<『60年代街角で見たクルマたち』編集裏話>
① 僕は趣味で自動車の写真を撮り続けて60年を超えたが、銀行員だった現役時代は一切外部に発表したことは無かった。職業柄2足の草鞋(わらじ)が履けなかったからだ。だから全く無名の僕の写真集の信頼度を高めるため監修者として業界の最高権威である高島鎮雄氏にご出馬をお願いする事になったのだ。僕が高島さんの名前をはじめて知ったのは、二玄社が「カーグラフィック」を出版する以前1961年に出した「スポーツカー」「クラシックカー・アメリカ」という2冊の「布表紙・豪華本」に関わっており、特にデューセンバーグの挿絵が印象に残っていた。
② 余談だが10月出版された「クラシックカー・アメリカ」に入っていた続編のチラシでは1961年12月「クラシックカー・ヨーロッパ」、1962年2月「クラシックカー・スポーツ」、1962年4月「カスタムカー」と予定されていたが、月刊誌「CARグラフィック」4月号が創刊され、準備されていた資料は全部そちらに廻ってしまったのか続編は全て幻となってしまった。
③ 高島さんのお名前を知ってから実に42年後の2003年、神田にある三樹書房の編集室で初めてお会いすることになった。かねてからその博識ぶりは数々の出版物を通して存じ上げており、尊敬する存在で有ったにも拘らず、写真を前にすると10年来の知己であったかのように当時の思い出を共有し話が弾んだ。当日用意したのはモノクロ・フィルム326本分の「ベタ焼き」を収めた5冊のクリア・ファイルと車種別に分類したヨーロッパ車のプリント・ファイル34冊(米車、日本車は別)だった。
ファイリングについては次回詳しくお話する予定だが、「ベタ焼き」は概ね撮影日付順、プリントは「車名」「モデル名」毎になっており、大部分は当時の標準サイズだった「名刺版」である。
④ 写真選びは楽しい仕事だったが、あまりにも数が多く絞り込む方がむしろ決断を要した。3部作の1冊目「ヨーロッパ車編」の時は、写真に関してはデジタル化する以前で全てフィルムからキャビネ判のプリントを作成した。(2冊目からはデジタル化したのでプリントせず)手順としてはアルバムから第1次候補の写真に付箋を貼っていく。当然予定枚数を上回るのでそこから涙を呑んでふるい落とす。最終掲載点数は327枚となったが第1次では確か500枚位有ったと思う。第2次で約400枚のプリントを発注した。この手順が結構面倒で、付箋が貼られた対象の下には「フィルム・ナンバー」が記入されているので、1~326の一覧表にコマ番号を入れた上、それを基にフィルム1本毎の「発注表」を作成、該当の「ベタ焼き」とセットにしてフィルム・カバーの中に入れ完璧を期した。撮影後約40年たったフィルムは乾燥剤を入れテープで密閉してあったおかげで殆ど劣化は見られなかった。
⑤ 「街角で見た」にこだわったので「ショウ」や「イベント」で撮影したものは最初から対象外とし、非常に珍しい物でも残念ながら見送ったものが沢山有る。その後「アメリカ車編」で晴海貿易センターで撮った「オールズモービル・カーブドダッシュ」がどうしても必要で、晴海も「東京の街の内」と拡大解釈し、以後「ショー」「イベント」も含まれることになった。だから「ヨーロッパ車編」(増補版)では初版で残念ながら見送った中から80枚を追加登場させる事とした。
今回は、まだまだある珍品・逸品の中からめぼしいものを何枚かお見せしよう。
<国産車の初代モデル>
スバル360 1958年5月発売の増加試作車で、車体番号1006~65が該当する。(1001~5は第1次試作車)60台のうち10台は社内使用にまわされ50台が伊藤忠商事から販売された。1047号車(富士重工業)と1053号車2台の現存が確認されている。国産車編p139に掲載した1958年7月から発売された量産型「初代てんとう虫」には三角窓があり、リアクオーターパネルのサイドグリルが両側にあるが、この車はスライド・ドアで、右側のサイドグリルが無いところが最大の特徴である。
スズライトSS 2ドア セダン 1955年10月発売された「スズライトSF」(Suzuki Four Wheel Car)にはセダン(SS)、ライトバン(SL)、ピックアップ(SP)の3種があったが、1957年5月からはライトバンのみになったのでセダンは希少価値のある車だ。スズキ自動車所有の写真の車は1955年製とあったが三角窓があるので最初期モデルではないようだ。
トヨペットSA セダン 1947年10月発表された戦後初の乗用車だが、写真の車はグリルにフチドリがあり、ヘッドライトの土台が膨らんでいる、ボンネットの先端が尖っているなど、市販車とは異なる特徴を持っている。資料によると1947年海外向けカタログの写真と同じで、市販車発売前に作られているので試作1号車との説もある。
<バブルカー御三家 >
1 1958 BMWイセッタ300
本家イタリアの「イソ社」は1953―55年で製造を終了していたがBMWでは1954年の250からスタートし63年まで14年間製造し続けたから、むしろ本家よりも知名度が高い。取っ手が右側にあるイギリス仕様もある。
ミュンヘンのBMWモービルトラディションで見つけた BMWイセッタ300の実物大モックアップ。
2 1957 ハインケル トロージャン 200
レイアウトはBMWと同じくイセッタ式の前開きだが、ヘッドライトや大きなウインドウなどボディの印象はかなり異なる。座席は横並びの2人乗りで、これは第二時大戦中爆撃機など大型機が得意だったハインケルが馴染みの有るレイアウトを採用したのかとぼくの勝手な推測。
3 1959 メッサーシュミット KR200
日本の零戦と並んで戦闘機の傑作と言われるのがドイツの「メッサーシュミットMe109」だがその流れを汲んで造られたのがこのキャビン・スクーターだ。その証拠には操縦席は前後タンデムの2人乗りで、乗り降りはキャビンを跳ね上げて飛行機のように乗り込む。ステアリングも戦闘機とはいかないが軽飛行機並みである。
1955 メッサーシュミット 200 スーパー
ドイツで見付けたレース仕様と思われる逸品。
<映画スターのクルマ>
1 三船敏郎のMG
車は1953年型のMG―TDで、アイボリーホワイトがとてもよく似合い、どの角度から撮っても見栄えのする車だ。新婚の頃成城の隣町、祖師谷に住んで居たので、スターの豪邸見学に行ったことが有るがこの車を見た記憶は無い。
2 石原裕次郎のベンツ
あまりにも有名な「裕ちゃんのベンツ」はヘッドライトが縦長に変更されているのが特徴。「ヨーロッパ車編」p72に掲載した300SLはロードスターで前ヒンジの普通のドアだったが、こちらは正真正銘の「ガルウイング」クーペで、ガルウイングはプロレスラー「力道山」の車と2台しか無かった。
3 高橋貞二のベンツ・300S クーペ
前の二人は有名だが、53年前に若くして姿を消したこの人がスターだった事を知る人はあまり居ないかもしれない。1946年20才で松竹に入社し33才交通事故で亡くなるまでの13年間で104本も映画を残している。佐田啓二、鶴田浩二と共に「松竹三羽烏」と言われ小津安二郎、木下恵介、伊藤大輔など名監督の作品にも起用された当時の大スターである。事故を起こした車は日本に1台しかなく、同じ300系でも裕次郎の300SLより20%も高い超高性能車だった。
どれを選ぼうかと拾い出した候補は200枚を超えた。「面白VW」(ヘプミューラー)(ロメッシュ・ベースコウ)などのスペシャルボディーとか、「ボンネットの閉まらない曲者たち」(アバルト・チューンのフィアット色々)などなど色々なテーマと候補を用意したがスペースが足りなく断念した。次回は「ハウ・ツウ・ファイリング」僕の画像管理方法についてを予定している。