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1959年コンパクトカーが出現するまでは、アメリカ車の車種は比較的単純だった。スタンダードモデルと上級モデルにデラックス・バージョンが設定されるくらいで、シャシーに多少の差はあっても、いずれも日本人の目から見れば大型の「アメリカ車」だった。しかし「コンパクトカー」の出現以来、アメリカでも馬鹿でかい「フルサイズ」以外にも手ごろな「ミディアムサイズ」の価値が見直されたのか、各社で次々と中型車が発表された。「シェヴィー」「シェヴェルⅡ」などである。しかし僕は大型車オンリーの「1950年代」こそがアメリカ車の黄金時代だと勝手に思っているのでこれから張り切って、その時代をご紹介したい。この時代のスタイリングの特徴として「テールフィン」を忘れてはいけない。
・今回のシリーズは殆どがモノクロだが、これらは車が新車として輸入され現役で活躍していた当時に撮影したもので、後年イベントで見つけたものと違い背景の風景とともに時代を感じて頂ければ幸いです。
(写真00-1) シボレー・顔の変化(1950-67)
................1950......................................1951.....................................1952......................
.................1953..................................,,,,1954....................................1955.......................
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..................1963....................................1966........................................1967....................
(写真01-1ab) 1950 Chevrolet Deluxe Fleetline 4dr Sedan (1957年 静岡市内)
この黒塀は静岡市内でも有数の高級旅館「中島屋」で、道の反対側が僕の勤務先の職員通用口だったから昼食で外に出れば目の前にこんな具合にいろいろな車が止まっている、という実に恵まれた環境だった。それにしてもこの当時の「GM」系のプレーンバックは魅力的だ。
(写真01-2a) 1950 Chevrolet Deluxe Styleline 2dr Convertible (1960年港区内)
50年代初めのシボレーのラインアップは「スペシャル」と「デラックス」の2つだけで、それぞれにプレーン・バックの「フリートライン」と、ノッチバックの「スタイルライン」のサブ・シリーズがあった。この車はコンバーチブルだがノッチバックに含まれる。後ろに東京タワーが移っており場所は一の橋付近。
(写真01-3ab) 1950 Chevrolet Deluxe Fleetline 2dr Sedan (1998-01 フロリダ州オーランド)
フォーセールのプレーとを掲示しているこの車は、車齢50年に近いが新車と見まごうばかりの完璧なコンディションだ。前出の車と同じように見えるが、こちらは2ドアセダンである。
(写真02-1ab) 1951 Chevrolet Deluxe Fleetline 2dr Sedan (1961-11 横浜駅前)
背景のビルはシュウマイでお馴染みの「崎陽軒」、という事は、この場所は再開発前の「横浜駅前」だ。反対側の背景は「Hotel Daito」という旅館のようだ。いずれにしても50年前の横浜駅前はまだ古臭い感じだ。
(写真02-2ab) 1951 Chevrolet Deluxe Fleetline 4dr Sedan (1956年 静岡市内)
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この車は官公庁の「た」ナンバーで、しかも「0001」が付いている。いつも消防署の前辺りに停めてあったから消防署長の車だろうとずっと思っていた。しかし消防署の隣は警察署だったから、実は同じ署長でも警察署長の方が正解だろう。そして前方に見える1940年のプリマスが消防署長の車のようだ。それにしてもこの後姿は大衆車とは思えない美しさで、高級車ベントレーの1952-55年R-タイプ・コンチネンタルとそっくりだが発表されたのはシボレーの方が早い。
(写真02-3ab) 1951 Chevrolet Deluxe Styleline 2dr Sport Coupe (1966-04-09 明治通り)
場所は北区の飛鳥山から池袋に向かう明治通りで、当時はトロリーバスが通っていた。背景に「豊島堀之内郵便局」が写っており、池袋に近い五又路付近だ。シリーズはこの年も「スペシャル」と「デラックス」2種のみで、ノッチバックで2ドアのこの車は「ビジネスクーペ」「スポーツクーペ」「2ドアセダン」のどれかだが、デラックス・シリーズにはビジネスクーペは存在せず、後部ウインドウの大きさからスポーツクーペと判定した。
(写真02-4ab)1951 Chevrolet Special Styleline 4dr Sedan (1962年 渋谷駅府付近)
ベーシックモデルが「スペシャル・シリーズ」で、ボディサイドや窓枠にクロームメッキが見られない地味なモデルだ。同じタイプの「デラックス・シリーズ」は1,680ドルで38万台造られているが、1,594ドルの「スペシャル」はわずか84ドル違うだけなのであまりメリットが無かったのか6万4千台しか造られなかった。そんな訳で街中で捉えたシボレーは殆どが「デラックス」で「スペシャル」は希少価値だ。
(写真03-1ab) 1952 Chevrolet Deluxe Styleline 2dr Sedan (1966-04-29 横浜市内
)
場所は横浜の山下公園付近だったと記憶している。車はノッチバックの2ドアセダンで、パーソナル色が強いがナンバーから米関係者のものと思われる。
(写真04-1abc) 1953 Chevrolet Deluxe 210(Two-ten) 2dr Sedan (1966-04 表参道
)
(参考)表参道のHanae Moriビル
この年からシリーズ名が「スペシャル150(One-fifty)」「デラックス210 (Two-ten)」と変わり、それまで2ドアハードトップの形式名だった「ベルエアー」が上級シリーズとして登場した。場所は今から50年前の表参道で、道の向こう側は現在「Hanae Mori」ビルとなっている。
(写真04-2ab) 1953 Chevrolet Special 150 4dr Station Wagon (1958-08 静岡市内)
僕の勤務先の3階ホールで「貨幣展」を開催した際、東京の本店から静岡まで資料を運んできたのがシボレーのステーションワゴンだった。ナンバープレートが時代を感じさせる。
(写真04-3a)1953 Chevrolet 1/2-Ton Panel Delivery (1959年 羽田空港)
ここから一寸脇道へそれて商業車を紹介する。ライト・トラック・シリーズは「1500」「3100」(1/2トン)、「3600」「3700」(3/4トン)、「3800」「3900」(1トン)の6種類があった。写真の車は「3100」シリーズの「パネル・デリバリー」で、ボディに書かれた「CAT」の文字は、Civil Air Transportの略で、「民航空運公司」という今は亡き台湾の航空会社のもの。
(写真04-4a)1953 Chevrolet 1/2-Ton Truck (1998-01 フロリダ州MGMスタジオ/デイズニー・リゾート)
この車も前の車と同じシャシーの1/2トン3100シリーズで、後ろにクレーンを取り付けた救急サービスカー仕様だ。
(写真04-5a)1953 Chevrolet 3/4-Ton 3700 Truck (1998-01 フロリダ州オーランド市内)
こちらは顔つきは全く同じだが一回り大きい3/4トンの3700シリーズで、このタイプはアメリカで他にもいくつか見ているが何を積むのだろうか。デッキの下のスペースはどう使われるのか、よく判らない車だ。まさかこの傾斜に車は積めないと思うけれど・・。
(写真 05-1a) 1954 Chevrolet Special 150(One-Fifty) 2dr Sedan (1957年 静岡市内)
去年からシリーズ名の呼び名が変わり、資料によっては150/210だけの物もあり過渡的な扱いだが、車にはどこにも表示はない。写真の車はベーシック・モデル「150」で、サイドモールも窓周りのメッキもないが明るい塗装のおかげで全く気にならない。場所は僕の勤務先に隣接する高級旅館で、何時でも外に出れば撮影の対象が停まっているという恵まれた環境だった。
(写真05-2ab)1954 Chevrolet Bel Air 2dr Sedan (1980-05-04 筑波サーキット)
シボレーは1950年から2ドアハードトップのボディタイプを「ベルエアー」と呼んでいたが、1953年からは「150」「210」の上級モデルとして「ベルエアー」はシリーズに昇格した。だから「150」「210」のハードトップは「ベルエアー」とは呼ばれず、反対に「ベルエアー・シリーズ」は2ドア、4ドアともにセンターピラーがあり、ソフトトップのコンバーチブルもありで、もはやこの名前はハードトップの代名詞では無くなった。
(写真06-1ab)1955 Chevrolet Bel Air 4dr Sedan (1957年 静岡市内)
シボレーは1940年代初めから屋根部分だけ色違いの2トーンは存在したが、1955年のベルエアーで初めて大胆な前後塗り分けが実施された。前年からオールズモビルなど一部で試みられていたが、この後50年代の後半にかけて各社で競って採用し、塗り分けは当時の流行となった。この年の色見本では基本色14色に対して、これらを組み合わせた2トーンは23種もあった。写真がカラーでないのは残念だが、昭和32年当時初めて見た時の印象は物凄く新鮮だった。
(写真06-2ab)1955 Chevrolet Bel Air Nomad (1990-07-22 アメリカン・カー・フェア/幕張)
この年シボレーに新しいタイプの車が誕生した。オーソドックスなワゴンタイプとして、ベルエアーには「Beauville Wagon」、210には「Townsman」、210/150には「Handyman」が用意されていたが、それらとは別にベルエアーをベースに洒落たスポーツ・ワゴンが「ノーマッド」と名付けられてデビューした。値段は2,571ドルで、一番安い2ドアセダンの1,593ドルに較べるとかなり高価だったせいか、4ドアセダンが70万台近く造られたのに「ノーマッド」はわずか6,103台しか造られなかったから、現役時代国内で見ることは出来なかった。写真は1990年幕張メッセで開かれた「アメリカン・ドリームカー・フェア」で撮影したもの。
(写真06-3ab) 1955 Chevrolet Bel Air Nomad (1998-01 フロリタ州MGMスタジオ/ディズニー・リゾート)
前項の写真はゲートを開いていて魅力的は後姿が分からないので、こちらでじっくりとご覧いただきたい。カブリオレの「幌受け」を連想させる7本のクロームラインが最大の特徴で、サイドビューのウインドウが前傾しているのもスポーティーさを強調している。
(写真06-4ab) 1955 Chevrolet Sedan Delivery (1998-01 フロリダ州オーランド市内)
こちらは一見すると「ノーマッド」のパネルバン仕様かと思われるが、「セダン・デリバリー」と呼ばれる1500シリーズのトラックだから、日本でいえば「4ナンバー」に相当する。後姿はノーマッドの最大の特徴である7本のクロームラインが無いので普通のライトバンと変わらない。
(写真07-1a) 1956 Chevrolet Bel Air 4dr Sedan (1958年 静岡市内)
「す」ナンバーは、一般的には「自家用」と分類されているが、この当時静岡市内でアメリカ車を所有するとすれば「個人」の趣味ではなく、「社用」として購入されるものだ。だから4ドアセダンが多く、この車も地味な「オニックス・ブラック」一色で2トーンではない。背景は静岡市内の繁華街「呉服町商店街」が全国に先駆け1ブロック毎にビル化を図るため工事中。街中には外車がぞろぞろ駐車していた時代だ。
(写真07-2ab) 1956 Chevrolet Bel Air Sport Coupe (1987-01-25 明治公園)
こちらは同じ「ベルエア」でも趣味性の高い2ドアスポーツ・クーペで、典型的なアイボリーとグリーンの2トーンだ。
(写真08-1ab) 1957 Chevrolet Two-ten 4dr Sedan (1987-01-25 明治公園)
1957年からシボレーもテールフィンがはっきりと目立つようになった。テールフィンは1959年をピークに61年まで続くアメリカ車全般に蔓延した流行だった。
(写真08-2a) 1957 Chevrolet Bel Air 4dr Sedan (1958年 静岡市内)
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この車も静岡市内に存在した地味な4ドアセダンだ。場所は駿府城のお堀端だが、ここは1948年中学2年生だった僕が初めて自動車の写真を撮影した場所で、戦後3年しか経っていなかった当時はこのお堀に面して、ここに「占領軍司令部」があった。(因みにその時撮った車のナンバープレートには「JAPOC」と縦に入っておりJapan Occupation(日本占領軍)の略で、戦争に負けた日本はまだ連合軍に占領されていたのだ。)
(写真08-3ab) 1957 Chevrolet Bel Air Nomad (1995-05 江戸川区葛西南高校付近)
地下鉄東西線を葛西で降りて環七通りを南へ1キロほど行くと都立葛西南高校がある。この学校の横に自動車の整備工場があって、時たまアメリカから持ってきたばかりと思われる中古車が裏通りに置かれていた。なんでこんな所に僕が居るかと言うと、第2の職場がこの近くにあり一時期ここが通勤途上の通過点だった、ということで、職場が変わっても何時でも僕は自動車に縁がある星の下に生まれてきたらしい。
(写真09-1ab) 1958 Chevrolet Del Ray 4dr Sedan (1962-04 立川駅前
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1958年からはシリーズ名が変わり、下から「デルレイ」「ビスケーン」「ベルエアー」となった。写真の車はベーシックモデルの「デルレイ」で、去年の「150」(One-Fifty)に相当する。場所は立川駅北口駅前で、この車のナンバーは陸運局の定めたものでは無いので、場所から推定すると米軍基地関係の車だろう。(因みに自衛隊の車両も一般車両とは異なる系統が使われている)
(写真09-2ab) 1958 Chevrolet Biscayne 2dr Sedan (1998-01 フロリダ州オーランド市内)
こちらは中級シリーズの「ビスケーン」の2ドアセダンで、日本では大型アメリカ車は社用として購入されるので4ドアセダンが殆どだが、個人用として購入されるアメリカでは2ドアもかなり多い。
(写真09-3ab) 1958 Chevrolet Impara 2de Hardtop Sports Coupe (2007-06 フェスティバル・オブスピード/イギリス)
1958年からベルエアーにサブシリーズとして2ドアスポーツクーペ「インパラ」が誕生した。テールフィンはこの後「羽ばたくカモメ」を連想する一連のV字型続くが、それはここから始まった。
(写真10-1a) 1959 Chevrolet Biscayne 4dr Sedan (1959年 帝国ホテル付近)
.................(参考)取り壊し前の「三信ビル」
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僕の写真では珍しい風景が沢山写っている1枚だ。場所は左のビルが日比谷交差点の朝日生命ビル、右が三信ビルで、3つ先が帝国ホテル、道の反対側は日比谷公園という誰でもよく知っている場所だ。2006年「三信ビル」は取り壊されてしまったがその直前撮影した写真を参考に添付した。
(写真10-2a) 1959 Chevrolet Impara 4dr Sedan (1959年 銀座6丁目・並木通り)
昨年ベルエアーのサブシリーズとして登場した「インパラ」は最上級シリーズに昇格した。その代りベーシックの「デルレイ」は去年はミドルクラスだった「ビスケーン」と名前を変え、「ビスケーン」は「ベルエア」の名前を貰ってなんとなく一つ上のクラスを装ったから、一寸セコイ?手を使ったかなと思わせる。写真の車はこの年のニューモデルで、50年以上前の銀座並木通りはまだ木造の店舗なので銀座という雰囲気ではないが、停まっている車は流石だ。
(写真10-3a) 1959 Chevrolet Impara 2dr Sport Coupe (1966-04 渋谷区内)
1950年代のアメリカ車のテーフィン」競争は59年がピークとなった。その中でも伝説となったのが「キャディラック」と「シボレー」だった。シボレーのテールフィンは完全に「羽ばたくかもめ」で、空力的に必要とされた物ものでは無く、あくまでデザインの為の造形で、市販車にここまで大胆な決断をさせたのも時代の勢いだったのだろう。
(写真10-4ab) 1959 Chevrolet Impara 2dr Hardtop Sport Coupe (フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
この年の各シリーズの見分け方は、サイドモールが途中までなら「ビスケーン」、後ろまであれば「ベルエア」、途中から色が変わり中央部にチェッカーフラッグと文字が入っていれば「インパラ」である。
(写真10-5ab) 1959 Chevrolet Parkwood 4dr Station Wagon (1960-01 丸の内)
各シリーズにはステーションワゴンがあり、下から「ブルックウッド」「パークウッド」「キングスウッド」「ノーマッド」の名が付けられていた。写真の「パークウッド」はベルエア仕様のミドルクラスに相当する。とってつけたような後部スペースはスポーツクーペに較べれば数倍の荷物が積めただろうが、こんなデザインにも見事に「羽ばたくかもめ」が埋め込まれた。
(写真11-1ab) 1960 Chevrolet Impala 2dr Sport Coupe (1998-01 フロリダ州オーランド市内)
この写真はフロリダのオーランドで撮影したものだが、アメリカ車の中で僕がお気に入りの一枚だ
照明が灯き始めた背景もいかにもアメリカ風で、映画「アメリカン・グラフティ」の世界をちょっぴり連想させるところが何とも言えない。2ドアのスポーツクーペだからキャビンから後ろが非常に長い。
(写真11-2ab) 1960 Chevrolet Impara 4dr Sedan (1960年港区内)
こちらも夕日を浴びた標準型の4ドアセダンで、場所は鳥居坂下付近だったと記憶している。テールフィンは去年がピークで見た目が少し穏やかになった。
(写真11-3ab) 1960 Chevrolet Impara 2dr Convertible Coupe (1978-01 東京プリンスホテル)
シボレーはGMグループの中では一番下のランキングに位置する車種だが、どうしてどうして、2ドアのコンバーチブルなどはスポーティですごく格好いい。
(写真12-1ab) 1961 Chevrolet Impara 2dr Hardtop Sport Coupe (1965-11-06 後楽園遊園地)
テールフィンはピークから2年目となると、「羽ばたくかもめ」のイメージは残しているものの、もはや奇異な感じは全く影をひそめ、通常のデザインの範囲だ。場所は後楽園遊園地で開かれた「スポーツカー・ショー」で、50年前は後ろに見える「オクトパス」は50円で乗れたようだ。
(写真13-1ab) 1962 Chevrolet Impara 4dr Sedan (1967-07 銀座3丁目付近)
1962年になるとテールフィンは影も形もなく消え去ってしまった。という事はそれぞれの車の個性が失われてしまったという事でもあり、ボディラインも「直線の四角い箱」となってしまったアメリカ車に対して、僕は徐々に興味を失っていく事になる。
(写真14-1ab) 1963 Chevrolet Impara 2dr Hardtop Sport Coupe (1966-04-29 横浜市内)
この車は1963年モデルだが前の62年と殆ど同じで新鮮さがなく、最もかっこいい筈の「2ドアスポールクーペ」ですらこんな「四角い箱」ではほとんど魅力を感じない。場所は横浜市中区山下町とあり中華街の中通りだ。ナンバープレートの「M」は1958年10月制定された 駐留軍人軍属の私有自動車(免税)に割り振られた「EHKM」の一つだ。
()写真15-1a~d)1965 Chevrolet Impara Super Sport 2dr Hardtop Coupe (1966-07 表参道)
(参考)表参道の骨董店「オリエンタル・バザー」
1962年から64年までの3年間は「四角い箱」のボディが続いたが、僕の願いが通じたのか1965年ボディに一寸した変化が加えられた。それはリアフェンダーが盛り上がり抑揚が付いたことだ。これだけで全体のイメージはグラマラスになり、後年「コークボトル・スタイル」(コカコーラの瓶)とよばれるタイプが誕生した。場所は表参道、道の反対側は東洋趣味の骨董店「オリエンタル・バザー」で50年後も健在だ。
(写真16-1ab) 1966 Chevrolet Caprice 4dr Sedan (1966-04-29 横浜市内)
1966年最上位に新しいシリーズ「カプリース」が登場した。ボディラインは前年とほとんどかわっていない。
(写真17-1ab) 1967 Chevrolet Impara SS 2dr Convertible (1998-01 フロリダ州オーランド市内)
写真の車は1999年オーランド市内のスーパーマーケットの駐車場で撮影したもので、ごく普通に買い物に来た人が日常の足に使用している車で、イベントで出会うレストアされた物とは違う。車齢30年を超えているがとても良いコンディションだった。
(写真18-1a) 1968 Chevrolet Caprice 4dr Srdan (1967-11東京オートショー/晴海)
(写真19-1a) 1969 Chevrolet Impara 4dr Sedan (1968-11-15第10回 東京オートショー/晴海)
(写真20-1ab) 1970 Chevrolet Kingswood Wagon (1969-11-14 第11回 東京オートショー/晴海)
(写真21-1a) 1977 Chevrolet Concours 4dr Sedan (1977-01-10 '77 外車ショー/晴海)
(写真21-2a) 1977 Chevrolet Caprice 4dr Sedan (1977-01-10 '77 外車ショー/晴海)
1960年代後半以降アメリカ車を街中で撮影することは殆ど無かった。1つには路上駐車が禁止になって対象が減ったこと。それに加えてアメリカ車が「平らな四角い箱」になってあまり魅力を感じなくなったこと。そして撮影場所が「レース場」や「クラシックカー・イベント」が重点となり、ここに集まる車もヨーロッパ車が中心だった事もある。だからアメリカ車についてはモーターショーで展示されものしか撮っていない。
――次回は積み残した「コルベット」を予定しています――