深夜の東京の、主として高速道路をオートバイで走りまわることを、彼は、地獄めぐりと呼んでいる。なぜ、深夜に、地獄をめぐるのか。
彼の言い草は、こうだった。
「夜中なら道路に車がつかえてないから、事故のとき救急車も早く来てくれるだろうと思って」
深夜に自動車がすくないのは、たしかだ。車がすくなければ、オートバイで走りやすくもあるだろう。だが、彼の言い草の真意は、そこにはないはずだ。
深夜は、照明とそれに対立する暗さだけの世界だ。この世界の中で、ひときわ、きわだってくるものがある。東京、オートバイ、そして、そのオートバイにまたがって走っている自分だ。
車がすくなくなっていて、人も歩いてはいない深夜の東京。地面をいろんなかたちに埋めつくしている建物の中に、人々はひきこもって、おおむね寝ている。昼間、あんなに走りまわっていた自動車も、それぞれの駐車スペースに静止している。そこをオートバイで走れば、よけいなものがほとんど目に入らないだけに、地獄の様相が、くっきりとしぼりこまれて鮮明に、彼の全身に映じる。
軽量級のものでも、オートバイは異常な機械だ。すくなくとも、普通ではない。重量級になってくると、そのあらゆる点が、とても地獄にふさわしい。
四輪のように、どんなにドライバーが緊張を抜いても四つのタイアで踏んばって倒れないという、当然の横着が許されないだけ、ライダーの神経は、とぎすまされている。そのとぎすまされた突端がライダーにとっては快感となり、同時に、危険でもあり、異常でもあるのだ。
深夜の地獄めぐりでは、ライダーである彼が体験する緊張も相当なものだ。そして、緊張しているというその一点をかいくぐって、地獄の
「好きだから乗ってるだけだよ。言いたければどんなふうに言ってくれてもかまわないけれどさ」
ライトを光らせた彼の黒いオートバイが、ビルとビルのあいだをうねる高速道路の直線をふっ飛んでくる。くだり坂になりつつカーブになっているところへ最低限の減速で突っこみ、肩から落として車体ごと倒しこみ、次の瞬間にはもうカーブのむこうに消えている。黒い皮つなぎに赤いヘルメットの彼はオートバイに上体を伏せ、突然、
林立するビル群の背たけの、だいたいにおいて中間あたり、地平でもなければ空中でもないおかしなところを、何本ものコンクリートの柱に支えられ、高速道路は起伏し
「サーキットだよ、たしかに。どのビルのどのネオンが見えたら、その位置にいるときの自分が何速でどのくらいのスピードで走ってるか、もうだいたいわかってるから。地獄の景色を、その瞬間瞬間にとらえて走るんだ。ほかに自動車がどのくらい走ってるかにもよるけれど。楽しんでるよ」
言うまでもないけれど、ライダーの彼は、オートバイにまたがってむき出しだ。ヘルメットも皮つなぎもブーツも、コンクリートや鉄といったんからんだら、なんの役にも立たない。からまずにすむよう、細心の注意を払っていると彼は言うのだが。
風圧や横風。オートバイ自身の振動。路面からのフィードバック。すべてをむき出しで夜にさらしている彼の体ひとつで、地獄を受けとめなくてはいけない。高速道路ののぼり坂をかけあがり、左にカーブしているその頂点で、路面はもっとも高くせりあがっている。ここを、左に倒れこみつつ通過する一瞬、地獄のすべてが見える。オートバイに普通の姿勢でまたがっていると、目の位置は、車の屋根とすれすれか、もうすこし高い。高速道路の両わきの防壁ごしに、左カーブを抜けながら、下界をのぞきこむことができる。目のすぐ下で高速道路が二重にも三重にも交差している。そのさらに下の、地面の白い
空がうっすらと白っぽくなるまえに、彼は高速道路を降りる。
「降りてきてさ、オートバイを歩道にあげ、ガードレールに腰かけてぼやっとしてると、ひとりでランニングをやってる人が走ってくるのさ。近くでとまって、ハアハア言いながら足踏みして、腰に
写真:片岡義男