シトロエンを年代順に紹介するならば、「トラクション・アバン」の次は1930年代に試作車が造られ、第2次大戦後間もない1948年に発表された「醜いあひるの子」こと「2CV」が順番となるが、「10CV」から続く中型車の流れとして「DS/ID系」「SM系」を先にとりあげた。
(写真00-00) アンリ・シャプロンのポスター
<DS/ID シリーズ>
「DS」って何の略?と調べてみたが納得できる答えは見つからなかった。①「Desires Speciale」(デズィス ペシアレ)特別な憧れ、②「Deess」(デェス)女神と同じ発音、など後からこじ付けた感が強く、③開発コードの何かを省略したものではないか。(しかし何を省略してのかは不明)。 この車の外見からは連想しにくいが、あの「トラクション・アバン」の後継車として1938年には既に「VGD」のコードネームで開発が始まっている。これは「Vehicule de Grande Diffusion」(大量普及自動車)とその目的を示しており、輸入された車を見て我々が感じた「高級車」のイメージとは違い、タクシーや、救急車、ワゴンタイプのブレークもある大量生産されるごく一般の量産車として位置付けられている。前輪駆動で4気筒1911ccのパワーユニットも11CVから踏襲したものだ。戦後再び開発が続けられ1955年10月のパリサロンで「DS19」としてデビューした。時代を20年先取りしたと言われるこの車は、カロセリア・ベルトーネの前衛的なボディと、ハイドロニューマチック・システム(油圧機構による統括制御)と名付けられた斬新的な仕掛けを取り入れていた。それは金属スプリングの代わりに「空気と水」を使った全輪独立懸架装置で、それぞれがパイプで連動し、悪路走行時も、荷重が変わっても自動的に安定した姿勢を保つことが出来る独創的なハイテク装置だった。1年遅れた1956年には、出力がやや低く、クラッチとステアリングがパワー化していない普及版「ID」が20%ほど値段を下げて発売された。
DSシリーズのモデルは下記の3タイプに分かれるが、いずれも排気量に由来する。
(1)1955-65 DS19 1911cc
(2)1965-72 DS21 2175cc
(3)1972-75 DS23 2347cc
総生産量は「DS」が49.4万台、「ID」が74.2万台という事は、先進技術よりも確実な信頼性とコストパフォーマンスが優先したという事だろうか。
(写真01-1a-d) 1956 Citroen DS19 (2008-01 VW・ミュージアム/ウオルフスブルグ)
VWの工場の隣りにあるミュージアムにはドイツ車だけでなく各国の興味深い車が多数収蔵されている。シトロエンのような年式の識別が難しい車種にとって、博物館の表示は重要な参考資料だ。と言う訳で、写真の車は「DS19」が1956年から販売されたその最初期モデルとしてトップに登場した。
(写真01-2ab) 1958 Citroen DS19 (2014-04 トヨタ自動車博館)
会場は小生が1960年代に撮影した車の写真展をトヨタ博物館で開催して頂いた際、ヨーロッパ車コーナーに参考展示された博物館所蔵の車だが1958年型となっても外観の変化は見つからない。
(写真01-3a-c) 1959 Citroen DS19 Coupe LeParis by Heri Chapron(2003-01パリレトロモビル)
パリのレトロモビルで見つけたこの車は、日本では見る事の出来なかった特別仕様の2ドアクーペで、老舗「アンリ・シャプロン」の手で造られた逸品だが、レトロモビルの会場は1区画の区割りが狭く超広角レンズしか使えないのは残念だ。
(写真01-4a-c ) 1960 Citroen DS19 (1960年/銀座付近)
この車は僕が最初に見つけた「DS19」だ。狭いスペースに頑張って縦列駐車したので、前輪が思いっきり切られた姿は「絵づら」としてはあまり好きではないが、とにかく初めて見つけた車だったから14枚も撮影してしまった。(フィルム1本で36枚しか撮れなかった時代だ)[ E0201 ]のナンバーを持つこの車は確か「モーターマガジン」誌の表紙を飾ったが、それが何年何月号かは思い出せない。僕の記憶の中でこの車は日本に最初に入った「DS」だった、となっているのは、雑誌のどこかで読んだのかもしれない。
(写真01-5a-b) 1960 Citroen DS19 (1960年 赤坂・青山通り)
青山通りを赤坂見附から渋谷方面に向かって1キロ足らずで右側に東宮御所があり、その手前に隣接して豊川稲荷がある。写真の背景に写っているのがその豊川稲荷で、その手前が日仏自動車の整備工場らしく、いつもシトロエンが何台も置いてあった。写真の車にはサイドにクロームのラインが入り、スポーク風のホイール・キャップが付いているが、これがカタログ・モデルなのかスペシャルなのかは資料不足で解明出来なかった。
(写真01-6a-b) 1960 Citroen DS 19 (2008-01 ドイツ博物館/ミュンヘン)
ドイツ博物館は文明の進化に関する膨大な資料を所蔵している。自動車に関しては少し離れた別館で別に管理している事を知らずに本館で入場券を買って入ってしまい、払い戻して貰って移動した苦い経験をもっている。寫眞の車にはフェンダーの上にエンジンとブレーキの熱を逃がす通気孔が付いている。
(写真01-7a-c) 1955-65 Citroen DS19 (1966-04 原宿・表参道)
この場所も誰もが知っている有名な場所だ。表参道の原宿寄り明治通りとの交差点で、後に見える石灯籠に見覚えのある人も多いだろう。車は歩道の奥の駐車スペースに停まっていた。青ナンバーで○で囲った外の表示は大使の専用車を表わしている。自動車生産国の大使は当然自国の車から選ぶから、フランス大使の車ではないかと思うが、生産国でない国でシトロエン好きの大使が選んでも不思議はないくらいの風格を備えている。
(写真02-1a) 1965 Citroen ID19 (1965-11 CCCJ コンクールデレガンス/池袋西武パーキング)
シトロエンは「DS」の普及版として1年遅れで「ID」シリーズを発表した。外見からは殆ど相違点が見付けられないが、エンジンの出力がやや低く、内装の簡略化、パワー・アシストの一部が省略されるなどで約20%ほど価格が抑えられた
(写真03-1ab) 1966 Citroen DS21 (1979-01 第6回TACSミーティング/東京プリンスホテル)
DS19が発売された当初は、経済的事情からか、エンジンは戦前から引き継いできたトラクション・アバンと同じ1911ccだったが、1965年秋になって新設計の2175ccに変更され、同時にモデル名も「DS21」と変わった。前から見たところ外見には何の変化も見られないが、後姿ではトランクの右下にDS21の文字が入った。
(写真03-2a-c) 1966 Citroen DS21 Pallas (1965-11 第7回 東京オートショー/晴海)
1964年からデラックス版「パラス」が登場し、ヘッドライトが助灯付きの4灯となった。
(写真03-3a-c) 1970 Citroen DS21 Pallas (1969-11 第11回東京オートショー/晴海)
1968年型から大改造を受けヘッドライトがガラスのカバーの中に収納された。メインライトはサスペンションと連動して上下動が補正され光軸を一定に保ち、補助ライトはステアリングの動きに合わせて左右に向きを変えるというハイテク仕様だった。この時の価格は295.5万円と表示されているが、ポルシェ911Sの645万円、コンチネンタルⅢの815万円と較べて高いのか安いのか。
(写真03-4a-c) 1968 Citroen ID19B (ID20) (1977-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
この車の素性については全く確証はないが、ホイールキャップから「ID」で、ヘッドライトから68年以降だとすれば「ID20」となる。1969年版「モーターマガジン」(世界の自動車)の写真がそっくり同じだったので69年型とした。後ろのトレーラーには「フジキャビン」を積んできた。
(写真03-5a-c)1968 Citroen DS21 Decapotable by Henri Shapron(1969-11 東京オートショー/晴海)
コンバーチブルの事をフランスでは「デカポタブル」と呼ぶ。「DS19」が誕生して間もなく、特注されたオープンモデルがアンリ・シャプロンで造られていたが、1960年からはカタログ・モデルとして正式に採用され、このタイプは「DS21」「DS23」「SM」とそのまま引き継がれた。ボディは2ドアでシートは2+2に縮められている。
(写真04-1a-c) 1973 Citroen D Super 5 (2004-06 フェスティバル・オブスピード/グッドウッド)
シトロエンは「DS」と「ID」のシリーズだけかと思っていたが、撮ってきた写真には「D Super 5」のプレートが写っていた。IDシリーズが終了した後の後継モデルで日本国内では見た事は無かった。
(写真05-1a-d)1974 Citroen DS23 Pallas (2015-04 ジャパン・クラシック・オートモビル2015/旧日銀本店前)
1972年8月、2347ccのエンジンを持つ「DS23」が登場した。DSシリーズとしては最後のモデルで、1975年生産を終了するまで20年間、最初の19シリーズから細かいパーツの変化以外、基本的なボディー・シルエットは全く変わっていないが、生産中止となった約40年前時点どころか、今見てもその流れるような曲線には目を見張る美しさがある。 1974年には後継として「CX」シリーズが発足し、1年間併売した後切り替えが終了した。
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<SMシリーズ> (1970-75)
前項でも触れたように1970年発表された「SM」は「DS」の後継車ではなく、シトロエンとしては初のスポーツマインドを持った「グランツリモ」で、その主たる目的は営利ではなく技術を誇示し先進性を示す広告塔だった。1968年シトロエンはマセラティと技術提携を結んでおり、提供されるエンジンは、90°V6 DOHC 87×75mm 2670cc 170hp/5500rpm (全長僅か31cm,単体重量140kg)だった。前輪駆動,前衛的な空力ボディ、ハイドロニューマチック・サスペンションなどはDSから踏襲しているが、時速200キロを超える全輪駆動のハンドリングについては未知の分野で、敏感に反応するためには高いギヤ比とパワー・アシストを必要とするが、ハンドルの重さは速度と操舵角度で斬進的に変化するように油圧でコントロールされている。速度に関しては停止時が最も軽く、速度が上がるに従って重くなる。操舵角度については直進状態からの操作が最も重く、角度が大きくなるほど軽くなる。だからパーキングでは非常に軽いハンドルだが、高速で走っている時は直進性を保つため一番重くなるという仕掛けだ。「SM」の「M」はMaseratiの「M」だが、「S」はSports/Specialなのか、それ以外かは判然としない。発売時の価格は550万円(590万円の資料もあり)で、ライバルはメルセデス280S(535万円)、BMW3.0CSi(554万円)、ポルシェ911E(580万円)などであった。
(写真06-1a-c) 1973 Citroen SM 2dr GT Coupe(2004-08 コンコルソ・イタリアーナ/アメリカ)
SMシリーズとして最もオリジナルの姿が写真の車で、ガラスに中に収められた6灯は、外側2つが上下動補正付きの前照灯で、少し前に位置する一番内側がハンドルに連動して首を振る補助灯である。中央のスペースはナンバープレートを格納する場所で、実車が輸入される前、日本の法規で認められるか心配する記事があったが、無事にOKとなったのは次の項で確認できる。
(写真06-2a-c) 1974 Citroen SM 2dr GT Coupe(1977-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
日本に輸入された6灯タイプの車で、ホイールはシトロエンの物ではなさそうだ。優れた空力特性を守るため、通常ゴムを使ってはめ込むリア・ウインドーも突起による過流を嫌って直接ボンドで接着するという気の配りようだ。(ゼロ戦が空気抵抗を減らすため表面に影響しない沈頭鋲を採用したことを連想した) 斜め後ろ姿はいかにも空気抵抗の少なそうな美しい姿だ。
(写真06-3a) 1974 Citroen SM 2dr GT Coupe (1989-01 13th TACS ミーティング/明治公園)
この車もナンバーは外国(イタリア?)の物が付いているが、国内で撮影したものである。
(写真06-4a-b) 1974 Citroen SM 2dr GT Coupe (1973-11 第20回東京モーター・ショー/晴海)
写真の車は正規輸入されモーター・ショーで展示されたものだが、シトロエンの大きな特徴の一つである「6灯式可動ヘッドライト」が「4灯固定式」に変更されている。これは平凡なアメリカ仕様で、可動式の本国仕様では頭の固いお役所でお許しが出ないのでは、と懸念した安全策だったのか。
(写真06-5a-b)1974 Citroen SM 2dr GT Coupe (1989-01 13th TACSミーティング/明治公園)
日仏自動車を通して正規に輸入されたものは、多分このような4灯式だったのだろう。カーグラフィックがテストした車もこのタイプだった。
(写真06-6a) 1974 Citroen SM 2dr GT Coupe (1988-01 ニューイヤーミーティング/明治公園)
この車も4灯式だが、これにはヘッドライト・カバーが付いていない。
(写真07-1a-c)1974 Citroen SM Opera 4dr Berlina (2003-02 レトロモビル/パリ)
「SM」には2ドア・タイプしかなく、4ドアを望む声はあったが生産台数の少ないこのモデルでは採算上無理でカタログ・モデルは造られなかった。それに応えてボディ・メーカー「アンリ・シャプロン」が造ったのがこの車で4ドアを強調するようにドアを開けたまま展示してあった。
(写真07-2a-d)1974 Citroen SM Opera 4dr Berlina (2010-07 グッドウッド/イギリス)
2ドアの「SM」を30センチ ストレッチして4ドアにしたのが「SM・オペラ」で、ハット着用でも乗り易いように屋根が少し高く造られている。だから流れるようなファスババックを捨て、段付きのノッチバックになっている。全部で7台造られた。
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<特殊車両/トラック>
(写真08-1a-d) 1930 Citroen TypeP17 Half-Truck (2003-01 レトロモビル/パリ)
シトロエンは1920年代から30 年代初めにかけて多くの探検旅行に挑戦した。かつて自動車が踏み入れたことの無い未開の地を走破し、自動車と言う文明の道具を使い、遥かなる空間を時間短縮によって征服するという道を開いた。最初は1922年12月16日から20日間で2000キロを走破したサハラ砂漠横断で、続いては1924年10月28日から翌年の6月20日まで8か月かけてアフリカ大陸を縦断し、最後はマダガスカル島にゴールした。これがアフリカ大陸を舞台にした「黒い巡洋艦隊」と呼ばれる探検旅行である。次のターゲットは地中海のベイルートから中央アジアを経て中国に至るシルクロードを自動車で走破する計画だ。道なき道を走破するためには第一次大戦で実用化されたキャタビラによる無限軌道が適しており、既にアフリカ探検での経験もあり、今回もやや大きい「C6」ベースと、一回り小型の「C4F」ベースの2種類のハーフ・トラックが造られた。写真の車は小型の方で「P17」(Golden Beetle)と名付けられている。チームは2組に分かれ、ベイルートからパミール高原を目指す「パミール班」と、北京をスタートしてパミールに向かう「シナ班」が1931年4月4日双方から同時にスタートした。半年後の10月8日両者は合流して北京を目指し翌年2月12日約12000キロを走破して探検は終了した。これが「黄色い巡洋艦隊」と呼ばれる探検旅行である。この後1934年には北極圏南部を走破した「白い巡洋艦隊」と呼ばれる探検旅行も行われている。(参考・ハーフ・トラックの「Track」はキャタピラー(日本語では履帯と書く)の事で、「Truck」の貨物自動車ではない)
写真の車はベイルートからスタートした「パミール班」の車で、峠越えには車を分解して人力で運んだ。車の前に付いているドラム缶の様なものは砂山や窪地を通過する際役立てる物らしい。
(写真09-1a-b) 1930年代Citroen 商業車 (2003-01 レトロモビル/パリ)
クラシックカーと言われる名車は昔の物でも見る機会は多いが、商業車の古いものはなかなか見られない。写真の車は物を運ぶよりは街中を宣伝して歩く「コマーシャル・カー」の様だがトランペット型のスピーカーを車に積んでいること自体この時代とすればかなり珍しいのではないだろうか。シャンパーニュの文字と瓶の形から酒屋の車だと思ったがMerci「有難う」にerが付いたMercierを辞書で引くと「雑貨小間物商」って本当ですか。
(写真10-1a) 1935-40 Citroen Truck (1998-01 フロリダ・ディズニーランド)
この車もフロリダでディズニーランドへ行った時、インディー・ジョーンズのアトラクションへ行く途中で撮ったものだ。第2次大戦のシーンを想定したもので1940年前後の11CVの派生型のように見えるが、トラクションアバンの形のトラック仕様があったという資料は全く見当たらなかった。残念ながら1枚しか撮っていないので肝心の後輪部分が写っていないがハーフトラックではなさそうだ。(大活躍したシトロエンのハーフトラックP-107は完全に大型トラックの顔付で別物)シトロエンはフランスが一時ドイツ軍に攻め込まれた際大量に押収されドイツの軍用車として使用されたから、このくたびれた姿は連合国側のフランス車としてではなく、ドイツ軍用車としての設定だろう。(因みにP-107はドイツではZgkw-U304という制式名を与えられている程である)
(写真11-1a-b) 1967-68 Citroen H-Truck (2012-07 イトーヨーカドー/幕張)
シトロエンのトラックと言えば誰もが思い浮かべる程ユニークで印象に残る不思議な魅力を持った車だ。原型は「T.U.B.」と名付けられたキャブオーバー型のバンで1936年暮れにはプロトタイプが、1939年には量産型が完成したが市販されることなく、折から始まった戦争のため荷台の金属部分を布の幌に換え軍用車トラックに転用されてしまった。エンジンとシャシーのベースは乗用車のトラクション・アバンで、7CVはTUB750kg、11CVは1200kg、総称して「Tube」と呼ばれた。1947年戦後のトップバッターとして、このトラックが「TypeH」(タイプ・アッシュ)の名前で登場した。薄い金属板を波型で強度を上げる手法は翌年登場する2CVにも使われた。前輪駆動の利点を生かした低床式は、居住スペースとしての利用勝手が良く「多用商業車」の名の通り色々な使い方をされた。特に移動販売車としては、その外観のユニークさと改造のし易さもあって、多様の業種に対応していた。日本には1967-68年100台、1974-75年100台の200台が正規輸入されたが、その他にも並行輸入でも多数輸入されている。このタイプは通常「バン」と呼ばれるが、デーラーが販売する際に「Hトラック」の名称を使ったため日本では「Hトラック」の呼び名が使われている。 写真の車は大型スーパーに出張していた「クレープ移動販売仕様」の車。
(写真11-2a) シトロエンHトラック風移動販売車(ベース車不明) (2010-09銀座付近)
銀座の裏通りで偶然見つけた「Hタイプもどき」だ。出発準備中の「焼肉料理店」の移動販売車だが、やっぱりこの形は普通の国産トラックよりお洒落で目立つ存在だから移動販売にとっては強い味方だ。
(写真11-3a) 2014 Daihatsu Hijet Truck(S201)改 シトロエンHトラック風 リフトダンプ(2015-10 アメリカン・ピクニック/お台場)
所ジョージさんがプロデュースするアメリカン・ピクニックと言うイベントで見つけた逸品だ。遠くで見つけて「おまえもか」と思わずつぶやいてしまった程良く出来ている。ベースとなったのは「ダイハツ・ハイジェット」だそうだが、リフト付きのダンプで荷台を上げれば移動が可能な撮影足場として利用価値は高そうだ。
(写真12-1a-c) 2002 Citroen Berlingo (2010-07 ポーツマス/イギリス)
ヨーロッパでは大量に町に溢れている「ベルランゴ」だが、日本では1998年輸入計画が中止となってしまい、サンプルと個人が輸入した数台しか存在しないらしい。この車は1996年から造られており、写真の車のグリルは2002年までの初代のもので、ベースは「ZX」が使われた。この車は右ハンドルの英国仕様で、最近の右ハンドルを英国経由で個人輸入すると400万円位(中古だと300万円位).が相場のようで、かなり良い値だ。
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<試作車/スポーツカー>
(写真 13-1a-b) 2001 Citroen Pininfarina Osee (2003-02 フランス国立自動車博物館)
2003年に訪問した際、常設展示の「シュルンプ・コレクション」とは別に企画されていた特別展示の「プロトタイプ/ショーカー展」で見つけたもので、フロントのデザインはその後のデザインに大きな影響を与えたのではないだろうか。
(写真14-2a-c) 2004 Citroen C-Airdream (2003-10 東京オートショー/幕張メッセ)
前の車に較べると大分量産し易い形になっており、今ならこのまま市販しても可笑しくないが10年以上前の感覚ではどのように映っただろうか。
(写真15-1a-d) 2008 Citroen GT by Citroen (2010-07 グッドウッド/イギリス)
この車については初めにコンピューター・ゲームありきで、バーチャルが現実のものとなったらしい。らしいというのは僕はゲームに関しては全く知識がないので、「グランツーリスモ」というシリーズ存在することを知らなかった。だからこの車を見た時はただのスーパーカーとしか見ていなかった。しかし実はゲームの中で大活躍した「GT」を、シトロエンのデザイナー山本卓身氏がゲーム発売元ポリフォニーデジタル社とコラボして実車として造り上げた車だ、ということだ。6~7台造って200万ドルで販売する計画もあったが実現しなかった。
次回は「2CVとその後継車たち」の予定です