<AMI6> 1961-76
1955年前衛的な「DS19」が発表されたが、シトロエンでは1961年になって、その普及版として「2CV」と同じ構造に602ccのエンジンを載せ、それにこれまた宇宙から飛んできたかのような前衛的なボディを被せた「AMI6」を発表した。会社の狙いとしては「DS19の弟分」として中型車(800~1000cc)の領域を狙ったが、602ccでは所詮「2CVの兄貴分」としか見られなかった。しかしそれなりの人気はあり「2CV」の強敵となってその市場に割って入り、一時は2CVを上回るほどだった。全生産台数は「アミ6,8」合計で16年間に184万台が造られた。
(写真08-1a-c) 1962 Citroen Ami6 (1980-01 20 明治神宮外苑・絵画館前)
(写真08-2a-b) 1962 Citroen Ami6 (1979-01-15 芝・東京プリンスホテル)
これらの車は別のイベントで撮影したものだが同じ車だ。この車の第一印象は「ギョ!ギョ!」(驚いたとき発する感嘆語)だった。「ヘッドライトは丸い物」というのは自動車が誕生して以来の常識だったから、この顔付は異次元の生物のようで物凄く違和感があったのは僕だけではなかったと思う。今では丸い物の方が少なくなってしまったから世の中は変わったものだ。変形レンズを最初に見たのは1960ドイツフォード・タウナス17Mでこの時もかなりショックを受けたがそれでもライト以外は普通の形だったが、この車は後姿までショッキングだった。リアウインドはクリフカットと呼ばれる逆カットの斬新なもので、高級車「リンカーン」の中でも最上位のコンチネンタル・シリーズ限定で1958年から採用され、その後1959年の英フォード・アングリアや、1960年マツダ・キャロル360にも採用された。
(写真08-3a-d) 1966 Citroen Ami6 (1965-11-18 第7回 東京オートショー/晴海)
わが国では1964年11月のショーで初めてお目見えしたが、写真はその翌年1965年のショーで撮影した1966年モデルだが外見上の相違点は確認できない。取り扱いは西武自動車販売で価格は前年と変わらず99.5万円となっていた。
(写真08-4ab) 1967 Citroen Ami6 Confort 4dr Berline (1966-11-12 第8回 東京オートショー/晴海)
3年目のこの車も見た目変わらず、値段も据え置きで99.5万円だった。横の人物が大きく流れているのは、スローシャッターのせいで、フィルムを使っていた当時の感度は標準「ASA100」,高感度「ASA200」粒子が荒れるのを承知で増感漸増しても「ASA400」だった。(ASAは現在のISO と同じ) だからストロボを使うか手持ち限界1/25秒のスローシャッター を切るしかなかったのだ。現代のデジタルカメラではISO1600で大抵のところは十分光量が足りるので苦労は無い。しかし最近のモーターショーで、十分ライティングされているのに三脚を据えて撮影している人や、ストロボを併用している人を見かけると何故なんだろうと考えてしまう。
(写真08-5a-c) 1961-68 Citroen Ami6 4dr Berline (1967-05-03 第4回 日本グランプリ/富士スピードウエイ)
日本グランプリは第1回、第2回は鈴鹿サーキットで開かれたが、第3回からは新しく出来た「富士スピードウエイ」で開催された。この時は新宿から御殿場線乗り入れの小田急で行ったように記憶している。現場に着くと広い駐車場を端から廻って珍しい車を見つけるのも楽しみの一つだった。この時もファセル・ヴェガ、ポルシェ356C、912、フィアット850、の他多くの収穫があった。
(写真08-6a-d) 1961-68 Citroen Ami6 Fourgonnette (1966-06-17 表参道)
丁度50年前の表参道です。車は後ろが荷物室になっている「フルゴネット」で、外の青ナンバーだから多分」「フランス大使館」の車だろう。
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<AMI8> 1969-
AMI6が会社の期待を裏切って、2CVの兄貴分止まりで、DSの弟分として認識を持ってもらえなかったことを踏まえ、1969年AMI6の改良型「AMI8」が誕生した。見た目を少しでも大きく見せるため、AMI6ではリアウインドが逆カットされていたものを、斜めに傾斜したプレーンバックにすることで、ボディサイズは変わらないが印象としては随分大きい車に見える。
(写真09-1a-e) 1970 Citroen Ami8 Confort (1969-11-14 第11回 東京オートショー/晴海)
発表されたばかりの1970年型「アミ8」は、その年の内に輸入され日本でもショーに展示された。「アミ6」に較べれば少しおとなしくなった顔付きは、現代の目で見ればそれほど「奇異」には感じないかも知れないが、当時とすれば、十分に人目を引く斬新さだった。価格は115万円だった。
(写真09-2a-c) 1970 Citroen Ami8 (1981-05-04 11th TACSミーティング/筑波サーキット)
屋根の後端が斜めになだらかに傾斜するボディスタイルを」「ファストバック」と呼ぶが、この車の場合は50年代のアメリカ車などと違って、かなり膨らみがあり、現代の「ハッチバック」に近い。しかしトランクは窓ごとではなく下半分が上ヒンジで開閉する。
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<ディアーヌ4、ディアーヌ6> 1967-83
ディアーヌが発表された1967年時点で、「2CV」は殆ど姿を変えずに18年も造られていたから、メーカーとしては次世代へのモデルチェンジのつもりで企画したものだった。しかし435ccの「ディアーヌ4」と、AMI6から転用された602ccエンンを持つ「ディアーヌ6」は、「2CV」よりは「自動車」らしい外観に仕立てられたのが仇となり、多くの人にとって「2CVは2CV」であって「自動車」とは別の「道具」と認識している中では、自動車らしくなってしまった「ディアーヌ4」は2CVの兄貴分、「ディアーヌ6」は「アミ6」の弟分と位置付けされてしまった。結局2CVはそのまま売れ続けモデルチェンジは行われないで1990年まで製造されたが、皮肉なことにディアーヌは売れ行きのいい「アミ」の市場を脅かす事になり2CVよりも早く1983年で製造中止となってしまった。
(写真10-1a-c) 1969 Citroen Dyane 6 (1968-11-15 第10回 東京オートショー/晴海)
1967年9月デビューした「ディアーヌ」はその年の「東京モーターショー」には間に合わず、1968年初めになってから日仏自動車の手で輸入された。(価格は93.5~99.5万円) しかし数が少なかったのか僕は街中で出会う機会は無かった。だから初めて見たのは1年後のモーターショーだったが、その時の価格は105万円となっていた。
(写真10-2a-d) 1970 Citroen Dyane 6 1969-10 (西武自動車ショー/池袋・西武百貨店屋上)
「デパートでは自動車も売ります」という事で池袋西武百貨店の屋上で取扱い自動車を並べた小規模な自動車ショーが開かれた。シトロエンの他フィアットも取り扱っており500L,850,124,125 等が並べてあった。ここでもディアーヌの値段は日仏自動車と同じ105万円だった。
(写真10-3a-e) 1970 Citroen Dyane 6 Confort (1969-11-14第11回東京オートショー/晴海)
この車は輸入台数が少なかったのか展示された車以外、街中ではとうとう一度も出逢う事は無かった。横や後姿を見れば尻上がりで間違えなく2CVの一族だ。発売後3年経っているが何処も変わった所は無く、価格も去年と同じ105万円だった。
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< メアリ > 1968-88
「メアリ」は外観は似ても似つかないが、1968年「ディアーヌ6」をベースに誕生した。目的は「運搬用作業車」と「レジャー用」という全く関連の無いものだが 不思議とどちらにも違和感はない。同じような車としては「ミニ・モーク」(1964)、「ホンダ・バモス」(1971)、「シュタイル・プフ・ハフリンガー」(1959)や、ビーチカーとしては「VWバギー」や「フィアット・ジョリー」も仲間である。比較的見る機会が多い「ミニ・モーク」の印象からレジャーカーのイメージが強いが、「メアリ」は、どちらかというと運搬用の道具としての性格が強く、20年間で15万台近く製造された実績が只のレジャーカーでなかった事を示している。それは素材と構造が酷使に耐える事を前提に考えられ、量産車としては初めて[ABS樹脂]をボディ・パネルに採用した事が大きい。芯まで着色された素材は塗装と違って傷がついてもサンドペーパーで簡単に修復できること、錆びないから安心して水洗いが出来るので汚れ仕事に向いていること、ボディは13のパネルがボルト留めされているだけなので、破損した場合でも簡単に取り換えられるなど、道具としての数々の利点を備えていたからだ。バリエーションとして4輪駆動の「メアリ4×4」があるが、同じ4輪駆動でも後ろにもエンジンを積んだ「2CVサハリ」とは違って、エンジンは1つだけのパートタイム4WDだった。
(写真11-1a-e) 1970 Citroen MehariConfort (1969-11-14 第11回 東京オートショー/晴海)
日本では農家が田んぼや畑に行くためには「軽トラ」という恰好な道具があるから、その方面にこの車を売り込むのはなかなか難しいだろう。しかしレジャーカーにと考える購買層にとっては希少価値のある「おいしい」アイテムであることは間違えない。ただ、そう考える人が商売になるほど大勢いるかどうかが問題だが・・。
(参考)<シトロエン・メアリの仲間たち>
(写真11-2a 1965 Mini Moke (1997-05-01 ブレシア・ドーモ広場/ミッレミリア)
(写真11-3a 1959 Steyr Puch (1980-01-20 8th TACS ミーティング/神宮外苑)
(写真11-4a 1971 Vamos Honda 4 (1984-07-01 20th TACS ミーティング/富士スピードウエイ)
(写真11-5a 1969 VW Buggy (1985-09-29 大阪万博公園)
(写真11-6a 1957 Fiat 500 Jolly (1999-08- コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
(写真11-7a 1969 Fiat 600 Jolly (2010-07-02 フェスティバル・オブ・スピード/グッドウッド)
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(写真11-8a-c) 1968-88 Citroen Mehari Geo Cap(雪上車) (2003-02-08 レトロモビル/パリ)
T型フォードは鉄道車両はじめ、あらゆる用途に使われた万能車として有名だが、シトロエンも負けていない。写真の車は車軸を思いっきり延ばしキャタピラーを付けて「雪上車」に変身しているが、このままサハラ砂漠でも走れそうって、無理やりアフリカに結びつけたくなる。
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< GS/GSA > 1970-86 247万台
シトロエンは戦後長い間 2リッタークラスの上級車「DS」と、500cc に満たないミニマムクラス「2CV」しかなく、売れ筋の大衆車1000cc 前後の車を持たなかった。それは戦後国策で1メーカー1車種と決められていた時代に2リッタークラスを割り当てられていたことが影響していたのだろうか。見た目だけは中型車に近い「アミ」を売り出してみたが600ccでは期待通りの1リッター・クラスを切り崩すまでには至らなかった。そこで登場したのが「GSシリーズ」で、駆動系は前輪駆動空冷水平4気筒SOHC 1015cc(順次拡大9cc,1222cc)サスペンション系はハイドロニューマチックが採用されたDS系の簡略版で、4輪ディスクブレーキを備えていた。この車は見事に大ヒットし、その後発展しながら16年間の間に247万台が造られた。
(写真12-1a-e) 1972 Citroen GS〈最初期型1015cc〉(1973-02-24 赤坂・TBS付近 )
この車は日本に最初に輸入された車の1台ではないかと思われる。当初の価格は138.5万円で、西武自動車が取り扱った。
(写真12-2a-d) 1977 Citroen GS 1220 Club (1977-01-10 '77 外車ショー/晴海)
シトロエンは伝統的にエンジンに比べてボディが大柄だ。「GSシリーズ」のスタート時のエンジンは1015cc だったが、ボディは1500cc クラスに見える。言って見ればそこがセールス・ポイントでもあるのだが、それでももう一寸見た目に近付けるようにと、ほどなく1220cc にアップし、型式名も「GS1220」と変わった。
(写真12-3a-d) 1982 Citroen GSA Pallas (2014-11-29 トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバル/神宮外苑)
1979年からはより使い勝手の良い5ドア・ハッチバックとなり形式名も「GSA」となった。外見ではグリル、バンパーが変ったほか、ボンネットに黒いエアスクープが付いたが、これは日本仕様のみ。この車は日本向けdで右ハンドルである。」
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< CX系 > 1974-89
「CX系」は「DS系」の後継 モデルでシトロエンの中では最上位の車なので、本来は前回登場させるべき車だったが、スペースの都合で今回の登場となった。大別して1974-84の前期型と、1985-89の後期型に分けられる。外観は「GS系」をストレッチしたようなプレーンバック・スタイルを持っており、「CX(空気抵抗を表わす係数)」の名のとおり、極めてスムースなボディだ。リアウインドが凹面となっているのも空気抵抗を減らすためのものだ。エンジンはすべて水冷直列4気筒だが排気量が何種類もある。ガソリンでは「OHV」2.0、2.2、2.4リッター、「SOHC」2.0リッター、ディーゼルでは「OHV」2.2、2.5リッターの他、ターボ付き2.5リッター・ガソリンエンジンもあった。1989年後継車「XM」の登場で製造中止となった。
(写真13-1a-b) 1974 Citroen CX 2200 (1977-01-10 '77 外車ショー中古車館/晴海)
CXのエンジンは「DS」から引き継いだ1985cc(CX2000)と2175cc (CX2200)から スタートした。CX2000にはノーマルとエコノミーの2種があったが、これはグレードの差ではなくギアレシオの差で燃費の違いだった。写真の車は最初期に日本に入ったと思われる車で,同年代の車をCG177号(75/12)でテストしているが、車の価格は398.5万円となっていたから、同じグレードだとしたら1年落ちで365万円と言うこの車は中々いい値段だ。車高が異常に低いのは、ハイドロ・サスペンションのシトロエンの特徴で、エンジンをかけるとむくむくと盛り上がって使用可能の高さとなる。
(写真13-2a-c) 1977 Citroen CX 2400 Pallas (1977-01-10 '77 外車ショー/晴海)
1976年12月排ガス規制対策をクリアーした新エンジン2348ccを持った「CX2400」を発表した。排ガス対策のため減少する出力をカバーするため排気量を増やしダメージを最小限に食い止めるためだ。わが国の排ガス規制は世界の基準より厳しく、僅か200台程度の日本市場向けにメーカーが多額の投資をして改良に踏み切るか、それとも輸出を断念するか、どう判断するか懸念されていたが結果的にはニューモデルが誕生した。だから「CX2400」というモデルは日本のファンにとってはシトロエンから見捨てられなかったという記憶に留めるべき車である。
(写真13-3a-d) 1986 Citroen CX25 Prestage (2008-01-06 横浜市内)
シトロエンは伝統的に排気量が少なく馬力の少ないエンジンを各ギアで目いっぱい廻してシフトアップする、トルクの足りない分は重いフライホイールの慣性で補う、など実用本位の考え方に支えられてきたが、CXクラスともなると余裕をもって運転が出来ることがライバルと競合するためにも必須となる。そこで生まれたのが4気筒SOHC 2499cc の高性能エンジンだ。燃料噴射付き135hp/5000rpmを載せたのが「CX25パラスIE」で、このモデルからは「CX2500」ではなく「CX25」と表示方法が変わった。
(写真13-4ab) Citroen CX Stretch Limousine (2002-02-11 レトロモビル/パリ)
この自動車はドイツ民主共和国(旧東ドイツ)のホーネッカー書記長が使用していたリムジン仕様のCXだ。自動車生産国のトップの公用車は自国のメーカーから選ぶ。(日)トヨタ・センチュリー、(米)キャディラック・プレジデンタル・リムジン、(独)アウディA8、(英)ロールス・ロイス、(仏)シトロエンCX・リムジンなどである。当時東ドイツでは「トラバント」と言うミニマム・クラスの小型車を生産していたが社会主義の国とはいえ、国のリーダーが乗るには一寸チャチだし、後盾ソ連の要人用高級車「ジル」や「ジム」は古いアメリカ車の焼き直しだし、隣の国(西ドイツ)から買うのは沽券に係わるしと色々考えた末、無難な「シトロエンCX」に到達した、とは考え過ぎの僕が考えた事だ。
― C項にはまだ大物の「シボレー」と「クライスラー」が残っていますが、
次回は「カニンガム」「コンノート」など小規模メーカーを特集します ―