江戸時代は現代よりも懇ろに死者を弔っていたようです。「百年忌」という法事までありました。百年も経てば、冥土の先祖もとっくに生まれ変わっていなくなっていると思われますが......しかし先祖を大切にする気持ちが江戸時代の繁栄の礎となっていたのかもしれません。今、百年忌を調べると、名をなした文学者とか高名な僧職者くらいしか行われていないようです。いっぽう江戸時代は......
「百年あとに泣いた日に魚類也」
「百年忌では、精進料理ではなく魚や鳥も食べられたそうで、どちらかというとおめでたい宴会だったようです。子孫が続いていることへの感謝の法事でしょうか。
「百年忌うわさに聞いた人ばかり」
「百年忌仏の知らぬ顔ばかり」
しかし故人を知っている人はほとんどいない状況です。
「百年忌目出たくひとり泣いた人」
もしかして当時で百歳いっている人がいたのでしょうか。人生五十年と言われた当時としてはかなりの長老です。
「百年忌客に魔のさす猫を出し」
「百年忌歌舞の菩薩を呼びにやり」
しゃれた表現ですが、芸者さんも呼ばれることがあったとか。百年忌、かなりお金がかかりそうで、それなりに財力のある一族しかできなかったのではないでしょうか。
お金がかかるといえば、泣き手を頼む風習もありました。テクニックや報酬によって、一升泣き、二升泣き、五升泣きとランクがわかれました。
「薄暗い所に座る二升泣」
「もう一升また泣声に念が入り」
「五升泣き目ぶちはただれ咽ははれ」
米や味噌など謝礼の量によって、泣き方を調節していました。現代の日本ではなくなった職業ですが、中国や韓国などでは存在しているようです。お葬式が盛り上がって、号泣する人が多いほど、死者もこれだけ惜しまれていたと充実感で成仏できそうです。
よく、潮の満ち引きと人間の生死が関連づけられていますが、信憑性はさておき、当時もそのような説が広まっていたようです。
「あげ潮は笑顔引潮泣きッ面」
江戸時代の人は自然と一体感を保ちながら生活していたのでしょう。
「引潮は水さし潮は湯の盥」
末期の水のための水差しと、産湯を使うたらい。生と死の交錯を厳粛に受け止めている川柳です。こちらの句は「誕生」の項でも取り上げたので、死と生がループしている感じです。
そして江戸時代は人生五十年と言われていました。
「人間は穴から穴が五十年」
「盥から盥の間が五十年」
参道を通って生まれる穴から、墓穴まで、産湯のタライから湯灌のタライまでが五十年。乳幼児死亡率が高いからゆえの平均寿命五十年かと思っていましたが、この句を読むと実際に五十歳くらいが寿命だったようです。
江戸時代の絵など見ているとお年寄りの姿が少なくて、若い人ばかりの印象だったのですが、それは五十歳が平均寿命だからかもしれません。享楽的で平和で勢いがあって楽しそうなのは、江戸時代が若者の国だったから? アラフォーあたりからもうおじいさん、おばあさんの域だと思うと軽いショックです。高齢化していく日本は、江戸時代とは全く別の光景になるのでしょう。寿命が長いからといって漫然と生きているのではなく、ご先祖に恥ずかしくないよう、長老だらけの日本として、叡智を深めていきたいです。