三樹書房
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第53回  D項-6 デソート/ダッジ
2017.4.27

<デソート> 1929~61

00 004-13b 1951 Desoto Custom(改造Pickup).jpg
00-0 「エルナンド・デ・ソート像」によるマスコット

「デソート」は「ダッジ」と共にクライスラー・グループの一員として中級車を担当していた。1928 年のクライスラーには、上から「80L」「72」「62」「52」と4つのシリーズがあったが、この年「ダッジ・ブラザース」を買収した事から、翌年からは「クライスラー」「ダッジ」「デソート」「プリマス」と名前を付けたデヴィジョンを独立させ、ここに「クライスラー・グループ」が誕生した。1929年誕生当初は、4気筒のベーシックモデル「プリマス」の上に、小型6気筒エンジン付きの「デソート」をローコスト・スペシャリティー・カーと位置づけして誕生させた。しかし、1933年以降はミドルクラスの「ダッジ」より高価な車となり、アッパーミドルに格上げされたお洒落な車となったが、1960年代に入ると上級モデル「クライスラー」の廉価版「ニューポート」にその座を奪われ「1961年姿を消した。車名の由来は16世紀スペインの探検家で、白人として初めてミシシピー河を発見した「エルナンド・デ・ソート」に因んだもので、その面影は車のマスコットに見ることが出来る。

(写真31-1ab) 1931 DeSoto Six SA 4dr Sedan  (1984-07 冨士スピードウエイ)
31-1 (84-07-16) 1931 DeSoto Six SA 4-dr. Sedan.jpg

31-2 (84-07-18) 1931 DeSoto Six SA.jpg
最初に登場するのは1931年型の典型的な箱型セダンだ。この当時はまだ空気抵抗を問題視することは無かったから乗り易い背の高い箱型が当たり前だった。英国の高級車などは、乗り易さと、重厚さを重視してかなり遅くまで背の高いリムジンを造っていた。この車は富士スピードウエイの駐車場で撮影したものだが、大阪ナンバーだ。正面に(NZ)のプレートが付いており右ハンドルなので安宅産業がニュージーランドから大量に買い付けたオールドカーの中の1台だろうか。

(写真34-1abc) 1934 DeSoto Airflow SE 4dr Sedan  (2007-04 トヨタ自動車博物館)
34-1a 07-04-07_763 1934 De Soto Airflow SE 4dr Sedan.JPG

34-1ab (99-T01-31) 1936 Toyoda Model AA Sedan.jpg
(参考)トヨタでは初めての乗用車「1936 AA セダン」を造る際デソートを輸入し参考にしている。

34-1b (99-T03-32) 1934 De Soto AirFlow SE 4dr Sedan.jpg

34-1c (99-T03-34) 1934 De Soto Airflow SE 4dr Sedan.jpg
1934年になると「クライスラー」と「デソート」はアメリカの市販車としては最初の「流線型」を発表した。「クライスラー」には重厚さを必要とする従来型と併売だったが「デソート」は大胆にも流線型の「エアフロー」一本で勝負した。華々しくデビューした割には一部の「理解者」を除いて、一般にはあまりにも急激なモダン化を身近に取り入れる事に戸惑ったようで、会社の自信とは裏腹に、売れ行きは「今いち」と言うよりは全くの「当て外れ」だった。そんな訳で翌年からは従来型の「エアストリーム」と2本建てとなり、1937年で打ち切りとなった。このように営業的には時期尚早で失敗したが、この車が他社を含めて乗用車のレイアウトに大きな道を示したことは間違えない。それはエンジンからシートまでの「上物」がシャシーに対して大きく前進した事で、これは流線型と大きく関係している。空気の流れを良くする必要から後部を斜めに傾斜させたため、それまで後車軸の真上に位置していた後部座席を前に出さざるを得ないことになり、前席のスペースを確保するためにはエンジンが前車軸を跨ぐまで前進させ、ラジエターが車軸より後ろにあったクラシックスタイルから、現代風のレイアウトに大きく進化した。これは「エアフロー」を廃止した後もそのまま引き継がれた。

(写真35-1abc) 1935 DeSoto Airflow 4dr Sedan (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード)
35-1a (00-49-34) 1935 DeSoto Airflow 4dr Sedan.jpg

35-1b (00-49-35) 1935 DeSoto Airflow 4dr Sedan.jpg

35-1c (00-49-36E) 1935 DeSoto Airflow 4dr Sedan.jpg
現代の目で見れば特別奇異には思えないが、当時としてみれば、かなり「自動車」らしく無かったのだろう。スタイリングの評価はその時代に逆のぼってみなければ受けたショックの大きさは実感できないと思う。

(写真36-1abc) 1936 DeSoto Airstream Custom 4dr Sedan(1998-01 ディズニーMGMスタジオ)
36-1a (98-F06-29) 1936 DeSoto Airstream Custom 4dr. Sedan.jpg

36-1b (98-F06-31) 1936 DeSoto Airstream Custom 4d. Sedan.jpg

36-1c (98-F06-32) 1936 DeSoto Airstream Custom 4dr. Sedan.jpg
この写真はフロリダのディズニーランドへ行った時に、併設されている「MGMスタジオ」で撮影したものだ。この年は「エアフロー」が3年目の最後の年だったが、同時に併売されていた「エアストリーム」がこれで、現代の目で見れば、こちらの方が古臭く感じるのだが、当時の自動車のイメージはこちらが主流で売り上げも圧倒的にこちらが上だった。

(写真39-1ab) 1939 DeSoto Customline 4dr Sedan (1960年 霞が関・最高裁判所)
39-1a (069-21) 1939 DeSoto Customline 4dr Sedan.jpg

39-1b (069-23) 1939 DeSoto Customline 4dr Sedan.jpg
1960年頃(昭和30年代中頃)アメリカの新型車に関心を奪われていた僕は、最近街中で戦前の車が余り見られなくなったことにフト気が付いた。そこで思い付いたのは、お役所では結構古い車が大事に使われているのでは、という事で霞が関へ行ってみた。そこには1930年代のアメリカ車が何台か駐車しておりナンバー付きの物の他、車検切れ廃車目前の物などぎりぎり間に合った感じだった。しばらく経って行った時はみな既に車検切れで、僅かに「リンコン・ゼファーV12」のみが生き残っていただけだった。


(写真40-1a) 1940 DeSoto Custom 2dr Coupe(改)Pickup (1961-03 芝神谷町・港区)
40-1 (057-35) 1940 DeSoto Custom 2dr Coupe(港区芝神谷町).jpg
場所は東京タワーの向え側で当時は芝神谷町3丁目、現在は虎の門5丁目となっている。1940~42年のアメリカ車は戦争中で正規輸入は無いから、僕のコレクションの中でも数少ない貴重な存在だが、なぜかこの車は1枚しか撮影していなかった。この車はナンバープレートから「トラック」に改造されていることが判る。この年代の車は、戦後アメリカ軍関係者が持ち込んだ物が立川辺りでは見られた位だ。


(写真46-1a) 1946-48 DeSoto Custom 4dr Sedan (1953年 静岡市内)
46-1 1946-48 DeSoto Custom Sedan(静岡市内・コーナン16で撮影) - コピー.jpg
ここからは戦後型に入る。戦後初のモデルは1946~48年型には変化が無く外見からは識別できない。


(写真49a) 1949 DeSoto Custom 4dr Sedan     (1957年 静岡県庁付近)
49-1 026-14 1949 Desoto Custom.jpg
戦後のアメリカ車のグリルは、殆どの車が同じ特徴を持ったテーマを踏襲して行ったから、一見してすぐ車種が判った。「デソート」は1955年までカーブした縦のラインがテーマだった。


(写真50-1a) 1950 DeSoto Deluxe 4dr Sedan      (1957年 静岡県庁付近)
50-1 021-27 1950 DeSoto DeLuxe 4dr.Sedan.jpg
前年と殆ど変らないが、前年は「太いラインの間に細いラインが2本」だったが、この年は「全部が太いライン」となった。


(写真51-1a) 1951 DeSoto Custom (改)Pick-up   (1958年  静岡市内)
51-1 004-14 1951 DeSoto Custom(改造pickup).jpg
この車はプロポーションからすると改造前は多分4ドア・セブンだったもので、後ろのドアを潰してピックアップにしたようだ。静岡市内にはこの車の他にも「シボレー」や「ヒルマン」の改造ピックアップがあった。


(写真52-1a) 1953 DeSoto Deluxe 4dr Sedan   (1959年 静岡県庁付近)
52-1a (23-25b)(59-x-23-07b) -25 1953 DeSoto Deluxe.jpg
静岡県庁ではあまりポピュラーでもない「デソート」が好きだったのか、僕が確認しただけでも昭和30年代初期には1949~55年型が同時期に5台も在籍していた。


(写真52-2a) 1952 DeSoto Deluxe 4dr Sedan            (1961-11 羽田空港)
52-2 (078-18) 1952 DeSoto Deluxe 4dr Sedan.jpg
この車は1952年型の「デソ-ト」の正規モデルで、次項にいんちきデソートが登場するので本物と比較されたい。

  
(写真52-3ab) 1952 DeSoto Diplomat    (1962-07 一の橋付近/港区)
52-3a (103-76E) 1952 DeSoto(Plymouth ベースの輸出用格上げモデル).jpg

52-3b参考 (096-29) 1952 Plymouth Concord Deluxe 2dr Sedan.jpg
(参考)1952 Plymouth Concord Deluxe 2d Sedan
実にセコイことを考えるものだが、ベーシックモデル「プリマス」のグリルだけ上級モデルの「デソート」風にデコレーションして「輸出専用モデル」を造り、自動車後進国(当時の日本はまだ開発途上国だった)にプリマスよりいくらか高く売りつけたのだろう。だからアメリカで出版された文献にはこのモデルは存在していない。このカラクリに気付くまでにはずいぶん時間がかかった。前項が本物の「デソート」で、参考にベースとなった「プリマス」も載せておいた。どっちに似ているだろう。

(写真53-1a) 1953 DeSoto Powermaster 4dr Sedan  (1957年 静岡県庁付近)
53-1a (026-15 1953 DeSoto Firedome.jpg
それまで6気筒のみだった「デソート」は、前年からV8エンジンの「ファイアードーム」シリーズを登場させたが、それにはボンネット先端のオーナメントの下に「V」が入っているので、それが無いこの車は「パワーマスター・シリーズ」だ。

(写真54-1ab) 1954 DeSoto Ghia AdventurerⅡ(2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
54-1a (04-68a-08) 1954 DeSoto Ghia AdventurerⅡ.jpg

54-1b (04-68a-10) 1954 DESoto Ghia AdventurerⅡ.jpg
カリフォルニアのペブルビーチ・コンクール・デレガンスで撮影したこの車は「カロセリア・ギア」が手掛けたショーモデル。と言われても、どこにも「デソート」の匂いは感じられない。


(写真55-1a) 1955 DeSoto Fireflite Coronado 4dr Sedan (1957年 静岡県庁付近)
55-1 026-12 1955 DeSoto Fireflite Coronado 4dr. Sedan.jpg
写真の車はボディーサイドの文字が2段書きになっている所から春先だけの季節限定モデル「コロナード」だ。この車も静岡県庁の車だが3トーンの塗り分けは、お役所の車としては少々派手すぎる気もするが・・・。


(写真55-2ab) 1955 DeSoto Firedome 2dr Sportsman Hardtop Coupe (1961年 横浜市内)
55-2a (079-26) 1955 DeSoto Firedome 2dr. Sportsman Hardtop Coupe.jpg

55-2b (077-09)c 1955 DeSoto Firedome 2dr Sportsman Hardtop Coupe.jpg
この車も前項と同じ3トーンの塗り分けだが2ドアのスポーティさと明るい塗装から、これはこれで似合いだと思う。

(写真56-1a) 1956 DeSoto Firedome 4dr Sedan      (1962-03 三田慶応大学付近/港区)
56-1 (096-71) 1956 DeSoto Firedome 4dr Sedan.jpg
この年からグリルの輪郭はそのままだが、長年馴染んで来た縦型のバー(歯型ともいわれる)が消えた。控えめながらテールフィンも程よく全体を引き締めており、この後登場する1957年以降のモデルより僕は好きだ。場所は慶応大学近くの桜田通りで、ここは通りに面した僕の勤務先のすぐ前だから、ここで待っていれば撮影の対象は次々とやってくるという恵まれた環境だった。

(写真57-1ab) 1957 DeSoto Fireflite 4dr Sedan             (1958年 羽田空港)
57-1a 012-34Eb*1957 DeSoto Fireflite 4dr Sedan.jpg

57-1b 012-32b* 1957  DeSoto Fireflite 4dr Sedan.jpg
アメリカ車は1955年からラジエター・グリルとバンパーが一体となった「バンパーグリル」が出現し、クライスラーも 1957年から採用した。まだこだわりがあったようで、上部の横長の楕円が「グリル」で、下のU字型が「バンパー」だと説明されていた。グリルの中に7つの光る小さなものが伝統の「歯型」の名残だそうだ。

(写真58-1a) 1958 DeSoto Diplomat 4dr Sedan        (1959年 赤坂溜池/港区)
58-1 (035-21) 1958 DeSoto Diplomat 4dr. Sedan.jpg
1958年からはライトが「四ツ目」となった。この車もグリル以外は「プリムス」の格上げ「デソート」輸出専用モデルだ。本物の「デソート」のヘッドライトはそれぞれが独立しており繋がってはいない。

(写真59-1a) 1959 DeSoto Diplomat 4dr Sedan   (1959年 赤坂溜池/港区)
59-1 (035-24) 1959 DeSoto Dipromat 4dr. Sedan.jpg
この車も前項と同じ「プリマス」の格上げ「デソート」で、赤坂溜池で見つけたこの車は国際交通のハイヤーだった。タクシー業界では「ダッジ」も含め、かなり多くの「格上げ車」が使われていたようだ。

(写真59-2ab) 1959 DeSoto Firedome 4dr Sedan         (1962-03 渋谷駅付近)
59-2a (096-26) 1959 DeSoto Firedome 4dr Sedan.jpg

59-2b (096-24) 1959 DeSoto Firedome 4dr Sedan.jpg
こちらは本物の「デソート」で、グリルは、格上げモデル「ディプロマット」も同じとなったが、テールフィンが全くの別物だ。場所は高速道路が出来る前の渋谷で、坂の下には山手線が見える。今は首都高3号線の高架が通っている場所だ。

(写真59-3ab) 1959 DeSoto Firesweep Shopper 4dr Stationwagon   (1966-05 虎の門/港区)
59-3a (155-62) 1959 DeSoto Firesweep Shopper 4dr Stationwagon.jpg

59-3b (155-64) 1959 DeSoto Firesweep Shopper 4dr Stationwagon.jpg
「デソート」は1961年を最後に姿を消したが、僕のアルバムでは1959年のこの車が最後だ。サイド・モールが跳ね上がったデザインは躍動感があり好ましいデザインだ。外ナンバーからアメリカ大使館の車と推定できるが、ここは大使館が近く最新型のアメリカ車をハントするには絶好の場所だった。
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<ダッジ> 1914~

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(00-0) ダッジのシンボル・マーク「ラム(牡羊)」のマスコット(1951)

ダッジが自動車を造り始めたのは1914年で、母体となったクライスラーより10年も早い。創業者は1864年生まれの「ジョン・フランシス・ダッジ」と、4つ違いの弟「ホレイス・エルジン・ダッジ」の兄弟で、会社名も「ダッジ・ブラザース」と名付けられた。この会社の前身は1901年に造られ、オールズモービルのエンジンやトランスミッションを造っていたが、1903年からはフォードも加わりこの関係は1914年、自身の車を造るようになるまで続いた。長年部品メーカーとしての実績があったから新顔ながら「ダッジ」の売り上げは好調で、いきなり全米第3位と言う好調なスタートを切った。しかし1920年1月にはジョンが、そして12月にはホレイスが、相次いで世を去り、舵取りを失った「ダッジ社」はその後も中堅メーカーとして経営を続けていたが、ついに1928年クライスラー社に買収され、ミドルクラス担当のデヴィジョンとなった。買収され1デヴィジョンとなった後も社名は1930年まで「ダッジ・ブラザース」で、その後、「ダッジ」と変わった後もバッジには「ダッジ・ブラザース」と表示されていた。資料が不足で正確ではないが1936年までは確認している。余談ながら、会社の全盛期に亡くなった兄弟は膨大な遺産を家族に残したから2人の未亡人は恵まれた余生を送ったが、「デイビット・ビュイック」、「ルイス・シボレー」やGM創立者の「ビリー・デュラント」の様に、殆どの創業者はどこかで事業に失敗して晩年悲惨な生活を送った例が多いから、もし夫が長生きしていたらどんな運命がまっていただろうか。

(写真24-1a) 1924 Dodge Brothers 3dr Depot Wagon     (1990-01 JCCA汐留ミーティング)
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24-1b 90-06-14 1924 Dodge Brothers 3de Depot Wagon.jpg
「ダッジ・ブラザース」がクライスラー・グループの傘下に入ったのは1928年の事だから、写真の車はまだ独立していた時代の物だ。前から見るとステーションワゴンの様に見えるが、ロングシートを持った乗合バスだろうか。


(写真33-1a) 1933 Dodge DP Six(改)              (1959年 静岡県庁付近)
33-1a 023-32 1933 Dodge DP Six(改).jpg

33-1b 023-34 1933 Dodge DP Six(改).jpg
この車も静岡県庁に所属する車で、元は4ドア・セダンだったものを改造し、一寸した荷物を運ぶため後席を取り外して荷室にしたもので、確か後ろに跳ね上げ式のドアを持って居た筈だ。フロント・ウインドの高さがオリジナルで、ドアは高くした屋根に合わせて大きくされている。


(写真34-1a) 1934(後期型) Dodge DS Six 4dr Sedan     (1962-03 青山墓地付近/港区)
34-1 (093-30) 1934(後期型) Dodge DS Six 4dr Sedan.jpg
この車と同じナンバーのくるまを前から撮った写真も僕の手元にはあるが、これは若いころ雑誌の読者欄を通じて何方かと交換したもので、僕には版権が無いのでここに掲載はできない。この車は走っている姿を何回か見かけたが残念ながら後姿しか捉えられなかった。


(写真36-1ab) 1936 Dodge Stationwagon        (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
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36-1b (04-59-22) 1936 Dodge Station Wagon.jpg
アメリカのイベントで捉えたこの車は、戦後版と違って本物の木枠のトリムを持ったステーションワゴンだが、窓の部分は乗用車のフェートンに使われるようなキャンバス製で、取り外せるようになっている。


(写真36-2abc) 1936 Dodge Six Fire Truck (2016-04 ジャパン・クラシック・オートモービル)
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36-2b 16-04-03_039 1936 Dodge Six Fire Truck.JPG

36-2c 16-04-03_043 1936 Dodge Six Fire Truck.JPG
貴重な生き残りのオリジナルのままの姿だ。ボンネットには「大蔵省印刷局」とあるから街中の消防署と違って、恐らく一度も、有っても戦時中の空襲で1回位しか出動する機会は無かっただろう。うっかり走行距離を確認してなかったが、多分信じられない程少ない筈だ。


(写真41-1ab) 1941 Dodge Custom Luxury Liner 4dr Sedan   (1960年 一の橋付近/港区)
41-1a (043-09) 1941 Dodge Custom Luxury Liner.jpg

41-1b (043-08) 1941 Dodge Custom Luxury Liner4dr. Sedan.jpg
1941年(昭16)は日本の真珠湾攻撃で対米戦争が始まった年だから正規輸入されてはいない。オリ-ブドラブ(米軍の塗装色)に塗られて星のマークを付けフィリピンなど南方戦線に送られた姿はドキュメンタリーでも見られた。写真の車は、米軍関係者が戦後持ち込んで払下げされたものだろうが、「ダッジ」は1938年から既にヘッドライトをボディ内にビルトインしていたから戦前型と言ってもあまり古臭くはなく、グリル以外はそのまま戦後型に引き継がれた。


(写真41-1ab) 1941 Dodge T214 (1/2トン・トラックWC56 ) (2008-01 ジンスハイム科学技術館)
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戦時中1943~45年は各メーカー共に戦時体制で市販の乗用車は造っていない。飛行機や戦車を造った所もあるが「ダッジ」は軍用車を造った。写真の車は4輪の中型車で赤十字を付けたパネルバンはお馴染みだ。


(写真44-1ab) 1944 Dodge T223 (1.5トン・トラックWC62 ) (2008-01 ジンスハイム科学技術館)
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44-1b 08-01-14_1745 1944 Dodge T223(1.5トンWC62)(米).JPG
こちらは1.5トン積みの大型トラックで兵員輸送用としても活躍した。終戦直後占領軍が静岡に進駐して来た時も、武装して鉄兜を被ったGIがぎっしり乗って、何台も続いて入ってきたのを覚えている。


写真46-1a) 1946-48 Dodge Custom 4dr Sedan        (1959年静岡県庁付近)
46-1a 023-33 1946-48 Dodge Custom (窓枠めっきあり).jpg
「ダッジ」の戦後最初のモデルだが1946~48年は殆ど変化がない。戦前の前出1941年型のグリルを大きな格子に取り換えただけの様だ。この車も「た」ナンバーで県庁の車だ。随分傾いでいるがパンクしているのではなく道が傾斜しているせいだ。


(写真46-2a) 1946-48 Dodge Custom 2dr Club Coupe         (1961-11 立川市内)
46-2 (071-08) 1946-48 Dodge Custom 2dr Club Coupe.jpg
写真の車は立川市内で撮影したもので、都心部では4ドアの公用車が殆どだが、米軍関係者の居住している地域では趣味性の高い個人使用の車も幾つか発見した。この車は前項と同じ「カスタム」シリーズの2ドア版で、ドアの後ろに窓があるので6人乗りの「クラブ・クーペ」だ。


(写真46-3ab) 1946-48 Dodge Custom 2dr Club Coupe (1998-08 カーメル市内/カリフォルニア)
46-3a (98-20-28) 1946-48 Dodge Ciub Coupe.jpg

46-3b (98-20-31) 1946-48 Dodge Club Coupe.jpg
この車は前項と全く同じ2ドアの「クラブ・クーペ」だが、造られてから50年も経っているとは思えない程見事なコンディションだ。アメリカ車はやっぱりアメリカの街が似合う。


(写真49-1a) 1949 Dodge Kingsway 2dr Sedan         (1962-04 立川市内)
49-1 (097-21) 1949 Dodge Kingsway 2dr Sedan.jpg
この車は輸出専用の「プリマス」ベースの格あげ版で、中身は「ダッジ」ではない。(次項の本物と較べられたし)ダッジと同じようなグリルを付けたが一番上の横バーの行き所が無く中途半端にぶった切っている。この車も何処にも資料が見当たらず特定にはずいぶん苦労した記憶がある。アメリカ版の資料には「Kingsway」と言うモデルは存在しないからだ。こんなセコイことをして何が「王道」かと名前にも文句を言いたい。


(写真49-2abc) 1949 Dodge Coronet 2dr Club Coupe       (1961年 立川市内)
49-2a (080-04) 1949 Dodge Cornet 2dr Club Coupe.jpg

49-2b (080-05) 1949 Dodge Cornet 2dr Club Coupe.jpg

49-2c (080-07) 1949 Dodge Cornet 2dr Club Coupe.jpg
こちらは正真正銘、カタログモデルの「ダッジ」である。ご覧の様に一番上の横バーは、初期の「ミニ」のナマズのひげの様に横幅一杯まで伸びている。グリルのテーマとしては前モデルの「格子」が引き継がれている。


(写真51-1a) 1951-52 Dodge Coronet 4dr Sedan      (1962-04 立川市内)
51-1 (092-50) 1951-52 Dodge Coronet 4dr Sedan.jpg
「ダッジ」のグリルの開口部は、1950~56年まで同一イメージが続く。写真の車は撮り方が悪かったのか、厚ぼったく鈍重な感じに映ってしまった。


(写真51-2a) 1951-52 Dodge Coronet 4dr Sedan      (1958年 静岡県庁付近)
51-2 (040-28) 1951-52 Dodge Coronet 4dr Sedan.jpg
ここにも「た」ナンバーも静岡県庁の車が写っていた。


(写真53-1a) 1953 Dodge Kingsway Custom 4dr Sedan. (1958 年  静岡市内)
53-1 012-29b* 1953 Dodge Kingsway  Custom 4dr.Sedan.jpg
1951~52年はグリルに変化は無く写真の53年型も同じテーマが継続されている。場所は静岡市内で、奥が郵便局、手前が電話局で通りは江川町通り、ここを右側に100米ほど行くと僕の勤務先があり、ご覧の様に道路にはびっしりと車が駐車していた時代だ。


(写真53-2ab) 1953 Dodge Storm Z-250 Bertone Coupe (1998-08 ペブルビーチ)
53-2a (98-39-36E) 1953 Dodge Storm Z-250 Bertone Coupe.jpg

53-2b (98-40-06) 1953 Dodge Storm Z-250 Bertone Coupe.jpg

53-2c (98-40-01) 1953 Dodge Storm Z-250 Bertone Coupe.jpg
ペブルビーチで撮影した「ダッジ」のショー・モデルで、このコンセプトは後年の市販モデルには影響を与えたようには見えない。むしろ日産セドリックの「縦目」などはこの系統と言えよう。


(写真54-1a) 1954 Dodge Royal V8 4dr Sedan   (1958年 静岡県庁付近)
54-1 009-20b*1954 Dodge Royal 4dr. Sedan.jpg
県庁をバックにした1954年「ダッジ」は、これも静岡県庁の車だ。去年から「V8」エンジンも採用されこの車にも搭載されている。


(写真55-1a) 1955 Dodge Royal V8 4dr Sedan             (1958 羽田空港)
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グリル横バーの中央部の突起が無くなり、ボンネットの先端が伸びて垂れ下がりそれに代わった。後方の鳥居は羽田空港の近くにあった穴守稲荷のもの。


(写真56-1abc) 1956 Dodge Kingsway 4dr Sedan (1966-04 横浜市内)
56-1a (148-34) 1956 Dodge Kingsway 4dr. Sedan.jpg

56-1b (148-31) 1956 Dodge Kingsway 4dr. Sedan.jpg

56-1c (148-33) 1956 Dodge Kingsway 4dr. Sedan.jpg
この車もアメリカには存在しない輸出専用モデル「キングスウエイ」だが、この年はベースの「プリムス」と「ダッジ」のボディ・シェルが同じでテールランプは「プリムス」のまま、ヘッドライトとグリルは、そっくり「ダッジ」に変身している。だから正面から見た時は、次項のカタログ・モデル「コロネット」との相違点は見当たらない。


(写真56-2abc) 1956 Dodge Coronet 4dr Sedan (1966-07 表参道付近/渋谷区)
56-2a (161-35) 1956 Dodge Coronet 4dr Sedan.jpg

56-2b (161-36) 1956 Dodge Coronet 4dr Sedan.jpg

56-3c (162-02) 1956 Dodge Coronet 4dr Sedan.jpg
こちらが正規の「ダッジ」でテールランプが独立して突起している点が大きく異なる。


(写真57-1a) 1957 Dodge Custom Royal 4dr Sedan    (1959年 羽田空港)
57-1 010-28* 1957 Dodge Custom Royal 4dr Sedan.JPG
この年からグリルのイメージが大きく変化した。全面がすべて開口部となり真ん中にシンプルに太く一本の横バーがあるだけの横幅を強調したデザインだ。最上クラスのカスタム・ロイヤル・シリーズのみバンパーの上部に六本の歯が付いている。


(写真57-2a) 1957 Dodge Coronet 4dr Sedan (1959年 静岡市内)
57-2 022-14 28 1957 Dodge Coronet 4dr. Sedan.jpg
各車のテールフィンが全盛の1957年、「ダッジ」のテールの処理は一寸変わっていた。それは上から被せるように取り付けるという他社には見られない手法だった。写真の車ではそれをはっきり見ることが出来る。アメリカ車全盛のこの年代にはスリー・トーンの塗り分けも常識だった。


(写真57-3abc) 1957 Dodge Kingsway Custom 4dr Sedan   (1958年 静岡市内)
57-3 012-25b 1957 Dadge Kingsway Custom 4dr. Sedan.jpg

57-3b 012-26b 1957 Dodge Kingsway Custom 4dr. Sedan.jpg

57-3c (040-09b) 1957 Plymouth Belvedere 4dr. Sedan (2).jpg
(参考)1957 Plymouth Belvedere 4dr Sedan
またまた登場する「キングスウエイ」だが、たびたび登場するのは日本中を走っていた「ダッジ」「デソート」はかなりの比率で「プリムス」ベースの「キングスウエイ」や「ディプロマット」が混じっていた証拠だろう。静岡のタクシー会社でハイヤーとして使われていた写真の車は、前から見れば「ダッジ」だが、横から見ればテールフィンから見ても紛れもなく「プリムス」だ。


(写真58-1a) 1958 Dodge Kingsway 4dr Sedan (1958年 羽田空港)
58-1 008-07* 1958 Dodge Kingsway 4dr. Sedan.JPG
この車もテールフィンからプリムスベースの「ダッジ・キングスウエイ」と判る。グリル周りはカタログ・モデルと変わりないが、テールフィンとモールディングは「プリムス」のままだ。


(写真59-1a) 1959 Dodge Kingsway 4dr Sedan (1959年 羽田空港)
59-1 (034-32) 1959 Dodge Kingsway 4dr Sedan.jpg
この年代になるとグリル周りのデザインにはグレードによる変化は無いので、正面からでは識別が難しいが、写真の車には日本交通のバッジが付いており、ナンバーからもタクシー会社のハイヤーと判る。とすれば間違えなく「キングスウエイ」に違いないと推定した。・


(写真60-1ab) Dodge Polara 4dr Sedan (1962-07 東京タワー/港区)
60-1a (103-36b) 1960 Dodge Polara 4dr. Sedan.jpg

60-1b (103-35b) 1960 Dodge Polara 4dr. Sedan.jpg
1960年になるとシリーズが一変した。それと同時にデザインも大きく変化した。一般的にはテールフィンは1959年をピークに急速に下火になっていったが、「ダッジ」はこの年大胆に大きく派手になった。場所は東京タワーの下で背景に脚柱が写っている。写真は最上位の「ポラーラ」シリーズで、他のシリーズとはグリル・パターンが異なり、テールフィンも一回り高さが高い。


(写真60-2abc) 1960 Dodge Phoenix 4dr Sedan   (1966-04 横浜市内)
60-2a (147-52) 1960 Dodge Phoenix 4dr. Sedan.jpg

60-2b (147-53) 1960 Dogde Phoenix 4dr. Sedan.jpg

60-2c (147-54) 1960 Dodge Phoenix 4dr. Sedan.jpg
こちらは中間モデルの「フェニックス」シリーズで、テールフィンは「ポラーラ」に較べると小振りである。


(写真60-3ab) 1960 Dodge Seneca 4dr Stationwagon (1964-10 豊島園/練馬区)
60-3a (154-01) 1960 Dodge Seneca 4dr Stationwagon.jpg

60-3b (154-02) 1960 Dodge Seneca 4dr Stationwagon.jpg
こちらはベーシック・モデルの「セネカ・ステーションワゴン」で、グリルは上級モデルと変わらず、処理の難しいステーションのテールフィンも無難に上手くこなしている。


(写真61-1ab) 1961 Dodge Polara 4dr Sedan (1961年 麻布竜土町/港区)
61-1a (053-07) 1961 Dodge Polara 4dr. Sedan.jpg

61-1b (053-06) 1961 Dodge Polara 4dr. Sedan.jpg
グリルは去年とは全く関連の無い新しいものになった。ダッジはこの時期うしろ姿に重点を置いていたのか、テーリフィン周りのデザインが面白い。


(写真61-2ab) 1961 Dodge Phoenix 2dr Hardtop   (1962-04 立川市内)
61-2a (097-13) 1961 Dodge Phoenix 2dr Hardtop.jpg

61-2b (097-14) 1961 Dodge Phoenix 2dr Hardtop.jpg
前項と同じシリーズの2ドア版で、この趣味性の高い車は立川キャンプのゲート1から出てきたところを捉えたものだが、急加速でテールが沈み込んでいるのが判る。

1960年ビッグ3は新しいカテゴリー「コンパクトカー」シリーズの発売を始めた。ダッジは1年遅れて1961年から「ランサー」を登場させた。これによってダッジのラインアップは下から「ランサー」「セネカ」「パイオニア」「フェニックス」「ポラーラ」となると同時に、シリーズによって明らかにボディの特徴が異なるので、ここからは「一括年度順」ではなく、変化が判り易いように「シリーズ別年度順」に紹介することにした。



<ランサー/ダート> (コンパクトシリーズ)
(写真61-3ab) 1961 Dodge Lancer 770 4dr Sedan           (1962-04 立川市内)
61-3a (093-08) 1961 Dodge Lancer 770 4dr Sedan.jpg

61-3b (097-11) 1961 Dodge Lancer 770 4dr Sedan.jpg
ダッジのコンパクト・シリーズとして最初に登場したのがこの車だ。ビッグスリー各社は「フォード・ファルコン」が一番オーソドックスで、リア・エンジンの「シボレー・コルベア」が常識破りだったから、クライスラー系の「プリムス・ヴァリアント」「ダッジ・ランサー」は形に少々癖があったがそれらの中間的存在といえる。特に後ろ半分は他社に見られない独特なスタイルだ。


(写真62-1ab) 1962 Dodge Lancer 770 4dr Sedan (1969-11 東京オートショー駐車場/晴海)
62-1a 230-51 1962 Dodge Lancer 770 4dr Sedan.jpg

62-1b 230-52 1962 Dodge Lancer 770 4dr Sedan.jpg
この年はグリルの変更以外はほぼ前年を踏襲している。フルサイズ・シリーズの「ダッジ」は全て8気筒となっていたが、コンパクト・シリーズは6気筒で「770」の3685ccとベーシックの「170」2785ccと2本建てだった。
 

(写真63-1ab) 1963 Dodge Dart 270 4dr Sedan (1963-10 東京モーターショー駐車場/晴海)
63-1a (108-29) 1963  Dodge Dart 270 4dr sedan.jpg

63-1b  (108-30) 1963 Dodge Dart 270 4dr. Sedan.jpg
この年からフルサイズのベーシックだった「ダート」の名称がコンパクト・シリーズに移された。「ダート」には「170」と「270」のシリーズが設定されており、「170」はエンジンの排気量が170キュービックインチ(2785cc)であるところから命名されたものなので、「270」も排気量かと思ったら、去年と同じ225キュービックインチ(3685cc)と変わりなく、単に170の上の270だったようだ。


(写真65-1ab) 1965 Dodge Dart 270 4dr Sedan   (1965-11 東京オートショー駐車場/晴海)
65-1a (126-19) 1965 Dodge Dart 270 4dr Sedan.jpg

65-1b (126-18)  1965 Dodge Dart 270  4dr Sedan.jpg
「ダート」と名が変わってからは外見もフルサイズを小型化したオーソドックスなものに変わった。癖が無くなって万人向けのスタイルだ。


(写真66-1a) 1966 Dodge Dart 4dr Sedan     (1969-11 東京オートショー中古車館/晴海)
66-1 (219-18) 1966 Dadge Daet 4dr. Sedan.jpg
(写真68-1a) 1968 Dodge Dart GT 2dr Hardtop     (1967-11 東京オートショー/晴海)
68-1 (193-20) 1968 Dodge Dart GT 2dr hardtop.jpg
(写真70-1a) 1970 Dodge Dart Custom 4dr Sedan (1969-11 東京オートショー/晴海)
70-1 (224-09) 1970 Dodge Dart Custom 4dr Sedan.jpg
この3枚はコンパクトカーと区別する必要が無いほど普通の車になってしまった。ただ大型車が四ツ目になったがこちらは依然として二つ目だ。
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<コロネット>

(写真64-1ab) 1964 Dodge Coronet 440 2dr Hardtop (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード)
164-1a 10-07-03_0272 1964 Dodge Coronet.JPG

164-1b 10-07-03_0274 1964 Dodge Coronet.JPG


(写真66-1ab)1966 Dodge Coronet440 2dr Convertible Coupe (2015-10 アメリカンピクニック)
166-1a 15-10-10_134 1966 Dodge Coronet 440 2dr Convertible Coupe.JPG

166-1b 15-10-10_138 1966 Dodge Coronet 440 2dr Convertible Coupe.JPG

(写真67-1a) 1967 Dodge Coronet 440 4dr Sedan     (1966-11 東京オートショー/晴海)
167-1 (172-05) 1967 Dodge Coronet 440 4dr Sedan.jpg

(写真68-1a) 1968 Dodge Coronet 500 4dr Sedan (1969-11 東京オートショー(中古車館/晴海)
168-1 (219-13) 1968 Dodge Coronet 500 4dr. Sedan.jpg

(写真70-1a) 1970 Dodge Coronet 500 4dr Sedan     (1969-11 東京オートショー/晴海)
170-2 (224-13) 1970 Dodge Coronet 500 4dr Sedan.jpg
「ダッジ」のラインアップはコンパクトカー「ダート」、インターミディエイト「コロネット」、フルサイズ「ポラーラ」「モナコ」と4つに分かれており「コロネット・シリーズ」には「コロネット(何も付かない)」「デラックス」「440」「500」の4つのグレードがあった。 

<チャージャー> 1966~78
(写真66-1ab) 1966 Dodge Charger 2dr Hardtop (1966-04 麻布十番付近/港区)
266-1a (146-69) 1966 Dodge Charger 2dr Hardtop Sports Coupe V8.jpg

266-1b (146-67) 1966 Dodge Charger 2dr Hardtop Sports Coupe V8.jpg

(写真67-1abc) 1967 Dodge Charger 2dr Hardtop 1969-11 東京オートショー(中古車館/晴海)
267-1a (219-28) 1967 Dogde Charger 2dr.Hardtop.jpg

267-1b (219-27)b1967 Dodge Chaeger 2dr.Hardtop.jpg

267-1c (219-29) 1967 Dodge Charger 2dr.Hardtop.jpg

(写真67-2abc) 1967 Dodge Charger 2dr Hardtop        (1968年 港区内)
267-2a (183-46) 1967 Dodge Chager 2dr Hardtop Sports Coupe.jpg

267-2b (183-44) 1967 Dodge Charger 2dr Hardtop Sports Coupe.jpg

267-2c (183-45) 1967 Dodge Chager 2dr Hardtop Sports Coupe.jpg

(写真68-1a~d) 1968 Dodge Charger 2dr Hardtop (1969-11 東京オートショー駐車場/晴海)
268-1a 230-04 1968 Dodge Charger 2dr Hardtop.jpg

268-1b 230-05 1968 Dadge Charger 2dr Hardtop.jpg

268-1c 230-07 1968 Dodge Charger 2dr Hardtop.jpg

268-1d 230-09 1968 Dodge Charger 2dr Hardtop.jpg

(写真69-1ab) 1969 Dodge Charger 2dr Hardtop (2010-07 フェスティバル・オブスピード駐車場)
269-1a 10-07-03_1003 1969 Dodge Charger.JPG

269-1b 10-07-03_1005 1969 Dadge Charger.JPG
「チャージャー」シリーズは「マスタング」の成功に刺激されて、1966年からインターミディエイト(中型車)のコロネットのシャシーをベース造られたファストバックの車だ。この時期ひとサイズ小さい車にフルサイズ用の強力エンジンを積んだ「マッスルカー」と呼ばれるジャンルのくるま達が出現し、「チャージャー」もその一つだ。ファストバックの初期型はマニアの目から見れば素晴らしいフォルムに見えたかもしれないが、売れ行きは芳しくなかった様で、1968年には大々的にモデルチェンジが行われ、セミ・ノッチバックに変更されてしまった。

<チャレンジャー> 1970~74
(写真70-1a) 1970 Dodge Challenger R/T 2dr Hardtop (1969-11 東京オートショー)
270-1 (224-05) 1970 Dodge  Challenger R/T.jpg

(写真70-2abc) 1970 Dodge Challenger R/T 2dr Hardtop (2015-10 アメリカン・ピクニック)
270-2a 15-10-10_669 1970 DFodge Challenger RT 440 Mabnum.JPG

270-2c 15-10-10_675 1970 Dodge Challenger RT 440 Magnum.JPG

(写真70-3a) 1970 Dodge Challenger R/T 2dr Hardtop (2000-06 フェスティバル・オブ・スピード)
270-3 00-17-14) 1970 Dodge Callenger T/A.jpg
「チャレンジャー」は1970年から登場した「マッスルカー」の一つで、「チャージャー」が中型車「コロネット・117インチ」のシャシーからの流用だったが、「チャレンジャー」は全く新しく設計されたものでホイールベースもコンパクトカーに近い110インチでエンジンは最大7リッター(425hp)まで搭載可能だった。本稿では「チャージャー」に続いて「チャレンジャー」が登場するので後継者のような印象を与えるがチャージャーは1978年、「チャレンジャー」は1974年まで造られ、この間は併売されている。

<モナコ>
(写真67-1a) 1967 Dodge Monaco 500 2dr Hardtop (1966-11 東京オートショー/晴海)
167-1 (171-29) 1967 Dodge Monaco 500 2dr Hardtop.jpg

(写真68-1a) 1968 Dodge Monaco 4dr Hardtop (1967-11 東京オートショー/晴海)
168-1 (193-22) 1968 Dodge Monaco 4dr Hardtop.jpg

(写真69-1a) 1969 Dodge Monaco 4dr hardto (1968-11 東京オートショー/晴海)
169-1 (189-28) 1969 Dadge Monaco 4dr Hardtop.jpg

(写真70-1a) 1970 Dodge Monaco 4dr Hardtop   (1969-11 東京オートショー/晴海)
170-1 (224-15) 1970 Dodge Monaco 4dr Hardtop.jpg
ダッジのフルサイズ・シリーズは「ポラーラ」と「モナコ」の2つだけで、全社が「スタンダード」、後者が「デラックス」と言う位置付けとなっている。

   ― 次回からは僕がかなり力を入れている「デューセンバーグ」の予定です ―

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第107回 L項-8 「ロータス・1」(マーク1からタイプ14エリートと23エラン迄)

第106回 L項-7 「リンカーン・2」(米)

第105回 L項-6 「リンカーン・1」

第104回 L項-5 「ランチャ・2」

第103回 L項-4 「ランチャ・1」

第102回 L項-3 「ランボルギーニ」

第101回 L項-2 「ランチェスター」「ラサール」「リー・フランシス」「レオン・ボレー」「ラ・セード」「ロイト」「ロコモービル」「ローラ」「ロレーヌ・デートリッヒ」

第100回 L項-1  「ラゴンダ」

第99回 K項-1 「カイザー」「カイザー・ダーリン」「ケンワース」「キーフト」「ナイト」「コマツ」「コニリオ」「紅旗」「くろがね」

第98回 J項-5 「ジープ」「ジェンセン」「ジョウエット」「ジュリアン」

第97回 J項-4 「ジャガー・4」(大型サルーン、中型サルーン)

第96回 J項-3 「ジャガー・3」 (E-type、レーシング・モデル)

第95回 J項-2 「ジャガ-・2」(XK120、XK140、XK150、C-type、D-type、XKSS)

第94回 J項-1  「ジャガー・1」(スワロー・サイドカー、SS-1、SS-2、SS-90、SS-100)

第93回 I項-2 「イターラ」「イソ」「いすゞ」

第92回 I項-1 「インペリアル、イノチェンティ、インターメカニカ、インビクタ、イソッタ・フラスキーニ」

第91回 H項-8 「ホンダ・5(F1への挑戦)」

第90回 H項-7 「ホンダ・4(1300(空冷)、シビック(水冷)、NSX ほか)」

第89回  H項-6 「ホンダ・3(軽自動車N360、ライフ、バモス・ホンダ)」

第88回 H項-5 「ホンダ・2(T/Sシリーズ)」

第87回  H項-4 「ホンダ・1」

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第85回 H項-2 日野自動車、イスパノ・スイザ

第84回 H項-1 「ハノマク」「ヒーレー」「ハインケル」「ヘンリーJ」「ヒルマン」

第83回 G項-2 「ゴールデン・アロー」「ゴリアト」「ゴルディーニ」「ゴードン・キーブル」「ゴッツイー」「グラハム」

第82回 G項-1 「GAZ」「ジャンニーニ」「ジルコ」「ジネッタ」「グラース」「GMC」「G.N.」

第81回 F項-25 Ferrari・12

第80回 F項-24 Ferrari・11 <340、342、375、290、246>

第79回  F項-23 Ferrari ・10<365/375/410/400SA/500SF>

第78回 F項-22 Ferrari・9 275/330シリーズ

第77回 F項-21 Ferrari・8<ミッドシップ・エンジン>

第76回 F項-20 Ferrari・7 <テスタ ロッサ>(500TR/335スポルト/250TR)

第75回 F項-19 Ferrari ・6<250GTカブリオレ/スパイダー/クーペ/ベルリネッタ>

第74回 F項-18 Ferrari・5<GTシリーズSWB,GTO>

第73回  F項-17 Ferrari・4

第72回 F項-16 Ferrari・3

第71回 F項-15 Ferrari・2

第70回 F項-14 Ferrari・1

第69回 F項-13 Fiat・6

第68回 F項-12 Fiat・5

第67回 F項-11 Fiat・4

第66回 F項-10 Fiat・3

第65回 F項-9 Fiat・2

第64回 F項-8 Fiat・1

第63回 F項-7 フォード・4(1946~63年)

第62回 F項-6 フォード・3

第61回 F項-5 フォード・2(A型・B型)

第60回 F項-4 フォード・1

第59回 F項-3(英国フォード)
モデルY、アングリア、エスコート、プリフェクト、
コルチナ、パイロット、コンサル、ゼファー、ゾディアック、
コンサル・クラシック、コルセア、コンサル・カプリ、

第58回  F項-2 フランクリン(米)、フレーザー(米)、フレーザー・ナッシュ(英)、フォード(仏)、フォード(独)

第57回 F項-1 ファセル(仏)、ファーガソン(英)、フライング・フェザー(日)、フジキャビン(日)、F/FⅡ(日)

第56回 E項-1 エドセル、エドワード、E.R.A、エルミニ、エセックス、エヴァ、エクスキャリバー

第55回  D項-8 デューセンバーグ・2

第54回 D項-7 デューセンバーグ・1

第53回  D項-6 デソート/ダッジ

第52回 D項-5 デ・トマゾ

第51回 D項-4 デイムラー(英)

第50回 D項-3 ダイムラー(ドイツ)

第49回  D項-2 DeDion-Bouton~Du Pont

第48回 D項-1 DAF~DeCoucy

第47回 C項-15 クライスラー/インペリアル(2)

第46回 C項-14 クライスラー/インペリアル

第45回 C項-13 「コルベット」

第44回 C項-12 「シボレー・2」(1950~) 

第43回 C項-11 「シボレー・1」(戦前~1940年代) 

第42回  C項-10 「コブラ」「コロンボ」「コメット」「コメート」「コンパウンド」「コンノート」「コンチネンタル」「クレイン・シンプレックス」「カニンガム」「カーチス]

第41回 C項-9 シトロエン(4) 2CVの後継車

第40回  C項-8シトロエン2CV

第39回  C項-7 シトロエン2 DS/ID SM 特殊車輛 トラック スポーツカー

第38回  C項-6 シトロエン 1 戦前/トラクションアバン (仏) 1919~

第37回 C項-5 「チシタリア」「クーパー」「コード」「クロスレー」

第36回 C項-4 カール・メッツ、ケーターハム他

第35回 C項-3 キャディラック(3)1958~69年 

第34回  C項-2 キャディラック(2)

第33回 C項-1 キャディラック(1)戦前

第32回  B項-13  ブガッティ(5)

第31回 B項-12 ブガッティ (4)

第30回  B項-11 ブガッティ(3) 

第29回 B項-10 ブガッティ(2) 速く走るために造られた車たち

第28回 B項-9 ブガッティ(1)

第27回 B項-8 ビュイック

第26回 B項-7  BMW(3) 戦後2  快進撃はじまる

第25回 B項-6 BMW(2) 戦後

第24回  B項-5   BMW(1) 戦前

第23回   B項-4(Bl~Bs)

第22回 B項-3 ベントレー(2)

第21回 B項-2 ベントレー(1)

第20回 B項-1 Baker Electric (米)

第19回  A項18 オースチン・ヒーレー(3)

第18回  A項・17 オースチン(2)

第17回 A項-16 オースチン(1)

第16回 戦後のアウトウニオン

第15回  アウディ・1

第14回 A項 <Ar-Av>

第13回  A項・12 アストンマーチン(3)

第12回 A項・11 アストンマーチン(2)

第11回  A項-10 アストン・マーチン(1)

第10回 A項・9 Al-As

第9回 アルファ・ロメオ モントリオール/ティーポ33

第8回 アルファ・ロメオとザガート

第7回 アルファ・ロメオ・4

第6回 アルファ・ロメオ・3

第5回 アルファ・ロメオ・2

第4回  A項・3 アルファ・ロメオ-1

第3回  A項・2(Ac-Al)

第2回  「A項・1 アバルト」(Ab-Ab)

第1回特別編 千葉市と千葉トヨペット主催:浅井貞彦写真展「60年代街角で見たクルマたち」開催によせて

執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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