(01)<1956-61 Giulietta SVZ >
よく知られた「ジュリエッタ SZ」の説明に入る前に、マニア以外にはあまり知られていなかった「SVZ」の存在を忘れてはならない。元は個人所有の「スプリント・ベローチェ」がレースで大きなダメージを受け、カロセリア・ザガートに持ち込んで修復した際、新しくアルミ・ボディを造り150キロ近く軽量化し、エンジンはスピード・ショップ「コンレロ」で強化した結果大いに戦闘力を増した。そのあとも個人的な注文で5年間に17台造られたがスペシャル・ボディの扱いでアルファ・ロメオのカタログ・モデルではないから公式の文献には登場しない。だが結果的には、その性能の高さに目をつけたアルファ社がザガートに対して正式に発注したのが「SZ」となり、「TZ」へと続くきっかけを造った車である。
(01-1a)(01-1b) 1957 Giulietta SVZ (Sprint Veloce Zagato)ラフェスタ・ミッレミリア/神宮)
フロントはジュリエッタ・スプリントのイメージを残しながらも丸みを帯びたボディはいかにも「ザガート」らしい。しかしこの車の後ろ姿はオリジナルとは全く異なり、このあと出現する「SZ」そのものと言えるが、カタログモデルではないので個体差があるようだ。
(01-1c) 国内のイベントで見つけたこの車にはオリジナルの「スプリントベローチェ」のエンブレムに加えて、やや後付け感のある「ザガート・ミラノ」がネジ止めされている。上部には「牡牛」らしきスピード・ショップ「コンレロ」のバッジも付いている。
(コンレロについて)
ヴィルギリオ・コンレロは第2次大戦中フィアットで航空機エンジンに関わっていたが、戦後トリノ市内に小さなスピード・ショップを開き、1948年モノポスト・レーサーを手始めにレース界で知られるようになる。1953年には強化したアルファ・ロメオ1900Cのエンジンを自製のシャシーに載せ、「カロセリア・ギア」のボディを持つ1台がミッレ・ミリアで善戦し一躍有名になり、何台かが注文生産され,その車が「スーパーソニカ」と呼ばれた。そのあと各世代のアルファ・ロメオのチューナーとして定着し、後年「TZ」ではカタログ・モデルも手がけることになる。
(02)<1959-60 Giulietta SZ・前期型> (Type101.26)
「SZ」は「Sprint Zagato」の略で、同じシャシーを持つ姉妹車「Sprint Speciale」はBertone製なのに「SB」ではなく「SS」と呼ばれる。ザガートの場合に限って車名に「Z」が付くのはそれだけ有り難味があるせいだろうか。 「SZ」には大別して丸いお尻の「前期型」と「ロングテール又はコーダトロンカ」と呼ばれる「後期型」がある。前期型は厳密にはプッシュボタン式の「1stバージョン」とハンドル式の「2ndバーション」に分けられるが僕はプッシュボタン式は撮影していない。前期型のグリルには横バーが1本、2本、3本の3種あるが僕の持っている資料からは年式による違いとは確認出来なかった。
(02-1a) 1960 Giulietta SZ 前期型・1本バータイプ(1989-11 モンテ・ミリア/神戸)
(02-2a) 1960 Giulietta SZ 前期型・2本バータイプ(2004-06 プレスコット・サーキット/イギリス)
(02-03a)(02-03b) 1959 Giulietta SZ 前期型・3本バータイプ(1989-11 モンテミリア/神戸)
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(03)<1961-63 Giulietta SZ 後期型>(Type101.26)
前期型の機能はそのままで、15キロの軽量と空気抵抗を下げるために前後のオーバーハングを大きくとったのが「後期型」で、「SZ-2」とも呼ばれる。顔つきはあごが長くなりパーキング・ランプがグリル内から外に出た。大きく変わったのは後部で丸いお尻は姿を消し、長く伸びたテールは途中でスッパりと切り落とされたコーダ・トロンカと呼ばれるスタイルで、空力特性の向上をはかった。200台造られた「SZ」のうち「SZ-2」は30台と言われ、このテール・スタイルは次の「TZ」にそのまま引き継がれた。
(03-1a)(03-1b) 1960 Giuliett SZ 後期型(SZ-2)(2001-05 モンツァ・サーキット/イタリア)
ミュージアムに展示されていた車はヘッドライトにカバーが無かったが、こちらはカバーの付いているタイプで、ノーズを伸ばしてまで空気抵抗を減らそうとしたからには、この方がより効果が期待できる。
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(04)<1963-66 Giulia TZ-1 > (Type105.11)
アルファ・ロメオの主力が1300ccの「ジュリエッタ」から1600ccの「ジュリア」に変り、スポーツ・バージョンも「SZ」から「TZ」に変った。外見は「SZ-2」の流れを汲み、より長く、より低くなったが、基本的なコンセプトは変わっていない。しかしその下に隠れた骨格は全くの別物で、「TZ」のネーミングの元となった「Tubolare」鋼管スペース・フレームで構成され、市販車でありながら最初からレースを目的とした怪物だった。最高速度は「SZ」の200km/hに対して215km/hと大幅にアップしている。全部で120台造られたが、現役時代新車では1台も輸入されなかった幻の車だった。「TZ」は発売当初はただの「TZ」だったが、後年「TZ 2」が出現したので、公式にも「TZ 1」とされているようで、ミュージアムの表記にも「TZ 1」とあった。
(04-1a) 1963 Giulia TZ 1 (2001-05 アルファロメオ・ミュージアム)
ひと皮向いた「骨格見本」をミュージアムで見つけた。最小の材料で最大の強度を得るための構造を見る事が出来る珍しい写真だ。
(04-2a)(04-2b)(04-2c) 1964 Giulia TZ 1 (1980-11 CCCJ/富士スピードウエイ)
1978年になって発売から15年経って初めて日本に登場した「TZ」がこの車で、2年後同じ車を別のイベントで撮影したもの。真横から見ると後半のオーバー・ハングの長さや、反り上がった後端部が良く判る。その後国内で何台も見ることが出来る様になり、ヘッドライト・カバーの無いもの、ボンネットに空気取り入れ口の切ってあるものなど数種のバリエーションがあるが枚数の都合で写真は省略した。
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(05)<1965-66 Giulia TZ-2> (Type105.11)
「TZ-1」はレース専用のハイチューン車とはいえカタログモデルで、一応量産車(4年間で120台)だったが、「TZ-2」は更にレースでの戦闘力を高めるためエンジンにも大幅に改良が加えられ、もはやスペシャル・チューニングカーの領域に達してしまいカタログモデルでは無くなった。しかし公式に「TZ-2」というモデル名が与えられている。2年間で10台しか造られなかったが、「TZ-1」から改造されたものも有るらしい。
(05-1a)(05-1b)(05-1c) 1965 Giulia TZ-2 (1998-08 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
更に背が低くなり視覚的には長く感じられる。軽量化のためボディはFRP製となり、リアウインドは巨大な曲面を持つ一枚ものとなった。ミュージアムにも展示車があったがこの車とは穴の開け方など細部が異なる。
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(06)<2010 Alfa Romeo TZ-3 Corsa >
「SZ」「TZ」が最後に造られた1966年から45年も経って既に伝説の世界の産物かと思っていた2010年、突如「TZ-3」を名乗る車が出現した。これはアルファ・ロメオ100周年、ザガート90周年を記念し1台だけ造られたレーシングカーで、流石に現代版は1.6リッターという訳には行かずV8 4.2 リッター420馬力のエンジンを持ち、最高速度300km/hのスーパーカーだが、何より嬉しいのは、そのスタイル全体に「TZ」の匂いがぷんぷんするオールド・ファン泣かせの所だ。これをベースに9台だけ造られた市販モデルが「ストラダーレ」で、昨年我が国でも展示された。
(06-1a)(06-1b)(06-1c) 2010 TZ-3 Corsa (2010-06 グッドウッド/イギリス)
横から後ろ姿にかけてのイメージは「TZ-1」そのものだ。
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(07)<1969-72 Junior Z > (Type105.93) 1290cc
この車からは「ザガート」の経営が創立者から第二世代へ変った。車の名前に「ジュニア」が着いたのがそのせいかは知らないが、それまでの曲線が魅力的だったスタイルからシャープな線を生かしたラインに変わったようで、ザガートらしさが減ってしまったと感じたのは時代に順応できない僕の個人的感想。現実には従来の手造りに近い体制から生産性の向上を図り量産体制を目指したものと思われる。
(07-1a)(07-1b) 1970 Junior Z (1978-01 東京プリンスホテル)
真横から見るとここにも「TZ-1」の面影が感じられる。
(07-2a)(07-2b) 1971 Junior Z Prototype (1997-05 アルファ・ロメオ・ミュージアム)
一見只の車のように見えるが、実はとんでもない車だ。屋根の上の突起物は空気取り入れ口で、ボディ中央に積まれたエンジンに続く。しかもそのエンジンは1992ccで市販の「2000」の物とも違う。2リッター・クラスを狙ったミッドシップ・レーサーのための実験車だったのだろうか。
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(08)<1972-73 1600 Junior Z >(Type 115.24) 1570cc
1972年にはエンジンが1290ccから1570cc に変更され,車名も「1600ジュニアZ」と変わった。1.3リッターのジュリエッタから1.6リッターのジュリアに変わったのは1962年の事で今回の変更とは関係ない。
(08-1a)(08-1b) 1972 1600 Junior Z (1998-10 御殿場・楽天荘)
テールランプが2段式となり後部右下に「1600Z」のエンブレムが入る。テールランプはJunior Z(1300)と1600 Junior Z の唯一外見の相違点。
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(09)<1958-62 2000>(Berlina) (Type102.00)
ここまででひとまず「ザガート」を終わり、時代は少し戻って1958年から始まった「2000」シリーズに入る。
1951年から続いて来た「1900」シリーズを引き継ぐ形で新たに「2000」シリーズとなり、最初の年は「20004ドア・ベルリーナ」と「2000・スパイダー」が発表され、2年遅れて「2000・スプリント」が発売された。この「2000」シリーズは、3タイプともなぜか国内では一度も出逢っていない。
(09-1a)(09-1b) 1958 2000 Berlina (1997-05 アルファロメオ・ミュージアム)
アルファロメオでは「スパイダー」と「スプリント」については車名に入るが「ベルリーナ」だけは無視されているので車名はただの「2000」である。これといった特徴はないが中々引き締まったボディはアルファ・ロメオ製である。
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(10)<1958-61 2000 Spider by Touring>(Type102.04)
この時期(1958年)は「ジュリエッタ」「ジュリア」と続くピニンファリナ製のスパイダーと併売されることになり、そのお陰でピニンファリナが独占していたスパイダーがカロセリア・ツーリングにも回ってきた様だ。
(10-1a)(10-1b) 1961 2000 Spider (1998-08 コルソイタリアーナ/カリフォルニア)
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(11)<1960―62 2000 Sprint by Bertone (Type 102.05)
このタイプも国内では一度もお目にかからなかったが、殆ど同じイメージの「2600」は後年新車で輸入された。
(11-1a) 1960 2000 Sprint by Bertone (2001-05 アルファロメオ・ミュージアム)
アルファロメオとしては4灯ヘッドライトを採用した最初のモデル。
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(12)<1962―69 2600>(Berlina) (Type106.00)
この車も車名に「ベルリーナ」は付かない。1950年代の始めまであった6気筒の「6C 2500」がラインアップから消えてから約10年の間は、4気筒1900、2000ccしか用意出来なかったアルファロメオに、久々に6気筒2600ccのフラッグシップが誕生した。
(12-1a)(12-1b) 1966 2600 Berlina (1969-11 第11回東京オートショー駐車場/晴海)
アルファロメオの「ベルリーナ」としては初めて新車で正規輸入された車だ。スポーツカーのアルファロメオではなく大型・高級車と認識されたのだろう。今までどおり「ベルリーナ」のボディに関しては外注せず「アルファロメオ製」で、2000に較べると角張って大きく立派に見える。
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(12b)<1965 2600 De Luxe Berlina by Osi>(Type106.12)
(12b-1a) 1965 2600 DeLuxe Berlina by Osi (1997-05 アルファロメオ・ミュージアム)
Osi (Officina Stampaggi Industriali)は、前回ジュリアのプロトタイプ「スカラベ」の項でも登場したアルファロメオとは関係の深いボディ・メーカーだが、この車に限って言えばあまりにもシンプルで、デラックスでありながら「最上位」の重厚さは感じられない。そのせいか、1年限りで姿を消してしまった。
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(13)<1962―66 2600 Sprint by Bertone>(Type106.02)
2600シリーズは「ベルリーナ」「スプリント」「スパイダー」の3タイプが同じ年に発売された。スプリントについては「ジュリエッタ」「ジュリア」「2000」に続いて「カロセリア・ベルトーネ」が担当した。顔つきは「2000」 と同じだが「2600」はボンネットに切り込みが有る。
(13-1a)(13-1b) 1965 2600 Sprint by Bertone (1977-01 東京プリンス・ホテル)
2600シリーズの中で1963年最初に日本に上陸したのが、この「スプリント・ベルトーネ」シリーズだった。この車は複数輸入され国内で4台の写真を撮っている。中でも小雪の降る中で撮ったこの写真は好きだ。
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(14)<1962-65 2600 Spider by Touring >(Type106.01)
外注されるスパイダーは細部を除いては「2000」をそのまま引き継いでいる。ボンネットのエア・インテークが2列から一つにまとまり、ヘッドライト下の補助ライト?が真下からやや内側に寄った。グリルはジュリア風の、細かい格子から太めの横バーとなったが、僕個人の好みとしては繊細な「2000」の方が好きだ。スパイダー・シリーズは何故か新車では輸入されなかったようだが、その後も国内では一度も出逢っていない。
(14-1a)(14-1b) 1962 2600 Spider by Touring (1996-08 コンコルソ・イタリアーナ/カリフォルニア)
「2000」ではサイドにクローム・ラインが2本ありドアの前方に4つのエア・アウトレットがシャークのえらのように付いていたが、「2600」ではラインが1本だけとなり、エラは無くなってしまった。
(14-2a)(14-2b) 1962 2600 Spider by Touring (2001-05 ブレシア・ドーモ広場/ミッレミリア)
この車はボンネットとフェンダーに有る筈の「カロセリア・ツーリング」のバッジが何故か見当たらないが、後ろ姿は同じ年発表されたツーリング製の「 アストンマーチンDB4コンバーチブル」と瓜二つで、血統は争えない。
(14-2c・参考) 1962 Aston Martin DB4 Convertible by Touring
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(15)<1965-67 2600 SZ(Sprint Zagato)>(Type106.12)
このシリーズの締めくくりとして最後に「ザガート」が登場する。1962年「ベルリーナ」「スプリント」「スパイダー」の3タイプが「2000」から「2600」にスケール・アップしてから3年後、「ザガート」の手になる「スプリント」が追加された。「小娘ジュリエッタSZ」の姉貴分として「ジュリアTZ」があるので、そのお姉さんと位置付けたいが、ぼってりした見た目は「ジュリエッタのおばさん」がぴったりか。全部で105台造られた。
(15-1a)(15-1b) 1967 2600 SZ by Zagato (1966-11 第8回東京オートショー/晴海貿易センター)
発表された翌年、早くもショーに登場し新車が輸入された。「ぼってり」などと一寸悪口を言ってしまったが、別の言い方をすれば「グラマー」なスタイルは、当時としては衝撃的であった。ジュリア・スプリントGTVが245万円で買えたこの年、倍近い527万円もする超高級車だった。この当時はまだカラーフィルムで撮影していないが、塗装はシルバー・グレイだったと記憶している。輸入時の雑誌の解説にはアルミ・ボディとあったが、市販車はスチールの筈だ。
(15-2a)(15-2b) 1965 2600 SZ Special by Zagato (1997-05 アルファロメオ・ミュージアム)
この愛嬌のある顔を持った「SZ」はプロトタイプではなく、数台市販された「スペシャル・ボディ」で、フロント・グラスの深い傾斜、低い屋根、ボンネットを止めるベルト、TZから引き継いだリア・エンドなど、とぼけた顔とは裏腹に、量産型に比べるとより走りを意識した鋭さを持った車だ。
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この原稿を書く手順を簡単に説明すると①対象の車種を手持ちの資料からピックアップする。②中から良さそうなものを選択する。③登場順に番号を振って並び順を揃える。④写真を見ながら解説を入れる。⑤最初に原稿をオンライン送付する。⑥写真のサイズを縮小して追加送付し所定の位置にはめ込む。とざっと、こんな事になるのだが、今回一寸失敗した事が有る。それは③の番号順に揃えたあと「枚数を数えなかった」ことで、作業が全部終わって原稿を送付しようと思ったら写真が80枚以上あって慌てて半分に減らした。だからもっともっと紹介したい物が一杯あったのに残念!
さて、アルファロメオも次回のスーパースポーツ、レーシングカーでそろそろ終了の予定です。