(01)<アルヴィス>(英)
アルヴィスは1919年から1967年まで存在した英国の高品質、少量生産車で、「ラゴンダ」や「インビクタ」などと共通した「通好み」の知る人ぞ知る車だった。設立の経緯は、第1次大戦中シドレー・デイジー社で航空エンジンを生産していた「T.G.ジョン」が1919年独立し、以前鋳造部品を納入していた「ジョフレー・デ・フレヴィル」の設計した小型車にフレヴィルの持つ商標「Alvis」の名前をつけて生産、販売したのが最初の「10/30」である。しかしフレヴィルはその後はアルヴィスとは全く関係なく、そのあとは1922年入社した「G.T.スミス・クラーク」が1950年まで主任設計者としてすべての製品に関わった。
<1923-33 アルヴィス 12/50 >
(写真01-1a)1931 Alvis 12/50 TJ Sports (2004-06 プレスコット/イギリス)
12/50はアルヴィスの中でも最も活躍した人気モデルで、10年間の長期にわたって3616台も造られた。戦前我が国にも1台輸入され戦後撮影された写真が残されている。
(写真01-1b)1931 Alvis 12/50 (1986-11 モンテミリア/神戸・ポートアイランド広場)
国内のイベントに突然現れた「アルビス」で、簡単な2シーターのボディは最近造られたものだが、これが戦争を生き延びた車かどうかはプログラムにも説明がなく不明。
<1928-31 アルヴィス 14/75 >
(写真01-2a)(01-2b) 1928 Alvis 14/75 Saloon (2004-06 プレスコット/イギリス)
スポーティーなイメージの1920年代のアルヴィスにも重厚なサルーンが存在する。人気モデル12/50 が4気筒 1645ccだったのに対して、こちらは6気筒 1870ccと一回り大きいエンジンを持っている。この車はイベントの展示車ではなく普通に乗って来て駐車場に止めてあった車だ。
<1929-37 アルヴィス シルバー イーグル >
(写真01-3) 1935 Alvis Silver Eagle Special (2004-06 プレスコット/イギリス)
「シルバー・イーグル」は6気筒「14/75」モデルの発展型で2148ccのSAからスタートしSD~SG,TA~TCまで9年間で8種のバリエーションが造られた。写真の車は3500ccでスペシャルなので何処までオリジナルかは不明だが、本人申告のプログラムに従った。
<FWDのアルヴィスについて>
アルヴィス車の性格を大雑把に分類すれば小排気量でレースに強い1920年代、6気筒で排気量も増え高級志向のファースト・ツアラーとなった1930-40年代、戦前のイメ-ジを残しつつも量産体制に至らず消え去った戦後の「Tシリーズ」の3世代に分かれる。その1920年代を代表する車の1つが4気筒OHC 1482ccスーパーチャージャー付き「FWD 12/75」だが、最初のFWDは1925年のレースに備えて考案されたもので、プロペラシャフトを無くし軽量化を図ったのが主な狙いだったと言われる。結果は成功し、翌1926年には8気筒1497ccのGPカーへと発展する。これらの結果を踏まえて発売されたのが「FWD12/75」で、当時世界でも「FWD」はアメリカの「ミラー」と、フランスの「グレゴワール」がレーシングカーに採用していたに過ぎない。元々レース用に開発されたが、ロング・ホイールベースのツアラーやサルーンも造られ本来の目的と違った客層の手に渡ったため、メンテナンスや操縦性が理解されず142台で生産は打ち切られた。戦前、我が国にも2台輸入されているが、残念ながら僕には写真を撮る機会がなかった。何時の日かイギリスでこの名車に出会いたいと思っている。
< 1932-36 アルヴィス スピード20>
スピード20は5年間でSA~SDまで4つのモデルがあり全部で1165台造られた。僕は3種の写真を撮っているが最初に見たスポーツ・サルーンのイメージが強い。
(写真1-3a)(1-3b) 1934 Alvis Speed 20 SB Sports Saloon by Charlesworth (1965-09 /11 CCCJイベントにて)
この車は車好きのさる高貴なお方が戦前購入された物で、戦後はクラシックカー・クラブのイベントで何回も見かけた。車体の半分にも達しようという長大なボンネットはアルミ地肌の磨き出しで、ワイアーホイールを覆うアルミのディスクと共に強い印象を受けた。
(写真1-3c) 1934 Alvis Speed 20 SB Sports Saloon by Lancefild (1998-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
こちらは戦後輸入された物で、新車と見違えるほどにレストアされて登場した。1934年からは「タイプSB」となったが、フロント・スプリングが「SA」の縦置きに対して「SB」では「FWD12/75」と同じような横置きとなり、ラジエター・グリルがフロントアクスルより前進するなどシャシーにも大きな変化が見られる。堂々たる姿からは一寸意外だがエンジンは6気筒2511ccである。
(写真01-3d)(01-3e) 1934 Alvis Speed 20 SC Drophaed Coupe (2011-10 日本橋クラシックカー・ミーティング)
この車には2011年に初めて出会ったので、何時頃から日本に住み着いているのか僕には判らない。このランドウ・ジョイント付きのトップは、多分ドライバーの上だけ巻き上げた「クーペ・ド・ヴィル」という使い方が出来る筈だ。「SB」と「SC」の違いについては明確に確認ができなかったが、1935年2月のロードテストの記事に2762ccとあるので排気量が増えたのは確かだ。
<1936-40 アルヴィス スピード 25 >
基本的には「スピード20」のシャシーに一回り大きい3571ccのエンジンを載せたのが「スピード25」で、エンジン、ブレーキ、ロードホールディングなどすべての点でバランスの取れた戦前のアルヴィスで最高の傑作と言われる。
(写真01-4) 1937 Alvis Speed 25 Drophead Coupe (2004-06 ビューリー博物館/イギリス)
<1936 アルヴィス 3.5リッター >
「3.5リッタ」モデルは「スピード25」のロングホイール版で61台造られたが1年限りで生産は打ち切られた。
(写真01-5a)(01-5b) 1936 Alvis 3.5 Litre Special Open 2seater (1989-11 モンテミリア/神戸ポートアイランド広場)
写真の車は元はサルーンだったが、スポーティなオープンカーを目指し、オーナーの手でボディを剥ぎ取ってから30年もガレージで眠っていたそうで、1980年代後半になってイギリスの専門家の手で念願のボディが完成した。
<1937-40 アルヴィス 4.3リッター >
「4.3リッター」は戦前最後に造られた「スピード20」「スピード25」の後継モデルで、最高速度103.75mp/hは英国市販中最速だった。6気筒4387ccは歴代のアルヴィスで最大の排気量を持つ。
(写真01-6a) 1938 Alvis 4.3Litre Sports Saloon by Charlesworth (1981-01 TACSミーティング/神宮絵画館前)
写真の車はロングホイールベース(127")の4ドアのスポーツサルーンだが、低いシャシーに長いボンネット、小型のキャビンは定石通りだ。
(写真01-6b)1939 Alvis 4.3Litre Sports Tourer by Vanden Plus (2010-07 グッドウッド/イギリス)
こちらはショート・ホイールベース(124")に架装された4シーター・ツアラーで、幌にランドウジョイントは付かない。
<1946-50 アルヴィス フォーティーン(T-14シリーズ) >
第2次大戦後のイギリスは戦勝国でありながら厳しい社会情勢で、本来アルヴィスの特色であった高性能、高品質で高価な車の市場は期待出来ず、加えて大型車に対する高率課税も障害となり、まずは戦前の小型4気筒モデル「12/75」1842ccに多少手を加え、「フォーティーン・シリーズ」 (1892cc)としてスタートした。
(写真01-7a)1948 Alvis TA14 Drophead Coupe (1977-01 TACSミーティング/東京プリンスホテル)
形は戦前のままだが2トーンで洗練されたスタイルは好もしい。一般的には「TA14」で済ませてしまう表示も、ラジエターの前のプレートにはモデル名「フォーティーン」、型式名「TA14」と正式にフルネームで記入されている。
<1950-58 アルヴィス 3リッター(T-21シリーズ)>
1950年になり、戦後モデルとして3リッター「TA21」がジュネーブ・ショーでデビューした。エンジンは6気筒2993ccで、徐々に強化されながらも結局新型の開発には至らず1967年の最後までこれ一本で行くしか無かった様だ。T-21シリーズは「TA21」「TB21」「TC21」「TC21/100グレイレディ」とフェンダーを残した過渡的スタイルで、「TC108/G」以降「TD21」「TE21」「TF21」は、近代的なフルウィズと変わった。
(写真01-8a)1950-53 Alvis 3Litre TA21 Saloon by Mulliner (1960-12 慶応大学前/港区三田)
(写真01-8b)1950-53 Alvis 3Litre TA21 Saloon by Mulliner (1960-04 港区一の橋付近)
(写真01-8c)1950-53 Alvis 3Litre TA21 Saloon by Mulliner (1966-07 港区内)
(写真01-8d)1951 Alvis 3Litre TA21 Drophead Coupe by Tickford (1959-05 中央区日本橋/高島屋付近)
(写真01-8e)1954 Alvis 3litre TC21/100 Gray Lady Drophead Coupe by Tickford (2000-06 グッドウッド/イギリス)
写真の車は「TC21」の強化版で「100」は100マイル/時 を表している。ワイアホイールとボンネットに付いた2つのエアインテークが目印で、国内では1度も見たことが無い。
(02)<アメリカン・ラフランス>(米)
「アメリカン・ラフランス」という洋梨のような名前の消防車が4台登場する。一部の消防車マニアやモデルカー・コレクターにはよく知られた名前らしいが、僕には守備範囲外で殆ど知識がなく、1800年代手押しポンプの時代から消防器具に関わってきたアメリカでも老舗の消防車メーカーとしか判らない。写真は4台ともドイツの「シュパイヤー科学技術博物館」の消防車部門で撮影したものだが説明の中に型式が記載されていないので不明。
(写真02-1)1937 American Lafrance V12 (放水車)
(写真02-2) 1958 American Lafrance V12 (放水車)
(写真02-3)1952 American Lafrance V12 (25m はしご車)
(写真02-4a)(02-4b)(02-4c) 1949 American Lafrance V12 (35m トレーラー式はしご車)
(03)<1921-1939 アミルカー>(仏)
小型高性能で知られる「アミルカー」だが、この車の分類は何処に入れたら良いのだろうか。モーター・サイクルと小型自動車の間に、手作り感一杯の「サイクルカー」と呼ばれる一群がある。戦後のスクーターから進化した「バブルカー」のご先祖とも言えるが、モーガンの初期の3輪車などもこの中に入る。「アミルカー」もこの中に含まれるのだろうが、完成度も高く心情的には、1100ccクラスの小型スポーツカーと同列に見える。
1921年の設立で最初からオープン2シーターの軽量が売りで、「CC」「CS」「C4」と続き、1924年「CGS」(グラン・スポール)、1926年にはそれを低めた「CGSS」が出現し4気筒1074ccは115km/hに達しピークを迎えた。(これらはイタリアでもライセンス生産された)この年レースでの勝利を目指し新たに開発されたのが「C6」で、6気筒DOHC 1123cc スーパーチャージャー付83hpで、200km/hを超える記録も作った。しかしレース活動は1929年までで、その後排気量をふやした普通の乗用車を造っていたが1938年「オッチキス社」に吸収された。
(写真03-1a)1925 Amilcar CGS (2002-02 シュルンプ・コレクション/フランス)
(写真03-2a)1926 Amilcar CGSS (2002-02 シュルンプ・コレクション/フランス)
(写真03-2b)1926 Amilcar CGSS (1997-05 ブレシア/ミッレミリア)
(写真 03-2c)1926-28 Amilcar CGSS (2004-08 コンコルソ・イタリアーノ)
(写真03-2d)1928 Amilcar CGSS (2009-03 東京コンクール・デレガンス/六本木ヒルス)
(04)<1961-68 アンフィカー >(独)
最近、隅田川観光でも話題になっている「水陸両用車」のプライベート版で、発想の原点は第2次大戦で使用されたフォルクスワーゲンの「type166 シュビムワーゲン」だろう。(僕も昔タミヤのミリタリー・シリーズで作ったなあ)あちらは性能本位の軍用車だからボートに車を付けた感じだが、こちらはそれよりはずっと自動車に近い。ドイツ車だがエンジンはイギリスのトライアンフ・ヘラルドの1147ccがリアにおかれ,水上ではスクリューを回し6ノット(約13km/h)出せる。舵はなくハンドル操作による前輪の角度で行う。
(写真04-1a)1964 Amphicar 4seater Convertible (1963-11 東京オートショー/晴海)
外車ショーで屋外に展示されデモンストレーションが行われた。観衆が多く肝心の床下はうまく撮影出来なかった。
(写真04-1b)1964 Amphicar 4seater Convertible (2008-01 ジンスハイム博物館/ドイツ)
ボディに入った横のラインはボートになった時の喫水線で、そこから下は防水になっており、ホーンもボンネットの上に付いている。
(05)<1962-66 アポロ >(米)
アメリカ製の数少ない本格スポーツカーだが短期間に僅かしか造られなかったから「宇宙船アポロ」ほどは知られていない。エンジンはビュイックのV8が採用され、初期の「3500GT」は212.5キュービック・インチ(3530cc) 後期の「5000GT」は300.4キュービック・インチ(4920cc)の排気量を持つ。フェラーリ330GTCやジャガーEタイプに匹敵する車を目指し、ボディーをイタリアの専門メーカー「インターメカニカ」に依頼したのが、垢抜けた車になった一番の要因かもしれない。
(写真05-1) 1963 Apollo 3500GT Intermecanica Spider (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
格式あるペブルビーチのコンクールに招待されるだけでも非常に名誉な事で、小規模メーカーにとっては世間に認められた証とも言えよう。
(写真05-2a)1965 Apollo 5000GT Intermecanica Coupe (2004-06 グッドウッド/イギリス)
3500GTと外見上の違いはなく、ファストバックに近いクーペボディも一種類しかない。
(写真05-2b) 1965 Apollo 5000GT Intermecanica Coupe (1995-08 ペブルビーチ/カリフォルニア)
やや丸みを持った後ろ姿は、同時期のライバル、ピニンファリナの「フェラーリ400スーパアメリカ」とも近い。
(06)<1899-1932 アーガイル>(英)
「アーガイル」という言葉で連想するのは菱形の柄のセーターだが、満更無関係ではない。スコットランド西部アーガイル地方の名門キャンベル家伝統のタータン・チェック(ダイヤモンド柄)が「アーガイル柄」と呼ばれている。この車のメーカーもそのスコットランドのアーガイル地方に有るからだ。明治時代にたった1台だけしか輸入されなかったこの自動車の名前を知っている人は、皆無に近い。しかしその昔、銀座の「明治屋」にビール瓶の形をしたトラックがあった、という話や写真を思い出す人は居るかもしれない。
(写真06-1a)(06-1b) 1909 Argyll Truck Shassis (2009-04 墨田区復興記念館)
この残骸は関東大震災で焼けてしまったあの「明治屋」のビール瓶型トラックで、現役時代の車両登録番号は三越呉服店の「1番」に先を越され「3番」だったが、「3番」の欲しい三越と取り替えた、という話が伝わっている。そんなわけで名誉ある「1番」は昭和の時代まで「明治屋」と決まっていた。写真は90年前の関東大震災のすざましさを物語る数々の遺品が展示されている墨田区の震災記念館で見付けたもので、その現役時代の姿は偶然この三樹書房の「Mベース」に小関和男氏が連載中の「商業車列伝」第1回に掲載されているので、そちらも是非ご覧頂きたい。
(写真06-2) 1913 Argyll 15/30hp (2007-06 ビューリー自動車博物館/イギリス)
残骸のまま終わる訳にも行かないので、最後に本物をお見せしよう。4気筒4084ccの堂々たるリムジン・ボディーを持つこの車はイギリスで一般の車より10年も早く4輪ブレーキを採用した車の1台とあり、当時としては進歩的な車だったようだ。と、ここで今回はお仕舞いのつもりだったが、右端に写っている「R1909」には何処か見覚えが有った。と言うことで一寸寄り道して次をご覧頂きたい。
(写真06-3a)(06-3b) 1909 Rolls Royce 40/50hp Silver Ghost Tourer (1965-09 英国博覧会/東京晴海)
この写真は前の写真より42年前 1965年9月東京で撮影したもので、「英国博覧会」が開かれた際、遥々イギリスからやってきて銀座など東京の街をパレードした。オーナーはロード・モンターギュで先代から2代にわたる膨大なコレクションが、現在はビューリーの「英国国立自動車博物館」となっている。シルバー・ゴーストと言えば1台だけでもイベントの目玉となる貴重な車だが、博物館ではご覧のようにギュウギュウ詰めの中に埋もれていた。