今回はアストンマーチンとしては第3期となる1936年から46年まで「サザーランドの時代」に入る。
前任者の「A.C.ベルテリ」はアストンマーティンの代表的な傑作モデルを次々と生み出し中興の祖とも言える存在だったが、1936年を境にワークスとしての活動を中止するという会社の方針が不満で退職し、その後は(経営者)ゴードン・サザーランド、(主任設計者)クロード・ヒルのコンビで引き継いだ。基本姿勢は従来のレース志向からソフトな実用車へと方針転換をはかった。その間に造られた車は次の通りである。
<第3期 サザーランドの時代>(1936-46年)
1936年 2Litre プロトタイプ (2台) ここまではベルテリの設計でルマン用として造られた。
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1936-38年 2Litre スピードモデル (13台)
1937-39年 2Litre 15/98 ショート(75台)
1937-39年 2Litre 15/98 ロング (50台)
1939-40年 2Litre Cタイプ (5台)
*サザーランドの時代のエンジンの排気量は全て2リッターで、排気は運転席から見て右側。
(写真01-1)1937 2Litre Speedmodel (シルバーストーン)
*今回登場する写真で(シルバーストーン)と表示したものは2000年6月24日イギリスのアストンマーチン・クラブが開いた「St.John Horsfallメモリアル・レース・ミーティング」で撮影したものである。
(写真01-2) (01-3) (01-4) (01-5) 1936-38 2Litre Speedmodel (シルバーストーン)
(写真02-1a)(02-1b) 1937-39 15/98 2Litre Short Sports
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(写真02-2) (02-3) (02-4) (02-5a( (02-5b) 1937-39 15/98 2Litre Shorts Sports
(写真03-1a)(03-1b) (03-2a)(30-2b) 1937-39 15/98 2litre Long Tourer
(写真04-1a)(04-1b) 1940 2Litre C-Type
・ここからは第2次大戦後の第4期「DBシリーズ」の時代に入る。またまた財政危機に陥ったアストンマーチン社は「ザ・タイム紙」に出資者を求める広告を出し、その結果1947年2月「デビド・ブラウン」により買収され息を吹き返し、再びスポーツカー志向に方針変更した。ほぼ同時期に同じく危機に陥っていた名門「ラゴンダ社」も買収され、「アストンマーチン・ラゴンダ社」として新たに発足した。尚この後はデビッド・ブラウンのイニシャル「DB」がモデル名の頭に付くことになった。
第4期の「デビッド・ブラウン」の時代は1948-59年(主任設計者クロード・ヒル)の「DB1」から「DB3」までと、1958-72年(主任設計者タデック・マレック)の「DB4」から「DBS」までの後期に分かれる。
<第4期-Ⅰ デビッド・ブラウン(DB)の時代・前期>(1948-59年)
主任設計者「クロード・ヒル」
1948-59年 2リッター・スポーツ(DB1) 4気筒OHV 1970cc クロードヒル・エンジン(15台)
1950-53年 DB-2 6気筒DOHC 2580cc 105hp W.O.ベントレー・エンジン(411台)
1951-53年 DB-3 ワークスカー 6気筒DOHC 2580cc 140hp/2922cc 163hp (10台)
1953-55年 DB-2/4 MkⅠ2580cc126hp /2922cc140hp (565台)
1953-56年 DB-3S ワークスカー6気筒DOHC 2922cc 182-225hp (11台)
1954-56年 DB-3S 市販車 6気筒DOHC 2922cc 180hp (19台)
1955-57年 DB-2/4 MkⅡ 2922cc (233台)
1957-59年 DB-2/4 MkⅢ 2922cc (551台)
*主任設計者「クロード・ヒル」は「DB2」用に6気筒エンジンを準備していたが、ラゴンダ社に居たW.Oベントレーが採用された事から退社した。但し、DB2に関してはMkⅢまで、クロード・ヒルのシャシー+ベントレのエンジンである。
*「DB3」のシャシー設計者は、戦前GP全盛期のアウトウニオンを率いた「エベラン・フォン・エベルホルスト」である。
*DBシリーズのトップを飾る「DB1」は1948年のスパ24時間レースで優勝した「2リッター・スポーツ」を基に造られた市販車で、後継車が「DB2」を名乗った事から便宜上「DB1」と呼ばれているが、正式名は「2リッター・スポーツ」である。近年我が国にも上陸しているが、残念ながら僕はまだ出逢っていない。
< 1950-53 DB2シリーズ >
このシリーズからは初めて6気筒DOHC採用されたが、このエンジンは吸収される前のラゴンダ社であの「W.Oベントレー」の手でプロトタイプが完成しており、デビッド・ブラウンがラゴンダ社を買収する際視野に入っていたとも言われる。しかし、主任設計者クロード・ヒルが用意した6気筒エンジンに変えてこれを採用したことで、両者の対立が決定的となりヒルは退職に追い込まれた。
(写真05-1a)(05-1b) 1950 DB2 Coupe (初期型) (2000-01 レトロモビル/パリ)
初期のDB2にはDB1とよく似た3分割のグリルを持つ車が少数存在する。
(写真05-2) 1951 DB2 Coupe (シルバーストーン)
(写真05-3a)(05-3b) 1952 DB2 Coupe (2000-05 ブレシア/ミッレミリア)
(写真05-4) 1953 DB2 Drop Head Coupe (シルバーストーン)
1950年にはティックフォード社製のドロップ・ヘッド・クーペがカタログ・モデルに登場した。
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<1951-53 DB3 ワ-クスカー >
生産型の「DB2」から派生した純レーシングカーで、戦前のアウトウニオンGPカーで目覚しい活躍をした「エベラン・フォン・エベルホルスト」が担当し10台が造られた。大きくて重く52年シーズン「グッドウッド9時間レース」での優勝以外には勝ち星はなかった。
(写真06-1) 1951 DB3 Open 2-Seater (1997-05 ミッレミリア・スタート)
(写真06-2) 1952 DB3 Open 2-Seater (2010-06 グッドウッド/イギリス)
この車はシャシーNo. DB3/5のワークスカーで、「UPL 4」の登録番号は1957-8年日本に有り、アメリカ人ホプキンス氏の車として当時の車好きには良く知られた存在だった。日本にあった頃は改造された異様なボディが乗っていたがオリジナルに戻された様だ。
< 1953-55 DB2/4 Mk1 >
純粋2シーターが市場で限界となった時に「プラス2シート」を求めるという傾向は「Eタイプ・ジャガー」や「ロータス・エラン」などにも見られる通り自然の成り行きと見ていいだろう。ホイールベースは変わらず、ボディを180mm延ばしてルーフの後端を膨らました事で、2+2シートを確保したのが新たに登場したこのモデルで、ロータスやジャガーのように2シーターとの併売は行われなかった。
(写真07-1a)(07-1b) 1955 DB2/4 MkⅠ Saloon (2008-10 ラフェスタ・ミッレミリア/神宮、幕張)
(写真 07-2) 1955 DB2/4 MkⅠDrophead Coupe (1990-01 JCCA新年ミーティング/汐留)
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< 1955-57 DB2/4 MkⅡ >
エンジン、シャシーはMkⅠ(後期)と変わらず、ボディーの仕様が変わっただけだ。全長が50mm、全高が32mm増え、テールに控えめなテールフィンが付いた。もっとも大きな改造点はボンネットの開け方で、MkⅠでは前ヒンジでフェンダーごとパックリ持ち上がったが、MkⅡではクロームラインから上だけとなった。このモデルからカタログモデルのボディーは全てが「ティックフォード社」製となった。
(写真08-1a)(08-1b) DB2/4 MkⅡ Fixedhead Coupe (2004-06 グッドウッド/イギリス)
このモデルの説明には「プロトタイプ」となっていたが、おそらく34台造られたフィックドヘッド・クーペのプロトタイプだろう。
(写真08-2a)(08-2b) 1955-57 DB2/4 MkⅡSports Saloon(1977-04 TACS/筑波)
最も標準的なタイプはルーフを持ったこのタイプで「クーペ」と呼ばず、あえて「サルーン」としている。この写真からは変更点である「ボンネットとフェンダーの境目」や控えめな「テールフィン」がよく確認出来る。
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< 1953-56 DB3S ワークスカー/ 1955-56 DB3S 市販車 >
大きく重い「DB3」の高性能化を図って造られたのが「DB3S」で、ホイールベースで102mm、全長で116mm,短縮、重量で24kg軽減しエンジンの排気量は2922ccで変わらないが163hpから182hpとなり54年には225hpまで強化された。「DB3S」は30台造られ、内11台はワークスカー、残りの19台は1955年から市販された。
(写真09-1a)(09-1b) 1954 DB3S Open 2-Seater (2000-05 ミッレミリア/ドーモ広場)
ワークスカーは市販車に先行して「DB3」となったが、市販車の方は「DB2/4」となり、
MkⅠ~Ⅲと進化してゆく。後述するMkⅢのグリルはこのモデルから転用された。
(写真09-2) 1956 DB3S Open 2-Seater (2000-06 グッドウッド/イギリス)
ワークスカーには幾つかのタイプがあり、アストン・マーティンらしくないグリルを持つこの車もその一つで、1955年のルマンで2位となっている。
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<1957-59 DB2/4 MkⅢ >(DB MkⅢと略称される場合もある)
クロード・ヒルのシャシー+W.O.ベントレーのエンジンの組み合わせで発展してきた「DBシリーズ」前半の最終モデルで、給・排気系にワークスカー「DB3S」のノウハウを取り入れるなど強化を図っている。外観上では「DB3S」そっくりのグリルを持ち、うっかりすると「DB3」と「DBMkⅢ」を混同してしまいそうだ。
(写真10-1)1957 DB2/4 MkⅢ Saloon (2000-05 ミッレ・ミリア/ブレシア)
(写真10-2)1957 DB2/4 MkⅢ Drophead Coupe (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
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< DB2/4 のスペシャル・ボディ>
シカゴのデーラー「S.H.アーノルト社」がイタリアの「カロセリア・ベルトーネ」に造らせたスペシャル・ボディでこのコンビは「MG」や「ブリストル」がよく知られているが、「アストン・マーチン」や「ベントレー」も手がけている。
(写真11-1) 1957 Arnolt Aston Martin DB2/4 MkⅠCoupe by Bertone (1998-08 ブルックス・オークシション/カリフォルニア)
この車は比較的アストンマーチンの面影を残した大人しいデザインだ。年式はシャシーではなくボディの完成した年と思われる。
(写真11-2) 1956 Arnolt Aston Martin D2/4 MkⅡBarchetta by Bertone (2004-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
この車も「アーノルト」+「ベルトーネ」のコンビで造られたものだが、ガラリと趣が変わっている。「MkⅠ」のシャシーにも同じものがあるので「進化型」ではなく「同時進行」で、顧客の好みに合わせ使い分けていたと思われる。
(写真11-3a)(11-3b) 1961 DB4 GT JET by Bertone (1991-03 ワールドビンテージカー・オークション/幕張)
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<第4期-Ⅱ 1958-72年 >
<デビッド・ブラウン(DB)の時代・後期>(1958-72年)
主任設計者「タデック・マレック」/ボディは「カロセリア・ツーリング」製となる
1958-63年 DB4 (シリーズ1~5) 6気筒 DOHC 3670cc 240hp (1110台)
1959-63年 DB4 GT 302hp (94台 内19台は DB4 GT ザガート)
1963-65年 DB5 6気筒DOHC 3995cc 282hp (1023台、内65台は314hpのヴァンテッジ仕様)
1965-69年 DB6 6気筒DOHC 3995cc 282hp (1330台)
1965-70年 ヴォランテ(ドロップヘッドの呼称でベースはDB5,DB6 MkⅠ、MkⅡの3種あり)
1969-70年 DB6 MkⅡ 6気筒DOHC 3995cc 282hp
1967-72年 DBS 6気筒 DOHC 3995cc282hp (DB6のエンジンを暫定的に流用)(800台)
1970-72年 DBS V8 DOHC 5340cc 345hp(405台)
(写真12-1a)(12-1b) 1958-60 DB4 sr,1 Sports Saloon (シルバーストーン)
(写真12-2a)(12-2b) 1960-61 DB4 sr.2 Sports Saloon (シルバーストーン)
(写真12-3a)(12-3b) 1961 DB4 sr.3 Sports Saloon (シルバーストーン)
(写真12-4a)(12-4b) 1961-62 DB4 sr.4 Sports Saloon (シルバーストーン)
(写真12-5a)(12-5b) 1962-63 DB4 sr.5 Sports Saloon (シルバーストーン)
(写真12-6a)(12-6b) 1963 DB4 sr.5 Drpohead Coupe (筑波サーキット、神宮絵画館
(写真12-7a)(12-7b) 1960 DB4 GT Zagato Coupe (富士スピードウエイ)
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< 1963-65年 DB5 >
(写真13-1a)(13-1b) 1965 DB5 Touring Saloon (2009-03 東京コンクールデレガンス/六本木ヒルズ)
(写真13-2)1964 DB5 Sports Saloon 映画「007 仕様車」 (1965-11 東京オートショー/晴海)
(写真13-3a)(13-3b) 1964-65 DB5 Drophead Coupe (シルバーストーン)
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< 1965-69年 DB6 >
(写真14-1a)(14-1b) 1965-69 DB6 Sports Saloon (シルバーストーン)
(写真14-2a)(14-2b) 1966-69 DB6 Volante MkⅠDrophead Coupe (シルバーストーン)
(写真14-3a)(14-3b) 1969-70 DB6 Mk2 Sports Saloon (シルバーストーン)
<1967-72年 DBS >
(写真15-1a)(15-1b) 1967 DBS Sports Saloon (シルバーストーン)
(写真15-2a)(15-2b) 1969-72 DBS V8 Sports Saloon (シルバーストーン)
< DB時代のワークスカー >
1948- 2リッター・スポーツ 4気筒OHV 1970cc 90hp (スパ24時間で優勝、DB1の原型)(1台)
1951-53 DB-3 6気筒DOHC 2580cc 140hp /2922cc 163hp(10台)
1953-56 DB-3S 6気筒DOHC 2922cc 182-225hp(11台)
1956-59 DBR-1 (5台)
1957-58 DBR-2 (2台)
1958 DBR-3 (1台)(DBR-1に改装され現存せず)
1959 DBR-4 2.5リッター・フロントエンジンGPカー(4台)
1960 DBR-5 2.5リッター・フロントエンジンGPカー(2台)
1962 DP-212 4リッタープロトタイプ(1台)
1963 DP-214 GT 3.7リッター (2台)
1963 DP-215 4リッター プロトタイプ(1台)DB最後のワークスカー
(写真16-1a)1957 DBR-1/250 (2000-06 グッドウッド/イギリス)
(写真16-1b) 1959 DBR-1/300 (1999-08 ラグナセカ/カリフォルニア)
(写真16-2a) 1957 DBR-2 (2007-06 グッドウッド/イギリス)
(写真16-2b)1957 DBR-2 (1999-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
(写真16-3)1963 DP-215 (2000-06 グッドイウッド/イギリス)
次回は「アストンマーチン・ラゴンダ」「AMシリーズ」などで終了の予定です。
20日、21日と第43回東京モーターショーに行き、2日目は21000歩ほど歩きましたが、初めて脚力の衰えを感じました。残された時間を考えると中身を少し薄くしてでもスピードアップを図らなければいけないかなと思い始めている今日この頃です。