東京の街が自由に路上駐車出来なくなると、地下駐車場に停める車が増え「街角で」をモットーにして来た僕にとって獲物を見つける確率が極度に低くなった。苦肉の策としてイベントやレース場など車の集まりそう場所に行ってみようと思いついた。その狙いは的中し、数々の珍しい車をさしたる努力もなく見つける近道を手に入れた。「街角で」という偶然性と、背景に映り込んでいる「時代の記録的価値」は失われたとしても、いろいろな車に出逢いたいという本来の目的は十分過ぎるほど満たされた。今回は1980年11月24日「SCCJヒストリックスポーツカー・ミーティング」と1984年7月1日「20thTACS富士クラシックカー・ジャンボリー」で撮影した355枚から選び抜いた一部をお送りする。
<市販車>
1973 Honda Life Pickup
ライフ・ステップバンも人気があったが希少価値のピックアップは見た目もかわいい!
1964 Mini Moke
数あるミニのバリエーションの中でもっともワイルドなバージョンだが、これは居住性が良さそうだ。
1968-69 Rilley kestyrel 1300 MkⅡ
ミニの兄貴分ADO16シリーズはライレーの他にグリルの異なるオースチン、モーリス、MG,ウーズレー、ヴァンデンプラス・プリンセスと6人兄弟だがライレー・ケストレルは多分1台しかなかったはず。
1969- Austin Mini Culbman 1275GT
ミニのリニューアル版として登場したが、個性に乏しくいまいち人気が出ずに終わったからあまり一般には知られていない。
1976 Alpina Renault 5
アルピナ・チューンのルノーと言うだけでも過激だが、この後巨大なオーバー・フェンダー付きの「ターボ」も登場した。
1974 Volks Wagen TypeⅠ
1940年型フォード風のグリルとボンネット付き。
1963 Volks Wagen TypeⅡ 23Window「Samba」
タイプⅡには「バン」「ピックアップ」「ワゴン」にそれぞれ多くのバリエーションが存在するが、その中で最上位が「サンバ」と呼ばれるこの23ウインドウで、後端のカーブ部分の無い21ウインドウ・モデルもある。
1968 Volks Wagen TypeⅡ
1967年からフロントウインドウが1枚となり「ベイウインドウ」タイプと呼ばれる。写真の車は比較的珍しい一つ窓のパネルバンだが地味な車も明るいトロピカルな雰囲気に変身!
1967 BMW 1600GT Coupe
BMWらしくない雰囲気のこの車は,実は合併前フルアがデザインした旧グラース社の1700GT最後の姿だ。
1978-84 Porsche 928 Hatchback Coupe
ポルシェのフラッグシップを目指して造られたV8、水冷、4474cc F/R の大型豪華車で1995年まで長期間存在したが、あまり目にする機会はなかった。
1983-85 Porsche 944 Carrera GT
924と928の中間を埋めるため928のV8エンジンの半分を使って造られた。914,924,944と続くポルシェらしくないVW提携シリーズの一員。
<スポーツカー>
1949 Allard J2
「アングロ-アメリカン」としては古参で1946年スタートした。自製シャシーにアメリカ製の強力エンジンを載せ、高い戦闘力で「高価な」スポーツカーに対抗したが、イギリスでは本物と認めたがらない風潮もあり、主にアメリカで活躍した。この車は一番小さい3913cc(フォードV8)付きだがキャディラックの5420cc付きもある。
1955-59 MG MGA 1500 Roadster
街中でスポーツカーなど珍しい時代に一番ポピュラーだったのが「MG」だった。戦前の名残をとどめるTD、TFを経てライバルに少々遅れて登場した。その後殆どイメージを変えることなく1962年まで作られた傑作デザインと言える。
1958 MG MGA Fixed Head Coupe
クラシック・ガレージで手を入れてレース仕様に仕上げた「MGA」で、ノーマルと比べるといかにも速そう!!
1953-55 Triumph TR2
内側寄りで飛び出した目玉、大きく開いた口、トライアンフのTRシリーズはよく見ると「フロッグアイ」とか「カニ目」とか言われた「ヒーレー・スプライト」より面白い顔をしているが、この顔つきについてのニックネームは聞いた覚えがない。
1958 Triumph TR3
Eggcrate (たまご輸送箱)と言われるグリルがついた以外には外見はTR2と殆ど変わりない。現役時代が外貨事情の悪かった時期と重なったせいか、台数が少なく街中では1回しか出会っていない。
1955 Mercedes Benz 300SL Coupe
僕が1959年、街中でたった1回だけ写真に撮った「300SL」は、第2世代の「ロードスター」だった。本物の「ガルウイング・クーペ」には、1978年のクラシックカー・イベントで出会うまで19年かかった。その後日本にも数が増え時々見かける様になったが、何度見ても素晴らしい車だ。
1960 Aston Martin BD4 GT Zagato
戦前からの長い歴史を持つアストン・マーチン社も1947年にはデビッド・ブラウン社に買収され、以後「DB」シリーズがスタートした。「DB4」にはノーマルの他、ショートホイールベースの「DB4GT」があり、さらに軽量化された「DB4GTザガート」があった。「22XKX」はロンドン・ショーにも展示されたそのプロトタイプで、ワークス時代スターリング・モスがドライブした車だ。
1961 Alfa Romeo Giulietta SZ (Sprint Zagato)
SZシリーズは1959-61のお尻が丸い前期型と1961-62のすっぽり切れたコーダ・トロンカの後期型があるが、分類上の形式は両者とも「Type101.26」で変わらない。見た目は丸い方が可愛くて好きだが、お尻をカットして性能上どれ程効果があったのだろうか?
1964 Alfa Romeo Giulia TZ (Tubolare Zagato)
「ジュリエッタ」は1962年からひと回り大きくなって「ジュリア」となったが「SZ」はベーシック・モデルとは全く別物の、鋼管スペース・フレームで組み上げられた強力なレーシングカーに生まれ変わった。TZはチュボラーレ・ザガートの略だが、鋼管スペース・フレームの市販車は他にベンツ300SLとポルシェ904しかない。
1960 Austin Healey Sprite MkⅠ
もともとスプライトに用意されているハードトップは段付きのノッチバックだが、写真の車はプレーンバックで珍しい。殆ど同じものを付けたロングタイプのMGミゼットMkⅡを撮っているが後端の納まりがもっと良いので、これは純正ではなく後期モデルから転用したものと思われる。スプライトは1961年以降MkⅡ となり、その時から弟分「MGミゼットMkⅠ」が誕生した。だから同時に発売されても片方がMkⅡもう一方がMkⅠと言う訳だ。
1962-64 Austin Healey 3000 MkⅡ
小型のスプライトに対して兄貴分のこちらは「ビッグ・ヒーレー」と呼ばれ、「100」「100Six」「3000MkⅠ~Ⅲ」と1953年から68年まで16年の間オースチンのスポーツカー部門を支え続けた。排気量も2660ccから2912ccとなったが、MGAが1489cc、トライアンフが1991ccだったからライバルに対しても「ビッグ」であった。
1962-65 Alfa Romeo Giulia 1600 Spyder
1954年1.3リッターのジュリエッタ・シリーズが誕生し、1962年1.6リッターとなった際、姉貴分の「ジュリア・シリーズ」に発展した。ピニン・ファリーナ製のボディはジュリエッタから引き継いだが、ボンネットにエア・インテークがあるのがジュリア・シリーズ。
1961-68 Lotus Seven series2
ロータスの市販車は1953年のマーク6からで、次のマーク・セブンは1957年のシリーズ1から始まりシリーズ4まで発展し、1973年で終了した。その後愛好者の要望に応えて、ケーターハムの手で生産が続けられる事となる。レース用に改造された車が多いが、写真の車はオリジナルが良く保たれている。
1963-64 Sunbeam AlpineⅢ Hardtop
この車は数が少なく日本では比較的知名度が低い。1959年MkⅠから1968年MkⅤまで存在したが、なかなか出会えなかった車の一つだ。三角窓があるので+2シートが付いてからのMkⅢで、ハードトップも少々長くなっている。
1963 Datsun Fairlady 1500 (SP310-1)
形だけのスポーツカーだったダットサン・スポーツ(S211)と違って、今度は外国製のスポーツカーと互角に戦える本物のスポーツカーが誕生した。既に1960年ダットサン・スポーツの対米輸出モデルが「フェアレデー」(レディではない)と、命名されていたが、この「SP310型」こそがこの後連綿と続く「フェアレディ」の原型と言えよう。写真の車は第1回日本GP優勝車(田原源一郎)
1964 Prince Skyline GT
第2回日本GPと言えば伝説の「式場ポルシェvs生沢スカG」の死闘が語り継がれているが、忘れちゃいけないのはこのレースで式場のポルシェに続いて2位に入ったのは39番砂子義一の「スカG」、即ち写真のこの車だ。見た目ふつうの乗用だが1500の軽いボディに極度にチューンした6気筒SOHC 2000ccのエンジンを詰め込んだファクトリー・チューンのレーシングカーで、今なら派手なオーバーフェンダーで決めたい所だ。
ホンダのスポーツカーは「小粒でぴりりと辛い」というイメージを持ってしまう。実際レースでもそこそこ速かった。写真の車は当時名の知れた「名岐オート」というガレージの手でチューンされた車でストライプも似合っている。
・・・と、ここまで書いて来てふと気が付いたら、予定のスペースは既にとうにオーバーしてしまっているので、中途半端ながら今回はここまでで終了です。