(写真55-0ab) 1955~63 Chrysler 300 Letter Series
・1953年にはシボレーから「コルベット」、1954年秋にはフォードから「サンダーバード」が発売されたが、クライスラーにはこれに対抗するモデルが無かった。そこで急遽作り出されたスペシャリティカーが「300シリーズ」で、実はこの正体は「ニューヨーカ」のボディ、「インペリアル」のグリル、「ウインザー」のバンパーとサイドモールを寄せ集め、それにクライスラー自慢のヘミ・エンジン(V8、5424cc 300ps)を組み合わせたマッスル・カーだ。寄せ集めとはいえ、なかなか魅力的で、このあと毎年シリーズは更新され1955年の300から始まって1965年の300Lまで11年続いた。300の後にアルファベットの付くモデルは「レター・シリーズ」と呼ばれたが、1966年以降も只の「300」シリーズとして1971年まで存在した。
・1949年になると「ビッグ3」各社は揃って純戦後モデルを発表した。フォードはフェンダーの無い「フラッシュサイド」という斬新なデザインで、シボレーはフリートラインと呼ばれるモダンな「ファストバック」で、それぞれ新時代への大きな変化を見せた。しかしクライスラー系はこれといった特徴のない平凡な「ノッチバック」だった。クライスラーは1934年先進的な「エアフロー」を他社に先駆けて発売して失敗した苦い経験があるので、大きな変化に対しては臆病だったのかもしれない。地味であまり魅力的でないデザインはこのあと54年まで続くが、デザイナーが「ヴァージル・エクスナー」に変わった1955年以降は個性的で見違えるように魅力的な車となった。
・そのヴァージル・エクスナーは低迷する「垢抜けない」クライスラーに新風を吹き込むため1949年にはスカウトされているから、首脳陣も自分たちの車が時代遅れだと認識し、「売れる車」を作るための努力は始めている。アッ!と目を見張らせるエクスナーの最初の作品は1951年の試作ドリームカー「K-310」だった。いたずらに造形の為のデザインを優先するショーモデルと違って、バランスよく引き締まったクーペで、このまま市販してもおかしく無いくるまだった。翌52年にはこの「K-310」をオープンにしたような「C-200」も造られたがいずれもコスト高がネックとなり市販には至らなかった。
(写真55-1a~h) 1955 Chrysler Special by Ghia (2004-08 クリスティーズ・テント前)
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同じ1952年のパリ・サロンに展示されたのが「クライスラー・スペシャル」と名付けられたスポーツ・クーペで、フェンダーの先端に縦のバンパーを配するなど、各所にショーカー的なアイデアも見られた。この車のコンセプトを生かして造られたのが「クライスラー・スペシャル・モディファイドバージョン」通称「トーマス・スペシャル」で何台かが市販されたらしいので、写真の車がその1台かと思っていたが、ファストバックでドアの把手もボタン式などオリジナルの特徴を備えている。しかし展示されていたデータによれば製造年は1955年となっており、リアトランクのフィラーキャップも中央から右側に変わっているので、ショーに展示されたオリジナルではなく、後年「ギア」で造られたものと思われる。
(写真54-4abc) 1954 Chrysler GS-1 Ghia Coupe (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
一連のショーモデルの流れを汲んで1953年秋のパリ・サロンに登場したのが写真の「クライスラーGS-1」で、ショーモデルというよりは実用本位な市販車と見える外観だった。結果的にカタログモデルとはならなかったが、「ギア」社で約400台造られ、フランスのクライスラー・デーラーによってヨーロッパで販売された。写真の車はショーで発表された車と同じグリルを持って居るが、グリルのパターンには幾つかのバリエーションがあった。
(写真55-2ab)1955 Chrysler Windsor Deluxe 4dr Sedan (1959年 銀座・並木通り)
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この年からは、これまでの個性の薄かったグリルから、個性的な力強いグリルに変わった。シリーズは「ウインザー」「ニューヨーカー」と新しくスペシャリティーカーとして「300シリーズ」が加わった。場所は銀座6丁目の並木通りで、交差する交詢社通りの向こうに見える北海道新聞社は7丁目になる。並木通りの奥の右側には資生堂が見える。
(写真55-3a) 1955 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1959年 羽田空港駐車場)
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シリーズによってグリルに変化が付けられているので2つ続けた。グリルの上半分は同じでクライスラーとしての共通イメージを持ち、下半分に違いを付けてグレードの差を見せている。
<インペリアル>
(写真55-4ab) 1955 Imperial 4dr sedan (1962-04 向ヶ丘遊園・小田急)
去年までクライスラーのシリーズの一つだった「インペリアル」は、今年からは「クライスラー」や「デソート」「ダッジ」「プリマス」の上に存在する「クライスラー社」最上位の「車名」となった。グリルはクライスラーと同じデザインを太めにしてより力強さを強調した印象を与えている。場所は小田急電鉄向ヶ丘遊園で2002年に遊園地は閉園してしまったが現在も駅名として残っている。四季折々の植物が有名で桜の名所でもあった。この時は「防衛博覧会」が開かれていたが、人混みをよく見るとお婆さんや若いご婦人なども混じっており桜見物の群集のようだ。
(写真56-1a)1956 Chrysler Windsor 4dr Sedan (1959-04 東京駅前)
この写真の場所が判りますか? 今から50年以上前の東京駅八重洲口の正面で、高層ビルは一つもなく皆な2階建だ。八重洲ピアノの文字が見え八重洲口であることを証明している。右端に「日の丸」と「慶」が見える。このあとに「祝皇太子ご成婚」と続く。この日は皇太子殿下と美智子さまのご成婚の日だった。
(写真56-1b)1956 Chrysler Windsor 4dr Sedan (1958年 静岡市内)
(写真56-2a)1956 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1961-03 横浜港・大桟橋)
(写真56-2b) 1956 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1961-11 羽田空港)
この年の「ウインザー」のグリルは水平3本のシンプルなものだったが、写真の上級車種「ニューヨーカー」は、ご覧のように一寸手の込んだ細かい柄となっている。この年からテールフィンが出現したが、クライスラー系の特徴は単純で大きな「テールフィン」にあり、他社が色々デザインに工夫を凝らした時でも、一貫してストレートで飾り気無しのまま1961年まで押し通した。
(写真56-3abc) 1956 Chrysler 300B Sports Coupe (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
「300」シリーズは1955年からスタートした。2年目の1956年は「300B」となり、この後C,D,Eと続くが最初の年に「A」は付かない。55年と56年では外見上殆ど違いが無いが写真の車はボンネット正面のバッジから「300B」と判る。次項の「インペリアル」と見較べれば「グリル」はそっくり頂いたのは明白だ。
(写真56-4a-d)1956 Imperial 4dr Sedan (1962-04 東京駅・八重洲口駅前)
こちらが"本家"の「インペリアル」で、グリルに関しては「300B」と寸分変わらない。場所はここも東京駅八重洲口の駅前駐車場で、道の向こう側には「八重洲口会館新築工事」とあり駅前も再開発が始まっている事が判る。しかし現在は同じ「八重洲口会館」でもモダンなビルに変わっており、この時建てたビルはその後壊されたようだ。右側の古い建物は「グンヂルビ町槇」(右から読んでください)と書かれており多分昭和初期に建てられたものと思われるが、現在はこれも超モダンな「新槇町ビル」となっている。
(写真56-5ab)1956 Imperial 4dr Sedan (1959年 銀座・並木通り)
車は前項と同じ「インペリアル」だが、背景に50年以上前の銀座周辺が写り込んでいるので取り上げた。今はブランド店が軒を並べている並木通りだが、なんと店舗ではない建物も有り、歩道にはキャバレーのプラカードを持って歩く女性の姿も見られる。
(写真56-6a) 1956 Imperial 4dr Sedan (1962-02 桜田通り・三田二丁目)
この写真も背景が面白いので取り上げた。場所は「桜田通り」としたが、都電「三田2丁目」の交差点はT字路で、写真右手の東京タワー方面から来る桜田通りはここで右へ曲がり、300メートル先の慶応大学正門前で左折して五反田方面へ向かう。だから、車のいる所は「三田の電車通り」ではあるが、厳密には「桜田通り」には掛かっていないという事だ。高台の建物は慶応大学の校舎。
(写真57-1abc)1957 Chrysler Saratoga 4dr Sedan (1958年 静岡市紺屋町・日本相互銀行横)
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この年は「ウインザー」と「ニューヨーカー」の間に、しばらく消えていた「サラトガ」シリーズが復活した。ヘッドライトは流行のデュアル・ランプ(四つ目)となった最初の年だが、初期のモデルには二つ目もあった。前年からテールフィンがデザイン上の大きな要素として注目され始め、クライスラーはシンプルだがはっきりと認識できる大型のテールフィンに進化させた。
(写真58-1ab)1958 Chrysler Windsor Dartline 4dr Sedan (1961-11 横浜駅前
)
口角が上がって笑ったようなグリルは去年と共通のモチーフだが、上縁が眉毛の様に上がったところから印象はすっかり変わった。テールフィンは前ドアの終わった所から始まっているから殆ど車体の半分の長さが後ろにすっきりと伸びており、4ドアの場合は後ろの窓に少し掛かっているように見える。
(写真59-1abc) 1959 Chrysler Windsor 4dr Sedan (1959年 虎の門・商船三井ビル付近)
グリルのパターンは去年と同じだが、周りを囲んでいたクロームの囲いが無くなった分
独立した「グリル」感は無くなったようだ。サイドのモールディングは途中から下に曲がっているがデザインとしては何を狙ったのか、あまり感心したライン取りとは思えないが。
(写真59-2abc)1959 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1959年 丸の内・農林中金前)
上級シリーズの「ニューヨーカー」は流石に横から見ても見事なプロポーションで、前項の「ウインザー」に較べるとモールディングも見事で、反りあがるテールフィンとのバランスを考えて下に広がっているのも心憎い配慮だ。場所はJR有楽町駅から「そごう百貨店」(現ヨドバシカメラ)前を外堀方面に向かった先にある「農林中央金庫」前。
(写真58-2a)1958 Chrysler 300D 2dr Hardtop Coupe (1961-10ニューエンパイア・モータース/虎の門)
前項は1959年だったが1年前に戻って1958年型が登場する。その理由は「300」シリーズのこのグリルが大きな影響を与え、このあとクライスラー全般に採用され次々と登場するからだ。このブルドッグのような獰猛な顔つきは1957年300Cから1960年300Fまで
4 年間続き、翌年からは上下が逆になった上が広くしたが狭い形に変わる。
(写真60-1a)1960 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1961-03 横浜港・大桟橋)
このグリルを付けて登場したのは1960年型の「ニューヨーカー」だ。「300」シリーズのぐっと口を結んだ怖い顔に較べると、やや感じが優しいのはグリルとバンパーの中央が一寸下がって口角が少し上がっているからだろう。
(写真60-2ab)1960 Chrysler Windsor 4dr Sedan (1960-10 虎の門・商船三井ビル付近)
同じデザインのグリルだが「ウインザー」は縁取りが細くて薄く奥行きがないので網目が奥に引っ込んでいない。この年のテールフィンはまた大きくなって、ついに前の扉まで進出している。
(写真61-1ab) 1961 Chrysler 300G Convertible (2008-01 シンスハイム博物館/ドイツ)
「300」シリーズは1961年の「G」シリーズからかグリルの上下をひっくり返し、他のクライスラーもこれに倣った。このスタイルは「300K」まで4年間続いた。(300シリーズ名の「I 」は使用せず)
(写真61-2ab)1961 Chrysler Windsor 4dr Sedan (1961-02 ニューエンパイア・モータース/虎の門)
1961年からクライスラーはグリルの外枠を上下逆転させた下すぼまりに変わった。それに合わせてヘッドライトが斜めの四ツ目に変わった。このパターンは東洋人の顔に見えるらしく、アメリカでは「チャイニーズ・アイ」と呼ばれる。
(写真61-3a) 1961 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1961-03 有楽町 帝国ほてる付近)
「ウインザー」では細い横バーだけだったグリルは、「ニューヨーカー」では7本の縦バーが入って重厚さを増した。後ろに見えるガードは山手線で、車は「帝国ホテル」の横に停まっている。道の反対側は「みゆき座」で、現在は東京宝塚劇場となっている。
(写真62-1ab) 1962 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1961-11 タカラ・ショールーム/青山通り
)
1962年の「ニューヨーカー」のグリルは、去年の「300G」をそっくりそのまま移し替えたもので、中央の丸いバッジの中に「300G」と入っていないだけだから少し離れて正面から見たら区別がつかない。クライスラーではこの年から「テールフィン」についてすっかり興味を失ったようで全く影をひそめた。場所は青山通りを赤坂見附から7~800メートル渋谷に向かった左側にある理容椅子の最大手「タカラ・ショールーム」前。車はどこかの国の大使の公用車のようだが、大使が床屋の椅子を品定めに来るのも公用で大丈夫?
(写真63-1a)1963 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1964-10 虎の門付近)
同じモチーフながら上縁が水平となったので口角の上がった印象に変わり、ヘッドライトも水平になったので全体に「奇異」な感じは薄れた。この車のナンバープレートは「714 Fleet USN」と読めるのでアメリカ海軍関連の車のようだ。
(写真64-1ab)1964 Chrysler New Yorker 4dr Sedan (1965-11 東京オートショー/晴海)
この年もグリルの模様替えによるフェイスリフトに留まった。
(写真66-1abc)1966 Chrysler 300 2dr hardtop (2002-02 パリ・レトロモビル)
この車が一時期クライスラーをリードしてきた「300レターシ・リーズ」の最後となる「L」シリーズだ。といっても、今までの強い個性を持った歴代の「300」たちに較べるとインパクトが少ないのは薄く平べったい時代の流行に沿ったものだろう。
(写真67-1a)1967 Chrysler Newport Custom 4dr Sed (1966-11 東京オートショー/晴海)
カメラの所為でグリルが平面的に見えるが、左右と中央が突き出しているのは前年の「300」と同じだ。クライスラーの中では一番安い「ニューポート」でも514万円の値段が付いている。
(写真68-1ab)1968 Chrysler Newport Custom 4dr Hardtop (1961-11 東京オートショー/晴海)
「300 」以外の「ニューポート」と「ニューヨーカー」のグリルは、外枠が直線の四角形で囲まれ、その中に去年までの左右と中央が突き出したパターンが収まっている。1970 年代中頃の「トヨタ マークⅡ」でもこんな感じの車があったが、ボンネットに凹凸があるものより僕は好きだ。
(写真68-2abc) 1968 Chrysler 300 Convertible (2008-01 ジンスハイム博物館/ドイツ)
末尾にアルファベットが付く「レターシ・リーズ」が終了した後も、「300」シリーズは1967年から71年まで5年間も車名として存在した。両ウイングと中央が突き出したフロントのデザインは他のクライスラーとは全く異なる。
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<インペリアル>
1955年「インペリアル」の名は「シリーズ名」から「車名」に格上げされた。55、56年は「クライスラー」と共通ボディだったのでそちらに並べて紹介したが、1957年以降は完全に独自のスタイルとなったので別項とした。
(写真57-2abc)1957 Imperial LeBaron 4dr Sedan (1959年 静岡市紺屋町)
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高級感を強調するため、細かい飾り物を多用している。このインペリアルにはデザイナーのヴァージル・エクスナーが1951年クライスラーで最初に発表したショーカー「K-310」のアイデアを取り入れており、それは丸いテールランプとトランクリッドにスペアタイヤを背負っている姿に見られる。場所は静岡時代の僕の勤務先の横で、小路を入った隣はキャバレーだった。
(写真58-3abc) 1958 Imperial Crown Southampton 4dr Hardtop (1962-04 都電・慶応義塾前/桜田通り)
(参考) 2010-04 慶応義塾大学新設東館(東門)
通常の4ドアセダンはプレーンバックだが、写真のハードトップはCピラーがタルガトップ風に独立したノッチバックで、「サザンプトン」と呼ばれる。場所は三田の都電停留所「慶応義塾前」で、ここを奥に進むと慶応の図書館下になる。この昭和の雰囲気たっぷりの町並みは今では見違えるように近代化してしまった。
(写真59-3abc)1959 Imperial LeBaron 4dr Sedan (1959年 羽田空港)
成田空港が出来るまでの東京の国際空港は羽田だった。そして昭和30年代中頃の庶民にとって海外旅行などは「夢の又夢」という時代だった。だから、羽田空港を利用する人はそれなりの人に限られ、それなりの車に乗って来る筈だ、という目論見で何回か羽田には足を運んだ。大使館関連の「青ナンバー」が多く見られるのはそんな時代背景から当然だが、中でも外を○で囲んだ大使の公用車にも沢山出会った。写真の車もその1台で国旗から南米の「ウルグアイ」大使の車と判定した。この車のナンバーは「2630」だが、大使の公用車については必ず末尾に「0 」が割り当てられている。
(写真60-3ab)1960 Imperial LeBaron 4dr Sedan (1961年 横浜市内)
この年の「インペリアル」のデザインには斬新さが見られない。顔つきは1957年の「クライスラー」、魚の尻尾のようなテールフィンは1957-58年の「プリムス」とよく似ている。
(写真61-4abc) 1961 Imperial Crown 2dr Convertible (2008-01 ジンスハイム博物館/ドイツ)
この年からはこのあと3年続く、グリルが中央に寄って、ヘッドライトが剥き出しになった独特の個性的な顔となった。シンプルだが高級車としての品位があり好ましいデザインと思う。
(写真62-3ab)1962 Imperial LeBaron 4dr Sedan (1962-01 千駄ヶ谷駅前)
前の年のグリルの中央に縦のラインを入れ変化を付けたが、オリジナ良さが消えてしまったように思う。写真の場所はJR中央線「千駄ヶ谷」駅前で、第3回東京オートショーの為のパレード中を捉えたものだが、撮影日と年式が同じという事は発表されたばかりのニューモデルという事だ。
(写真63-2ab)1963 Imperial LeBaron 4dr Sedan (1965-09 大英博覧会/晴海)
やっぱり元に戻したか、と納得したが、グリルパターンはいろいろ細工した後よりは最初のオリジナルが一番という事はデザインの鉄則のようで、今まで何度も経験した事だ。
(写真64-2ab) 1964 Imperial LeBaron 4dr Hardtop (1963-11 東京オートショー/晴海)
去年元に戻したかと思ったら、グリルは又々2分割に変わった。左右のフンダーの先端がフィン状に突き出しているのは「クライスラー」系では初めてだが「リンカーン・コンチネンタル」では、数年前から採用されていたスタイルだ。後姿にはコンチネンタル・タイヤと呼ばれるダミーの膨らみがあり、かつてのシンボルが復活した。
(写真67-2ab)1967 Imperial Lebaron 4dr Hardtop (1966-11 東京オートショー/晴海)
この年のフロントデザインには特徴が無く平凡だ。後姿にはタイヤの膨らみは見られないが去年と同じ「シンボルマーク」で「インペリアル」である事をアピールしている。
(写真68-3ab)1968 Imperial LeBaron 4dr Hardtop (1967-11 東京オートショー/晴海)
この年はフロントとリアにそれぞれ「シンボルマーク」を取り入れた。
(写真70-1a)1970 Imperial LeBaron 4dr Hardtop (1969-11 東京オートショー/晴海)
この年はついにヘッドライトが見えなくなった。この車の場合はグリルの裏側に収納されるタイプで、同じ仕組みは1967,68年のキャディラック・エルドラドにも採用されている。流行とは言っても前から見て「インペリアル」らしさは何処にも無い。
(写真75-1a)1975 Imperial LeBaron 4dr Hardtop (1977-01 外車ショー中古車館/晴海)
前の年から「インペリアル」はこんな姿になってしまった。なんか全体のスタイリングに一貫性がなく、思い付きでコロコロ全く別物になってしまうのは何故だろう。この感じは横長のグリルが全盛だった1968年から、リンカーン・コンチネンタルが続けてきたスタイルだ。
― 次回から「D項」に入る予定です ―