T型は1908年から27年までの20年にわたって殆どモデルチェンジをしないで、1500万台も1つのモデルを造り続け、アメリカ中を「T型フォード」で埋め尽くした。これは「大量生産」のシステムを確立して「低価格」で販売し、ヘンリー・フォードが信念としていた「一般大衆に自動車を普及させる」ことを実現させた結果で、これによってアメリカでは「自動車」は金持ちの贅沢な道具から、「誰もが使う実用品」とまで意識改革が進み社会の仕組みまで大きく変えてしまった。その功績は計り知れないが、その裏はにフォードにとって予想外の問題もあった。価格を下げるためには「モデルチェンジ」をしない、「黒一色のみ」など、ユーザーの好みは全く無視した方針は、ヘンリー・フォードの「安くて良い車を提供する」という一貫した頑固な考えの表れだろう。ところが、やっと車が持てて喜んでいた「一般大衆」も、次の車に買い替える時にはお洒落で一寸カッコいい車がほしくなるのは人情だ。そこに目を付けたのがスタイルにも十分力を入れていた「シボレ-」で、このシボレーの追い上げがフォードのニューモデルへの決断の切っ掛けとなったわけだ。モデルAの開発に際してはメカニズム・オンリーの父ヘンリーに対して、時代の流れを読み流行やスタイルを十分考慮すべきだという息子エドセルとは激しい対立があったと伝えられている。しかしこの「モデルA」の大ヒットによって、スタイルに関しては完全にエドセルが主導権をとり、以後ヘンリーは全く口を出すことはなかった。ところで、このモデルチェンジにあたってフォードは大きな失敗をしてしまった。T型は1927年1月から5月までに約84万台造って生産を終了してしまったが、後継の「モデルA」が生産を始めたのは6か月後の12月からでわずか5000台しか作れなかったから、長年続けて来た生産台数トップの座をシボレーに奪われてしまった。そのあと1929,30年再び奪い返したのだが、実はあの大恐慌に直面してGMではきちんとした生産調整をしていたからで、その配慮の無かったフォードは このあと3年も赤字が続き、以後大衆車部門はシボレーが首位の座を守ることになる。
(写真00-28~31)A型のグリル変遷
A型は4年間で3回変化した。最初の1928-29年型は背丈が低く全体に丸みを帯びている。30年になると縦に細長くなり、グリルの角にエッジがついて角ばった印象となった。31年はシェルの上部がボディと同色に塗装された。
(写真28-1abc)1928 Ford Model A Standard Phaeton (2007-04 トヨタ自動車博物館)
A型は1927年12月に登場したがモデルイヤーでは1928年型なので「27年型」は存在しない。「フェートン」は当時もっとも一般的なスタイルで、大勢乗れて価格も一番安かった。因みに4ドアのセダン(Fordor)の585ドルに対して460ドルで買う事が出来た。
(写真28-2abc) 1928 Ford Model A Standard Pheaton (2014-11 トヨタ博物館クラシックカー・フェスタ/日本橋)
この車も前項と同じグレードの「フェートン」だ。A型のホイールベースはT型の100インチ(2540mm)に対して103,5インチ(2628mm)と少々長くなった。エンジンはT型の改良型で水冷直列4気筒Lヘッド98.4×108mm 3285.5cc 40hp/2200rpm (T型は2895.5cc 20hp/1600rpm)とパワーアップした。一番大きな変化はトランスミッションが前進3段のギア・シフト方式で単板クラッチと組み合わせた事により、それまでのフォード独自の方式から普通の自動車と同じに変わったことだ。
(写真28-3ab) 1928 Ford Model A Sports Coupe (1988-01 TACSミーティング/明治公園)
「スポーツ・クーペ」という車種はかなりお洒落な車で、写真ではよく見えないが、一見カブリオレのように見える。実は金属製のクーペ・ボディに布を張り、ダミーのランドウ・ジョイントを付けた手の込んだもので,フォード以外の一般には「フォー・カブリオレ」(見せかけの)と呼ばれるタイプだ。値段は550ドルと上から2番目に高価だった。
(写真28-4ab)1928 Ford Model A Business Coupe (1988-01 TACSミーティング/明治公園)
この「ビジネス・クーペ」も一見キャンバス・トップのように見えるが、金属製の3ウィンドウ・クーペに布を張ったもので、「スポーツ・クーペ」からランドウ・ジョイントとランブルシートを省いたものだ。値段は少し安く525ドルだった。
(写真28-5a~e)1928 Ford Model A Special Sport Coupe (1887-01 TACSミーティング/明治公園)
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<3番目に登場するのは「スペシャル・ビジネス・クーペ」で、クオーター・パネルに窓を持つ5ウィンドウ・クーペだ。トップはレザー張りで、ランブル・シートを持つ。価格はビジネス・クーペと同じ525ドルだった。
(写真28-6abc)1928 Ford Model A Town Car (1998-08 ブルックス・オークション/カリフォルニア)
「タウンカー」というタイプは馬車時代の名残で、ドライバーシートに屋根がなく、ご主人様は密閉された室内のシートに収まる。格式の高いフォーマルなモデルで、本来は正装してパーティーに乗り付けるためのもので、郊外への遠乗りには別の車が用意されているという設定だ。この年のフォードの中でも最高位の車で、値段も他の車の2倍以上する1200ドルだった。
(写真29-01a~d)1929 Ford Model A Taxi Cab (2015-11 トヨタ自動車クラシックカー・フェスタ/神宮外苑)
一見平凡な4ドア・セダンのように見えるが、この当時は、オープンモデルよりは金属製のクローズドボディの方がずっと高級車だった。この年のフォードのラインアップでは一般向けのセダンは2ドア4ドア共に側面の窓は2枚だった。しかしこの写真の車は3枚の窓を持つ「タクシーキャブ」だ。現代の感覚ではトヨタ・クラウンの例でもタクシーキャブのグレードは低い。しかし、このタクシーキャブは一般向けが400~500ドル代だったの対して695ドルと高価だった。
(写真29-2ab)1929 Ford Model A Town Car (1995-08 クリスティズ・オークション/カリフォルニア)
「タウンカー」のドライバーシトには屋根が無いのが基本系だが、いざという時のために-取り外し可能な屋根の用意はある。
(写真29-3ab)1929 Ford Model A Roadster Pick-up (1990-07 アメリカンドリームカー・フェア/幕張)
乗用車「ロードスター」ベースで後ろ半分を荷台にしたピックアップ・トラックだ。
(写真30-1ab)1930 Ford Model A Standard Roadster (1980-01 TACSミーティング/神宮絵画館)
30年型になるとラジエターが縦型になったせいか少しモダンになった印象を受ける。写真の車は「スタンダード・ロードスター」だが、デラックス・モデルとの違いはスペアタイヤがボディサイドにマウントされていないのと、カウルライトと称する小さいライトが付いていないだけで、435ドルと60ドル安かった。
(写真30-2ab)1930 Ford Model A Deluxe Coupe (1990--01 JCCAミーティング・汐留)
(写真30-3ab) 1930 Ford Model A Deluxe Coupe (1990-07 アメリカンドリームカー・フェア/幕張)
両車とも全く同じ年式で同じグレードの車で、しかも両車とも非常によくオリジナルが保たれている。価格は550ドルだった。
(写真30-4a~e)1930 Ford Model A Tudor Sedan (1970-04 CCCJコンクール・デレガンス/東京プリンス)
一般には「2ドア・セダン」と呼ばれるタイプだが、フォードでは「Tudor」という独特な名称で呼んでいた。それまで「Fordor」「tudor」だけであえて「Sedan」は付けて居なかったが、この年は正式名称に「セダン」が付けられた。この当時はまだカラーフィルムが高く、1回に1本しか持って行かなかったから、色見本的に1枚だけカラーで撮っていた時代で、リバーサルフィルムは許容度が狭いので黒い部分は潰れてしまったが、ホイールが黄色だったことは記録できている。
(写真30-5a~d)1930 Ford Model A Deluxe Coupe (1965-11 CCCJ コンクール・デレガンス/池袋西武)
この車も全体的にオルジナリティーがよく保たれているが、残念なことにホイールだけは多分B型のものと思われる太めのタイヤがついている。消耗品のタイヤはこの当時入手が難しく他にも多く見られた傾向だ。
(写真30-6abc) 1930-Ford Model A Standard Roadster (1973-09 安宅コレクション/二子玉川高島屋)
(写真30-7a~d)1930 Ford Model A Standard Roadster (1977-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
・最初の黒塗りの車は「安宅産業」がニュージーランドで集めてきた大量のオールドカーの1台で、二子玉川の高島屋で展示された際のスナップだ。
・クリーム色に塗られた車はすっかり「お色直し」しているがどうも、前の車と同じではないかと気が付いた。その一番の証拠は正面に吊るされた「1930年型 A型フォード」と書かれたプレートだ。
(写真30-8a~d)1930 Ford Model A Standard Roadster (1961年 東京タワー付近/港区)
僕が東京の街で自動車の写真を撮り始めた1960年代のはじめ頃(昭和35年)、A型フォードは趣味の対象としてではなく、まだ現役で街を走っていた。それらの車は例外なくノン・オリジナルの太いタイヤを履いていた。
(写真30-9ab)1930 Ford Model A Hot-Rod (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
この車は「A型 Deluxe Coupe」ベ-スのホットロッドで、エンジンはV8を積んでいるか、外観にはあまり手が加えられていないから、ボンネットを被せれば普通の車に見える。
(写真31-1a~e)1931 Ford Model A Deluxe Phaeton (1971-03 ハーラーズ・コレクション/晴海)
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この車は晴海で開かれた「ハーラーズ・コレクション」で展示されたもので、勿論しっかりとオリジナル・コンディションにレストアされたものだ。大衆車フォードといってもなかなか見ごたえがあるという印象が残っている。特に日本では滅多にお目にかかれないシンプルなスポークのホイールには目を引かれた。
(写真31-2a~d,e~g,h~j)1931 Model A Standard Phaeton (1962-01,1985-01,2015-04 )
この車は日本にあるA型フォードでは一番よく知られている「慶応義塾」と書かれている車で、右ハンドルなので「日本製」と判る。この車はイベントによく参加しており、僕は1962年以来8回見かけている。最初の時はスペアタイヤ以外は太いタイヤを履いていたが今はオリジナルサイズとなった。しかし金網のストーンガードを付けたグリルは、純正かも知れないが僕には昔のほうが懐かしい。
(写真31-3abc)1931 Ford Model A Standard Phaeton (1965-11 CCCJ コンクール・デレガンス/池袋西武)
ンボンネット・サイドに「FORD」と入っているのと,太いタイヤはノン・オリジナル。風通しの良い「フェートン」にサイドカーテンを付けて冬に備える構えだ。因みにこのサイドカーテンは個別にオープンすることができるから料金所の通過もOKだ。(もっとも今はカードがあるからその必要も無いないが)
(写真31-4abc)1931 Ford Model A Deluxe Phaeton (2012-12,2014-04,トヨタ博物館クラシックカー・フェスタ/日本橋)
こちらも慶応に負けじと最近レストアを進めてきた「千葉工大」の車で、これも右ハンドルなので「日本製」と思われる。最初見た時は、ご多分に漏れずまだ太いタイヤだったが、最近オリジナルタイヤに換装した。一見太いように見えるが、これはこれでオリジナルサイズとの事だった。
(写真31-5abc)1931 Ford Model A Convertible Sedan (1998-08 ブルックスオークション/カリフォルニア)
「コンバーチブル・セダン」というタイプは「A型」の中で最上位にある車で、全部で約360万台造られた「A型」だが1931年に4864台造られただけで0.13%という極めてレアな存在だ。幌を下した状態で窓枠は残り、窓はガラスで開閉できる。幌を上げればセダンと同じで、いわゆる「全天候型セダン」である。シリーズの中では一番高く640ドルだった。
(写真31-6ab)1931 Ford Model A Convertible Cabriolet (2010-07 東京コンクール・デレガンス/お台場)
「コンバーチブル・カブリオレ」というモデルは2ドア2人乗りで裏張りのある厚いキャンバスのトップはランドウ・ジョイントを必要とする洒落たスタイルだ。後ろのトランクはオプションでランブルシートも選択出来たようだがこの車には乗り込むためのステップが見当たらないのでシートは無いようだ。値段は595ドル。トップを上げると殆ど同じように見える仲間に「スポーツ・クーペ」があるが、こちらは金属製のボディに布を張ったもので、見せかけのランドウ・ジョイントを持つが、オープンはならない。
(写真31-7abc) 1931 Ford Model A Tudor Sedan (1990-01 JCCAミーティング/汐留)
「2ドア・セダン」はA型全部では126万台造られ、全体の三分の一を占める程の売れ筋だった。(2番は4ドア・セダンの60万台、3番目はスタンダード・クーペの55万台だった)ファミリー・カーとしては4ドアの方が使い勝手がよさそうに思うが、2ドア490ドル、4ドア590ドルと100ドルの差は大きかったのかもしれない。ドアが1枚50ドルだ。
(写真31-8abc)1931 Ford Model A Deluxe Roadster (1960-01 港区内)
写真の車は1960年(昭和35年)現役のナンバー付きで街を走っていた車を捉えたものだ。信じられない程に程度がよく、しかもホイールまでオリジナルだった。この当時「り」ナンバーは日本人以外に割り当てられていたようなおぼろげな記憶があるが、もしそうだったとしたら戦前の生き残りではなく、海外から持ち込まれたものかもしれない。
(写真31-9a~d,e~g)1931 Ford Model A Deluxe Coupe (1982-01 明治神宮絵画館/2014-04 日本橋)
この車もクラシックカーに興味を持っている人たちには「日光のA型フォード」して良く知られた車で、長い間愛好家のもとでオリジナルを守られてきた車だ。この車にはランブルシートが付いているが乗り込み用のステップは見当たらない。
(写真32-1ab) 1932 Ford Model B Victoria Coupe (1979-01,1980-01/TACSミーティング)
1932年それまで4年続いた「A型」の後継モデルとして「B型」を発表した。エンジンは水冷直列4気筒Lヘッド3285.5cc 50 hpで、「A型」と変わらない。実は1932年型の主体は「V8」モデルで、「B型」はそのボディに4気筒エンジンを載せた折衷モデルだ。A型以来の根強い4気筒愛好家のため配慮したものだが、全体の三分の一に近い7万6千台も造られている。「ビクトリア・クーペ」というタイプは「2ドア・セダン」に近いが、後ろ半分が少し短く、その分お尻が斜めに傾斜している。このモデルは521台しか作られていない希少モデルだ。
(写真32-2a) 1932 Ford Model B Fordor (1990-01 JCCA ミーティング/汐留)
「B型」と「V8」の外見の違いは、正面から見た時にヘッドライトを繋ぐ横バーの「V8」マークの有無でみわけられる。
(写真32-3a~e)1932 Ford V8 Deluxe Coupe (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
ヘンリー・フォードは、1929年から6気筒を載せている「シボレー」に対抗するためには、それを上回る「8気筒」を載せるしかないと「V8」エンジンを低コストで製造する開発を続けて来た。当時は6気筒でも贅沢で、8気筒は「キャディラック」「クライスラー」「リンカーン」「パッカード」などの高級車の為のものだったから、大衆車「フォード」に電気モーター並みに滑らかな回転するエンジンは贅沢の極みだった。だからようやく市販に至った「V8」が1932年の本命だったということだ。写真の車は正面に「V8」のマークがあるので、「B型」ではなく「V8」モデルということが判る。英国内で撮影したこの車は右ハンドルなので英国製のフォードだろう。
(写真32-4ab)1932 Ford V8 Sports Coupe (2003-02 レトロモビル/パリ)
「スポーツ・クーペ」は金属製のボディにキャンバスを張り、見せかけのランドージョイントを付けた一見カブリオレにも見えるお洒落な車だ。この車は塗装にも特別な配慮がされている。
(写真32-5a)1932 Ford V8 Deluxe Tudor (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
前の車に較べると平凡なこの車は、一番人気のあった「Tudor」(2ドアセダン)で、デラックス・モデルは両サイドにスモール・ライトを備えている。尚この年の公式名称は「Fordor」「Tudor」のみで後に「Sedan」は付かない。
(写真32-6a~m)1932 F0rd V8/Model B Hot-Rod 各種いろいろ
フォードベースのホットロッドは「T型」と「B型」が特に多い。あちこちで見つけた「B型」のホットロッドをまとめてご紹介する。
―次回は毎年モデルチェンジが始まった1933年から戦前最後の43年までの予定です―