第16回「浮世風俗美女競 一双玉手千人枕」渓斎英泉/「御利生結ぶ縁日 日本橋中通り新右エ門町 妙見」渓斎英泉

31、「浮世風俗美女競 一双玉手千人枕」渓斎英泉 文政6年(1823~24)頃

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 髪にこれだけのたくさんの髪飾りと、口元にお歯黒が見えているので、最高位の遊女であろう。花簪8本、前髪のところに挿した簪6本、そして小さな前挿し2本、全部入れると16本である。島田髷の根には笄、櫛は2枚である。高位の遊女は、眉は剃らなかったがお歯黒をして、一晩客の妻となる、というところで貞節を見せたのである。黒地の着物には羽を広げた金色の鶴、帯には鳳凰が描かれている。たぶん手に持っている煙管には、雲が画かれているので見えないところに龍が描かれているのかもしれない。右上にある漢詩には、玉のように美しい両手(腕)が、千人の男の枕になるであろう、と書かれている。気合の入った顔つきと髪飾り。隆盛を極めた遊女ともいえる。

32、「御利生結ぶ縁日 日本橋中通り新右エ門町 妙見」渓斎英泉 文政7年(1824)頃

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 参詣ブームと美女を組み合わせたシリーズ。手拭で顔を拭いているのは、既婚女性であろう。眉無しで髪は割鹿の子である。大きな笄を挿し、大きな赤い櫛には「鯉丈作」という文字が描かれている。ちなみに鯉丈というのは、滝亭鯉丈りゅうていりじょうのことであろう。江戸時代後期の滑稽本作者で、本名は池田八右衛門。為永春水の縁者らしいがはっきりしない。乗物師、縫箔師、櫛職人などともいわれていたらしいが、この櫛に名前が書かれているのをみると、櫛職人だったのかもしれない。大きな蝶が描かれた浴衣を着ているので、湯上りあろう。黒い鏡台の前には、うがい茶碗に房楊枝、手前の袋のようなものには、「紅玉香 ぎんざ四丁目 福井」と書かれた白粉袋かもしれない。
 こま絵は、「日本橋中通り新右衛門 妙見」と書かれているが、俗にいわれている「柳島の妙見様」とは違って、小さな宮だったと思われる。ただ多くの参詣人が描かれているところを見ると、当時は有名だったのかもしれない。それにしても、眉無しで髪がほつれ、しどけない浴衣姿。どれをとっても年増の女性の色っぽさが描かれているような気がしてならない。


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