第20回 江戸時代の妊婦

 女性が青い顔で「うっ」と言って洗面所に駆け込む......。今も昔もつわりのシーンの定番ですが、江戸時代も同じく、ご懐妊の兆しは体調の変化に表れていました。女性のセンシティブな体調についてもしっかり川柳が残っています。
「花嫁はその頃といふ病ひ也」
「はづかしさそだろふといふ病ひ也」
おめでたいことですが、吐き気などが出るため「病」という表現をしているようです。
「つわりから嫁はおつけも喰ひならひ」
食べないでいると栄養が不足してしまうので、がまんして味噌汁や漬物を食べる妊婦。今だったらヨーグルトやゼリーなどが食べやすいようですが......。味噌汁や漬物の匂いをかぐとこみ上げてくるものがありそうです。
「嫁のヘど其時分だと見世で云ひ」
「へど」というえげつない単語が出てきました。壁も薄いし、奉公人や隣近所に筒抜けです。
「つはりやみ姑は鼻であいしらひ」
姑は、お嫁さんがつわりで苦しんでいても、自分はその時期はふつうに働いていたとか言って冷たいです。いっぽうで、実家の母は娘の懐妊を待ち望んでいました。
「里の母来ると御客のさたを聞き」
と、生理の有無を尋ねます。生理がないとなるとお医者さんのところで診察し、妊娠確定。
「でござりませふと御医者にいこいこ」
つわりで気持ちが悪い時は、酸味ですっきりしたくなるのも江戸時代の妊婦さんも同じ。身近に手に入るのは梅でした。
「青梅を干物棹で嫁おとし」
「そっとよと嫁梅漬をたのむ也」
また、当時は家の中で同時期に家畜やペットが出産すると、安産運が動物に取られて、人間は難産になるという俗信がありました。
「嫁はもふ猫の身持を里へ遣り」
妊娠中の猫を実家に返す場合も。身重状態で環境が変化してしまう猫のその後が心配です。
動物を遠ざけつつも、多産&安産の犬にはあやかろうとしていました。
「戌の日に哂の売れる閨年」
戌の日に腹帯を巻く風習は今も残っています。閏年には懐妊しやすいという迷信があり、「閏年には小槌を見ても孕む」ということわざまであったそうです。小槌......たしかに性的な形に思えてきます。
「戌の日に嫁はづかしい帯をする」
「戌の日に婆々しっぽを振ってくる」
婆々とは、取り上げる産婆さんのことです。帯の締め方など伝授してくれます。
「月の帯花嫁雪のはだへ〆め」
「岩田帯これは出雲のこまむすび」
小間結びは解けにくい結び方。腹帯には、迷信的な意味だけでなく、お腹を固定するとか妊娠線予防とか実用的な効果もあったからこそ、現代にも続いている風習なのでしょう。
 妊婦さんにはさらに大きな通過儀礼というか試練がありました。当時、妊娠が確定すると眉を剃り落すという風習が。
「医者の来たあくる日おしい物を取り」
「折れ込むをあいずに花を嫁おとし」
「折れ込む」とは江戸の言葉で「妊娠する」という意味。妊婦になると「花嫁」の「花」が取れて「嫁」になる、という意味もかかっている句です。
「花に実がなると毛虫をおっことし」
「満月になると三か月落す也」
など、自然現象になぞらえた川柳もありました。
「一刀の下に花嫁ふるくなり」
これは男性目線の川柳でしょうか。古くなるなんてちょっとあんまりな言い方です。ひどいといえば、
「嫁はもふ黒吉になる恥しさ」
「おばが来て黒吉にする恥かしさ」
という川柳も衝撃的でした。妊娠した女性を「黒吉」と呼ぶのは、乳首が黒くなる妊婦の変化を表しているそうです。眉はないしお歯黒だし乳首は黒いしつわりだし......と今以上にハンデと試練が多い江戸時代の妊婦。でも出産し、母になった喜びで全てはかき消されるのでしょう。
 そもそも江戸時代の春画を見ても、ほとんどは着衣のままいたしていて、女性の胸はそれほど重視していなかった節があります。乳首が黒くなっても、とくに注目されないし大丈夫だったのかもしれません。ほぼセクハラな「黒吉」という呼び名を付けられても受け入れていた江戸時代の女性の寛大さに畏怖の念を抱きました。


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