23、「今様美人拾二景 てごわそう」溪斎英泉 文政5~6年
タイトルにあるように、顔つきを見ると、目も眉が吊り上がり、顔全体がこわばって見える。なにか、思いつめているのかもしれない。
大きな潰し島田に、赤い蔦模様の櫛を横に挿し、杜若の付いた鼈甲の簪を左右に挿している。鏡台に向かって筆で口紅を付けている。左手に持っているのは紅猪口で、何度も下唇に紅を塗ったので、当時流行していた笹色紅になっている。ただ、この女性、心ここにあらずなのか、普通グリーン色になるところ、黒くなるまで塗ったようだ。着物は花菱模様で、黒衿になっている。
髷の上に描かれたこま絵には、「深川八幡之新冨士」とあるのは、今の富岡八幡宮のこと。『東都歳時記』に、「深川八幡宮境内(文化年中、石を以て富士山の形を造る。昨今登る事をゆるす)同一の鳥居の右 同森下町神明宮内 銕炮洲稲荷内、茅場町天満宮境内、池の端七軒町...其餘、挙げてかぞふべからず。都て石をたたみて、富士をつくる事、近世の流行なり。」と書かれている。
模造の富士を築いて、山開きの日には行者姿で富士禅定(富士山に登って修行すること)にならう富士詣が文化文政以後、江戸市内の中で流行したという。因みに、「てごわそう」というタイトルと、この深川八幡の新冨士とどういう関係なのかわからないが、『東都歳時記』には、多くの老若男女が登っているところが描かれているので、深川芸者などが客を誘って新富士まで行けるかどうか、悩んでいるところ、というのは少し考えすぎかも知れない。
24、「遊女物思いの図」菱川師宣 元禄前期(1688~94)頃
遊廓の室内であろう。布団の上でくつろいでいるのは遊女で、側にいるのは島田髷に結った禿であろう。遊女は梅、禿は菊模様の着物を着ている。夜着(普通の着物のような形で大形のものに厚く綿を入れた夜具。かいまきのこと)には、枕が二つあり、それにもたれかかっている遊女は、当時、流行していた玉結びという髪型に結っている。額の白いのは、白粉を少し濃く塗って際だたせていたのかもしれない。足元に置いてあるのは、香炉と開いた香包である。香炉から漂っているほのかな香りのなか、客の帰ったあとの気だるさを楽しんでいるのだろうか。
落款に菱川友竹とあるが、これは剃髪した晩年の菱川師宣である。禿の着物や夜着に描かれた模様は、縫箔師(繍は刺繡、箔は摺箔の意で、衣服の模様を繍と箔で表わしたもの)の家に生まれたこともあり、華やかに描いて女性たちの心を捉えたと思われる。
屛風の上に書かれている賛(画に題して画に添え書かれた誌・歌・文)は「おきわかれなみたくもらぬ月ならハそてのなこりのかけそみてまし」となっている。
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