み」とあった。

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 この写真はカワサキの米国ディーラーでの光景。ショールームの中央にW1が置かれ、手前にA1があることから、1966年中頃の撮影と思われる。壁面にはカワサキB8やJ1の写った現地向けポスターなどが貼られて、ペプシの自動販売機などが撮影されている。

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 これは日本仕様のW1最初期型で、1966年9月発売となっている。シート下部のモールが輸出仕様のクロームでなくブラックで登場した。9月22日にはカワサキオートバイ販売が発売と同時に神戸製作所正門横で社内展示会を実施、モトクロス・レーサーから実用車まで魅力あふれる商品群を展示した中で、Wの人気は高かった。
 それに先立ち、3月13日に富士スピードウェイで開催された第7回全日本クラブマンレース350ccクラスにカワサキ650W1プロトタイプレーサーが、片山義美率いる神戸・木の実レーシングクラブから金谷秀夫が乗って出場。
 押しがけスタートだったため出遅れたもののホンダCB、ヤマハYM勢の改造レーサー達を相手によく検討して2位に入賞した。W1を基にレーサータイプに改造した出場車は抜群の加速とスピードで人気を独占、観衆に強烈な印象を与えた。

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 これは先行販売された米国向けW1のペラ(1枚表裏)カタログ裏面のスペック表はモノクロ印刷で、ライバルとなる英車トライアンフやBSA、BMWなどが、オールカラーの冊子カタログだったのに対して極めてシンプル。このため二輪専門誌の中央に綴込み4頁カタログを組み込んで販促活動をした。これについては第8回の中で、K2の次に表紙、裏表紙、中央部の順に紹介しているので参照されたい。

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 輸出仕様車のエンジン出力は、英ポンド馬力50HP(HorsePower)表記で、国内仕様は仏馬力47PS(PfedeStarke)表記である。1PS=0.986HPなので出力2.3HP、最大トルク値も0.3kg-mほど数値が大きいが、右側の走行曲線でみる限りは最高速度も登坂力も、国内仕様と同じである。パーツリスト比較ではマフラーの部品番号が異なっているので、それが出力差の要因と思われる。

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 OHVバーチカルツインは500K2のボアをアップしたもの。クランクも異なるが、その他の部品は同じで両車は一時的に並行販売もされた。OHCエンジン計画もあったが、北米向け主力車種を250A1としたため、結局はボアアップで性能を向上させた。だが実際に販売してみると振動が凄まじく、走行中に部品が脱落することが判明するわけだが、エンジンそのものは英国車より耐久性があった。

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 エンジン全体の見た印象やオイル潤滑面は、ほとんどK2と同じだった。エンジン開発時には実験棟で全開試験するわけであるが、その排気音が工場周辺にまで響いたというから相当のものだったことになる。 これによりは白バイであったメグロK1P、カワサキK2Pのメンテナンス経験から寄せられたOHVバーチカルツインのウィークポイント解消が計られた、という結果となった。

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 BSAなど英国車はクランク変更=ストロークを伸ばして排気量を650ccに近づけていたが、W1の排気量は624ccになった。オーバーサイズのピストンは0.5と1mmで、最大の75mmボアで641ccとなる。クランクケースのシリンダーベースはボア8mmもの拡大で、第6回の最後の方に載せたK2のものより外側に膨らんでいるのがわかる。

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 これはクランクケースのパーツリスト部分図解。これはW1、W1S併用パーツリストのもので、W1初期のパーツリストはK2のものと大差ないものだったが、輸出用ということで書き直されたと思われ、より精密に描かれているのが特徴といえよう。パーツ変更部分はW1から実施されW1Sに流用されている。

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 クランクケース外観はK2と大差なく、エンジンマウントも同じであるからK2エンジンをW1に載せ替えした例も多くみられたが、500から650にすると振動も増えるので、意外なことにK1やK2も生き残っているものが多い。

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 K2とW1の大きな差異がクランクシャフトである。コンロッド大胆部がメグロK1からのプレーンメタルを上下で挟んだボルト止めから、ニードルローラーをコンロッド大胆内に組み込んで、横から圧入する単気筒や2サイクル車のような方式を採用したことである。
 この方式は名車Z1やZ2に継承されたが、設計者の稲村暁一は「日本の二輪車の整備は、まだコンクリート敷きでなく土間で行われており、そうなると土埃が立ってメタル部に付着、それによる潤滑不足の例がみられたため、面倒なニードルローラーの圧入クランクにして、耐久性も向上させた。」と語ってくれた。

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 これはエンジン内部、左はカムシャフトとバルブ関連で、バルブ径はIN33.5から36mmへ、 EX32.5mmと変化せず吸入効率をアップさせた設計となった。バルブステム径は8mmでBMWのR69〜100やモトグッチV7などと同じであった。カムシャフト端部にはタコメーターギアが組み込まれるがW1途中から変更されている。
 右はクランクシャフト、ピストン、オイルポンプ関係で、コンロッド中央部の切り欠き部からオイルをシリンダー壁に飛散潤滑させる方式。一次ギア取り出しのダブルスプロケット部のカラーが別ピースになっているのがわかる。

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 K2設計時点で考えられた回転計装着がK2ベースのX650を経てW1で量産化となった。この時期のスポーツ車は回転計=タコメーター装着が高性能車の必須アイテムであった。クランクケースのメッキカバー内には、直流発電機とポイントなどが収まるが、すでに直流発電機の時代は終わろうとしていた。

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 ピストンは平頭式だが、その実際は複雑な形状をしていた。圧縮比はK2同様の8.7で共通。ピストン打音防止のため19mm径ピストンピンはインレット=後部側に1.5mmオフセットされて組み込まれる。ピストン材質は高負荷に対応させたローエッキス材料で、ピストンピンは温間押し込みで温めて挿入する方式を採用する。

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 シリンダーヘッドはY字マニフォールドを一体化したK2から継続採用の形式として、キャブレターはX650用に開発されたミクニの新型VM31で、フロート室をK2までのボディ横から下部に持つ新型となった。

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 これはW1用ミクニVM31キャブレターのパーツリスト。スロットルバルブ後部にエアーシャッター=チョークバルブを持つのが特徴。この大口径VMキャブレターの開発で、数多くのVMキャブレターが開発されてゆき、特に2サイクル車用には実用車からレーサーまで数多くの各種口径キャブレターが開発されてゆくことになる。

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 エンジン始動に欠かせないのがフロート上部を押して、フロート室のガソリンを溢れさせて長い吸入ポートに送り込んで、生ガスを送り込んで始動させるためのティクラーで、真鍮製の押し棒がキャブレターに組み込まれていた。この方式は後年にはレバーやワイヤー作動のスターター方式になるが、旧式なマシンに"ティクラー"は欠かせない存在だった。

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 オイルタンクはK2からの横向きフィルター式の流用から、オイルキャップ式縦型フィルターになってから一度変更されている。これらのタンクがW1からW1Sに混在装着されているが、どれもが純正品である。運転するとタンク部に足があたるため、夏期にはやけどしかねない熱さになるため、カバー類が社外品で販売されたことがあった。

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 フロントブレーキはK2の180mmから、スポーツ車共通の200mm系にアップされ、スポーツ車必須のツーリーディングシュー方式になった。ホイールシャフト径はメグロK1以来の17mmで以降のカワサキ重量車の標準値となる。実際には、雨天と晴天時の効きが異なるため、ライディングにはテクニックが必要だった。

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 フロントフォークはK1の32mm径からK2で34mm径カヤバ製に強化されたため、W1もほとんど共通として外装カバー類をクロームメッキやラバーブーツなどとしてアメリカ向けに化粧直しされた。ストローク130mmでスプリングは0.672kg/mmと柔らかめだった。

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 カワサキK2からみると、全く異なったデザインになったW1の輸出仕様車。実用車メーカーのカワサキから「スーパースポーツのカワサキ」に衣替えする先陣車となった。フォークなどはK2と共通部品が多く、デザイン処理によってイメージチェンジされた好例といえるだろう。デザインチーフは朝永敬助、デザイナーに多田憲正、加藤克一、三秋郁夫等、当時のデザインルーム全員があたった。

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 新規デザイン部品となった灯火&メーター類。ただしフラッシャーランプ類は北米仕様では不要だったため、国内仕様車にはカワサキ製オートバイの最初の成功車である125B8用をK2に引き続いて流用した。

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 初めてのカワサキ製スポーツ車ということで、デザインにはかなり苦しんだ様子が窺える。ヘッドライト、メーター、テールランプなども新規開発であるが、どこか他社製品の影響を受けてしまったのは否めないだろう。ここに紹介するパーツ類は輸出用車が新規=別物を採用したのに対して、国内では残存部品を装着してW1Sまで出荷されていった。

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 タンクの取り付け方は、センター部小穴にボルトナットで組み付けられる方式のメグロのものを踏襲したマウント式であるが、ニーグリップラバーなどはカワサキデザインが施されグンと新しくなった。

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 燃料タンクはZ1で知られるようになる若き多田憲正が、カワサキ A1用のタンクをベースにして、粘土などを削り込んで完成させたもの。A1は塗装タンクだが、W1にはクロームメッキを施して豪華車とした。タンクマークはX650で採用されたカワサキフラッグ式に変更された。

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 北米輸出車ということで、ステップ部は転倒時の安全性から「折りたたみ式」方式が義務付けられていたため、国内向けW1も折りたたみ式が装着されて出荷された。ブレーキペダルなどはK2流用だがステップ=フートレストは専用部品となっている。

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 折りたたみ式ステップは支点部に巻きスプリングが組み込まれており、転倒時に車体が路面に対してマシンがひっかかったり、竿立ちになるのを防止したもの。ただしマフラーなどが潰れ、ケース類にダメージが出てしまうため、国内仕様はW1Sから通常の固定式になった。

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 前後フェンダー類は煌びやかにするため、「ピカピカ」感を出すべくフロントにステンレス製、リア側にクロームメッキを施し、時代性を強調した。二輪車では先行していたホンダとスズキはシルバー系の塗装フェンダー、ヤマハはメッキフェンダーをスポーツ車に採用していた。W1はK2のものを浅いものにしたデザインで登場した。

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 曲面で大きく深めに絞られたフロントフェンダー部。川崎重工系グループだった川崎製鉄(現JFEスチール)のステンレス専門だった西宮工場からの材料供給を受けて実現したもの。ただコストが高かったためか、フロントのみの採用でリアはクロームメッキだった。ステンレスは国内仕様のW1S初期型まで使われた。

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 上の図はリアホイール&ハブの構成と下部はブレーキの部品図。フロントのツーリーディングブレーキは1959年に125ccホンダCB92に200mm径で装着、以降CR71からCB450まで続く。ヤマハは1962年250ccYDS2から、スズキは1964年250ccT20から装着していた。

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 リアホイールはK2の流用でハブやブレーキもほぼ同じもの。リアブレーキもワイヤー作動方式を流用した。メグロの車体設計者達がカワサキに入社していたから、変更する理由はなかったことになる。スイングアームはW1専用だが細かいパーツはK2のままだった。

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 こうして登場した重量車カワサキW1は、まさに外国車ファンの心を虜にして、特に中古外国車に乗っていたライダーたちが、こぞって買い換えることになる。ただカワサキ車は他社と異なり、Z2の1970年代まで、月賦販売でも販売店側が買い手を見極め保証する「マル専手形」販売方式だったため、特にW1のような高価車では買い手が厳選され、誰でも買えるようなマシンではなかった。

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執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

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