第28回 江戸時代の老後

 姑、小姑ときて次は老後の項目。「生老病死」の「病」にまつわる川柳が「江戸女の一生」にはほとんど収められていませんが、江戸時代の人は穏やかな老衰が多かったのでしょうか? 少なくとも現代のように病院でチューブだらけで最期を迎える、ということはなかったと思われます。施設に入るのではなく、隣近所の人がさり気なく面倒を見てくれていたのでしょう。江戸時代の病気について調べたら、当時の主な病気を番付風にまとめていた資料がありました。「疱瘡」(天然痘)「五疳」(五臓のバランスの乱れ)「中風」(脳血管障害の後遺症)「癪」(疼痛を伴う内臓疾患)など「逆上」(のぼせ)......。東洋医学の用語だからか、漢方薬で何とかなるような印象があります。病気を深刻にとらえすぎず、自然に任せられそうです。
 そして迎えた女の老境。当時の呼び名で「女」「おんな」は若い女を表し、「嫗」「をんな」は年を取った女を表すとのこと。今なら何歳でも強引に女子と言い切ってしまいますが......。「婆」よりは「嫗」の方が字面的にソフトで嬉しいです。
 老嬢についての川柳も残っています。
「御迎いの来るのを隠居は待って居る」
と、枯れて侘しさ漂う句や、
「今は昔に成りにけり婆々の色咄」
と、まだ武勇伝が忘れられない老女の句も。以前、図書館で老女が、友人の女性に対し「結婚のとき、略奪したから泥棒猫って言われたのよ!」と自慢しているシーンに遭遇したことがありました。何歳になっても女は女。一見、色恋とは無縁そうな穏やかなおばあさんでも、そのような話題を振ったら喜んで話してくれるかもしれません。
 年を重ねると「賀寿」といって長寿のお祝いをしました。六十歳は還暦、七十歳は古希、七十七歳は喜寿、八十八歳は米寿、九十九歳は白寿。今にも伝わる伝統です。長寿のお祝いにお持ちを準備しました。本人が紅で「寿」と書いて隣近所に配ったり、元気な人は餅をついたりしました。
「老いの坂峠は餅の名所也」
「賀の餅を腰も強いとほめて食ひ」
餅の粘り気に尽きせぬ体力が現れています。
「餅の礼大きく耳のそばで言ひ」
耳が遠くなって、餅の礼は大きな声でないと聞こえません。
「三十八年いきのびて筆をとり」
当時は人生五十年と言われていたので、そこから三十八年生き延びて八十八歳。
「門松を八十八度通りぬけ」
風流な川柳です。
「米の餅さて極楽にほど近し」
「老の晴れ米を三つに噛みくだき」
考えてみたらお祝いの餅や米を食べられる歯がまだあるのはすごいことです。歯が長く残った人ほど長生きできていたのでしょうか。徳川家康は入れ歯をしていたという記録がありますが、庶民には手が届かないものだったことでしょう。
続いて、九十歳までくると、本人も長生きに飽きてくるようです。
「あつらへ向きの往生は八十九」
「もうよいと薬をのまぬ八十九」
「九十の賀おととし程はよろこばず」
そして九十九歳までくると、珍しい域です。
「九十九で死んで一年惜しがられ」
「九十九もなんぞ書かせてみたい年」
白寿は米寿に比べてそんなに決まったしきたりはなかったようです。その年まで長生きする例が少なかったのでしょう。
夫婦ともに長生きすることを「とも白髪」や「もろ白髪」といいました。
「もろ白髪迄はあぶなき女房也」
まだ妻は女を捨てていないという句です。健康で長生きする秘けつは女をあきらめないことでしょうか。
「古来稀なるおどり子は七十余」
「高野六十さてつづいて薬研掘」
踊り子、つまり芸者さんが七十すぎだったという川柳。「薬研掘」も踊り子が多かったので、芸者さんを表します。
「七十にしてなりふりにのりをこへ」
「論語」の一節にかけて、七十歳を超えて身なりにかまわなくなった、という句もあります。
 また、何歳になっても春を売るつわものの女性もいました。
「稲光り夜たかの皺を一寸見せ」
「提灯が二十四文の皺を見る」
「小作りな夜鷹六十迄島田」
男性目線でしょうか、当時の人も女性のシワを厳しくチェックしていました。六、七十で体を使って働くのは大変なことです。
 ところで当時、八十歳以上の高齢者に慰労の意味で「鳩杖」という杖が贈られる風習があり、長寿のシンボルとなっていました。
「鳩の枝豆は豆腐で食ふばかり」
鳩とはいえ、柔らかい豆腐しか食べられないというシニカルな句です。
「鳩杖を突いても止まぬ豆いじり」
これは語感通り、卑猥な内容の句でした。おじいさんも性欲は尽きません。
「さかさ事ばあ様九十だに達者」
十九歳は女の厄年。その反対の九十歳のおばあさんはピンピンしています。その年まで生きれば厄年も何も超越しています。
 江戸幕府では、長寿を祝って、お年寄りを表彰したり米や現金をプレゼントしたりしていました。現代では、100歳を迎える人にお祝いの銀の杯が贈呈されていたのが、厚生労働省が高齢者の増加に伴い経費を節約するため、純銀から銀メッキにしたという世知辛いニュースが。でも年を重ねたことの価値は、そんな記念品では換算できず、何よりも本人の魂に経験値として刻印されているのだと思います。

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