ブガッティに限ったことではないが、初期の段階では(というより、かなりの年代まで)自動車は「乗用車」と「レースカー」は明確に区別されていない場合が多く、公道を走ってきて,フェンダーやライトを取り外しレースを走るのが当たり前であった。ブガッティも「T-13」から「T-26」までの「ブレシア一族」は分類上「ツーリングカー」でありながら、数々のレースで輝かしい実績を残しているのはそんな時代だったからだ。しかし、その後からは次の表で見るように、それぞれが用途に合わせて異なった性格を持った車に仕立てられている。そのため例えば「T-35」の後継車は「T-36」でも「T-37」でもなく「T-39」となるため、「タイプ・ナンバー」順に登場させると前後の繋がりが関係なく説明に一貫性が持てない。そんな訳で、今回は「速く走ること」を目的とした「レーシングカー」「グランプリカー」「スポーツカー」について話を進めたい。
<Type 30 GP シガー> 1922~26
「T-30」はT-23の2.55mのシャシーに新しい8気筒 60×88mm 1,991ccを乗せたもので、分類上は「ツーリングカー」となっているが、最初の4台(シャシーNo.1~4)だけはT-22の2,4mシャシーを使ったレーシングカー仕様だった。これらはピエール・ド・ヴィスカヤの依頼で造られたもので、「空力に目覚めたレーシングカーの先駆け」として、ラジエターは丸いカバーで覆われ、テールも長く延ばされて全体が葉巻のように見える所から「シガー」のニックネームを持つ。
(写真01-1a~f) 1922 Biugatti Type 30 GP Cigare (2002-01 レトロモビル/パリ)
流線型にはしたけれど中身は普通の自動車だから、どうしようもないラジエターはボンネットを突き破って、この通り。
1922年ストラスブールで開かれたフランスGPに出走し、フィアットに続いて2,3位を獲得しているが、集中排気のテールにはロケット噴射の効果があっただろうか。
.
<Type32 GP タンク> 1923
「空力に目覚めたレーシングカーの先駆け・2」は、葉巻型のT-30に続いて翌年エンジンをローラーベアリング仕様に改良されてType32となって登場した。1923年トゥールGPに出走したこの怪物は、当時とすれば「奇妙」としか言いようがないのっぺりとしたボディを持っていた。このアイデアはエットーレのもので、真横から見れば完全な「翼型断面」で、正面からの投影図は風防もない単純な四角形だから、当時の車に較べたら空気抵抗はかなり少ない。2.0mと極端に短いホイールベースは、翼型断面から発生する浮力の影響もありハンドリングは良くなかった。その上長さを切り詰めた影響は、8気筒エンジンの後端がコクピットにむき出しとなり、熱とオイルに悩まされ4台出走したが3位が精一杯だった。しかし、1924年スピード・トライアルではフライング・キロメータ189.1km/hという2リッタークラスの国際記録を出しているので、空力の効果は十分結果を残した。
(参考)「タンク」というのは現代の「戦車」の事で、第1次大戦中イギリスで開発された際、敵の目を欺くためその形から「Water Carrier」(水運搬車)としたが、略称が「WC」では具合が悪く、「Tank Supply」(水槽供給車)と変更し、「タンク」と呼んでいたのが一般化したもの。
(写真02-1ab)1923 Bugatti Type 32GP Tank (2002-01 シュルンプ・コレクション/フランス)
正面から見たら完璧に四角形で突起物は皆無だ。前モデル「シガー」では不自然に顔を出していたラジエターの頭部は、注意して見ないと判らないが、一寸だけ痕跡を残している。
(写真02-2abc)1923 Bugatti Type32 GP Tank(2004-06 フェスティバル・オブ・スピード)
極端に短い2mと言うホイールベースではエンジンルームに全部は収まりきれず、運転席まではみ出している。
この車は一台だけ現存するオリジナルで、シュルンプコレクションからの参加なので、前の車と同じものだ。
(写真02-3ab) 1923 Bugatti Type 32 GP Tank Reprica(1995-08 ペブルビーチ/アメリカ)
こちらはレプリカ(と言ってもオリジナルと同じ部品を寄せ集めて造られた半純正)で、昔のライバル「ヴォアザン」と同時期に再生された。どちらが前か判りにくい形だ。
.
<ブガッティの花型 GPシリーズの登場>
<Type35 GP シリーズ>
35シリーズは「T-35(記号なし)」「T-35T」「T-35B」「T-35C」の4つと、「T-35」をシングルシーターにした「T-36」、ツーリングカー・ベースのエンジンの為「GP」を名乗れない「T-35A」の6種が一族である。
初期の「記号なし」は排気量によって更に4つに分かれるが、外からは見分けられないので排気量の記載されたプログラム等が無い限り識別できない。
・1924-25 Type35 GP 2.0 Litre 60×88mm
・1925..... Type35 GP 1.5 Litre 52×88mm
・1926..... Type35 GP 1.1 Litre 51.3×66mm(SC)
・1927..... Type35 GP 1.6 Litre 54×88mm
グランプリカーとしてはT-32(タンク)に続くのがT-35で、側面ではタンクで試みられた空気抵抗の少ない翼型断面の「流線型」は見られないが、その代わり上から見た「平面図」ではしっかりと曲線で構成された流線型を見せて居る。初期のラジエターグリルの面積は当時の一般の車の60% で空気抵抗を減らし、面積の少ない分はコアの厚みを2倍にして冷却能力を高めている。
(写真03-1abc)1926 Bugatti T-35 GP (1991cc) (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
初期のモデルの特徴である幅の狭いラジエターを持って居るが、1920年代はもっと細いプアなタイヤでレースを戦っていたから、こんなにどっしりした印象ではなかった。
(写真03-2abc) 1927 Bugatti T35 GP (1991cc).............. (1997-05 ブレシア/ミッレミリア)
ご婦人がドライブしていたこの車は、コンクールなどで見かける車と違って、外見には全く無頓着な感じで、塗装は羽布張りかとも思えるほど艶消し状態で、ホイールロック・ナットの緩み止めも無造作にゴムバンドで止めてあった。この車の特徴は小さいながら荷物を入れるトランクを持っていることで、収納スペースを全く持たないGPタイプボディではチェックポイントごとに貰う名産品のプレゼントを収納する場所に苦労していた。
.
< Type35T GP > 2.3 Litre 60×100mm 1926-31
1925年5月3日シチリア島のタルガ・フロリオ・レースで「T-35」を2.3リッターに強化したモデルで2倍の排気量を持つ「プジョー」を破ったのを皮切りに1929年まで5連勝した。これはブガッティが小排気量ながら「軽量による優れた操縦性とブレーキ性能」「耐久・信頼性」など、この車が持つ長所を広く世間に認識させ、正式にカタログモデルとなった。タルガ・フローリオに因んで「T-35T」と名付けられた。
(写真04-1a~d) 1928 Bugatti Type 35T GP (1980-05 筑波サーキット)
この車は日本に棲みついたブガッティとしてはかなり早く1979年11月には筑波のイベントに参加している。GPタイプ・ボディーとしては少し前から登場していた「車番7」の「T-37」に続いて2台目で、この車は「車番5」を付け各地のイベントで常連とした活躍した。細いタイヤを履いているのでレースでの競争力は不利だが、見た目のすっきり感は、多数撮影したレース目的で参加している車に較べると一番好ましいスタイルだ。
(写真04-2ab) 1926 Bugatti Type35T GP (2001-05 ブレシア、サンマリノ/ミッレミリア)
ブレシアのヴィットリア広場付近で混雑する車検場へ向かう参加車の一群。
サンマリノのチェックポイントは標高750mとかなり高い所にあるので、車は眼下に下界を見渡す高さまで駆け登って来ている。
.
< Type35B GP > 2.3 Litre 60×100mm(SC) 1927-31
1926年後半からカタログ・モデルとなったのが「T-35B」で、エンジンは「T-35T」にスーパーチャージャーを付けて馬力アップを図ったものだが、S.Cの駆動装置が加わった分ラジエターが前方へ移動し、冷却能力を上げるため面積も広がり幅広になった。右のボンネットの上部にスーパーチャージャーの吹き返しを逃がす為の穴があけられた。
(写真05-1ab) 1927 Bugatti Type35B GP (2003-01 フランス国立自動車博物館/ミュールーズ)
博物館に入ると最初に目に入ってくるのがこの車だ。この場所は現在は国立博物館になっているが、元々は羊毛織物で財を成した「シュルンプ兄弟」が個人的に集めた膨大なコレクションを収納、展示するための物で、第2次大戦後からひそかに高値でブガッティを買い集め1950年代半ばにはその存在は噂では知られていたが実際に見た人はおらず「幻のシュルンプ・コレクション」と言われてきた。その数は僕が行った2003年当時購入した「オフィシャル・カタログ」によると総数501台(内ブガッティ124台)だった。レストランまで付いているが、一切非公開で招待されたのは3人とも5人とも言われる。ところが1977年春、経営不振で本業が倒産し、兄弟はコレクションを残したまま母国のスイスに脱出、2度とフランスには戻らなかった。コレクションはその後工場の労働組合の管理下にあり一般公開されていたが、折角集められた貴重な文化財が散逸するのを懸念して国が乗り出し1982年から国立博物館となり、2006年リニューアルされた。写真の車はこの膨大なコレクションの第1号車で、シュルンプ自身の操縦でレースにも参加しているが、オリジナルのまま保存されていたようで細いタイヤもいい感じだ。
(写真5-2a~d) 1926 Bugatti Type35B GP (1999-01 トヨタ自動車博物館)
さすがはトヨタ博物館で典型的で見事なT-35B だ。特にライティングか素晴らしく、立体的に見えることと、光源が統一されているのでカラーで撮った時色が濁らないのは有難い。
(写真05-3ab) 1927 Bugatti Type35B GP (2004-06 プレスコット/イギリス)
小雨の中で行われたイギリスのブガッティ・クラブ創立75周年のイベントだったが、周囲には興味深い色々の車が見える。ストリップ・ダウンしたT-35Bはどれを見てもタイヤの太さ以外は殆ど同じように見えてしまう。
(写真05-4ab) 1928 Bugatti Type35B GP (1984-01 /明治公園)
写真の車も前の車と全く同じに見えて写真としては変わり映えがしない。戦後日本に上陸した「T-35B」としては2台目だが、1台目には出会っていないので、最初に僕が見た「T-35B」だ。
(写真05-5ab) 1927 Bugatti Type35B GP (2004-06 /プレスコット)
変わり映えのしないレーシング・タイプが続いたので、ライトとフェンダーを付けたロード・ヴァージョンをご覧頂きたい。ライトを繋ぐ横バーの曲線が優雅だ。
(写真05-6ab) 1927 Bugatti Type35B GP (1986-11 ポートアイランド広場/神戸・モンテミリア)
これも同じくロード・ヴァージョンだが、こちらはライトを繋ぐ横バーが直線のオーソドックス・タイプだ。この車は関西在住で、ナンバー付きなので街乗りは可能だが当時の道路事情ではさぞやストレスが溜まった事だろう。
(写真05-7abc) Bugatti T-35B GT プラモデル
僕が造ったプラモデル・キットの中で部品の繊細さが一番優れていたと感じたのが「AirFix」(1/32)のこのシリーズで、スペア・タイヤのベルトを自作した以外は手を加えていない。ただオフロード用の様に粗いタイヤパターンは補正すべきだったと後悔している。
こちらは出来の良い事では定評のある「Monogram」(1/24)でいつ買ったかもはや記憶がないが少なくとも30年以上経っていることは確かだ。多分死ぬまで造る暇がないだろうな。
.
< Bugatti Type35C GP > 2.0 Litre 60×88mm(SC) 1927-31
「T-35C」は2ℓ「T-35」のエンジンにスーパーチャージャーを付けたもので、「T-35B」(2.3 ℓ・SC)の2ℓ版と言える。
(写真06-1a) 1929 Bugatti Type35C GP (2002-01 シュルンプ・コレクション/フランス)
シュルンプ・コレクションとしてずらりと並べられた中に1台だが、同じタイプの他の車と比べるとラジエターの幅が狭いような気がするので、初期のモデルかと思ったが、説明では1929年となっていた。
(写真06-2a~d) 1927 Bugatti Type35C GP (1995-08 ラグナ・セカ/カルフォルニア)
前の車に較べると幾分かラジエターの幅が広いように見えるがこれが標準タイプと言えよう。右のボンネットの肩に穴が開いているのがスーパーチャージャー付きの証だ。
ペブルビーチのコンクール会場となる「ザ・ロッジ」ゴルフ場のフェアウエイを白煙を残しながら所定の位置へ向かう「Type35C GP」
(写真06-3a~f)1929 Bugatti Type35C GP (2010-07 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
直線で構成されたエンジンと機械式のスーパーチャージャーがはっきりみえる。パイプの上部に吹き返しを逃がす穴があり、そのためスーパーチャージャー付きのモデルにはボンネットに穴があいている。
ラジエターがどっしりとしているので「T-35B」のようにも見えるが、信頼できるプログラムに書いてあるので間違えなく「T-35C」だ。正直T-35一族は「シャシー」や「エンジン」や「グリル」などをさまざまに組み合わせて成り立っているので共通点が多く、外見から見分けるのは非常に困難だ。
(写真06-4ab) 1928 Bugatti Type 35 GP (サンマリノ/ミッレミリア)
ヘッドライトを付けただけで街中を走り抜け、サンマリノのチェックポイントへ向かうミッレミリアの参加車。
(写真06-5a~d) 1926 Bugatti Type35B→35C GP (2009-11 ホンダ・コレクション・ホール)
この車は日本に現存する最古のブガッティと思われる。昭和初期ポルトガル公使によって持ち込まれた時は2.3ℓSC付きの「T-35B」だった。公使が帰国した後、三井高公氏が譲り受けレースで活躍していたが、戦時中、研究用としてエンジンを海軍に徴用されてしまった。その状態のまま浜徳太郎氏が購入し、戦前から所有していたT-38A用のエンジンを載せて完成させたが、8気筒2リッター(SC付)なので形式上「Type35C」として生まれ変わり、僕が撮影した時はホンダ・コレクション・ホールに展示されていた。(厳密にはT-35Cオリジナルは5ベアリングに対しT-38Aのエンジンは3ベアリングだ)テールにある三角のマークはポルトガルかイングランドの物かと思いきや、実は三井財閥の海運会社「商船三井」の旗印だそうです。
.
<Type35A とType36 GP>
T-35系一族の最後に登場するのは「T-35A」で、栄光のナンバー「タイプ35」でありながらツーリングタイプT-38のエンジンを使った為「GP」が名乗れず、しかもカタログでは「コルス・イミタシオン」(イミテーション)と継子扱いされ、「GP」ではなく「スポーツカー」に分類されている。車は決して偽物ではないのに、「タイプ35」の一族に加えられたお蔭で肩身の狭い思いをさせられているが、もし別の形式番号を与えられていたらこんな屈辱的な扱いは受けなかっただろうに、と同情せざるを得ない。一方「Type36」は1926年のアルザスGP用に「Type35 1100cc(SC)」をモノポストに改造したレーサーで、造られたのは3台だけだった。僕は写真を撮っていないが、多分現存していないだろう。ここで思うのは、もともと「T-35」から改造したこのモノポスト・レーサーを「T-35A」にして、可哀相な「T-35A」を「T-36」にしておけばよかったのに、と思ってしまうのだが...。
.
(写真07-1ab) 1926 Bugatti Type 35A (2004-06 プレスコット/イギリス)
あえてオリジナルのスポークホイールで素性(35A)を示しているようなこの車は、GPは名乗らなくても、立派な「ブガッティ」だ。この写真を見るたびに「僕にもこんなおじいちゃんが居たらいいなあ」と羨ましく思う。
(写真07-2ab) (1925 Bugatti Type35A (2001-05 ミッレミリア/ブレシア)
幅の細いラジエターは初期の「T-35」(2リッター)と見分けがつかない。この種のクラシックカーはナンバープレートに意外と手掛かりがあるものだが、この場合「35」だけでは決め手にはならない。
(写真07-3ab) 1926 Bugatti Type 35A (2004-06 プレスコット/イギリス)
真っ赤に塗られたブガッティを撮影したのは後にも先にもこの車1台だけだ。先入観かも知れないがやっぱりブルーの方が好きだ。この車はアルミホイールに付け替えている。
.
< Type37 > 4気筒 69×100mm 1496cc 1926-30 223台
見た目が似ているので「T-35」の兄弟分のように思われがちだが、性格的には「ブレシア」の後継モデルで、「Type35」のシャシーとボディに4気筒1496ccのエンジンを載せ「Type37」の形式名を与えた。このエンジンは試作に終わった「Type28」の8気筒3リッター・エンジンの半分から発展したもの。「Type37」は8気筒の「T-35」に較べればずっと安価で、軽量、優れた操縦性は、多くの愛好者によって各地のレースで目覚ましい活躍をした。ワイヤーホイールが標準装備とされているが、後年、アルミホイールに履き替えているものが多く「T-35」と見分けがつかない。
(写真08-1ab) 1926 Bugatti Type 37 (1979-05 筑波サーキット)
この車は日光・今市のクラシックカー愛好家のコレクションの1台で、イギリスから輸入されたのは1973年の事だったが、かなりひどく改造されていたのを3年掛かりでオリジナルスタイルに戻した。GPタイプのボディを持つブガッティとしては戦後最初に登場したのがこの車だ。僕が最初に見たのは1976年3月富士スピードウエイで開催されたCCCJのイベントだったがこの日が初のお目見えだった。今となっては信じられないが当時の為替レートは対英ポンドが約1000円だったからかなり高いお買いものだった事だろう。
(写真08-2ab) 1928 Bugatti Type37 (2004-06 プレスコット/イギリス)
この車もスポークホイールでオリジナルのスタイルを保っている。この当時のスポーツカーのボディは極端に幅が狭く、シートは前後に少しずらしてセッティングされているのは、写真のように左の席のメカニックが体を斜めにしてドライバーの肩を抱くような姿勢で座るためだ。
< Type37A GP > 4気筒 69×199mm 1496cc 1926-30 67台
ブガッティで記号に「A」が付くのは原則としてスーパーチャージャー付きの印で、「Type 37」にS.Cを付けたのが「Type 37A」となった。競争力が増したお蔭で、このタイプは4気筒ながら「GP」モデルとして認定されている。
(写真09-1abc) 1927 Bugatti Type 37A GP (01-05 ミッレミリア/ブレシア)
4気筒にーパーチャージャーの付いたエンジンで、吹き返しの穴の位置は8気筒の「T-35B」「T-35C」と同じだから、ボンネットを閉めてしまえば見分けが付かない。
(写真09-2abc) 1927 Bugatti Type 37A GP (2004-06 プレスコット/イギリス)
ブガッティ・エンジンの吸気側は良く見るが、排気側の写真はあまり見られない珍しいものだ。排気側から見ると本当に唯の四角い箱という事が良く判る。
< Type39 GP /39A GP > 1925-29 10台
「タイプ39」は8気筒グランプリ・シリーズの中では「タイプ35/1.5リッター」の直系後継車として、1926年から他の「35シリーズ」と並行して造られた。当初の予定では「ブレシア」のスポーツモデルの後継車を想定していたが、「T-35A」「T-37」が登場しその位置を埋めることになった。1925年の「T-35」が52×88mm(1494cc)だったのに対して、同じ1.5リッターながら60×66mm(1492cc)とショート・ストロークになり、より戦闘力を増している。「Type39A GP」はこれにスーパー・チャージャーを付けたフォーミュラー・レース用のレーシングカーである。
.
(写真10-1a~d) 1925 Type39 GP (2007-06 フェスティバル・オブ・スピード)
全部で10台しか造られなかった希少モデルだが、ボディ、エンジン、シャシーのこの組み合わせが10台だった、と言うことで、ボディは細いラジエターの初期のT-35 と変わらない。写真の車はS.Cの付かないノーマル仕様で、次のT-39Aのエンジンと比較されたい。
(写真11-1abc)1926 Bugatti Type39A GP 1.5Litre 60×66mm (SC) (1999-08 ラグナセカ)
こちらはスーパーチャージャーの付いた「T-39A」で、幅の広いラジエターの付いたボディを持って居るがそれらの差は、モデル別の差なのか、年代別の差なのか、単に個体差なのかいまいち決め手がつかめていない。
(写真11-2abc) 1926 Type39A GP 1.5Litre 60×66mm(SC) (2000-05 ミッレミリア/ブレシア)
写真の車もナンバープレートから「T-39」と推定できる。そしてボンネットに穴があるところから「スーパーチャージャー」付きと判る。左右に大きなリックサックの様の袋を吊り下げているが、このタイプのボディには収納スペースが全く無いので、この方法しか無いようだ。
.
< Type51 GP/Type51A GP > 1931-35 40台
1930年ブガッティは「Type50」で、長年エットーレが拘(こだわ)ってきた美しい形を守るための「SOHC」を捨てて、遂により効率の良い「DOHC」を採用した。そのきっかけとなったのは1929年9月のモンツァGPに参加するためアメリカからやって来た「ミラー」が資金難となり手放す事になった際、ブガッティが「T-43」3台+帰りの旅費と引き換えに8気筒DOHC 1.5リッター・レーシングカー2台を手に入れた事だった。このエンジンは同じ1.5リッターながらブガッティT-35Bの120~130hpに対して40 %も上回る馬力を引き出しており、そろそろアンダーパワーを感じていたブガッティに大きなヒントを与えた。そして1年半後には「T-51」のツインカム・エンジンとして登場する事になった。8気筒 DOHC スーパーチャージャー付きで「Type51」は1991ccと2262cc,「Type51A」は1493ccとこのシリーズには3種の排気量があり160~180hpの出力は大いに戦闘力を増した。この車はモナコGP、チュニスGPの優勝をはじめ、目覚ましい活躍で全盛期を築いた。
(写真12-1a~d) 1931 Bugatti Type51 GP (1985-04 筑波サーキット)
この車が日本に登場したのは1985年だが、僕が国内で見たブガッティとしては比較的遅く12台目だった。それまでに見たGPタイプは、どれもナショナルカラーのフレンチ・ブルーだったのに、真っ黒でボンネットとテイルに大きく「51」のナンバーを付けたこの車は「T-35B」と殆ど外見は変わらないのに、いかにも力強く精悍な印象を受けた。ツインカムになって大きな変化があったのは、マグネトーが排気側のカムシャフの後端から駆動されるので、シングルカムの時はダッシュボードの中央にあった取り付け位置が左側に移動した事と、ブロワーの吹き返しを逃がす為の穴が、今まで肩の辺りにあった位置がずっと低くなり、2段あるルーバーの下の段まで下がった。
(写真12-2ab) 1931 Bugatti Type51 GP (2004-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
8気筒DOHC 60×100mm 2262cc (SC)ツインカムエンジンは、カムカバーが斜めに被(かぶ)さって来るので吸気パイプの位置が低くならざるを得ないのが判る。
(写真12-3a) 1933 Bugatti type51 GP (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
ペブルビーチのコンクール・デレガンスは格式が高く、審査の厳しいことで知られ、ピカピカに磨き上げられた車は「新車よりキレイ」とまで言われるが、この車は新車以上に「異常に」ピカピカだ。ほかにもメルセデスの「540K」で同じように盛り上がっている所すべてをクロームメッキしたものを目撃しているので、これはこれで、こういった趣味を持ち合わせて居る人もあるらしい。僕はこの車の写真は1枚しか撮る気にならなかったが。
(写真13-1ab) 1933 Bugatti Type 51A GP (2002-02 シュルンプコレクション/スランス)
この車は8気筒DOHC 60×66mm 1493cc(SC)とあるのでの「T-51A」である。外見では排気量は判らないから、正面から見れば「T-35B」と変わらないし、右サイドから見ても2 ℓ、2.3 ℓの「T-51」と見分けは付かないが、案内板に間違えなく「T-51A」と書かれていた。
(写真13-2ab)1931-35 Bugatti Type51A GP(1999-08 クリスティズ・オークション/アメリカ)
ここに並べられた組立キットはプラモデルの組立に飽きた人用(?)と言う訳ではないが、買える人は羨ましい!!。
< Bugatti Type 54 GP > 1931-33 8気筒DOHC 86×107mm 4972cc (SC) 4~5台
このエンジンは基本的には「T-50」と同じで、そのレーシング・バージョンと言える。「T-35B」の流れを汲むツインカムエンジンの「T-51」は2.3リッターなので、ライバルのマセラティー16気筒(4リッター)や、アルファロメオ ティーポA(12気筒 3.5リッター)などの、大排気量攻勢に対抗する必要から「Type54」が大急ぎで造られた。ブガッティ初の大型スポーツカーで、従来は小排気量ながら、軽量とそのハンドリングの良さを最大の武器として戦ってきたブガッティにとっては、やや勝手の違う分野だったのか、1933年までワークスカーとしてレースに参加したが、コントロールが難しく目立った結果は残していない。
(写真14-1a~e)1931 Bugatti Type54 GP(2007-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
今までのGPタイプ「T-35」「T-37」「T-39」「T-51」はすべてがホイールベース2.4mで統一されていたが、この車は大型エンジンに対応して2.75mまで延ばされた。ブロワーの吹き返しを逃がす穴は前後に向けられた為ボンネットの穴はない。ツインカムになってもエンジンルームは余計なものがなくシンプルで美しい。
< Bugatti Type 57 GP > 1934-40 8気筒 DOHC 72×100mm 3257cc
ブガッティを代表するモデルの双璧は「Type 35」と「Type 57」とされるが、その「T-57」はツーリングカーとしての評価で、ここで取り上げるGPタイプはたくさんあるボディ・バリエーションの一つとして造られたものだろう。(メーカーとして造られたレーシングカーは「T-32」(タンク)のアイデアを近代化した1936「T-57S」(タンク),1938「T-57C」(タンク)で、それぞれの年に「ルマン24時間レース」で優勝しているが、それらはフルカバーの現代風のボディを持っていた。)
(写真15-1abc)1936 Bugatti Type 57S GP (1995-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
大型でどっしりした印象から一見「T-54」かと感違いしたが、ボディに「57」と入っているのでショートシャシーの「T-57S」をストリップダウンしたものだろう。
< Type 59 GP>
8気筒 DOHC 72×100mm 3257cc/72×88mm 2866cc(1933) 1933-36 6~7台
「T-59」は「T-57SC」と基本的に同じ3.3リッターのエンジンを持つGPカーで、1934年からの「750kgフォミュラー」(最大重量)に適合するために造られた。1934年モナコGP(3,4位)、スペインGP(3,7位)、アルジェGP(優勝)など、国の後押しでレースをしていたドイツの「メルセデス」や「アウトウニオン」を相手に健闘し、1935年までワークスとして戦ったが、その後はプライベート・チームの手に渡り、ブルックランズ500マイル(3位)など活躍を続けた。ブガッティには設計順に一連の番号が付けられており、エットーレの息ががかったものとしては「Type80」まで残されているが、完成品としてカタログ・モデルとなったのはこの「T-59」が最後となった。
(写真16-1abc) 1934 Bugatti Type 59 GP (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード)
ホイールベースは「T-35系」2.4m、「T-54」2.75mの中間で2.6mに設定されているが、印象は大型スポーツカーだ。シャシーには「メルセデス・ベンツSSKL」と同じように「軽め穴」があけられているのが判る。この車の大きな特徴はアルミ・ホイールから極めて繊細で特徴のあるスポーク・ホイールに変った事だ。
(写真16-2a~e)1933 Bugatti Type 59 GP (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
「Type 59」は僕が長い間探し求めていたモデルだったが、現存数が少なくなかなか見付けることが出来なかった。この時僕はこのホイールの写真を相当枚数撮影している。それは次に登場するプラモデルの為だった。
(写真16-3abc) 1933-36 Bugatti Type 59 GP (MatchBox 1/32 プラモデル)
このキットは前に紹介したAirfixの「T-35B」に較べると部品の数は少なく組立は簡単だが、仕上がりはなかなかの出来栄えだ。ただこのキットの最大の見せ所であるべきスポーク・ホイールが、実にいい加減で許せない!と言う訳で、何時かはスクラッチビルトで組み上げてやろうという予定だったのだ。(・・・と過去形なのは、もはや実現を諦めてしまったからだ)
<1938 Bugatti Type 59/50B GP> (2002-01 シュルンプ・コレクション/フランス)
正式モデルとしては「T-59」で一旦終止符を打ったブガッティだが、ワークス・チームの為に「T-59」をベースに造られたレーシングカーがこのシリーズだ。用意された「50B」と名付けられたエンジンは、「T-50」「T-54」のエンジンの発展型で、①4739cc(SC付き)、②4433cc(SCなし)、③2982cc(SC付き)の3種があったが写真の車は4739ccで2シーターのスポーツカー・バージョンだ。奥に写っている車は同じエンジンを持つシングル・シーターのグランプリ・カー。
今回は多少色が違うだけで、殆ど同じ形の連続だったから、特別「ブガッティ」に興味のない方には退屈で最後まで見るのは飽きてしまったかもしれませんが、複雑なT-35系一族の分類に少しでもお役に立てば幸いです。次回は気分転換に超豪華Type41「ロワイアル」を取り上げる予定です。