五月のゴールデン・ウイークがはじまるまえの日に、友人が遊びにきた。友人は、オートバイで、やってきた。たまたま庭に出ていたぼくは、下の私道に入りこんでくる彼のオートバイの、排気音を聴いた。排気音は、ぼくの家の階段の下で、とまった。
友人たちが乗っているオートバイの排気音は、みんな知っている。音を聴けば、誰が遊びにきたか、だいたいわかる。庭に出ていたぼくが聴いた排気音は、友人のオートバイとしては、はじめてのものだった。四サイクル二気筒を、おとなしくおさえた音だ。
誰がきたのかと思って、ぼくは階段のうえに出てみた。ヘルメットを脱ぎながら階段のうえのぼくをふりあおいだ彼は、「おーす」といつもの調子で言い、「買ったよ」と、ピカピカの新品オートバイの後輪を、ブーツのつまさきで軽く蹴ってみせた。
しばらくまえから、この友人は、アメリカン・スタイルの四サイクル二気筒のミドル・ランナーを買いたい、と言っていた。彼がついに買ったそのオートバイは、何種類かある国産のアメリカン・スタイルのオートバイのなかではもっともよくまとまったものだった。バランサー機構の組みこまれたオーバーヘッド・カムのツインで、パワーをひかえめにしたエンジンの特性は車体とうまくつりあっている。ただし、ぼく自身は、買いたいとまでは思わない。
乗りたければ乗ってもいい、と友人は言ってくれた。よく晴れた春の日の午後、ちょうどいい時間だったので、ぼくは出かけることにした。友人は手間のかからない男で、ひとりでほったらかしにしておいても勝手にコーヒーをいれて飲んだりレコードを聴いたりしていてくれる。
寒いあいだは徹底的にオートバイをさぼるぼくにとって、その日のオートバイは、久しぶりだった。ぜひこれも持っていけと友人がすすめたウォークマンに、FM番組のためにジャズのピアノ・トリオ演奏を選曲してならべてみたカセットを入れ、ぼくは出かけた。
ウイーク・デーの午後、箱根の道路には思ったよりもはるかに自動車はすくなく、もとは火山の外輪山である道路を、狂ったように走りまわった。春の午後から夜まで、非常にいい気分で、オートバイで走ることをぼくは満喫した。
夜になり、展望台の突端で休んでいたとき、オレンジ色の月がのぼった。持っていけ、と友人がすすめてくれたウォークマンを、ぼくは思い出した。そのウォークマンに入っているカセットの最初の曲が、こじつけるわけでもフィクションでもなく、トミー・フラナガン・トリオの『ベルベット・ムーン』だった。ぼくはウォークマンをとりだし、ヘッドフォーンで聴いてみた。
曲の、まず最初の第一音から、ものすごい感激だった。いい曲だし、素晴らしい演奏だ。すでに充分に感激しているはずだったのだが、夜の箱根の展望台で聴いたこのときの感激には、かなわない。
オートバイに乗るのは、緊張の連続だ。その緊張が自分なりに楽しめているときには、自分はいいぐあいにきっちりと凝縮されている。緊張と凝縮の内部で自分の感覚は鋭敏に研ぎすまされ、起爆力を存分にたたえて、静かに充満している。この、きわめて心地良い緊張と凝縮を、ある一点においてものの見事に解放してくれたのが、『ベルベット・ムーン』だった。解放の快感と、そのことの大前提となっている緊張と凝縮とを、こんなに素晴らしいかたちで体験するのは、しばらくぶりのことだった。
写真:片岡義男