第30回 冥土の旅の腹ごしらえ

 なぜかお葬式にまつわる川柳は食べ物絡みが多いです。あの世に行く人に対し、自分たちは生きていると実感しようとしているかのように。
「一と七日持仏くいものだらけ也」
初七日は、たくさんの食べ物を仏様にお供えします。まだ現世の感覚が残っているから、お供えものも嬉しいことでしょう。用意されるのは、豆腐、煮豆、芋、昆布、天ぷら、漬物、葛のあんかけなど。さらにおいしそうな川柳が並びます。
「油揚にこぶは村での大法事」
「安法事芋に衣をかけて出し」
芋の天ぷらについての川柳ですが、「法事」と「衣」は縁語、というテクニックを使いながら、安い芋の天ぷらに文句を言っているという、頭が良くてイヤミっぽい句です。
「六弥太に久助かけて安法事」
豆腐に吉野葛をかけた風流な一皿に見えて、これも安法事への一言でした。結構クレーマー川柳が多いです。
そういえば父も親戚のお葬式で、料理が冷めているとか文句を言っていました。悲しみを紛らわすための憎まれ口だったと信じています......。
 江戸時代の法事は音楽の生演奏もあったりでにぎやかでした。
「蝉丸を取巻て居るいい法事」
と、琵琶法師が演奏することも。
「吹く叩くひっかくならす大法事」
裕福な家のお葬式でしょうか、豪華な楽隊が出演しているようです。現代もこのくらいやってくれれば、法事の気の重さも軽くなるのですが......。
 亡くなって四十九日目には、牡丹餅を作り、法事などでふるまう風習がありました。牡丹餅には、あんこを使ったものもあり、小豆は邪気を祓うと言われています。それが法事に使われるいわれでしょうか。
「涙片手にすり子木でこづくなり」
牡丹餅をついている様子を描いた句です。
「もうさうかのうと牡丹餅ぶちまける」
もう四十九日か、と感慨にふけりながら紙の包みを開きます。
「ぼたもちで思ひ出すのは他人なり」
「ぼたもちに他人砂糖の小言也」
砂糖が足りない......というまたクレーム系です。
「大黒は五十にたらぬ餅を食ひ」
大黒というのはお寺の和尚さんの妻を表しているそうで、五十に足らない、つまり四十九日の牡丹餅を食べている、という川柳。お寺の奥さんにもなると、牡丹餅、またか......という思いになります。
「牡丹餅をつくと魂魄どっか行き」
四十九日に牡丹餅をお供えされて、亡くなった人の魂もいよいよこの世と決別し、冥土の旅へ......。五十日目は精進落としで、魚など生ものを食べたり、おこわを作って配る地方もあります。
「こわめしもうれいの時は素顔なり」
「こわめしも無地にふかすはあはれなり」
「強飯に塩のないのはあはれ也」
この場合のおこわの具はなしか、もしくは黒豆のみだそうでストイックです。
「こわめしにほくろのあるはあはれなり」
「こわめしに目玉を入て涙ぐみ」
黒豆を、ほくろや目玉になぞらえています。故人の死を悼み、泣きながら牡丹餅やおこわを作って、でも結局おいしくいただいて、生きていくための栄養源とする。そんな人間のタフさを感じる川柳です。何があっても、食欲があるうちは大丈夫だよ、と故人や先祖も上からほほえんでくれていることでしょう。

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