「オートバイの登場する小説は、もう書かないのですか」と質問されることがしばしばある。かつては男性ばかりだったが、いまでは女性もそのような質問者の列に加わっている。こう訊かれたなら、
「書くよ」
としか答えられない。
「ほんとですか」
「ほんとだよ」
「いつですか」
「さあ」
という僕のひと言でエンストのような状況になるのだが、
「どんなオートバイですか」
という質問があれば、話は先へと進んでいく。
「ハーレーだよ」
「うーん」
と相手は言う。
ハーレーとひと言に言っても、現行の車種で三十種類ほどあるのではないか。
「なぜ、ハーレーなのですか」
という質問には、
「それしかないよ」
と答えるほかない。
「はあ」
と、相手は言っている。
オートバイはほぼ無数にある。そのなかのどれもが面白く楽しく、興味はつきない。どの一台とも、一生のつきあいが可能だろう。現実においてはそのとおりだが、いまの僕にとってのオートバイは、現実の問題であることをはるかに越えて、小説の問題となってしまっている。小説のなかのオートバイ、しかも自分で書く小説の。そうなるとハーレーしかない。
「読みたいですねえ」
と相手は言う。
「最近も書いてはいるんだよ」
「ほんとですか」
「ほんとだよ」
人とこのような会話をしていて、ほんとですか、と訊かれ、ほんとだよ、と答える場面がなぜかたいへん多い。ほんとではない話をしている感触が、僕のどこかにあるのだろう。確か二〇一一年になってからのことだったと思うが、『駐車場で捨てた男』という題名の短編小説を僕は書いた。すでに発表されたが、短編集に収録される予定はいま少し先だ。この短編のなかにハーレーのFLHが登場している。ふたりの男性がともにFLHに乗っている。年式は八十年代のものだ。現行の車種に当てはめるなら、FLHR103ロードキングだろうか。
「そうですか、読んでません」
と相手は言う。
「なぜ、ハーレーなのですか」
「それしかないからさ」
「はあ」
ふたり登場する男性はともにFLHに乗っている。そして彼らのストーリーのなかに、ふたりの会話をとおして間接的に登場している女性が、ひとりいる。彼らふたりのうちのひとりがかつて乗っていた、年式の古いFLHが電源からのリークを起こしていて、車体ぜんたいに電気がまわっている状態だった。停止してそれっきりエンジンのかからなくなったそのFLHを、短編には間接的に登場するその彼女が、見事な押しがけでエンジンを始動させる。このときの彼女が目の前で自分だけに見せた一連の美しいアクションに、彼は強い感銘を受けていまも忘れていない。
「というような女性の物語を書きたい。したがって、彼女が乗るオートバイは、ハーレーしかない」
「ははあ」
僕が彼から引き起すリアクションは、はあ、から、ははあ、へと昇格した。あるかなきかの昇格だが。
「FXDL」
と、僕は言った。
「そうなりますか」
というのが彼の反応だった。
「そうでしかあり得ないから、そうなる」
「あのプルバック・ライザーは、いいですよ」
「ラバー・マウントのツイン・カム」
「まろやかです」
「しかし力は強い」
「ひとりの女性と、彼女が乗っているロー・ライダーの物語ですか」
「女性はふたり」
「うはっ」
「ふたりともFXDL」
視線をふと浮かせた彼は、片手で顎を撫でつつ、遠い目となった。しばらくそうしていた彼は、
「長編ですか」
と、訊いた。
「ふたりの女性がいて、それぞれについてあれこれ書けば、ある程度の文字数は必要になると思う」
「文字数」
「ワーズ数、と言った編集者がいた」
「そういう人はもう淘汰されてますよ」
「きみは?」
「いまここにいます。早く読みたいです。いつ書くのですか」
「いましばらく先になる」
「なぜですか」
「物語を工夫しなくてはいけない。小説の問題だよ。FXDLは現実の問題として、すでに確かに存在している。だから、それはそれでいい。問題なのは小説のほうさ」
「よくわかります」
と彼は言い、さらに次のように言った。
「ふたりもいるなんて、贅沢ですねえ」
「ふたりの物語だから、ふたりいる。それだけのことだよ」
「どんな女性なのですか」
「現実にはまずいないはずの女性たちさ」
「だからこその、物語なのですね」
「ひとりは四十二、三歳。日本列島を西と東とに分けるなら、どこか西のほうの、漁港のある小ぶりな町の寿司屋のカウンターで、彼女は寿司を握っている。やや茶色の髪をした、華やかだけどどこかに影のある、はかなげに見えて強靱な、もの静かだがじつは鉄火肌。冷たくも見えるけれど笑顔は優しい。文句なしの美人。色気は充分だけど彼女自身にはそんなつもりはなく、それは彼女を見る人の勝手。そんな人」
「そして彼女がローライダーに乗ってるのですか」
「そうだよ」
「いませんよ、そんな人」
「だから僕が書く」
「そのとおりですね」
「彼女という人を発想した最初のきっかけは、ひとからなにげなく聞いた話。京都のどこだったかの寿司屋で、金髪に青い目で美人の若いアメリカ女性が、カウンターのなかで着物姿で寿司を握っている、という話。食べにいきましょう、と言われてそれっきりになったけれど。彼女の喋る言葉は、昭和三十年代の日本映画をたくさん観て勉強した、当時の東京言葉です、というおまけもついていた。英語じゃないんだよ。この話から、寿司屋のカウンターで寿司を握っている、じつはローライダーに乗る美人、という人を僕は発想した」
「とびっきり物語ですね」
「そうさ」
「もうひとりは?」
(以下、次回に続く)