前回に続いて「6C 2500」が登場するが、戦後復活したのは基本的には「スポルト」「スペル・スポルト」「ツリズモ」の3種で、これにいくつかのバリエーションが派生する。
(01) <1947-52 6C 2500 Sport "Freccia d'oro" >
「フレッチア・ドーロ」とはイタリア語で「金の矢」といかにも速そうな名前だが、「スポルト」シリーズのモデルの一つで、1946年から1952年までに680台造られた。1946-48は「Type1947」、1949-52は「Type1950」と区分けされている。いちはやくステップの無いフルウイズを採用し、戦後の乗用車のスタンダードを示した。丸いお尻は「フォード」「ナッシュ」「ボルボ」など多くの車にその面影がみられる。スタイルもセールスポイントだったこの車は、「カロセリア・ツーリング」製としている資料もあるが、意外なことにデザインは「カロッセリア・アルファロメオ」で、外注ではない。確かにバッジの形は似ているが......。
(01-1a) 1947 6C 2500 Sport "Freccia d'oro" Typo1947 (ミュージアム)
(01-2a-b) 1949 6C 2500 Sport "Freccia d'oro"Type1949 (ブレシア/ミッレミリア)
(01-2c) 遠目で見ると似たように見える「カロセリア・アルファロメオ」と「ツーリング」のバッジ。
(01-2d) 1949 6C 2500 Sport "Freccia d'oro"Type1949 (サンマリノ/グランドホテル前)
(02-1) 1949 6C 2500 Turismo Berlina by Pininfarina Type1950
顔つきは前のフレッチア・ドーロとよく似ているがピニンファリーナによって造られた数少ない「4ドア・ベルリーナ」でイタリア語では「クワトロ・ポルテ」だが、6C 2500の中で4ドアはツリズモ・シリーズだけの少数派。写真は1959年(昭34)JR田町駅前で出勤途中に見つけ撮影した物で、日本に1台しかない貴重な存在だった。後方に見えるのは、まだ存在していた「靴磨き」のおじさん。
(03) <1946-51 6C 2500 Super Sport >
6C 2500の中で一番高性能だったのが3キャブで110hpに強化された「スペル・スポルト」で、2.7mのショート・ホィールベースに「ツーリング」「ピニンファリナ」「ギア」などの贅を凝らしたボディを架装していた。当時としては最高位にランクされ、世界の大富豪のもとに送られた。
(03-1a,b) 1950 6C 2500 Super Sport Coupe by Touring Type1948
バンパーが2段になっているツーリング製のこのタイプが第2シリーズの中でのスタンダードで、色々なバリエーションはこれから派生しているように見える。(コンコルソ・イタリアーナ・カリフォルニア)
(03-2a,b) 1949 6C 2500 Super Sport Coupe " Villa d'este " by Touring Type1948 (コンコルソ・イタリアーナ)
ツーリングが6C 2500の為に造った多くのバリエーションの一つがこの車で、1949年9月コモ湖畔にあるエステ家の別荘ヴィラ・オルモで開かれたコンクール・デレガンスでグランプリを獲得したことから、それに因んで「ヴィラ・デステ」と名付けられた。オリジナルのクーペの他、5台のカブリオレを含む36台が造られた。テールランプの処理は同時期手がけていた「フェラーリ166 ルマン・クーペ」とそっくりだ。
(03-3) 1948 6C 2500 Super Sport Cabriolet by Pininfarina Type1948
6C 2500 のボディは殆どが「ツーリング」で造られたが、一部例外を除き「カブリオレ」に関しては「ピニンファリナ」担当したようだ。中央のグリルとヘッドライトの中間にある四角い飾りは、このシリーズの中では独特な特徴だが、前年「ランチャ・アプリリア」の試作車でも試みている。余談だがこの車は映画「裸足の伯爵夫人」(1954年・米)の中でファブリーニ伯爵の車として登場する。(パリ・レトロモビル)
(03-4) 1950 6C 2500 Super Sport Coupe by Ghia Type1948
この車は数少ない「カロセリア・ギア」製のクーペで、外観は仲間の「6C 2500」よりも、この年新しく発売された「1900シリーズ」や「ディスコヴォランテ」などと共通する顔立ちをしている。もちろん量産モデルではない特注の一品物と思われる。この時は遥々アルゼンチンから参加している。(ブレシア/ミッレ・ミリア)
(03-5) 1955(1944) 6C 2500 Sport Spider 'Bucci' Special(コンコルソ・イタリアーノ)
この車のシャシー・ナンバー[915217]から調べたところ1944年(昭19)戦前最後の年に僅かに造られた15台の中の1台であることが判った。1950年代に現在の2シーター・ボディに載せ替えている。
(04)<1950-59 1900シリーズ>
それまで30年間使われてきた社名「イタリア・ニコラ・ロメオ株式会社」は、1948年「アルファ・ロメオ株式会社」と社名を変更し、同時に会社の基本方針も高級スポーツカーの少数生産から、小型実用車を大量生産する本格的な「自動車メーカー」に変身した。1950年戦後モデルとして最初に登場したのがアルファ初の4気筒1884ccの「1900 Nolmale」(ベルリーナ)で、翌1951年にはショート・ホイールベースの「1900 C」(スプリント/カブリオレ)、更に1952年ジープ・タイプの「1900 M」が発表された。基本的にはこの3タイプで、1884cc(ノーマル用)と1975ccの(スーパー・シリーズ用)の2種のエンジンに、ツイン・キャブ仕様の「T.I.」を組み合わせたバリエーションがある。
(04-1a) 1950 1900 Berlina Sr.1 Typeo1483 (ミュージアム)
戦後のアルファ・ロメオを語る出発点として床から一段高いブースに展示され、ミュージアムでも重要な展示物扱いされている。
(04-1b) 1953 1900 T.I. Berlina Sr.1 Type1483 (ブレシア・ロッジア広場/ミッレミリア)
1951年から設定されたT.I.はTurismo Internazionaleの略で、国際ツーリングカー・レースのカテゴリーを視野にツイン・キャブレターで100hpに強化されている。外見はノーマルの1900と変わらない。
(04-1c) 1956 1900 Super Berlina Sr.2 Type1483 (ブレシア・ヴィットリア広場/ミッレミリア)
1953年から58年まで造られた「1900 スーパー」はエンジンのボアを1.9mm拡げ、1975cc、90hpに強化された。同じ「1900」シリーズだが「ノーマルの1884cc」と「スーパーの1975cc」の2種のエンジンが有る。写真の車はシリーズ2で、サイドグリルの水平バーが外に伸びてウインカーに巻きついている。イタリア車としては珍しい2トーンは当時世界の流行のリーダーだったアメリカ車の影響だろう。
(04-2a,b) 1951 1900C Sprint by Turing Type1484 (ラグナセカ/カリフォルニア)
「1900 C」の「C」はCorto(短い)の表示。ツイン・キャブ仕様の「T.I.」を130ミリ縮めて2500ミリにしたショート・シャシー版で、「スプリント」と「カブリオレ」の為に供給された。写真の車はカロセリア・ツーリング製のスプリントで、ノーマルのスプリントなので1884ccエンジン付き。
(04-2c,d) 1953 1900 C Sprint by Pininfarina Type1484(ペブルビーチ/カリフォルニア)
こちらもショート・シャシーに架装したスプリントで、同じモチーフながら、癖のない上品さはいかにも「ピニンファリナ」らしい。ツーリングと共に正式なカタログ・モデルである。
(04-2e) 1953 1900 C Super Coupe by Ghia (コンコルソ・イタリアーナ)
同じ1900 Cに「カロセリア・ギア」が架装したクーペで、カタログ・モデルにはならなかった。細部が異なる写真が残されているので何台か造られたのか、オリジナルを手直ししたものか僕の資料からは確認出来なかったが、サイドグリルが凹んだこのフロント構成はいかにも空気抵抗が多そうだ。
(04-3a) 1954 1900 C Super Sport Coupe by Ghia(ペブルビーチ/カリフォルニア)
1954年からはエンジンが1975ccの「SS」に変わったが、「ギア」のモチーフは前年と変わらず、サイドグリルの凹みが無くなりヘッドライトがグリル内からフェンダーの先端に移った。斬新な縦長のヘッドライト処理は「ギア」のアイデアかと調べてみたが同年代に「ギア」が発表した他の試作車でも試されてはいない。しかしこの年の「ビュイック」とそっくりではある。
(参考・1954 Buick Super Riviera Coupe)
(04-3b) 1955 1900 C SS Coupe by Ghia(コンコルソ・イタリアーノ/カリフォルニア)
3年にわたって続いた「ギア」のスペシャル・バージョンとしては最後となるモデルで、前年に較べ丸みが取れシャープな印象を受ける。フロントガラスが当時世界的に流行していた「ラップアラウンド」になっているのもアメリカの影響によるもので、デザインの本家イタリアのオリジナルではない。
(04-3c) 1955 1900 C Super Sprint Coupe by Touring Type1484
ツーリング製のこのタイプはカタログ・モデルで第1世代の「スーパー・スプリント」の中では一番多く造られたから海外のイベントでは見かける機会も多い。写真は1989年神戸のポートアイランドで開かれた「モンテ・ミリア」で撮影したもので当時国内では大変珍しい車だった。
(04-3d) 1955 1900 C Super Sprint Coupe by Zagato Type1484(ブレシア/ミッレ・ミリア)
こちらも第1世代の「スーパー・スプリント」で、顔立ちの造作は「ツーリング」と変わらないがボンネット中央の盛り上がりが一段と力強く、男性的でより精悍な印象を受ける。カタログ・モデルではないが相当数が造られたようで僕のパソコンには10台分の写真が収まっている。
(04-3e) 1957 1900 C Super Sprint Coupe by Touring Type1484
カタログ・モデルの「ツーリング」製は1957年からは第2世代となり58年で生産を終了した。1954年には1.3リッターの「ジュリエッタ」シリーズが誕生しているが、「1900」シリーズはそのまま併売が続いた。しかしその外見はスカリオーネのデザインで「ベルトーネ」が生産した「ジュリエッタ・スプリント」の影響を強く受けている。写真はサンマリノのチェックポイントからお土産屋の並ぶ狭い急坂を駆け下りてくるシーン。
(05)<1900 C52ディスコ・ヴォランテ 2000>
順序はやや前後するが1950年の純戦後型1900シリーズが軌道に乗り、暫らく途絶えていた「スーパー・スポーツ」復活の野望を実現する環境が整った。サッタとコロンボのコンビで出来るだけ「1900」のパーツを流用して高性能レーシングカーを作ろうと言うプロジェクトが1952年スタートした。「1900 C52 2000」が正式名で、「ディスコ・ヴォランテ」という名称はその姿が当時話題の「空飛ぶ円盤」を連想するところから付けられた「ニックネーム」だったが、今ではすべての出版物でも「型式」よりも「ニックネーム」の方が主役になっている感じだ。エンジンは「1900」の4気筒DOHC 1884cc シングル・キャブ 80hp/4800rpmをボア・アップし1997.4cc 4キャブ 158hp/6500rpmに強化して使用している。このモデルは3台(スパイダー2、クーペ1)造られ、他に6気筒3リッター版も2台造られた。ミッレ・ミリアを想定して開発された車だが実力不足と判定されレースには出走しなかった。
(05-1a,b,c,d) 1952 1900 C52 DiscoVolante 2000 Spider by Touring(ミュージアム)
カメラのいたずらで17ミリレンズを使って思いっきり接近した写真なので本物はこれ程でもない。レースで活躍した訳ではないのに、この特異なスタイルから戦後のアルファ・ロメオを語る際、必ずと言って良いほど登場する話題作だ。<この車の最初のオーナーは当時のイタリアのトップ女優ジーナ・ロロブリジータで、購入したその日に直線路で宙を飛んで道路から外れ事故を起こした>と書かれた物を見た事が有るが、どこまで信じたら良いのか。でもあの形なら浮力が付いて浮き上がってもおかしくない、と僕の本心は思う。ところがこの車にはアンダー・カバーが付いており上下両面の空気の流れに差がつかないように空力的配慮がなされていたから、浮き上がることはなかった、と信じたい。(上面だけが膨らんで気速が早いと空気が薄くなり、吸い寄せられて浮力を生じるのは飛行機の翼と同じ)
(05-2a,b) 1953 1900 C52 Disco Volante 2000 Coupe by Touring(ミュージアム)
この車のイメージが「空飛ぶ円盤」という事から公表される写真は上半身を強調した物が多い。だから、僕の頭の中でもすごく格好良い車だと思っていたところ、現物を見て一寸意外だった。それは今まであまり気にしていなかった下半身との関係がなんともアンバランスに感じた事だ。16インチのタイアが異様に大きく見え、吃水線から下が丸出しだ!何とも腰高のボディは借り物か、それともこれから所定の位置に取り付ける途中ではないか、と思わせる程だ。
(05-3) 1953 1900 C52 Disco Volante 2000 Spider by Touring
写真はミュールーズのフランス国立自動車博物館(旧シュルンプ・コレクション)所蔵の車で、3台造られた内の1台だがこの車は特徴である脇の膨らみが平に整形され、ホイールアーチも普通の形に切り込まれ、はたして「ディスコ・ヴォランテ」と呼んでいいのだろうかと迷う。これは実戦での競り合いで接触を避けるための変身で、このナローボディだけは幾つかのローカル・レースに参戦している。
(05-4) 1954 Spider 1900 Sport Prototipo(グッドウッド/イギリス)
この車は1997年ミュージアム、2004年グッドウッドと2回撮影しているが、4気筒、1997.4cc, 138hp/6500rpm, 220km/hと言うデータの他いまいち素性がはっきりしない。ミュージアムの表示に従って「1900」シリーズに分類したがエンジンはデータから推測すれば「ディスコ・ヴォランテ2000」の可能性が高い。しかしこの車がその後実用化された記録は見つけることが出来なかった。唯一このスタイルの外見を踏襲したのは1967年に登場した「33/2 スポルト・プロトタイプ」でそのエンジンは1995ccだがそれはV8だった。
(06) < 1953 6C3000 CM >
「1900 C52 ディスコ・ヴォランテ」に6気筒3リッター・バージョンがあったことから誤解されやすいが、この「6C 3000 CM」は完全に別物である。勿論「1900 C52」の経験を踏まえた上の進化形ではあるが、より実践的な方向を目指し新しく設計された。エンジンは1948-49年に試作した大型乗用車用の6C 2955ccを強化したもので、このエンジンをボア・アップして3495cc としているから、車名は「6C 3500 CM」となりそうなものだが、ベースとなったエンジンの顔を立てたのか、それとも開発当初は3リッターだったのか。ボディは4台のクーペと2台のスパイダーがミラノの「コッリ」という小規模な工房で造られた。今や伝説となっているのが 1953年のミッレミリアでの奇跡で、ファンジオは左前輪が故障して操舵不良となった車で、踏ん張れない右コーナーではボディを壁にこするなどテクニックでカバーしつつ、目前の優勝は逃したものの2位でゴールした。
(06-1a) 1953 6C 3000 CM Coupe by Coli (ラグナ・セカ/カリフォルニア)
4台造られたクーペの内の1台だが、実際にレースを走った車の写真は継ぎはぎだらけの手作り感一杯なのに、現在はすっかりお化粧直しされている。どこか整形しているかと探しても見当たらない。不思議だ。
(06-2) 1953 6C 3000 CM Spider by Coli (モンテ・ミリア/神戸・ポートピア広場)
2台の内1台はミラノのアルファ・ミュージアムに有り、残りの1台が日本に有った。クーペはヘッドライトがむき出しだがスパイダーはカバーに覆われている。2台共美しく磨き上げられたコンクール・コンディションを保っている。
06-3) 1954 6C 3000 PR Spider by Coli (グッドウッド/イギリス)
この車はスパイダーなのにヘッドライトがむき出しだし、2台しかないはずなのに3台目とは何なんだと思ったら、3リッターの国際スポーツカーレースのカテゴリーに合わせて2943ccにスケールダウンした車だった。だからこちらは正真正銘「6C 3000」だ。
(07-1a,b) 1954 B.A.T. 7 (Berlina Aerodinamica Technica)(グッドウッド/イギリス)
B.A.T.シリーズはアルファ・ロメオの1900スプリントによるショー・モデルで、当時としては、あっと驚く近未来的な、とても自動車とは思えないような、どちらかといえばモダンアートの「オブジェ」でも見るような、とこのくらい前書きを並べたくなる程時代を先取りしていた。当時のチーフ・デザイナーだったフランコ・スカリオーネのデザインでベルトーネが造った。1953年の「B.A.T.5」、1954年の「B.A.T.7」、1955年の「B.A.T.9」と3年連続で発表された野心作で、この発想は後年の「ジュリエッタSS」でカタログ・モデルとして具体化した。だから次回の「ジュリエッタ」のところに回すべきか迷ったが、ベースとなったのが「1900スプリント」だったので、ここに登場させた。
(08) 1951 1900M AR51 Type1412 (ミュージアム)
今回最後に登場するのが「1900」シリーズのミリタリー版、いわゆるジープ・タイプの「AR51」で、外観はアメリカの「ウイリス・ジープ」の流れを汲む世界共通の顔をもっている。しかしグリルの中にさりげなく楯形が見える点にご注目。アルファ・ロメオの軍用車は第2次大戦中1939-42年にかけて当時の主力乗用車「6C 2500」のシャシーに19インチの大径タイヤと,シンプルな4座フェートンのボディを載せた「コロニアーレ」があったが、この「AR51」はその後継モデルではない。車名は1951-53年が「AR51」で1954年は「AR52」となるが殆ど変化なく型式も「Type1412」で変わらない。
今回は戦前から引き継いた「6C2500」の戦後版と、戦後初のモデル「1900シリーズ」で一杯になってしまった。このあとはアルファ・ロメオの中でも最も複雑な「ジュリエッッタ/ジュリア」シリーズで、ますます深みにはまりそうだ。