第25回 江戸時代の妻の呼び名

 友人から「主人です」と夫を紹介されたとき、その主人という呼び名に尊敬の念がこめられているように感じ、良い関係であることが伝わってきました。しかも主人というだけで立派な人に思えます。「旦那」「嫁」という呼び方にも憧れます。「細君」だと文学的で奥ゆかしいイメージ。「愚夫」「愚妻」は謙遜の表現ですが、ディスっているような後味の悪さがあります。
 など、現代でもいろいろな呼び方があり、迷うところですが、江戸時代は妻をどう表現していたのでしょう。実は身分によって呼び名が決まっていたようです。江戸末期の本「塵塚談」には、
「以前は幕府の役人の妻をかみさまと言ったのに、今は商人までがその言い方をまねる。さらに御新造様とは大名の妻のことだったのに、今では町人がそう呼んでいる」
と嘆く文面があったとのこと。また、別の本には、大阪と江戸でも妻の呼び名が違うと書かれていたり、身分によっても変わってきて複雑です。今では「奥さん」で大体通じますが、当時は身分の高い武家の夫人しか「奥様」と呼べませんでした。
「隔年に枕さびしき御内室」
貴人の妻を内室と言いました。この川柳では大名の妻で、参勤交代で夫が不在の間の淋しさを綴っています。
「時鳥よりも奥様お待ち兼ね」
渡り鳥のように4月になると戻ってくる夫。ちなみに領地に赴任している間は当然のようにその地に妾が......。身分が高いからと言って許されるわけではないと思いますが、当時の風習だったんですね。
「奥様のおひろひ足がねばるやう」
暇を持て余しているのか、ゆっくり散歩する武家の夫人。
御新造もセレブ的な身分の高い妻の呼び名です。
「おぬしもぐるでかくしゃると御新造」
主人の浮気を疑い、主人のお供の草履取りを詰問する妻。草履取りという使用人がいるなんて相当な身分です。やはり今も昔も、男性が地位と権力を得ると、アドレナリンで性欲過剰になってしまうのでしょうか。「グル」という単語は江戸時代からあったという意外な発見も。
「御新造ははやった人と御ぞういひ」
今はとりすましているセレブ妻も実は昔は遊女だった、という噂が出回っている、という句です。玉の輿には詮索がつきまといます。
「御新造も普請の内は惣後架」
御新造さんは裕福でトイレも家の中にあるけれど、工事中は長屋の共同トイレを利用せざるを得ない、という下衆な内容です。
「御新造をかみ様といひ叱られる」
「かみ様」は中流の家の呼び名なのに、御新造に使って、気安く呼ぶなと怒られたようです。
「御新造と内儀と噺す敷居ごし」
家柄が違うと一緒の場には座れないので、敷居ごしに会話。ランクは奥様→御新造→おかみさんの順でした。もしかしたら現代は皆それなりに便利で快適な暮らしをしていてトイレもお風呂もあるので、江戸時代の奥様的な身分ということで、自然と奥さんと呼ばれているのかもしれません。
「内儀の名むかししづあやなどといひ」
また、もと遊女の内儀を暴く川柳が。当時はツイッターやSNSのように川柳で噂が拡散されていたようです。
「お内儀は師匠の留守に出てしかり」
「お内儀のうけとり発句書いたよう」
きちんとして折り目正しい内儀はやはり庶民の妻よりワンランク上です。
「御内儀は千六本に酢をかける」
大根の千切りに酢をかけてお上品に食べるおかみさん。長屋では大根は大根おろしで食べていたようです。
 いっぽう庶民の夫は、妻のことを「かかあ」と呼んでいました。今も「かあちゃん」とか呼んでいるおじさんを見かけます。
「かかあどのとは四五人も出来てから」
妻が子どもを4.5人産むと尊敬の意味をこめて「かかあどの」にランクアップ。また、庶民の夫はあまり権限がなかったため、自虐的に「かかあどの」と呼んでいた節もあるようです。
「かかあどの姫始めだと馬鹿を言ひ」
かかあという俗な呼び名と、姫始めという単語のギャップをおもしろがる句です。
「かかあめが細工だと出す似た鰹」
上流の家では新鮮な鰹を刺身で出すところ、庶民の家では煮付けにアレンジ。
「かかあの月見宿六はさへぬ面」
妻が生理中で夫ががっかり、というあられもない内容。かかあに対応する夫の呼び名は宿六でした。「宿のろくでなし」の略ですが、どこか愛情も感じられます。今の、夫を粗大ごみとか呼ぶのよりもずっと......。
「山の神気に入る女おこぜにて」
「山の神」とは崇めているようですが、実は当時は「かかあ」よりも低い呼び名でした。口うるさくて恐い妻、がこう呼ばれます。この句は、おこぜ似で不細工な下女を置きたがる(夫の浮気防止のため)妻の本音について綴られています。
「山の神団子を投げる月見過ぎ」
吉原など遊郭で遊んできた夫に、月見団子を投げつける妻。団子なんて当たっても痛くないし、結構優しい抗議に思えます。
「山の神日々にあきれる御神託」
日々、夫のあら探しで小言ばかりいう妻。御神託というとありがたいものに聞こえますが、弱い立場で揶揄&卑下する夫のいじましさが漂っている句。
町家の庶民の家でも妻は「かみさま」と呼ばれました。
「かみさまぢゃ出来ぬと逃げる初鰹」
鰹売りの商人は、値切りテクが巧みなかみさんから逃げるように場所を移動。江戸時代から主婦は倹約上手でした。
「かみさまをいくらも寄せる柏餅」
「かみさまが留守だとてんやわんや也」
一家の家計や雑事をこなしながらも楽しそうに生活する、タフでしっかりした妻の姿が現れています。「かみさま」「山の神」といった妻の表現には、人間の中に根源の神の存在を見いだしているようで、そう呼ぶことで夫婦関係がうまくいきそうです。相手を神仏扱いしてありがたがるのは、夫婦円満の秘訣です。

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