三樹書房
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kataoka
第10回 雨と霧と雲と
2012.8.27

 彼は一年に少なくとも一度は、オートバイで雨の中を走り、ずぶ れになりたいと感じていて、ほとんどいつも、その感じているとおりにしている。春おそくから夏の終わりまでの季節にかぎられてくるけれども、どしゃ降りの雨のなかで愛車ごと、どこもかしこも濡れまくるのは、悪いことではない。
 対向車の長距離トラックは、河のように雨水が流れている路面から、水を逆さの滝のようにはねあげる。オートバイで走っていると、この水が、ちょうど顔にたたきつけられる。小石がまじっていることもしばしばで、ヘルメットをかむっていないときには、こめかみにコキーンと当たる。口の中にも、この水は飛びこむ。口の中はじゃりじゃりになる。口をあけて走り、夏の終わりの雨嵐あまあらしの雨をうけ、うがいしてみたり。雨もなかなか楽しい。
 S字の連続でトラックの対向車が多いときには、右にかたむいているときに顔へまともに水が叩きつけられ、直線の部分では横から浴び、左にかたむくときには彼を右から押し倒すように、滝の水がくる。これが面白くてやめられない。
 日本語には、雨を形容する言葉が多い。言葉にあるとおりの雨をひとつずつ体験したいという希望が彼の内部で燃えているようだ。
 そして、雨に関するいまひとつの希望は、梅雨つゆなのだ。沖縄おきなわが梅雨入りをするころ、九州の南端で愛車とともに雨を待ちうけ、九州が梅雨入りしたら、その雨と共に北上していく。
 中国、四国、山陽、紀伊と、梅雨のエリアの広がりにつれてオートバイで走っていき、雨と追いつ追われつする。
 こんな調子で本州の北端まで雨と共に走って日本の雨を体験し、北海道にむかって海峡をこえるころ、雨に別れを告げる。そして、雨のない北海道で初夏をむかえたのち、本州に帰ってきて、九州の南端まで、別ルートで走りなおす。こんどは、梅雨明けの夏のなかを走る。こんなふうに、彼にとって重要な季節感と共に走るツーリングが、彼の希望であり夢であるのだ。
 雨も素晴らしいが、霧も彼は好きだ。
 霧は実に不思議だ。ようするに水なのだが、オートバイと彼をとりかこみ、彼にむかって濃く流れてくる霧のぜんたいが、生命を持った生き物のようだ。地球の創世のころから、地球がSF的未来においてまったく別な異星に変身する時代までひとつにつながって生きている、幻想的な生き物だ。霧のなかには、大過去と大未来が、いっしょにある。
 霧は、からみついてくる。追い払えば、ふわあっと後退し、そこへまた別の霧が、流れこんでくる。口のなかに飲みこむこともできるし、燃料タンクやヘッドランプのガラスのうえで水にしてしまうことだってできる。視界をふさいで、奥行きを完全に消してしまうあたり、ちょっとした魔法のようだ。
 濃霧につつみこまれたまっただなか、タイアがひろっては伝えてよこす路面の感覚だけを頼りに走っていて、なにかのひょうしに霧が流れ、自分のオートバイのハンドルまわりとタンクの上半分くらいが白い霧のなかに見えたりすると、霧の海という空間を飛んでいるような気持になる。これも、幻想的な感覚として、病みつきになりそうだと彼は言う。
 新しく舗装された道路は、路面のはじっこが昔のようにカマボコの両はじのように傾斜していないことが多い。だから霧のなかで路肩へ寄っても、傾きだけでは気のつかないことがしばしばだが、小さな石が散っているのは昔と変わらず、この小石をタイアがひろい、フレームやマフラーに、カン、カン、と当たる。こういう音を聞いたりするのが大好きで、濃霧にも、一年に一度は 出逢であうようにしている。
 林のなかの道を走っていて、霧が上空にむかって縦にほんのすこしだけ晴れることがある。ハンドルのあたりから、両側の樹のてっぺんあたりまでが、濃霧のなかにぼうっと白くにじんで見える。このときの感覚も、不思議なものだ。縦に霧の晴れた空間が、オートバイの移動にぴったりとあわせてついてくるときは、白い底なしの空間のなかの、どこともわからない奇妙な中間地点を浮遊しているように感じられる。
 雲も、素敵だ。西陽をうけてまっ赤にそそり立った入道雲を目ざし、夏の終わりのシーサイド・ハイウェイを走ったことはまず忘れっこない感動的な体験だと彼は言うし、トライアル用のバイクでのぼりついた高い山のてっぺんで、峰から峰へ流れる白い雲のなかを走ったときの、あの雲の不思議な冷たさを、いま、彼は自分のほおや首すじに思い出すという。


2012-08-24片岡さん第10回09.jpg

写真:片岡義男

NEWS
先月、片岡義男さんの新刊が発売されました。
『洋食屋から歩いて5分』(東京書籍)
街を歩く、街で食べる――「食べる」ということをテーマにしたエッセイ集です。

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執筆者プロフィール

1940年(昭和15年)、東京都生まれ。早稲田大学在学中からエッセイ、コラム、翻訳などを「ミステリマガジン」などの雑誌に発表。評論の分野では、1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。また、植草甚一らと共に草創期の「宝島」編集長も務める。1974年『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。代表作である『スローなブギにしてくれ』、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』などが映画化。近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、写真家としても活躍。著書に『木曜日を左に曲がる』『階段を駆け上がる』(ともに左右社)『白い指先の小説』(毎日新聞社)『青年の完璧な幸福』(スイッチパブリッシング)ほか多数。

関連書籍
『木曜日を左に曲がる』(左右社)
『階段を駆け上がる』(左右社)
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