<第2期 ダービー・ベントレー>(1931~1944)
1929年の世界大恐慌の影響もあり倒産の危機にあったベントレー社は1931年ロールス・ロイス社に吸収合併され、3 1/2リッター以降のベントレーはダービーにあるロールス・ロイスの工場で造られる事になった。その為この時期に造られたベントレーは、初期のヴィンテージ期 (1921-31) こそ本物と信じる硬派からは、一寸違和感を持って「ダービー・ベントレー」(又は「ロールス・ベントレー」)と呼ばれる。「ダービー・ベントレー」の特徴は例外を除きラジエターにクロームメッキのシャッターが付いている。下の表で見る通り中身は基本的には同じだが、著名コーチビルダーにより架装されたカタログモデルの他、特注モデルも多く、ボディまで工場製となった戦後型に較べれば、ロールス・ロイスとの外見の相似性は少なく、間違えなくベントレーである。しかし、合併後のW.O.ベントレーは新しいベントレー車を造る機会もなく1935年ラゴンダ社に移籍、更にラゴンダ社ごとアストンマーチン社に引き抜かれ「DBシリーズ」の6気筒エンジンを設計する事になる。
(ダービー時代のベントレー)
1933-37 3 1/2 Litre...........直6 3669cc (82.5×114.0mm)*
1936-39 4 1/4 Litre...........直6 4257cc (89.0×114.0mm)**
1939-41 MarkV.................直6 4257cc (89.0×114.0mm)***
(同時期のロールス・ロイス)
1929-35 20/25hp.............直6 3669cc (82.5×114.0mm)*
1936-38 25/30hp.............直6 4257cc (89.0×114.0mm)**
1938-39 25/30hp Wraith...直6 4257cc (89.0×114.0mm)***
ロールス・ロイスの傘下に入って最初のベントレーが「3 1/2 リッター」シリーズで、実質は既存のロールス・ロイス20/25のシャシーを15cm縮め、ツインSUキャブレターで強化したものにベントレーの顔を付けたものである。4ドアの標準サルーンは£1460、シャシーのみの価格は両車共£1100と同価格だった。生産台数1177台。
(写真 21-1ab)1935 Bentley 3 1/2(41/4) Litre Parkward Saloon (1973-09 玉川高島屋)
写真を撮影したのは玉川高島屋で開催されたイベントで、車の脇の表示には「1932年」「排気量4250cc」「シャシーNo.B147CW」とある。シャシーNo.B147CWから調べると、この車は31/2 リッターとして1935年2月に登録されている。(このシリーズは1933年10月からスタートなので1932年は有り得ない)排気量は1936年以降の41/4リッター・シリーズ(4257cc)のエンジンを後年換装したものと思われる。オーナーはこの他に「ロールス・ロイス」や「パッカード」など数々の名車のコレクターとして知られる。
(写真21-2ab)1935 Bentley 3 1/2 Litre Barker Sports Saloon (1972-11 環8・城倉自動車)
この車は、後年日光の今市に住み着き「栃木ナンバー」で各種クラシックカー・イベントの常連となったあの「ベントレー」が、まだ買い手を探していた(と思われる)時期に撮影したもので、環状8号線沿いの城倉自動車というデーラーに展示されていたのを通りがかりに偶然発見し撮影したもの。色はシルバーと黒だったように記憶しているが確信はない。
(写真21-2cd)1935 Bentley 31/2 Litre Barker Sports Saloon (1977-01 東京プリンスホテル)
栃木ナンバーとなって最初に撮影したのがこの写真で、前回見た時から約4年経っていたが、すっかりお色直しを済ませ、濃いブルー一色に塗装されていた。僕はこの塗装で栃木ナンバーの時代合計8回もイベントで写真を撮っている。
(写真21-2ef) 1935 Bentley 3 1/2 Litre Barker Sports Saloon (1981-01 明治神宮外苑)
何回か撮影した中の1枚で色の確認のためとり上げた。
(写真21-2g-m) 1935 Bentley 3 1/2 litre Baeker Sports Saloon (2010-04 日本銀行旧本館前)
オーナーが代わり、新しく2トーンに塗装されて再登場した。バーカの手で架装された2ドアサルーンはクセがなく奇異を衒(てら)ったところも見当たらないので、もしかしたらメーカーが予め用意したカタログ・モデルだろうか。
(写真21-3a-e)1934 Bentley 3 1/2 Litre Vanden Plus Tuarer (2009-03 六本木ヒルズ)
この時代はこの種の高級車はシャシーのみ購入し、それに好みのボディを特注するという贅沢なオーナーがまだまだ沢山存在した。だから車はシャシーのみの価格が設定されており、多くのコーチビルダーの経営が成り立つだけの注文が発注された結果、バラエティに富んだ作品が多く残された。
(写真21-4ab) 1935 Bentley 3 1/2 Litre Tuarer (2010-10 ラフェスタ・ミッレミリア/明治神宮)
記録によると、この車のオリジナルはパークワード製のサルーンだったから現在のツアラー・ボディーはその後載せ替えたものだ。気になるのはテールランプ周りの直線的な成型で、時代的な違和感を感じるのと、赤いレンズの角度が下向き過ぎる事だ。元はなだらかなフェンダーに付いていたものを急角度のボックスにつけてしまった為だろう
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(写真21-5a-e)1935 Bentley 3 1/2 Litre Parkward Saloon (2008-01 VWミュージアム)
登録ナンバーAXM19を持つこの車はSir Roy Feddon が特注した流線型のモデルで、この車はバネ下荷重軽減のためサイクル・フェンダーとなっているが、裾を引いた優雅なフェンダーを持つ姉妹車もある。この年代になると一般に空気抵抗が認識され始め、やがて「流線型」の時代が来るのだが「パークワード」の他に「スラップ&マーベリー」も時代を先取りしたプレーンなファストバックの作品を幾つか残している。
独自のシャシーを持たないベントレーは、ロールス・ロイスと一身同体で、「20/25hp」が「25/30hp」となり排気量が4257ccとなると、ベントレーも「31/2 リッター」から「41/4 リッター」に変わった。シャシーは320cm(126in.)で25/30hpより15cm短い。生産台数1241台。
(写真22-1ab)1936 Bentley 4 1/4 Litre Tuarer (1997-05 ミッレミリア/ブレシア)
全体には1920年代に人気のあった「ルマン・タイプ」に似たオープンツアラーだが、正面のシャッター付きグリルが似合わない。
(写真22-2ab)1936 Bentley 4 1/4 Litre GurneyNutting PillerlessCoupe(1998-08ペブルビーチ)
ペブルビーチのコンクールで撮影したこの車は、老舗「ガーニー・ナッティング」が造った標準的なクーペだが、ドア・ガラスにピラーはなく、1950年代アメリカ車に出現した「ハードトップ」を20年も先取りしている。
(写真22-3ab)1936 Bentley 4 1/4 Litre JamesYoung DropheadCoupe (1998-08ペブルビーチ)
この車も老舗中の老舗「ジェームス・ヤング」が造ったドロップヘッド・クーペで、走っていれば普通の車だが、ドアを開けると、なんと、今ライトバンで大流行りの「スライド式ドア」だった。こんな昔からあったんですね。
(写真22-4ab)1938 Bentley 41/4 Litre Tuarer (2006-10 ラフェスタ・ミッレミリア/幕張)
薄いフェンダーをもつ軽快なツアラーは、今や年中行事となった「ラフェスタ・ミッレミリア」でのシーンで、街並みがそっくりイタリアの雰囲気を持つ幕張のベイタウンを走行中。
(写真22-5)1939 Bentley 4 1/4 Litre Parkward Drophead Coupe (2008-10 ラフェスタ/幕張)
こちらも幕張ベイタウンを走行中のドロップヘッド・クーペで、オーナーの申告か、オリジナル・ナンバーが判らないとコーチビルダーは確認出来ない。何十枚か写真を調べた結果一番特徴が似ていたのは「メイファー」のドロップヘッド・クーペだったが、確証は無い。
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(写真22-6) 1937 Bentley 41/4 Litre Franay Cabriolet (1999-08 カリフォルニア)
ペブルビーチのコンクールは名門ゴルフ倶楽部「ザ・ロッジ」のコースを使って開かれる「静的」な催し物だが、前日の土曜日にはゴルフ場からモントレー市内へ続く海岸の絶景「17マイル・ドライブ」をデモンストレーション走行する。往年の名車が当時のままの姿で走る姿を見られるのは楽しい。
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(写真22-7a-f)1938 Bentley 41/4 Van Voolen 2dr Saloon (1998-08 ペブルビーチ)
ずっと以前、何かの本で見た記憶が有り、その時の印象がベントレーのくせにイギリス車らしくないラインだなと思った事がある。今回調べたところ「バンブーレン」というボディー・メーカーはフランスのパリに有る会社で、この異色のスタイルは特注の一品物かと思いきや、何とここでは45台も手がけている。全てがこれと同じではないだろうが何台かは同じスタイルの車を確認している。1939年のルマンでは同型の車が⑥番で出走し総合6位になっているが、この車そのものかは確認できない。
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(写真22-8a-g)1939 Bentley 41/4 Litre Parkward Sports Saloon (2010-04日本銀行旧本店前)
古いモーター・マガジン誌に<1936年ベントレー31/2立 パーク・ウォード・スポーツサルーン(三井八郎右衛門氏)>と説明のあるこの車とそっくりのスタイルを持つ2トーンに塗り分けられた車の写真がある。モノクロなので色はわからないが薄い色のボディに屋根とフェンダーが黒っぽく写っているのも同じだが、後部ドアが前開きではなく後ろ開きのところが違っていた。
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(写真22-9a-d)1939 Bentley 41/4 Litre Gurney Nutting Sedanca Coupe
(1998-08 ペブルビーチ)
かなりアクが強い印象を受けるが、これこそ「特注オーダーメイド」しか出来ない特権で、自分の好みがよく表現された例だと思う。
MkⅤは僅か14台しか造られず、僕は一度も出逢っていないので残念ながら写真はない。
(写真24-1a-d)1933 Bentley Barnato Hassan Special (2007-06 グッドウッド)
ノーズ・カウルはブロワー・ベントレーのプロトタイプとなった真っ赤なシングルシータと良く似ているが、この車についてはそれ以上のことは何も解らない。
(写真24-2a-e)1936 Bentley Pacey Hassan Special (2007-06 グッドウッド)
(写真24-3a-d) 1936 Bentley Jackson Special Old Mother Gun (2007-06 グッドウッド)
「オールド・マザー・ガン」というニックネームはベントレーにとっては「オールド・ナンバー・ワン」と共に歴史的遺産ともいえる。この名前を持った車はシャシーNo.ST3001を持つ1927年製の4.5リッターで、ウ-ルフ・バーナートが購入し3年連続ルマンを走った。1927年は①で、コースレコードを出すも事故に巻き込まれてリタイア、翌28年は④で堂々優勝、続く29年は⑨でスピード6に続いて2位となり、29年の優勝以来「オールド・マザー・ガン」と呼ばれる。しかしその車は現在日本の「涌井コレクション」の元にあり、従って写真の車はオリジナルではない。
<第3期 戦後のベントレー・1>(1945~1971)
第2次世界大戦中、親会社のロールス・ロイス社はイギリスを代表する航空エンジンメーカーに発展し、「スピットファイア」「ホーカー・ハリケーン」「モスキート」などの名機にエンジンを提供した。戦後はダービーの工場は航空機エンジン工場となり、自動車はダービーから70キロ程離れたクルー工場で生産される事になる。戦後はベントレーがロールス・ロイスの先行モデルとして先に発売された。
<排気量で見る「ベントレー」と「ロールスロイス」の相似性>
1946-51 MarkⅥ............直6 4257cc (89.0×114.3mm)*1自社製スタンダード・スチール・ボディ
1951-52 〃............. .....直6 4566cc (92.1×114.3mm)*2
1952-55 R-Type............直6 4566cc (92.1×114.3mm)*2 MkⅥの強化版
1952-55 R-Type Continental ser.A,B,C, 直6 4566cc (92.1×114.3mm)*2
1952-55 〃............................ser.D,E, 直6 4887cc (95.3×114.3mm)*3
1955-59 S-Type............直6 4887cc (95.3×114.3mm)*3
1959-62 S-2................V8 6230cc (104.4×91.5mm)*4
1962-66 S-3................V8 6230cc (104.4×91.5mm)*4
(同時期のロールス・ロイス)
1946-51 Silver Wraith...直6 4257cc (89.0×114.3mm)ボディは外注、ベントレーと姉妹関係無し
1949-51 Silver Dawn.....直6 4257cc (89.0×114.3mm)*1自社製スタンダード・スチール・ボディ
1951-55 Silver Wraith...直6 4566cc (92.1×114.3mm)*2
1951-55 Silver Dawn.....直6 4887cc (95.3×114.3mm)*3
1955-59 Silver Wraith...直6 4887cc (95.3×114.3mm)*3(1957昭和天皇の御料車)
1955-59 Silver CloudⅠ..直6 4887cc (95.3×114.3mm)*3
1959-62 Silver CroudⅡ..V8 6230cc (104.1×91.4mm)*4
1962-65 Silver CroudⅢ..V8 6230cc (104.1×91.4mm)*4
(写真31-1a-c)1946-52 Bentley MkⅥ Standard Steel Saloon (1960-01 大手町、・鉄鋼ビル横)
この写真を撮影したのは昭和35年で、ロールス・ロイスやベントレーを街中で見かけることは殆ど皆無に近かった。それだけにこの車を遠目で見つけた時は「まさか」と小躍りした。場所は呉服橋の交差点付近で、当時の鉄鋼ビル脇に大手町方面を向いて停まっていた。冬場の6時近くで既に灯りが点いていたが何とかモノにすることが出来た。
(写真31-2a-c)1946-52 Bentley MkⅥ Standard Steel Saloon (1973-02 港区・赤羽橋付近)
MkⅥは戦後のベントレーとしては最初のモデルで、1946年から自社製のスチール・ボディを生産していたので1949年ロールス・ロイスのシルバー・ドーン発売にあったってそれにロールス・ロイスのグリルとマスコットを付ける事にした、という今までとは順序が逆になった。同じ排気量のシルバー・レイスは、これらとは一線を画しオーダーメイドの高級路線を保ちながら併売を続けた。
(写真31-3)1950 Bentley MkⅥ Standard Steel Saloon (1989-01 神宮外苑・明治公園)
一度見たら記憶に残る一寸派手目なブルーのこの車は関西在住の車で、1985年大坂万博記念公園で開催されたイベントでも撮影している。ここで紹介した3台はスタンダード・スチール・ルーンで、年式が違っても外見はほとんど変わらない。
(写真31-4a-d)1949 Bentley MkⅥ Abbott Drophead Coupe (2009-03 六本木ヒルズ)
この年代になるとこれだけ大きなヘッドライトはボディとの調和という点で「時代錯誤」とまでは言わないが、少々やりすぎ?と思ってしまう。
(写真31-05a,b)1948 Bentley MkⅥ Saoutchik Phaeton (1998-08 ペブルビーチ)
次に登場するのも出来合いのボディに満足できない愛好家が特注した「ソーチック」社製のMkⅥだ。基本はMG-TCなどに代表される、ドライバーの肘を外に出す切り欠きを持った英国伝統のライトウエイト・スポーツカー・スタイルだ。ベントレーはそれらに較べると大柄で、機能的にはドライバーの肘と切り欠きの位置は合っていないが、この車の場合は全体のバランスの為のデザインで幅の広いベントレーでは肘を出す必要がない。(というよりは多分肘が届かない?)よく見るとフェンダーの前後に大きなクロームの装飾が付いている。瀟洒なフランス車なら似合いそうだがこの車にどの程度好印象をもたらすか疑問だ。
(写真31-6a-c)1949 Bentley MkⅥ Mallalieu Special (1988-01 神宮外苑・明治公園)
ロールス・ロイスは公式にレース活動はしていないが、中身が同じとなったベントレーではストリップ・ダウンした「スペシャル」でヴィンテージ期と同じ雰囲気を持つスポーツ・モデルがある。これらがレースでどの程度結果を残したのか判らないが、ベントレー愛好家としてはこんなモデルを作らずには居られなかったのだろう。
(写真31-7a-c)1951 Bentley MkⅥ Special Roadster (1990-07 友禅自動車資料館・幕張)
こちらも前出の車とほぼ同じスペシャルで、一時期幕張にあった「友禅自動車資料館」のコレクションの1台だった。ここにはR.R.ファンタムⅠ/Ⅱ、イスパノH6B、M.B.540K、ラゴンダV12(チューリップボディ)、パッカード、リッケンバカー、などの逸品が集められていたが、いつの間にか閉館してしまった。
(写真32-1a-d)1955 Bentley R-Type Park Ward Drophead Coupe (1981-01 明治神宮外苑)
このレベルの車を所有する層になると金に糸目はつけないから、自分の気に入った車が欲しいと云うお客があり、標準の工場製のスチール・ボディ以外に多くの特注モデルが存在する。この車もその中の1台で、プログラムによると排気量4000ccとなっているが、戦後この排気量は存在しない。1955年型とあるので4566ccのRタイプではないかと推定した。フェンダーの裾を長く引いたエレガントなスタイルはパークワードがデザインしたドロップヘッド・クーペだ。
「MkⅥ」は1952年全長を延長しトランクを拡大して(外観は殆ど変わらず)「Rタイプ」となった。これはロールス・ロイスと較べればスポーティではあるが、これをベースにエンジンの圧縮比を6.75から7.25まであげ、H.J.ミュリナーのプレーンバック・クーペで重量を234kgも軽量化し、より運動性を高めたのが「Rタイプ・コンチネンタル」だ。生産台数208台。
(写真33-1a-e)1954 Bentley R-Type Continenntal (2008-01 VWミュージアム)
今やベントレーを買収したフォルクス・ワーゲンにはベントレー館も有り、歴代のモデルが収められている。
(写真33-2a-d)1952-55 Bentley R-Type Continental (1998-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
(参考)1950 Chevrolet Fleetline Deluxe 2dr.sedan
(参考)1951 Chevrolet Fleetline DeLuxe 4dr, Sedan
1950年代はアメリカ車が世界のスタイリングをリードしていた。H.J.ミュリナーのプレーンバック・クーペは見るからに軽快で好ましいデザインだがどこか「アメリカ」くさい。その臭いの元は1950-51年のシボレー・フリートラインではないかと疑ってしまいたくなるソックリさんがあった。
(写真33-3a-d)1952-55 Bentley R-Type Continenntal (2008-01 VWミュージアム)
これもH.J.ミュリナーのプレーンバック・クーペだ。イギリスでも歴史の古いこの会社は、1700年代の馬車屋を源流とする老舗で、1900年創立、「ヘンリー・ジャービス・ミュリナー」は「チャーリー・S・ロールス」と親交があり、シルバー・ゴースト以来ロールス・ロイス社とは長い付き合いのコーチビルダーである。
(写真33-4a,b)1952-55 Bentley R-Type Continental Park Ward 2dr.Saloon (1995-08 モンタレー市内)
このシリーズのH.J.ミュリナー製のプレーンバック・クーペは既製品の「カタログ・モデル」とはいえとても魅力的だと思うが、これに満足できなかった人の為に造られたのがこのノッチバックのサルーンで、リアウインドの曲面にガラスが対応できず2本の桟が入っているのも時代を感じさせる。
1955年4月 ベントレーの「Rタイプ」は「Sタイプ」に変わり、同時にロールス・ロイスは「シルバー・ドーン」から「シルバ-・クラウド」に変わった。これまでは両車は同じと言われても多少の相違点はあったが、今度はグリル、エンブレム、文字表示以外は全く同じ車となった。
(写真34-1ab)1955-59 Bentley S1-Type Standard Stool Saloon (1962-06 赤坂溜池)
(参考)1955-59 Rolls Royce Silver CloudⅠ 4dr.Saloon
遠目で見ればロールス・ロイスかと間違えるほどによく似ている「一卵性双生児」の2台だ。背景の「東邦自動車」は「ヤナセ」と並ぶ大手外車デーラーで、「オペル」と「オールズモービル」の輸入元だった。「修理御承所」(しゅうりおんうけたまわりどころ)と如何にも格式の高い看板もこの店らしいいが、丁度この時期は本社の建て替え工事中で、ここは近くの「仮営業所」の前だ。
(写真34-2a-c)1958 Bentley S1-Type Continenntal H.J.Mulliner Saloon (2010-07 お台場)
S1シリーズになってもコンチネンタルはスタンダードの圧縮比を挙げた高性能版という位置付けで、写真のH.J.ミュリナー製のサルーンは、同じミュリーナ製でプレーンバックのカタログ・モデルと異なり、ノッチバックなので高級車らしい落ち着いた雰囲気が有る。
1959年V8エンジンに変わり「S2シリーズ」となったが外観には大きな変化はなかった。1962年四ツ目になり「S3シリーズ」が登場する。
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(写真36-1a-c)1964 Bentley S3 Standard Saloon (1990-01 レールシティ汐留・新橋)
「二つ目」としてデザインされたこのシリーズが、そのまま無理やり流行りの「四ツ目」をはめ込まれてしまったから、そこの部分だけが目についてしまう。僕は「二つ目」時代の標準ボディをこの時代の傑作と高く評価しているだけに一寸残念だ。それでも直線で構成されたグリルのロールス・ロイスよりは曲線のあるベントレーの方がまだ馴染める気がする。
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(写真36-2a-e)1964 Bentley S3 Continenntal "Flying Spur" 4dr. Saloon (1976-07 青山)
「フライング・スパー」と呼ばれるH.J.マリナー製のこの車は、アルミで作られた軽量ボディのコンチネンタルで、価格はスタンダード・スチール・サルーンの1.5倍近い超高価な車だ。1976年7月青山の「英国トレードセンター」でピーター・ドッドが開いた展示・即売会で撮影したが、この車には1000万円の値段が付いていた。この頃はまだカラーフィルムが高価なのでモノクロが主体で、カラーは色の確認のため1本だけしか撮っていない。
1965年、シルバークラウドⅢ/ベントレーS3ではもはや進化の限界と感じ、フル・モデルチェンジしたのがシルバー・シャドー/ベントレーTシリーズである。フル・モノコックの採用でホイールベースも全長・全幅・全高も縮小したが室内空間は確実に広くなった。しかしそれはその当時多くの車が採用していた色々な条件の最大公約数を取り入れることで実現した。これも近代化のためには致し方ないが、反面「没個性的」となってしまったので「グリルを見なければほかの車と同じ」と言われても仕方がない。
(写真37-1a-c)1967 Bentley T Estatewagon (2004-08 カリフォルニア)
写真の車はベントレーとしては珍しい特注の「エステート仕様」で、僅か5000マイルしか走っておらず新車同様と説明されていた。この車の後部は純粋に荷物室だったが、富豪が高級車をエステート化する場合、我々の様にスーパーに買い物に行く為ではなく、狩猟の際 猟犬のケージを積むスペースの為と、なんとも贅沢だ。
<第4期 ロールス・ロイスと共にヴィッカースの傘下に入る> (1971~98)
(写真40-1a-c)1984-94 Bentley Continenntal Convertible (2008-10 銀座・並木通り)
ベントレーのTシリーズは1971年2ドア版を「コルニッシュ」と名付け、1984年にはコンバーチブルが「コンチネンタル」と改名された。場所は銀座の並木通りで、アイボリーの上品な姿は夜景も似合う。
(写真41-1ab)1986 Bentley Turbo R (2005-07 東名高速・海老名サービスエリア)
「Tシリーズの後継車として1980年「ミュルザンヌ」が誕生、82年にはターボ仕様の「ミュルザンヌ・ターボ」、更に1985年その強化版「ターボR」が生まれた。写真の車はその「ターボR」で、一見普通の4ドアサルーンに見えるが黒く塗られたラジエターに素性を秘めている。
<第5期 フォルクス・ワーゲンに買収されロールス・ロイスと別れる>(1998~ )
(写真50-1)2000 Bentley Arnage Red Label (2000-06 グッドウッド/イギリス)
「アルナージ」が誕生したのはベントレーがまだビッカースの下でロールス・ロイスと共存していた頃で、色々なエンジンを検討した結果BMWのV8 4.4ℓエンジンを採用した。その後、「BMW」対「VW」で「ロールス・ロイス」「ベントレー」の買収合戦が起こり「ベントレー」は「VW」に、「R.R.」は「BMW」に引き取られ決着が付いた。しかしライバルから長期的にエンジンの提供を受けるというビジネス・リスクを考慮し、代わりに「ターボR」のV8 6750ccエンジンを詰め込む事にした。そしてそれを「アルナージ・レッドレーベル」と名付け、同時にBMWエンジン付を「アルナージ・グリーンレーベル」呼ぶことにした。
(写真50-2)1996-02 Bentley Continental T (2000-06 グッドウッド/イギリス)
1991年ターボ付きの「コンチネンタルR」が誕生し、それをベースに数々のバリエーションが作られたが「コンチネンタルT」はその中の一つで、ショートホイールベースの高性能版として1996年から2002年まで製造された。
(写真50-3ab)2004 Bentley Continental GT (2010-06 ポーツマス市内・イギリス)
コンチネンタルRの後継車として2003年誕生したが、久々に新しいエンジンが搭載された。それはVWのW12気筒6リッター ツインターボで560hpと強力だった。写真はイギリスのポーツマス市内の駐車場で見つけたものだが、このレベルの高級車はイギリスでも街中ではなかなかお目にかかれない。
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(写真50-4ab)2006-09 Bentley Azure Drophead Coupe (2008-11 横浜・元町商店街)
「アズール」は「コンチネンタルR」のコンバーチブル版として1995年誕生した。第2世代は2006年から09まで造られ、エンジンは伝統の(というよりは他になかったから?)V8 6750ccが使われた。写真は横浜・元町商店街の裏通りで見つけたもの。
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(写真50-5ab)2010 Bentley Continenntal Supersports Convertible (2010-07 グッドウッド)
この車も「コンチネンタルGT」シリーズの進化型で、エンジンがチューンアップされ630hpとなり、110kg以上軽量化されたシリーズ最強バージョンである。
(写真50-5cd)2010 Bentley Mulsanne (2010-07 潮風公園・お台場)
「アルナージ」の後継車として2010年登場したのが、この「ミュルザンヌ」で、4ドアのオーソドックスなサルーンはベントレーのフラッグシップに相応しい。
(写真50-6ab)2002 Bentley Speed 8 LeMan Car (2010-07 グッドウッド・イギリス)
ベントレーにとって「ルマン24時間レース」は1923年の第1回から1930年出場停止するまでに4連続を含み5回の優勝を果たしている。ロールス・ロイスに吸収されて以来レース活動が封印されていたが、71年振りで2001年から3年計画でレースに復帰が決まった。最初の年は「Expスピード8」(3.6リッターV8)で参戦⑦番リタイア⑧番4位であった。車番は同じ⑧だが写真の車ではない。2年目が写真の車で⑧番一台のみの参加で4位だった。
(写真50-7)2003 Bentley Speed 8 LeMans Car (2008-01 VWミュージアム/ドイツ)
こちらは3年目2003年の参加車で「スピード8」は4リッターV8エンジンを持つ。⑦番が優勝、⑧番が2位と完璧なレースで3年計画の最後を飾った。飾ってある場所はVWの中にあるベントレー館だが、数ある歴史的展示物と違って、VWにして見れば自分たちが勝ち取った誇るべき記念品だ。
次回は「ブルーバード」(速度記録車)から「BSA」に向かってどこまで行けるだろうか。 途中の大物「BMW」「ブガッティ」「ビュイック」は別途特集とする予定です。