第32回 江戸の銭湯文化

 忙しい日常をリセットするために銭湯やスパに行くのは今も昔も変わりありません。江戸時代の人は頻繁に銭湯に行っていました。そこで垣間みられる女の人生について『江戸の女たちの湯浴みー川柳にみる沐浴文化ー』(渡辺信一郎著・新潮選書)を参考に、ご紹介させていただきます。
 江戸時代というと混浴のイメージがありますが、享保末年(1730年頃)に専用の女湯ができるまでは、実際に「入り込み湯」と呼ばれる混浴状態でした。「入り込み湯」、何かいろんなものが入り込んできそうな、貞操の危険を感じる名称です。
「入り込みは抜き身蛤ごったなり」
江戸時代の人が好きな性器の例え川柳です。ちなみに男性の共通観念的には、蜆は幼女、蛤は若い女、赤貝は年増、と擬貝化されていたそうです。いつの時代も男性の観察眼(&妄想力)はあなどれません。
「猿猴にあきれて娘湯を上がり」
 若い娘が入り込み湯に入ったら、四方八方からテナガザルのように伸びてきた男の手。夜などはかなり風紀が乱れていたようで、痴漢行為も多発していました。
 混浴といえば、去年霧島で行った温泉が、つい立ての奥が混浴スペースになっていました。女性は一応バスタオルを巻いて入っていましたが、女性客を待ち伏せする男性がメガネをかけて長時間浸かっていて、これが噂に聞くワニかと感慨深かったです。つい立ての向こうに行く勇気はありませんでしたが......。
 江戸時代でも混浴は風紀が乱れるとして、寛政の改革で「混浴禁止令」が発令されました。しばらくは守られましたが、十年後位からまた、入り込み湯が復活して混浴文化は脈々と受け継がれました。
 女湯、男湯とわかれてからも、銭湯は一種のカオス状態でした。
 「湯屋の喧嘩滑ったの転んだの」
 体を洗う糠袋で滑って転んだとか、桶や場所の取り合いとかで喧嘩に発展することも......。
 「女湯の喧嘩片手でつかみ合い」
 全裸なので一応片手で股間を隠しながらつかみ合い、という人間として最低限の節度を保っています。
 ちなみに体を洗う糠袋は古くなった浴衣などの布を利用して作り、中には主に米糠を入れました。米糠より赤小豆の粉や緑豆の粉の方が美容に良いと言われていたり、蛇骨石の粉とか、白檀とか江戸の女子は美容効果の高いブレンドを研究していました。
「糠袋よっ程顔を長くする」
顔をまんべんなく磨くため、伸ばしている様子です。美を磨く女性の姿は時々お見苦しいです。
「糠袋切れるほど擦る頬っぺた」
汚れを取るために擦り切れそうなほどこすっている女性。誰が観察しているのかという疑問も浮上しますが......。
 ちなみに女湯には結構のぞきも出たようです。
「女湯の障子は不慮な度々破損」
道に面している銭湯の障子が時々破れている、という川柳。障子なんてのぞいてくれと言っているような、女としては頼りない構造です。 
「女湯を覗く拍子になにか踏み」
視界には女湯しか入っていないので足元への注意がおろそかになり、犬のフンを踏むこともあったようです。
 番台の男性や、洗い場の湯汲みの男性の視線も油断できませんでした。
「あの嫁は毛沢山だと湯汲み言い」
と、勝手にアンダーヘアを品評する人も......。
しかし楽しいことばかりではありません。
「女湯の番ン褌が早く切れ」
勃起しすぎて褌が破れてしまう......というスポーツ新聞のギャグ漫画になりそうな場面です。さすがにこれはネタだと思われます。
「女湯の湯番とうとう気虚になり」
と、興奮しっ放しで、神経衰弱気味になる人もいました。羨ましい身分に対する男の嫉妬も表れている川柳です。
「女湯の番をしたなら久米即死」
久米仙人は、川で洗濯している女性の白いふくらはぎを見て落下し、神通力を失ったと伝えられています。そんな仙人が女湯の番をしたらショックで即死するんじゃないか、というこれもまたギャグセンスがすばらしい川柳です。
 銭湯はネタの宝庫です。おならについての川柳もありました。
「屁の玉を目前に見る風呂の中」
「湯の中の放屁背筋を逆上がり」
と、句にすると下世話なテーマも詩的に見えてきます。おならの泡が背中を伝って上がってくる様子をとらえた川柳にはゾクゾクしました。
「湧いて来たなどとおならを掻き回し」
現代でもありそうなごまかし方です。
 喧嘩や桶の争奪戦、のぞきにおなら、と人間の業がうずまく江戸の銭湯。
「女湯で世上の垢を擦り合い」
と、心身の汚れを落としているのか、それともまた邪気にまみれているのかわかりませんが、カルマに引き寄せられて人々が集い、運命共同体のような一体感を得られる場所だったのでしょう。

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参考文献:『江戸の女たちの湯浴みー川柳にみる沐浴文化ー』(渡辺信一郎著・新潮選書)