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第6回 メグロスタミナK1vsカワサキ500 K2
2017.11. 7

 カワサキメグロ製作所の時代に、カワサキ図面方式でスタミナ500K1の図面を引き直した林政康は、カワサキメグロの川崎重工業には入らず別のメーカーに移り、燃料噴射の設計をして国産のフォーミュラマシンに搭載、見事に優勝した実績を残した。さらにはその技術力を活かしてガソリン給油機の設計に移り、さらにその後は逆三輪自転車を開発したが、特許申請を忘れたため、その機構は現在の前2輪バイクに活かされていることになる。
 そうしたメグロの技術者も実際には、SOHCエンジン車がメグロの顧客になじまず、仕方なく昭和機械製作所で設計してきた「時代遅れだったスタミナK1エンジン」を、どうにか1960年代初頭の技術でまとめあげた。
 K1需要の多くが、陸王750生産中止による白バイ用K1Pだったため、その使用法から自ずと故障する個所が集約された。その故障個所は手本になった英国車BSAのA7シューティングスターも同様だった。アメリカでは「欧州車達をスタートさせて、まず壊れるのがBSAツイン、その先にビンセント、ゴールできたのがドイツ車のBMWなど」だったという逸話が存在する。
 BSAのA7もスタミナK1も、まずはクランクシャフトのブッシュ部潤滑不足、それに発電機故障がウィークポイントだった。オリンピックの際にカワサキのサービスカーが交換用発電機を積んで待機していたと当事者達は語る。
 このため東京オリンピックに間に合わなかったものの、川崎重工業側で引き継いだカワサキ500メグロK2の設計をすることになったのが、歴代カワサキ4サイクル車を担当するようになる稲村暁一だった。それ以前、カワサキメグロ時代から新型メグロK2を時代に合致させたSOHCツインで設計しようとしていたが、すでに生産する余力もなく、カワサキでの生産が決まっていた。
 だが現実には、新型K2は東京オリンピックにも間に合わない。カワサキ側で設計しはじめたものの材料調達面で難航するなどしたため、急きょK1のウィークポイントを解決、結果的にマイナーチェンジ型のK2を世に送り出すことになるのである。

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 これは生産されてから50年以上経過したメグロマニア所有の未再生スタミナK1、市販型はダブルシートだが、これは白バイ用シングルシートに換装してマニアックさをみせている。なおK1古参ユーザーの呼び方としては逆に1K(イチ・ケー)と称することもある。

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 このマシンはオーナーによってオイル潤滑に気を配り、電装もメンテナンスしてユーザー車検を取得して実際に実用に供されている。前後バンパーなども白バイ用装備品で、今日では際めてレアな存在とされる。

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 これはカワサキの技術レベルで製作されたカワサキ500メグロK2。同年代のカワサキ250メグロSGは純粋に、カワサキメグロの林政康が明石で図面を引いて設計したものであるが、K2は稲村暁一がK1の持つトラブル個所を無くすべき尽力した製品で、1964年10月量産試作車完成、1965年1月量産開始、1965年4月発売となった。

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 エンジン設計はもとより、デザインにタッチした三秋郁夫は「とにかく名車のメグロを引き継ぐのですから、細かい部分まで旧スタミナに敬意を払い、注意して仕上げました。」と語る。従って細かいパーツのディティールはK1的に処理されていることがわかる。

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 K1エンジン本体(画像は後期型)は、BSAのコピーとされるが、まったく同じではなく、部品の互換性もない。エンジンの外観的にはマフラー取付け部はBSAのバンド締めに対しフランジ式、Y型クランクケースのボルト数や位置も異なり、メグロの図面で設計製作されたことで、フルコピーでないことがわかる。
 K1初期型オイルタンクは、サイドカバー前部に縦型の円形冷却フィン付オイルフィルターがあり後半分がオイルタンクになる方式で、構造的にまったく異なるものであった。オイルタンク容量は初期型2.2リッター、後期型3リッターと異なる。

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 これはK1のエンジン潤滑図で、オイルタンクを車体右側に持つドライサンプ方式。タンク内のフィルターを経由してオイルラインからクランクケース下部ギア=機械式ポンプによりオイルがオイルパイプ経由で上部へ送られ、シリンダーヘッド部ロッカーシャフトに至る。
 クランケース内オイルラインにより後部カムシャフト+アイドルシャフト、ケース前部レリーフ(またはリリーフ 以下同)バルブ、そしてY字カバーからクランクシャフト部に送られ、各部から落下してくるオイルがクランクケース内部下のオイルパンに溜められ、オイルタンクに戻される方式を採用。

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 写真のK2エンジン本体と、K1とを比較すると、Y字カバーの下部が太くなり、ケース前側にあったレリーフバルブもケース内に移り、Y字カバーのボルト位置も外側に追いやられ、本数も少なくされていることがわかる。
 エンジンは外観を見ても全面的に変更されているが、出来得る限りK1イメージを踏襲しようとする姿勢がみられる。もっとも旧メグロ系技術者達は「Y字カバーが武骨になった」感がする、という意見もあった。

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 K2のディーラー向け取扱説明書(機構説明&整備マニュアル)内オイル潤滑図、K1のレリーフバルブはクランク下側ピニオンギアーオイルライン部で油圧を管理していたが、K2ではクランクシャフト上部に移されたため、クランクケース前部造型形状はシンプルになった。

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 クランクシャフト比較で左=K1、右=K2のいずれもパーツリストより。駆動=出力取出し側はローラーベアリングで強度&潤滑不足はなかったが、大きく変わったのK1クランクのタイミングギア側のブッシュ式ベアリング(左図17)である。
 K2ではボールベアリング支持になり、オイル潤滑量アップのためオイルポンプが機械(ギア)式からトロコイド(篇芯カム)式になった。さらに、クランクナット外側に位置したオイルポンプ駆動用小径アイドラーギア(左図21左側)が、K2ではタイミングアイドラーギアー並みに大きくかつリングどめに(右図下から2段目左から4番目のギア)なるのである。
 これにともないK1では小径だったギア径も倍近い径になり、特にオイルポンプギア径が大きいことが、この比較図からもわかる。

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 左のK1クランクケースは、クランクケース本体右側にタイミングカバー(左図30)を組み付け、さらにY字カバーで蓋をするという、従来からのメグロ同様の部品構成を採用していた。対する右のK2クランクケースでは部品点数を減らす=組み立て工数減少のため努力がされ、クランクケース前方に発電機全周マウント式を採用。
 Y字タイミングカバーを廃止して、替わりに三角型のアイドルシャフトホルダーを採用、クランクギアへのアイドルギアを支持させ、外側には発電機駆動チェーンスプロケットをマウント。クランクシャフトから駆動されるオイルポンプギア径が耐久性向上のため大きくなって、Y字型カバー内部がふくらむなど、クランクケース内部も大幅に変更された。

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 この2図を見ればシリンダーやシリンダーヘッド部分は、ほぼK1を踏襲してK2になったことがあきらかにわかる。ロッカーボックス部はオイル飛散によるオイルにじみを防止するため、ガスケットの形状変更がされ、ロッカーシャフト部オイルラインも後部から前側に伝わる方式をセンター分けにしている。
 キャブレターはミクニアマルのモノブロックが継続して使われているが、これはまだ大排気量車用の新型キャブレターがない時代だったためである。エアークリーナもK1を踏襲しているなど、K2はK1のウイークポイントを解消するためのマシンであった。

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 カムシャフト部分も大きく変わらないことがわかるが、右図K2のカムシャフト部にタコメーターギアが切られ、オプションでタコメーターを装着できるようにしたことがいちばん右のタテ配置のパーツ類でわかる。 
 1960年公開のメグロKSスタミナスポーツでは、Y字後部のカムシャフト部に英スミス製のような変換ギアを用いて水平にワイヤー出していた。ちなみに当時としてタコメーター装着はホンダのCB92スーパースポーツに続くものであった。
 ただしKS方式ではライディング時にワイヤーが右膝にあたるため、カワサキK2では逆位置にあたるカムシャフト左側からギアを介して垂直にケーブルを取り出す工夫がされた。

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 これは電装関係比較で、左がK1、右がK2で構成面で大きな変化はないが、左のK1に採用されている戦前からメグロ全車に採用されてきた、偏心マウント式ボッシュ(戦前BMW)タイプの三菱製直流発電機が右のK2では同心円で太くなった国産電気製直流発電機(ハーレー等に採用の小径タイプ)に変更された。
 このため駆動チェーンの張り方がK1では発電機本体を回して行っていたが、K2ではケース部にチェーンデンシュナーを持つ形式に変更されている。また点火も1ポイントは同じだが、点火コイルがK1では6Vを2個直列に配線するBMWのR100RSまでの方式が、K2ではハーレー同様の12Vの2本点火コード出しに変更された。

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 K1エンジン駆動側、キャブレターは三国アマルのモノブロック376-27(内径27mm)型、キャブレターボディ左側にボディ鋳込みの円形フロート室を持つもので、それまでのフロート別体式のガソリンにじみを無くすため考案され、1955年のヤマハYC175で実用化された。メインジェットは#270。画像はK1Pで東京オリンピック白バイパレード用マシンの要求を受け、倒産し解散したカワサキメグロの横浜工場でカワサキ側の人間がK1P白バイを組み立てて納入したモデルとほぼ同形式である。

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 K2エンジン駆動側、K1とロッカー(ヘッド)カバー形状が変わり、ボルト位置が外側に追いやられているのがわかる。ヘッドとクランクケース形状変更にともない、シリンダースタッドボルト位置や本数も異なる。
 クランクケース部シリンダー下の打刻スペースも金型が角型に彫られ目立つようにされた。キャブレターもK2は一応同タイプを継承するがメインジェットは#290にサイズアップ。

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 カワサキ500メグロK2のカタログ、これ以前の総合チラシにも同名で載せられたが画像はK1そのものというレアな存在のものが配布された。K2外観はK1に配慮してほぼ同じデザイン処理となるが、灯火類はカワサキ車に似たフラッシャーや円形テールレンズなどを採用。このため購入後にK1のヘッドライトに変更する例もみられた。

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 カタログ裏面、厚手の紙にモノクロ印刷されたシンプルなものである。出力的にはSOHCツインのホンダCB77、305ccを凌駕できなかったため「国産最高のトルクを誇る豪快車」とされた。K1はカタログ上の最高速度155km/hだが実測値は150.9km/hで、性能曲線上の151 km/hとほぼ同じ。
 K2では出力アップもあり165km/hに向上。メグロ開発のロータリーチェンジが採用されているが、K1試乗時からスポーツ走行には不向きと評価されたが、市街地警備の白バイ用には便利だったかもしれない。
 


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執筆者プロフィール

1947年(昭和22年)東京生まれ。1965年より工業デザイン、設計業務と共に自動車専門誌編集者を経て今日に至る。現在、自動車、サイドカー、二輪車部品用品を設計する「OZハウス」代表も務める。1970年には毎日工業デザイン賞受賞。フリーランスとなってからは、二輪、四輪各誌へ執筆。二輪・三輪・四輪の技術および歴史などが得意分野で、複数の雑誌創刊にもかかわる。著書に『単車』『単車ホンダ』『単車カワサキ』(池田書店)、『気になるバイク』『チューニング&カスタムバイク』(ナツメ社)『国産二輪車物語』『日本の軽自動車』『国産三輪自動車の記録』『日本のトラック・バス』『スズキストーリー』『カワサキモーターサイクルズストーリー』』『カワサキ マッハ』『国産オートバイの光芒』『二輪車1908-1960』(三樹書房)など多数。最新刊に『カタログでたどる 日本の小型商用車』(三樹書房)がある。

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