<AC>(英)
(写真1)1912 AC Sociable (1999年グッドウッド/イギリス)
1900年前後の創世期、自動車の構造が確立する以前に「ドデオンブートン」が考え出したスタイルで各社で採用されたからこのタイプは今でも博物館でよく見かける。
(写真2)1922 Joyce-AC (2007年 グッドウッド/イギリス)
ブルックランズ・コースでライトカー・クラス100マイル超えに最初に成功した車で、この記録を狙っていたライバルのアストンマーチンの鼻をあかした。
(写真3)1937 AC 16/80 (2007年 グッドウッド/イギリス)
30年代後半のイギリス車の公式通りでスタイルにはこれといった特徴がない。僕は基本的に補助光を使わないが、この時はなぜかストロボが発光しており、陰影がないので切り抜いた写真を貼り付けたようだ。
(写真4) 1960 AC Ase (2000年 グッドウッド/イギリス)
1950年代に市販されたスポーツカーは、MGをはじめオースチン・ヒーレー、アストンマーチン、フェラーリ、ジャガー、ロータス、モーガン、ペガソ、ポルシェ、シンガー、サンビーム、トライアンフなど、国内に入ったものは殆どが僕のカメラの餌食になったが、ACだけは白黒フィルム時代遂に捉えることが出来なかった車だ。多分当時国内には存在していなかったのだろう。
(写真5)1957 AC Ace LeMans (2008年 明治神宮/原宿)
ACにルマンというモデルがあったかは僕の資料からは確認できなかったが、ACは1957年からルマンに参戦しており、グリルが普通の楕円型で写真の車とは異なるがNo31が総合10位、クラス2位となっている。
(写真6)1956 AC Aceca Bristol (2008年 明治神宮/原宿)
この時期のACはオープン・タイプが「Ace」、クーペが「Aceca」と別のモデル扱いとなって居る。両タイプ共に自前の他にブリストル社製のエンジン付きが多数あり、ボンネット上の丸いACのエンブレムの下半分に囲むようにBrisutolとはいっているのが識別点。
(写真7)1962-68 AC Cobra 289 (2010年 グッドウッド/イギリス)
1961年、エンジン供給先のブリストルが自製を止めたため、一時的に英フォードのエンジンを載せて「AC 2.6」(2553cc)となったが、アメリカのキャロル・シェルビーからACのシャシーにフォードV8エンジンを載せた、いわゆる「アングロ・アメリカン」の提案があり「コブラ」は誕生した。1962年「260」(4260cc)からスタートし、1963年には「289」(4727cc)となった。写真の車はフェンダーに張り出しのないスタンダード・タイプ。
(写真8)1962-68 AC Sherby Cobra 289 (2010年 グッドウッド/イギリス)
こちらは同じ「289」でも強化型でフェンダーに張り出しがあるレース仕様。初期のコブラ(260、289)のシャシーは基本的にはエースを強化したものなので「シェルビー」の息がかかっているとしても「AC」と呼ぶことに抵抗はない。ボンネットにも丸いACのバッジが見える。
(写真9) 1962-68 AC Sherby Cobra 289 (2010年 グッドウッド/イギリス)
正直なところ「260」と「289」の外見の違いはよく判らない。だから289の区分けの中に260が入っているかも知れないが「Power by Ford」だけでは判定出来ない。しかしこの写真は間違えなく「289」で、フロントフェンダーにエア・アウトレットが有るのは少数の英国向けだけと言われるが、アメリカでも沢山見かけた。
(写真10)1965 AC Sherby Cobra 427 (2000年 グッドウッド/イギリス)
写真の車は僕らがイメージする「コブラ」の典型的なもので、こんもりと張り出したマッチョの姿こそパワーの象徴だ。これはコンペティション・バージョンで485hpを支える極太タイアをクリアーする為だ。ここまで来ると完全にエースとは別物のシャシーで、「シェルビー・コブラ」と呼ぶべきか「AC・コブラ」と呼ぶべきか迷う所だ。
(写真11)1966 AC Sherby Cobra 427 (2004年 グッドウッド/イギリス)
「427」のモデル名は排気量が427キュービック・インチ(6997cc)から来ている。同じ427でも写真の車はストリート・バージョンで、極端なフェンダーの張り出しは無い。
(写真12)1964-66 AC Sherby Cobra 427 (1999年 ラグナ・セカ/カリフォルニア)
テンガロン・ハットを被った似顔が書いてある「キャロル・シェルビー・チーム」のトレーラー・ハウスの前に止まっていた車なので、サインは本物だろう。
(写真13)1967 AC 428 Frua Convertible (2010年 グッドウッド/イギリス)
このシリーズはコブラ427と同じエンジンをマイルドに仕立てフルアのボディを載せた
豪華GTで「AC427」(69987cc)としてスタートし、1967年からはエンジンが大きくなって「AC428」(7016cc)となる。両モデルは外見は同じで排気量が違うだけ。
<AEC>(エーイーシー・英)
(写真14)1960 AEC Regend Ⅲ (2007年 ビューリー博物館/イギリス)
ロンドンの2階建てバスの歴史は古く、乗合馬車の時代から狭い市街地で輸送力を強化するために必然的に発生したもので、自動車に切り替わった当初から既に存在していた。車種はAEC(Associated Eqipment Company)の独占で、写真の「レジェンド」の他、「ルートマスター」モデルが有名である。
<アドラー>(独)
(写真15)1936 Adler Trumph 7A Cabriolet (2008年 シュパイヤー博物館/ドイツ)
アドラーは戦前数台輸入されただけで、戦後は4輪車の製造はしていないので日本では極めて知名度が低い車だ。車名のアドラーとは「鷲」のことで正面に大きく羽ばたくエンブレムは印象的だ。トルンプ・シリーズは当時としては数少ないFWD(前輪駆動)でかなり人気があった。
(写真16)1928 Adler Standard 6S (2008年 シュパイヤー博物館/ドイツ)
アドラー社の歴史は古く1900年にはドディオンブートンのエンジンを使って4輪車を造り始めている。その後も順調にラインアップを広げ1リッターから9.1リッターまで多数のモデルを製造した。
<アエロ>(チェッコ)
(写真17)1939 Aero Model 50 Sodomka Special
(1991年 ワールド・ヴィンテージカー・オークション/幕張)
ベースとなったアエロ50についてはいまイチ詳細が判らないが、コーチビルダーの「ソドムカ」はかなり名の通った会社でタトラやブガッティなども手がけている。年代から見るといわゆる「流線型」の時代で同時期の「リンカーン・コンチネンタル」などとも共通したイメージが感じられる。
<アーレン・フォックス>(米)
(写真18)1924 Ahrens-Fox Pomper/Ladder (2006年 四谷・消防博物館)
初期の消防自動車としては名の通った会社で丸い大きなボールが圧力調整の秘密らしい。
(写真19)1948 Ahrens-Fox Model H-T (2008年 ドイツ・シュパイヤー博物館)
外国で見た24年後の車にも大きなボールは付いていた。
<愛知機械工業>(日)
(写真20)1962 Cony Guppy Sport Model AF8 (2007年 トヨタ博物館)
熱帯魚で一番小さな名前を付けただけあって、本当に小ちゃな可愛い車だ。オート3輪「ジャイアント」や「コニー360」などを造っていた軽トラックメーカーで、「グッピー」もピックアップ・トラックとして誕生した。軽の枠一杯の360ccでは無く199ccというスクーター並みのエンジンに岡村製作所のトルコンを組み合わせイージードライブを狙った。写真の車はお洒落なスポーツモデルで、一応「オープン2シーター」である。
<AKスペシャル/エル・カバロ>(米)
(写真21)1953 El Caballo Special (1999年 ラグナセカ/カリフォルニア)
この車はアクトン・ミラーというマニアが1927年のT型フォードのシャシーにオールズモビルのV8エンジンを載せて造ったスペシャルで、1953年「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ」に参加し手元資料によると総合14位と大健闘している。今でも現役でイギリスにも遠征して「AKスペシャル」で登録しているが、アメリカでエントリーするときは「エル・カバロ」とメキシコ風の「昔の名前で」出ています。
<アカディアン>(カナダ)
(写真22)1963 Akadian Beaumont 2dr Sedan (1966年 原宿・表参道)
アカディアンはシボレー・シェビーⅡのカナダGM版でグリル中央に仕切りがあるところはポンティアック風だ。この車はイギリス車のデーラー「日英自動車」の扱いだと聞いて、カナダは英連邦の一員だから?と早合点したが、当時日英ではポンティアックも扱っていたそうだ。オートショーでの値段は239万円で本家の「シェビーⅡ」より30万円安かった。
<アルバネージ>(伊)
(写真23)1951 Albanesi 1100 Sport (1997年 ミッレミリア・サンマリノ)
この手の無名のハンドメイド・スペシャルは「1100」と付いていれば間違えなくベースは「フィアット」で、文献や情報は殆どないが仲間はかなり多い。見たことも聞いたこともない正体不明の車が突然目の前に出現する楽しさはミッレミリアならではで、若い頃街中で珍しい車を見つけた時の興奮を思い出す。背景はサンマリノのチェックポイントで衛兵にガードされたお偉方がズラリと並ぶ。後ろのレストランの名前はなんと「TABERNA」(食べるな!)って出来過ぎだ。
<アラード>(英)
「アングロ・アメリカン」と呼ばれる車がある。車名ではない。イギリス製のシャシーにアメリカ製のエンジンを載せた混血車の事で、1930年代「レイルトン」が考え出し、戦後は「アラード」の他「ジェンセン」「ACコブラ」「アタランタ」なども同じ仲間だ。スポーツカーのエンジンと言えば「極めて高品質で高性能で、時には扱いにくく、気難しく、選び抜かれた特別な物」だったから、これとは正反対の特性を持っているアメリカ製のV8エンジンなどはジェントルマン・ドライバーから見れば同じスポーツカーの仲間とは考えたく無かっただろうが、皮肉なことに性能的には「ラゴンダ」「インビクタ」「ベントレー」などの高級車に遜色ない能力を持っていた。そこで悔し紛れに付けた蔑称は「Angro-American Sports Basterd」(アメリカ女に産ませた混血の私生児)だった。だからイギリス国内よりは主にアメリカで活躍した。
(写真24)1948 Allard K1 Roadster(4949cc) (1995年 ラグナセカ/カリフォルニア)
ロンドンでフォードのディーラーを経営していた「シドニー・アラード」は1936年フォードをベースに自分用のスペシャルを作ったが、メーカーとして生産を始めたのは戦後の1946年からだ。写真は第1世代のもので、現代の目から見ればホット・ロッドのようだが当時はサイクルフェンダーがクラシカルなスポーツカーと映ったようで、アメリカでは人気があった。写真のこの形は「J1]ではないかと思ったが本人申告が「K1]となっていたのでそれに従った。
(写真25)1949 Allad K1 Roadster(3920cc)(2004年 プレスコット・サーキット/イギリス)
初代のアラードは車体の形態によってモデル名が付けられていた。「J1」2座スポーツ、「K1」2座ロードスター、「L1」4座トゥアラー、「M1」4座ドロップヘッド・クーペ、「P1」2ドア・サルーンの5種が用意された。写真の車はヒルクライムで有名なイギリスのプレスコットで撮影したもので、アメリカへ渡らなかった生き残り?で、少々くたびれているがオリジナルが良く保たれている。
(写真26)1950 Allard J2 Sports 2seater (1999年 ペブルビーチ/カリフォルニア)
1949年から第2世代に入り5角形のグリルとなった。写真はペブルビーチのコンクール・デレガンスに参加した車で、このコンクールの伝統に従って新車当時より綺麗にピカピカに磨き上げられているがこの車の雰囲気としては出来すぎかも。スポーク・ホイールもアラードらしさと言う点ではマイナスだ。
(写真27)1952 Allard K2 Roadster (2004年 ラグナセカ/カリフォルニア)
1950年から第2世代となった「K2」は「K1」と殆ど同じイメージのボディに5角形のグリルを付けて登場した。無骨な2重のバンパーと4つのオーバーライダーはあまり格好良くはないが、しっかりとオリジナルを残している。
(写真28)1953 Allard J2X Sports 2seater(5500cc) (1999年 ラグナセカ/カリフォルニア)
「J2」は1951年11月エンジンの位置が前進しノーズが165ミリ伸びて「J2X」となった。アラードは殆どがシャシーのみでアメリカに送られ、標準エンジンはマーキュリー・ベースのSV V8 4.4リッターが用意されたが、多くはキャディラック、リンカーン、クライスラーなどもっとパワフルなものを選択した。
(写真29)1992 Allard J2XC Group C Prototype (2007年 グッドウッド/イギリス)
この車は血縁的にはアラードとは関係ない。クリス・ハンバーストンなる人物がコスワースのV8 3.5リッターエンジンを使ってスポーツカーを造り「アラード」の名前を復活させたもので、アラードに対する根強い支持者がある証拠といえよう。
<アルピーヌ・ルノー>(仏)
「アルピーヌ」がルノーのチューナーなのか独立したメーカーなのかは、「アバルト」とフィアットの関係と似ている。少なくともルノー無くしてはアルピーヌは存在しなかった関係だ。これもご他聞に漏れずフランスの地方都市で父親がルノーの代理店を経営していたジャン・レデールが、当時最も手に入りやすかったルノー4CVをチューンしローカルレースを手始めに1952年にはルマン完走を果たす。55年からは強化した生産車の販売を始めこの年ミッレミリアでクラス優勝した所から56年からは「アルピーヌ・ミッレミリアA106」として本格的に生産を開始した。「A106」の名前はルノー106系エンジンを使用している事を示しており、このあと「A108」「A110」と進化する。(よく似た「アルピナ」はドイツの別会社でBMWの項で紹介予定)
(写真30)1954 Renault 4CV VP Special (2002年 レトロモビル/パリ)
ジャン・レデールの車ではないが当時同じ発想で改造された4CVのスペシャルの1台を参考に取りあげた。(それにしても、レトロモビルは展示スペースがギリギリでカメラ泣かせだ)
(写真31)1963-69 Alpine Coupe GT4S (A108/ A110) (1980年 明治神宮絵画館前)
2+2のファミリー用は1961年から「クーペ2+2 A108」として2座と同じシャシーで造られていたが、1963年ホイールベースを170ミリ伸ばしボディも造り変えて「クーペGT4S」として69年まで造られた。車の性格としては大人しいファミリー・ユースを狙ったもので、同じ2+2でも1971年デビューした「A310」の方は高性能GTなのでファミリー用のこの車の後継車ではない。
(写真32)1967 Alpine A110(A108?」 (1981年 筑波サーキット)
僕は残念ながら「A106」と「A108」の写真を撮っていない。しかし写真の車はプログラムでは「A110」となっていたが、左右のヘッドライトの下にエアインテークが無い外観の特徴は「A108」ではないかと思われる。(次の写真と同じに見えますか?)
(写真33)1966 Alpine A110 (1989年 明治公園・東京)
「A110」シリーズは1964年「950」からスタートし、このあと「1100」「1300」「1500」「1600」と排気量が増えるとともに「獰猛な野獣」と化して行くのだが、初代の何もついていないスリムで可憐なこのスタイルが好きだ。
(写真34)1970 Alpine A110 1600S (1980年 筑波サーキット)
A110シリーズのエンジンはルノーR8の「R1100」系が使われ、一部は「ゴルディーニ」の手で様々なチューニングが行われている。手元のスペック一覧表によれば19ものバリエーションが乗っており代表して一番大きい1600 シリーズから1枚選んだ。1968年以降はすべてボンネットに一対のドライビング・ランプが埋め込まれている。(写真はこのあとA310シリーズに飛ぶが、アルピーヌにはルマンに挑戦したA210.220シリーズのロング・テールの車があった。本物を見た事はないがフランスのエレール社のプラモデルを持っていた。死ぬまでに組み立てられそうもないので「青い車」が好きな知人に差し上げてしまったが箱絵の写真でも撮っておけばよかった。)
(写真35)1977 Alpine A310 V6 (1977年 東京外車ショー/晴海貿易センター)
A310はポルシェを視野に入れた高性能GTを目指して1971年誕生した。エンジンは当時最強の1600Sが使われたが、期待に反してアンダーパワーと評価され、新たにプジョー、ルノー、ヴォルボ3社が共同開発中のPRV 2.8リッターV6エンジンに白羽の矢がたち、5年後の1976年ようやく強力バージョンが実現した。写真はショーの目玉として日本に初登場した時の物で、展示されただけで帰国してしまったようだ。
(写真36)1978 Alpine-Renault A443 (2010年 グッドウッド/イギリス)
アルピーヌは1952年ルノー4CVで完走を果たして以来、ルマンでの優勝を目指して1960年代にはA210/M63からM69までロングテールの挑戦が続き「M64・M65」がクラス優勝するも総合優勝を狙った3リッター・クラスではポルシェには歯が立たなかった。写真の車は1978年ルマンに出場した車で2.2リッターV6ターボ・エンジン付き。優勝車は同僚の②番でシャンゼリゼをパレードしている写真を見たが①番の順位は28位だった。
(写真37)1976 Renault 5(サンク)Alpine (1985年 筑波サーキット)
A110シリーズの「アルピーヌ」は「ゴルディーニ」のチューニングによって高性能化を図っているが、この「サンク」での「アルピーヌ」は完全にルノーの「チューナー」の立場だ。ベースの「ルノー・サンク」は格好の巣材で、「ノーマル」「アルピーヌ・チューン」「ターボ」「ターボ2」と、どんどん過激になっていく姿はいつの日か「R」の項で登場予定。
思いっきり頑張ったが「A項」もまだこんなものか。次回は大物「アルファロメオ」の登場で、創世期から殆どのモデルがあり、どこまで絞るか、魅力的な車が多いだけに頭が痛い。