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第67回 サーブ 92
2018.2.27

 今回は、昨年12月にボルボPV544の寄贈式取材のため、トヨタ博物館を訪問した際に見かけたサーブ92について紹介する。
 サーブ エアクラフト社(SAAB Aircraft Co.)は1937年にスウェーデン・イェーテボリ(Göteborg)の北75kmほどのトロルヘッタン(Trollhättan)に設立された会社で、主にスウェーデン空軍に軍用機を供給することを経営の柱としていた。1939年にトロルヘッタンから東方へ約225km離れたリンシェーピング(Linköping)にあった、スウェーデン国鉄の航空機部門を買収して航空機の主力生産拠点とし、本社、開発部門も移している。後に1949年からはトロルヘッタンを乗用車の生産拠点とした。
 航空機生産だけでは不安を感じていた経営陣は、1939年には第2の製品として将来性があると判断した自動車生産を決断し、スタディーを開始していたが、第2次世界大戦も終焉を迎えた1945年、軍用機の発注も減少してきたのを機に、自動車の開発を本格的に開始した。当時は大きくて堅牢なアメリカ車が好評であった(いまでもスウェーデンをはじめ北欧には1950年代、1960年代のアメリカ車が素晴らしいコンディションで数多く生息している)が、戦前から徐々にヨーロッパ製小型車が台頭しはじめ、1939年にはドイツ製のDKWがベストセラーであった。そこで、サーブは小型、軽量、堅牢な経済車の開発を決定した。幸いなことにリンシェーピングのオフィスのそばにスクラップヤードがあり、DKWフロントを購入して開発のサンプルとしたという。
 手元にある写真と史料によって、プロジェクトNo. 92の経過とサーブ92の変遷について紹介する。サーブの民需用製品の開発番号は90番からスタートしており、すでにNo. 90は24~40人乗り旅客機「SAAB 90 Scandia」、No. 91は2~4人乗り単発機「SAAB 91 Safir」に使われており、新開発乗用車にはN0. 92があてられた。

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上の2点はトヨタ博物館が所蔵する1951年のサーブ92。サーブ92の生産試作が始まったのは1949年だが、正規生産車のスタートは1950年になってからであり、生産ペースは1日に3台であった。初期のモデルの特徴はトランクリッドが無く、リアウインドーが小さく、燃料給油キャップが背中の真ん中にあるので容易に識別できる。ボディーカラーは1951年まではグリーンのみであった。ボディーはモノコック構造で、全長3950mm、全幅1620mm、全高1450mm、ホイールベース2470mm、トレッド前後1180mm、最低地上高200mm、最小回転半径5.5m、車両重量約875kg、タイヤサイズ5.00-15。駆動方式はFFで、764cc水冷直列2気筒2サイクル25HP/3800rpmエンジン+3速MT(2、3速シンクロ付き)を積み、最高速度は100~105km/hであった。

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サーブ92の開発陣が参考にしたと思われるDKWフロント。全長3990mm、全幅1490mm、全高1480mm、ホイールベース2600mm、トレッド前/後1190/1250mm。駆動方式はFFで、690cc水冷直列2気筒2サイクル20馬力エンジンを積み、最高速度は85~90km/hであった。廉価版のNormalは589cc 18馬力エンジンを積んでいた。

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1978年にサーブが発行した冊子「SAAB the first million」より、左頁は初期のアイデアスケッチがあり、一番下のスケッチはプロトタイプの1号車に近い。右頁の上部3台は1/4サイズの木製モデルで「X 9248」と呼ばれた。右上は風洞実験中のX 9248。下段は1946年11月に完成した最初の運転可能なプロトタイプの1号車で「92001」と呼ばれる。この個体は登録され「E14783」のナンバープレートを付けて数千マイルのテスト走行に供されている。

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テスト中の92001だが、いかにも飛行機屋がデザインしたクルマらしく、空力を重視した水滴型だ。この個体のCd値は0.32と言われるが、その後、見た目を考えて修正した結果Cd値は0.35ほどになったという。当時、スウェーデンの道路事情も日本と同じようであったらしく、悪路でスタックした写真なども見かける。

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時期など詳細は不明だが、サーブ経営陣へのプレゼンテーションの様子。クルマは92001にバンパーが付いた状態のように見えるが、ライセンスプレートのナンバーが異なる。

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上の4点はプロトタイプ1号車「92001」。92001は後にフロントグリル、ヘッドランプなどが修正されこのような姿に変身した。このクルマはその後、トロルヘッタンにあったサーブミュージアムに展示され、「URSAAB」のプレートが付けられていたが、これは「オリジナルSAAB」を意味する。2011年12月にサーブは経営破たんし、翌年1月にミュージアム所蔵車はすべて競売にかけられたが、その時のリストによると、エンジンはDKWの2気筒 18馬力を積み、走行距離は8502mile(1万3680km)とある。

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上の2点は92001の運転席とエンジンルーム。エンジンの後方に横長のラジエーターと、その後ろには燃料タンクが収まる。

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上の2点は、1号車92001のデザインを総体的に見直し、新しい顔立ちとやや細身となったプロトタイプ「E92002」。E92002は1947年6月10日に報道関係者に発表され、下段の写真はその時の様子。

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1947年に撮影されたプロトタイプの1台。

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1947年にハンドメイドされた3台のプロトタイプ。右端のクルマがプレス発表会に使用されたE92002。この3台によるテスト走行距離を合計すると20万マイル(32万1900km)近くに達したという。

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これは1950年に発売されたサーブ92。トランクリッドが無く、荷物はリアシートバックを前に倒して、後ろに押し込まなければならない不便さはあったが、ユーザーの多くは愛くるしいスタイルとすばらしいロードホールディング、そして、安全性が考慮された強固なボディー(ねじり剛性の高さは当時のアメリカ車の4倍ほどであった)、フラットなフロアパンは空力に寄与するだけでなく、スウェーデンの荒れた冬の道路を走破するのに適していたので気に入っていたという。

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これはサーブ エアクラフト社が発行した情報誌「SAAB SONICS」1949年4~6月号に紹介されたサーブ92の記事に載った二面図。

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上の2点は1950年のサーブ92生産ライン。

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サーブの主力製品である戦闘機、サーブ21とサーブ92の2ショット。この92はエンブレム、ドアハンドルの形状などからプロトタイプの1台であろう。サーブ21は1944年から300機以上生産された単座、双胴の戦闘機で、機体後部にプッシャー式プロペラを持つ。いまでは当たり前の射出座席をすでに装備していた。また、この機体をベースにデ・ハビランド ゴブリンエンジンを搭載したサーブ21Rはサーブ最初のジェット機となり、1949~50年に60機生産されている。

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上の3点は1950年に発売されたサーブ92のカタログ。

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トランクへの荷物の出し入れが外からできないのはさすがに不便と感じたのであろう、1952年12月にトランクリッドが付き、これに関連して燃料タンクの変更と給油口が左側リアフェンダーに、バッテリーはトランク内からエンジンルームに移され、内装もフォームラバークッション採用など改良され、リアシートの脱着も容易になり、広い荷室も確保しやすくなった。(上段後ろ向きのクルマ)
 さらに、1954年型(下段のクルマ)ではエンジンの最高出力が25から28馬力に強化され、フレッシュエアーヒーターの改良、ドアウインドーにドラフトリフレクター、前後フェンダーにモールディング、ホイールに通気孔、後席にも灰皿などを追加、内装の質感向上などが施された。この時点でモデル記号はサーブ92Bとなるが、サーブ発行の史料でも、1952年12月のモデルチェンジで92Bとなったとする記述もある。

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上の3点は1952年12月にモデルチェンジしたサーブ92の日本語版カタログ。イラスト、写真はスウェーデンで印刷し、あとから日本で日本語を印刷したと思われるが、最下段に2種類並べて載せてみたが、説明文の位置が異なるものが存在したのが分かる。また、最下段の後ろ向きのクルマには、前後フェンダーにモールディンが付いているが、ホイールには通気孔がなく、謎である。当時、サーブの日本総代理店はボルボと同じ横浜にあった日本自動車工業株式会社であった。

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上の5点は1954年型サーブ92Bのカタログで、塗色の種類も増え、サンルーフも選択できた。
サーブ92の生産台数は、1949~1950年:1246台、1951年:2179台、1952年:2298台、1953年:3424台、1954年:5138台、1955年:5163台、1956年:680台で、合計2万128台であった。

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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