三樹書房
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60s
第1回 ボクのパソコンには「お宝が一杯!」(その1・静岡編)
2011.11.26

 ボクは1934年(昭9)生まれの77才です。1949年,中学2年の時初めて自動車の写真を撮っ て以来、数えれば62年も経ってしまいました。写真は「モノクロ・フィルム(13,316枚)」「カラ ーネガ/ポジ・フィルム(22,455枚)」そして現在は「デジタル・カメラ(2010年末までに25, 558枚)」、昨年末までの合計は61,324枚となりました。昭和20~30年代は「街角」で、昭和 40年代以降、路上駐車禁止の影響で「レース会場」「モーターショー」「クラシックカー・イベント」 などが中心となり、60才を過ぎた1994年からは「海外のイベント」が主体となっています。

 子供の頃のボクは鉄道少年でした。昭和24年、東海道本線は「沼津―静岡」間の電化が進み 当時、静岡駅の機関庫では電気機関車と蒸気機関車が同時に見られるという夢のような環境に有りまし たから、親友と二人で毎日のように通いました。そして「おもちゃのカメラ」で機関車の写真を撮って いました。昭和24年と言えば敗戦後4年目で,まだ日本は占領下にあったので、静岡にも駿府城の内堀 に面して「連合国司令部」が置かれており、その前にはいつも最新のアメリカ車が駐車していました。 だから機関庫と同じように何回も写真を撮っていた筈ですが、在る日撮ったハッキリ、クッキリ写って しまった「ポンティアック」以外は何を撮ったかは記憶にありません。この「ポンティアック」こそ、 このあとボクが自動車の写真を取り続けるきっかけとなった記念すべき第1号の写真です。ネガが偶然 発見され、引き伸ばしてみるとナンバープレートの左端には縦書きで「JAPOC」(ジャパン・オキュペ ーションの略)とあり、正に日本は占領されていたことを示しています。

 1959年迄は主に静岡市内で撮影していましたが、地方都市とは言いながら、結構な車が走ってい ました。(イギリス)オースチン A30、A40デュポン/フォード・コンサル、ゾディアック/ヒルマ ン・ミンクス(1953)/モーリス・マイナー、オクスフォード/ローバー75/シンガーSM15 00/スタンダード・エイト、バンガード/トライアンフ・メイフラワー/ヴォクスホール・ヴェロッ クス/ウーズレー4/44、(フランス)シトロエン・2CV、11CV/ルノー・4CV、フレガト/シ ムカ・アロンド、ヴデット、(ドイツ)ボルグワルド・ハンザ1800/DKW・マイスタークラッセ、 ゾンダークラッセ/メッサーシュミット・KR200/メルセデス・ベンツ170Va、220(19 53)、220S(1956-59)、300、300SL・ロードスター、オペル・オリンピア、カピテ ン(1953)、VW タイプI(1953)、(イタリア)フィアット1400、(スエーデン)サーブ9 2B/ヴォルボ PV444E、が記録されています。米軍関係の「E」ナンバーはなく、いずれも「す」 ナンバーの自家用車で、1953~54年型が多いのは、この時期一時的に外貨事情が緩み外車がどっ と輸入された結果と思われます。

 米国車は自家用車の他に「県庁」「市役所」など官公庁用の「た」ナンバーが多く見られました。シ ボレー、ポンティアック、オールズモビル、ビュイック、キャディラック、フォード、リンカーン、プ リマス、ダッジ、デソート、クライスラー、のビッグ3は全てが揃い、ナッシュ、ハドソン、スチュー ドベーカー、カイザー、フレイザー、ヘンリーJ、ウイリス・ジープスター、クロスレーなど、今はな き中小メーカーの珍車も見ることが出来ました。

 国産車ではトヨタ戦後初の乗用車トヨペット SA セダンから始まり、SB セダン(関東自工)(中日本 重工)、SFKIIセダン、トヨペット・スーパーRHKセダン、RHNセダン、トヨペット・クラウン、 マスター、コロナまで、日産は戦前のダットサンフェートンやロードスターから戦後のデラックス・セ ダン(DB6)、スリフト(DS4)、コンパー(DS6)、ダットサン・セダン110型、210型からブ ルーバードまで、プリンスの前身「たま電気自動車」セニア(EMS)、「富士精密工業」プリンス・セダ ン AISH-IV、AMSH-II、スカイライン、グロリア、「鈴木自動車」スズライトSS・セダン、SL ライ トバン、「富士自動車」フジ・キャビン・スクーター、「岡村製作所」ミカサ・サービスカー・バン、ツーリング、「オオタ自動車」オオタ PA 型、VM トラック、「ヤンマーディーゼル」試作 KT 型軽トラッ クなどが記録されています。

 昭和30年代、東名高速はまだありませんから、旧東海道の国道1号線が東西を繋ぐ唯一の幹線道路 でした。途中の静岡は格好な休憩場所として、市内で東京ナンバーの車も多数撮影しました。具合の良 いことに、ボクの職場が有名旅館のグリルに隣接していたので、一歩外に出れば路上に何台も珍しい車 が停っていました。路上駐車が禁止されるよりずっと以前の話です。

 1964年秋、僕は東京に転勤になります。勤務先は「港区芝三田四国町」で東京タワーに近く、ス ペシャリストの修理工場が密集している赤羽橋~一の橋は自転車で一回り出来る至近距離という好条 件に恵まれ、益々熱中に拍車がかかります。

 次回、<ボクのパソコンには「お宝がイッパイ!」(その2・東京編)>をお楽しみに!

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昭和24年、中学2年の時撮影した記念すべき第1号の写真(1948 ポンティアック)

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昭和35年 静岡市内(江川町通り)

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自動車は道路に停めるのが当たり前の時代

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静岡県民会館前(NHK「今週の明星」公開放送ポスター)

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静岡にも居たメッサーシュミット(後方は市内電車の軌道)

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静岡市は坂がないので、日本一自転車の多い町です。

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昭和30年年代初期のナンバープレート(この当時、静岡ナンバーの小型乗用車は1000台無かっ た)

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1953年型のフィアット1400は後ろに見える東海銀行静岡支店の車

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執筆者プロフィール

1934年(昭和9年)静岡生まれ。1953年県立静岡高等学校卒業後、金融機関に勤務。中学2年生の時に写真に興味を持ち、自動車の写真を撮り始めて以来独学で研究を重ね、1952年ライカタイプの「キヤノンⅢ型」を手始めに、「コンタックスⅡa」、「アサヒペンタックスAP型」など機種は変わっても一眼レフを愛用し、自動車ひとすじに50年あまり撮影しつづけている。撮影技術だけでなく機材や暗室処理にも関心を持ち、1953年(昭和28年)1月には戦後初の国産カラーフィルム「さくら天然色フィルム」(リバーサル)による作品を残している。著書に約1万3000余コマのモノクロフィルムからまとめた『60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ編】』『同【アメリカ車編】』『同【日本車・珍車編】』『浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録』(いずれも三樹書房)がある。

関連書籍
浅井貞彦写真集 ダットサン 歴代のモデルたちとその記録
60年代 街角で見たクルマたち【ヨーロッパ車編】
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