「そんな紙くず集めてどうするの?」
と馬鹿にされながら、世界中から集めた自動車カタログの山。その中から、ロータリーエンジン車のものを抜き出してまとめたのが、三樹書房から出版された拙著『ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜』です。
私が自動車カタログを集めだしたのは1954年、高校2年生でした。それまでは鉄道模型に夢中で、週末はいつも機関車を見に出かけておりました。いわゆる「鉄チャン」です。しかし、当時はいまと違って、趣味としてはマイナーな部類に入りましたので、仲間と出会うことはめったにありませんでした。最後に組み立てた模型はOゲージで、のちにデッキ無しに改造されてしまった、前後にデッキの付いた初期型のEF58でした。大好きな電気機関車はなんといってもイギリスの英国電気(EE: English Electric)社製EF50で、荻窪駅や新宿駅のヤードで巨体を休めているのをよく見かけました。
自動車カタログを集めるきっかけとなったのは、先輩が持っていたカタログの中に、独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線とシャーベット・トーンで描かれた女性像で有名な東郷青児の作品を表紙に取り入れたいすゞバスのカタログを見つけたことです。
当時、東京の久我山に住んでおり、近くに東郷青児の自宅兼アトリエがありました。サバランがお気に入りだった、西荻窪の洋菓子店「こけし屋」さん、近所のちいちゃなお医者さんなどで彼の作品を見る機会が多く、好きだったのです。東郷家にはレンガ色の1953年か54年のスチュードベーカーがあり、久我山街道をくだってきて左折する瞬間を、右側のやや後方から見たときの美しさには魅かれました。芸術家というのはセンスの良いクルマを選ぶなぁと感心したものです。
話がそれましたが、カタログというものに美術的な魅力を感じたのです。大勢のひとの努力の結果できあがったクルマを売るためのツールであるカタログは、クルマの魅力を少なくとも100%訴求できる代物でなくてはならないはずですから、カタログ自体も魅力あるものを作ろうと気配りされるはずです。なかには気配りが感じられないものもありますが。なによりクルマの特徴が、絵とコピーで表現されており、それらの絵やコピーには時代背景を反映したものも多く、美術的な価値だけにとどまらず、第一級の歴史資料と言えるでしょう。実車を世界中から集めるには莫大な資金と場所が必要ですが、カタログなら大丈夫と始めたのですが、この判断は甘かったようです。カタログと同時にクルマに関する歴史書を集め、いまや膨大な量となってしまいました。地震を感じたら、書庫から一目散に脱出する毎日です。
カタログ集めは、最初は国内の販売店を訪ねてお願いしておりましたが、限られたものしか手に入らず、やがて、海外のメーカーに直接手紙を出してお願いするようになりました。そこで必要になったのが英文タイプライターで、お小遣いをためて最初に買ったのは、中古のスミスコロナでした。その後、オプティマのセミポータブル、ブラザーの電動タイプ、ブラザーのパソコンに接続できる電動タイプと進化していきました。
拙著『ロータリーエンジン車』に使用したNSUとシトロエンのカタログは、ドイツのNSU社とフランスのシトロエン社から直接入手したものです。最近はインターネットの普及に加え、企業は経営効率を最優先としており、紙の資料を送っていただけるのはごく限られた会社になってしまいました。社会全体にゆとりのあった時代が懐かしく感じられます。
マツダ車のカタログについては330点ほど紹介していますが、初期の和文のものは国内の販売店を訪ねて頂戴したものです。コスモスポーツなど初期の英文カタログは、当時、東京・日本橋にあった東洋工業(現・マツダ)の東京支社を訪ねて入手しました。米国マツダ発行の資料の大半は、1959年からカタログの交換を続けてきた米人の友達から送られてきたものです。残念ながら、その友人も高齢のため2年ほど前から活動を中止してしまいました。
マツダのロータリーエンジン車カタログの中で、一番のお気に入りは、最初のコスモスポーツの輸出モデルである110Sの英文カタログです。1960年代はアンディ・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンスタインなどによるポップアート開花の時期であり、そして、日本の誇る横尾忠則の作品が110Sのカタログでした。全頁がサイケデリックなイラスト。そして表紙には 「鳥だ! 飛行機だ! いや、スーパーカーだ!!」。
そうです、「スーパーマン」のパロディです。「乗るというより、飛ぶ感じ」を具現化した元祖スーパーカーでした。1970~80年代に爆発的なスーパーカーブームが起こりましたが、スーパーカーという表現を使ったのは110Sが元祖ではないでしょうか。日本車カタログの傑作の一つだと確信しております。このようなカタログがどんどん出現したら楽しいのですが。
コスモスポーツが誕生した1960年代は日本のモータリゼーション幕開けの時期であり、第2次世界大戦に敗れた1945年にはわずか2万6000台弱であった乗用車保有台数が、1960年に45万台を超え、1963年に100万台を突破し、1967年に300万台に達し、1969年には530万台に迫る勢いで膨張していきました。このような急成長にタイミングを合わせたようにマツダからロータリーエンジン車が市場投入されたのです。1967年5月のコスモスポーツに続いて、1968年7月にはファミリアロータリー、1969年10月にルーチェロータリークーペ、1970年5月にカペラ、1971年9月にはサバンナが発売されました。1973年にはマツダのロータリーエンジン車は24万台近く売れましたが、1973年10月17日に発生した第1次石油ショックにより状況は激変します。ガソリン価格の高騰により、当時燃費の悪かったロータリーエンジン車が敬遠され、1974年の販売台数は前年の半分12万台を割り、1977年には4万2000台弱に落ち込んでしまいました。RX-7の登場で1978年には8万1000台近くまで回復しますが、マツダを除くすべての自動車メーカーが、元祖のNSUも含めてロータリーエンジンをあきらめてしまいました。
しかし、2010年のジュネーブ・ショーにロータリーエンジン復権を予感させる1台のコンセプトカーが登場しています。メガシティビークル(MCV)と称する電気自動車、アウディA1 e-tronです。一般的なユーザーが日常走る距離は50km以下であることから、高価で重いバッテリーの搭載量を減らし、レンジエクステンダー(航続距離延長装置)として振動がほぼゼロの静かな作動、コンパクトで軽量な254ccシングルローターのロータリーエンジンを搭載し、発電機を駆動してバッテリーを充電すると、12ℓの燃料タンクでさらに200km走れるということです。
マツダによって玉成され、すばらしい可能性を秘めたロータリーエンジンが更に熟成されていくと期待しています。と同時に、マツダは電気自動車開発にも大きなアドバンテージを持っているのではないでしょうか。
カタログ蒐集のきっかけとなった1954年いすゞバスのカタログ
1963年9月発表された、世界初のロータリーエンジン車NSUスパイダーのプレスキット
1967年9月発表されたNSU Ro80のプレスキット
1967年5月発売された、世界初の2ローター・ロータリーエンジン車、コスモスポーツ(輸出名110S)の英文カタログ。横尾忠則の作品