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第65回 ボルボ・カー・ジャパン、1959年式PV544をトヨタ博物館へ寄贈
2017.12.27

 ボルボ・カー・ジャパン株式会社は、世界で初めて3点式シートベルトを標準装備した1959年式「PV544」をトヨタ博物館に寄贈した。これまでトヨタ博物館はボルボを所蔵しておらず、ボルボが歩んできた安全技術に関する取り組みを国内外へ向けて発信すべく、ボルボは「PV544」の寄贈を決定したという。
 寄贈式が12月15日にトヨタ博物館で行われたので、その様子とPV544およびベースとなったPV444について紹介する。
 2017年はボルボにとって最良の年と言えよう。V90/V90 Cross Countryが2018年次RJCカーオブザイヤー・インポートを受賞したのを皮切りに、S90/ V90/V90 Cross Countryが2017 - 2018日本自動車殿堂インポートカーオブザイヤーを受賞、さらに、XC60が2017 - 2018日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。輸入車が日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのは2013 - 2014年のフォルクスワーゲン ゴルフに続いて、同賞38年の歴史の中でわずか2回目であり、快挙であった。
 スウェーデン史上最大級となる110億ドル(約1兆3000億円)の巨費を投じ、4年の歳月をかけて開発した新世代ボルボの完成度の高さに加え、他社に先駆けて地道な努力を重ねて培ってきた世界最高水準の全方位的な先進安全機能を標準装備するなどが高く評価されたのであろう。美しさとは程遠い、奇をてらったデザインが氾濫するなか、上品で美しいデザインも好感をもって迎えられたのだと思う。
また、旧車を安心して乗り続けられるよう始めた「クラシック ボルボ リフレッシュ プロジェクト」がマツダの「初代ロードスターのレストアサービス」とあわせてRJCカーオブザイヤー・特別賞を受賞している。

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寄贈車のフロントグリルに付けられたアイアンマークと称するエンブレム。

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寄贈された1959年式ボルボPV544。程度が良く、しかも3点式シートベルト装着車ということで、日本国内では見つからず、ボルボ本社が所有していた個体をボルボ・カー・ジャパンが譲り受けて寄贈したという。

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ボルボ・カー・ジャパンの木村隆之社長(向かって右側)、ボルボ・カーズ・ヘリティッジのペロオケ・フローバーグ(Per-Åke Fröberg)ディレクター(中央)の挨拶の後、特大のキーがトヨタ博物館の布垣直昭館長に贈呈された。

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挨拶する布垣直昭館長。

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PV544のエンジンルーム。自分で日常の点検・整備が楽しめた懐かしいたたずまい。巨大なヒーターユニットとブロワーを見ると、北欧のクルマだと実感できる。

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PV544に装着された世界初の3点式シートベルトのデモンストレーションをするペロオケ・フローバーグ氏。

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贈呈式に自走してはせ参じてくれた3台のPV544。オーナーの話ではボルボ・カーズ東名横浜に併設されているVolvo Klassisk Garageにオーダーすると、どんな部品でも3日から遅くとも1週間で手に入るので安心して走れるという。

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トヨタ博物館正面エントランス前で一息入れるPV544たち。

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時を忘れて延々と続くクルマ談議。

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1942年には大型のPV60のプロトタイプ完成と同時進行の形で、小型のPV444の構想もスタートしており、これはPV444のモックアップ。テールランプはPV60と同じものが使われている。(Photo:Volvo)

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上の2点はPV444のプロトタイプで、1944年9月にストックホルムで開催したボルボの展示会で公開された。展示会には15万人ほどが訪れ、2300台以上の予約注文を受けたという。価格は4800スウェーデン・クローナ(SEK)で、17年前に発売された最初のボルボÖV 4(愛称ヤコブ)と同じという、安く、魅力的な価格設定であった。1945年にはスウェーデン国内で3万kmに及ぶテスト走行が実施された。(Photos:Volvo)

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1927年に発売された最初のボルボであるÖV 4(愛称ヤコブ)と1945年のボルボPV444プロトタイプ。(Photo:Volvo)

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上の3点はPV444のペイントショップとアッセンブリーラインの様子。一番下の写真はマイナーチェンジされた1955年式で、リアウインドーがワンピースとなっている。1955年は初めて米国カリフォルニアに輸出を開始した年でもあった。(Photos:Volvo)

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1951年に20台輸入されたPV444のうちの1台。おそらく日本に輸入された最初のボルボではないだろうか。後方に見えるのは江ノ島。(Photo:Volvo)

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上の5点は1951年に20台輸入されたときに印刷されたPV444の日本語版カタログ。サイズは、ホイールベース2600mm、全長4430mm、全幅1580mm、全高1650mm、トレッド前1295mm/後1315mm、最低地上高220mmで、車両重量950kg。1414cc直列4気筒OHV 44HP/4000rpm、9.5kg-m/2200rpmエンジン+3速MT(1速はノンシンクロ)を積む。ボディーはモノコック構造。スタンダードとスペシャルがあり、スペシャルには前後フェンダーサイドにクロームモールディングが付くので容易に識別できた。日本総代理店は横浜の日本自動車工業株式会社であった。

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上の4点は1957年3月に発行されたPV444の米国向けカタログ。1957年にはマイナーチェンジされ、フロントグリルは横棒式からネットパターンに変更され、テールランプの形状と取り付け位置も変わっている。方向指示灯の位置もBピラー上部からヘッドランプ下に移された。また、ブラックとイエローのシートを採用するなど米国向けの演出が施されている。さらに、エンジンは1956年に発売された121/122 S アマゾンと同じB16A型1583cc直列4気筒OHV 60馬力が積まれ、米国仕様にはB16B型SUツインキャブ85馬力が積まれた。PV444の総生産台数は19万6005台。

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米国向けに船積みされる1957年式PV444。(Photo:Volvo)

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1958年、PV444に大幅な改良を加えて生産開始されたPV544。(Photo:Volvo)

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上の8点は1959年4月に発行されたPV544の米国向けカタログ。PV544ではPV444の欠点であった前後視界の悪さおよび後席の狭さを改善、フロントウインドシールドのガラス面積を22%拡大、リアウインドーは下縁をさげて19%拡大された。テールランプも大型化された。エンジンの標準仕様はB16A型1583cc直列4気筒OHV 60馬力だが、米国仕様にはB16B型SUツインキャブ85馬力が積まれていた。トランスミッションはフルシンクロの4速MTが標準で、3速MTがオプション設定されている。サイズは、ホイールベース2600mm、全長4496mm、全幅1590mm、全高1530mm、トレッド前1295mm/後1315mmで、車両重量971kg。この年、北欧市場向けに世界で初めて3点式シートベルトが前席に標準装備され、後席にも取り付け用アタッチメントが装備された。ただし北欧以外ではベルト本体はオプション設定であったが、1963年2月発行の米国向けカタログでは前席に標準装備され、その後、全世界に展開されていった。

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上の2点は1961年10月に発行された北欧仕様カタログ。エンジンがB18A型1778cc直列4気筒OHV Zenithシングルキャブ75馬力とB18B型SUツインキャブ90馬力に強化された。トランスミッションはフルシンクロ4速MTのみとなった。電気系が6Vから12Vに変更されている。サイズは、ホイールベース2600mm、全長4450mm、全幅1590mm、全高1560mm、トレッド前1295mm/後1315mmで、車両重量1010kg。PV544の総生産台数は24万3990台。

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これはボルボの安全対策の歴史をまとめた表で、ボルボが独自の基準に従って率先して安全対策をとり入れ、常に他車をリードしてきたのが分かる。

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1970年に自動車メーカーとして初めて事故調査隊を編成。24時間体制でボルボ本社のあるイエテボリから半径100km圏内でボルボ車が関与した事故が発生すると、警察から連絡が入り、調査隊員が出動して現場調査したあと、事故車をボルボのワークショップあるいはセーフティセンターに運び調査してデータを蓄積・解析。それらのデータは社内にとどまらず、社外の医療研究機関や大学の研究者、保険会社などにも提供され、それぞれの解析結果を統合して、社内の開発部門にフィードバックされた。このような長年にわたるデータの蓄積をもとに多くの安全装置が開発されてきた。

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2000年4月、日本でも着用が法制化されたチャイルド・シート。ボルボでは1960年代から開発をはじめ、1972年には世界で初めて後ろ向き装着タイプのチャイルド・シートを導入している。以来、約30年、ボルボはチャイルド・セーフティを最も大切な使命としてきた。
 ボルボは1959年に世界初の3点式シートベルトを標準装備したが、これは「20世紀のもっとも重要な8つの発明」のひとつに選ばれている。発明者は航空技師であったニルス・ボーリン(Nils Bolin)で、緊急時にパイロットを機外に放出する脱出シートの設計を担当していた。しかし、彼の関心は逆のテーマに向いており、極度の減速時にいかに身体を安全に保持するかにあり、1958年にボルボに移ったボーリンが完成させたのが3点式シートベルトであった。ボルボは、誰もがこの技術の恩恵を得られるよう特許を無償公開し、以来このシートベルトは100万人を超える人々の命を救ったとされている。
 ボルボが創業以来培ってきたクルマ造りの哲学は「クルマは人によって運転され使用される。したがってボルボの設計の基本は常に安全でなければならない。」であり、「2020年までに新しいボルボ車に搭乗中の交通事故による死亡者や重傷者をゼロにする。」という究極の「セーフティービジョン2020」を掲げている。

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ボルボPV544は1950年代後半から1960年代前半にかけて最も成功したラリーカーのひとつであった。これは1958年スウェディッシュラリーの1シーンで、総合優勝している。スウェディッシュラリーでは1957年にPV444、1964、65年にもPV544が優勝している。(Photo:Volvo)

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これは1965年サファリラリーで優勝したPV544。(Photo:Volvo)

 今回トヨタ博物館訪問時、ごく初期のサーブ92が展示されているのを見つけた。ボルボと同じスウェーデン製であり、当時日本の総代理店がボルボと同じ日本自動車工業株式会社であることから紹介したいが、あまりにもボリュームが増えてしまうので次回に回すことにした。当初、三樹書房からは写真は10点ほどと言われており、毎回重すぎるのではと気にはしているのだが、毎回オーバーしてしまう。来年は少し改めねば。では、どうぞ良いお年を!

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執筆者プロフィール

1937年(昭和12年)東京生まれ。1956年に富士精密機械工業入社、開発業務に従事。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍。1970年にATテストでデトロイト~西海岸をクルマで1往復約1万キロを走破し、往路はシカゴ~サンタモニカまで当時は現役だった「ルート66」3800㎞を走破。1972年に海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導やノックダウン車両のチューニングに携わる。1986年~97年の間、カルソニック(現カルソニック・カンセイ)の海外事業部に移籍、うち3年間シンガポールに駐在。現在はRJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)および米国SAH(The Society of Automotive Historians, Inc.)のメンバー。1954年から世界の自動車カタログの蒐集を始め、日本屈指のコレクターとして名を馳せる。著書に『プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー』『三菱自動車 航空技術者たちが基礎を築いたメーカー』『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』(いずれも三樹書房)。そのほか、「モーターファン別冊すべてシリーズ」(三栄書房)などに多数寄稿。

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