江戸時代の出産、全く想像つかない世界ですが、ハードそうです。当時の川柳をひもとくと、ただリスペクトするしかないお産事情が......。
まず、陣痛が始まると、すぐにお歯黒にするという風習がありました。産後はなかなか歯を染める暇がないというのが理由です。以前、白金のカフェでセレブ風妊婦が「しばらくネイルサロンに行けないからペティギュアをしてきた」と優雅に語っているのが聞こえましたが、江戸時代の女子はまずはお歯黒が優先です。
「お歯黒はしくしくかぶる内につけ」
「かぶる」というのは「虫がかぶる」、陣痛のことを表現しています。
「いそがしく染めたがさいごづ横柄」
お歯黒にすると腹が据わるのか、旦那に対しても横柄になり、顎で使うようになる様子が書かれています。ダークマターが噴出しているのでしょうか。
「苧をかけた女房に聞く水加減」
産気づくと、「苧」という麻の茎の繊維で作ったひもで髪を結います。身だしなみを整えて出産に挑む、江戸女子の美学。現代の女性はラクしてすみません......。苧は神聖な麻でできているので安産の霊験もありそうです。
「気の毒さ嫁にはやめを煎じさせ」
当時も分娩促進剤が使われていて、「はやめ薬」と呼ばれていました。
そして出産の体勢は「座産」、座った体勢でお産するそうです。寝ていると頭に血が上るから良くないとされていたとか。現代でも座位分娩は、胎児が降りてきやすいという利点があるようです。産籠という竹製の籠や、曲禄という背もたれのある椅子に座って行いました。エマニュエル夫人みたいな優雅な竹籠の椅子を想像します。
「十月目に曲禄へ乗る山の神」
「曲禄へ乗る女房のおめでたさ」
「産籠の返礼軽い肴なり」
産籠は近所で貸し借りしていました。隣近所との関係が密な時代だからこそできることです。
出産時は天井から下がっている「産綱」を掴んでいきみます。原始的なイメージですが、当時は合理的だったのでしょう。
「産綱のあんばいを見て笑はせる」
「ふさ下げてちょっと男が産で見せ」
夫がふざけて産綱につかまる様子が綴られている川柳です。しかし出産自体には、血のけがれが敬遠されていたので夫は立ち会わなかったようです。
そのかわり、重要な役割を果たしていたのが産婆、いまでいう助産師さんです。江戸時代では、50歳以上の女性がこの役割を担い、「取揚婆」と呼ばれました。
「とりあげばば五十以上の弟子を取り」
やはり年が上の女性ほど経験値が高く、落ち着いて出産の手助けができたのでしょう。しかし職業名に「婆」の字が入っているのは、女性としてどうなのかと思います......。明治時代は「産婆」という名称で、昭和23年に「助産婦」に変更、さらに平成14年には「助産師」に変更され、穏便な名称になりました。
取揚婆は人の命に関わる仕事をするので、緊急的に大名行列の前を横切っても、特別に許されるという特権を与えられていました。
「大名を胴切にする子安婆々」
大名行列を突っ切っる取揚婆。
「とりやげばば供を割ったがきついみそ」
「きついみそ」は、自慢しまくるという意味で、ドヤ顔で武勇伝を語る取揚婆の姿が目に浮かびます。ちなみに、医者や飛脚も大名行列を横切ることが黙認されていたようで、実際は意外とユルく、斬り捨てられるというのは後世、話が盛られていったのかもしれません。
「駕賃はお屋敷払い取揚婆々」
一刻を争うため、駕篭に乗って駆けつけることがあったとか。駕篭代はその家持ちです。富裕層のケースでしょうか。
「わたし場に気をせいてとりやげばば」
渡し場で舟に乗ってかけつける、ちょっと庶民的な取揚婆。
「とりやげばば目やにだらけな顏で来る」
なりふり構わず急いで来た様子が伺えます。
「さらわれるよふな目にあふ取揚ばば」
まるでさらわれる勢いで、迎えの人に連れて行かれる取揚婆。
「おそく来てばばあ目出たく叱られる」
と、遅れて出産に間に合わなくなることはなんとしても避けたいです。しかしおめでたい場なので、そこまで叱責されることもありません。
それにしても、結構、取揚婆いじりの句が多いような......。どこかムードメイカー的な存在だったのでしょう。
「そっと来てそっとささやく取上ばば」
どんな様子か聞いて、的確な指示を与えます。そして出産が無事終えられると、待機していた人に取り囲まれます。赤ちゃんの性別など聞かれたのでしょう。
「取揚婆々屏風を出ると取まかれ」
重要な任務で、大切にされ、女性にとってはやりがいのある仕事です。
「取揚ばばみそづけなどで一つ飲み」
出産した女性は、最初に味噌漬けを食べるのが良いとされています。ご相伴にあずかり、味噌漬けを肴に一杯飲む取揚婆。熟女の気安さが表れています。
出産はおめでたいと同時に、死と隣り合わせで、当時はけがれの思想もあったので、どこか魔女的で超越している存在である取揚婆が、霊的にも頼りにされていたのでしょう。熟女が輝く社会、江戸時代。現代にしてみれば迷信に見える習わしも、実は本当に効果があるのかもしません。
2016年6月アーカイブ
女性が青い顔で「うっ」と言って洗面所に駆け込む......。今も昔もつわりのシーンの定番ですが、江戸時代も同じく、ご懐妊の兆しは体調の変化に表れていました。女性のセンシティブな体調についてもしっかり川柳が残っています。
「花嫁はその頃といふ病ひ也」
「はづかしさそだろふといふ病ひ也」
おめでたいことですが、吐き気などが出るため「病」という表現をしているようです。
「つわりから嫁はおつけも喰ひならひ」
食べないでいると栄養が不足してしまうので、がまんして味噌汁や漬物を食べる妊婦。今だったらヨーグルトやゼリーなどが食べやすいようですが......。味噌汁や漬物の匂いをかぐとこみ上げてくるものがありそうです。
「嫁のヘど其時分だと見世で云ひ」
「へど」というえげつない単語が出てきました。壁も薄いし、奉公人や隣近所に筒抜けです。
「つはりやみ姑は鼻であいしらひ」
姑は、お嫁さんがつわりで苦しんでいても、自分はその時期はふつうに働いていたとか言って冷たいです。いっぽうで、実家の母は娘の懐妊を待ち望んでいました。
「里の母来ると御客のさたを聞き」
と、生理の有無を尋ねます。生理がないとなるとお医者さんのところで診察し、妊娠確定。
「でござりませふと御医者にいこいこ」
つわりで気持ちが悪い時は、酸味ですっきりしたくなるのも江戸時代の妊婦さんも同じ。身近に手に入るのは梅でした。
「青梅を干物棹で嫁おとし」
「そっとよと嫁梅漬をたのむ也」
また、当時は家の中で同時期に家畜やペットが出産すると、安産運が動物に取られて、人間は難産になるという俗信がありました。
「嫁はもふ猫の身持を里へ遣り」
妊娠中の猫を実家に返す場合も。身重状態で環境が変化してしまう猫のその後が心配です。
動物を遠ざけつつも、多産&安産の犬にはあやかろうとしていました。
「戌の日に哂の売れる閨年」
戌の日に腹帯を巻く風習は今も残っています。閏年には懐妊しやすいという迷信があり、「閏年には小槌を見ても孕む」ということわざまであったそうです。小槌......たしかに性的な形に思えてきます。
「戌の日に嫁はづかしい帯をする」
「戌の日に婆々しっぽを振ってくる」
婆々とは、取り上げる産婆さんのことです。帯の締め方など伝授してくれます。
「月の帯花嫁雪のはだへ〆め」
「岩田帯これは出雲のこまむすび」
小間結びは解けにくい結び方。腹帯には、迷信的な意味だけでなく、お腹を固定するとか妊娠線予防とか実用的な効果もあったからこそ、現代にも続いている風習なのでしょう。
妊婦さんにはさらに大きな通過儀礼というか試練がありました。当時、妊娠が確定すると眉を剃り落すという風習が。
「医者の来たあくる日おしい物を取り」
「折れ込むをあいずに花を嫁おとし」
「折れ込む」とは江戸の言葉で「妊娠する」という意味。妊婦になると「花嫁」の「花」が取れて「嫁」になる、という意味もかかっている句です。
「花に実がなると毛虫をおっことし」
「満月になると三か月落す也」
など、自然現象になぞらえた川柳もありました。
「一刀の下に花嫁ふるくなり」
これは男性目線の川柳でしょうか。古くなるなんてちょっとあんまりな言い方です。ひどいといえば、
「嫁はもふ黒吉になる恥しさ」
「おばが来て黒吉にする恥かしさ」
という川柳も衝撃的でした。妊娠した女性を「黒吉」と呼ぶのは、乳首が黒くなる妊婦の変化を表しているそうです。眉はないしお歯黒だし乳首は黒いしつわりだし......と今以上にハンデと試練が多い江戸時代の妊婦。でも出産し、母になった喜びで全てはかき消されるのでしょう。
そもそも江戸時代の春画を見ても、ほとんどは着衣のままいたしていて、女性の胸はそれほど重視していなかった節があります。乳首が黒くなっても、とくに注目されないし大丈夫だったのかもしれません。ほぼセクハラな「黒吉」という呼び名を付けられても受け入れていた江戸時代の女性の寛大さに畏怖の念を抱きました。