世界的にも性生活が淡白な日本人。セックスの年間平均回数では1位のギリシャが164回なのに日本は年間48回と約4分の1。週に一回規則的にいたしている日本人の律儀さが現れている結果です。
それでは江戸時代の人はどうだったのでしょう。大体月に6回という説がありますが、それでも現代よりは充実しています。さらに多い人はギリシャ以上の精力で、毎晩のように励んでいたそうです。それどころか......
「一と盛り毎夜春三夏六なり」
一晩に九回という絶倫の人もいました。野菜と玄米中心の食事がスタミナのもとだったのでしょうか。
食事といえば、
「一品の外は大口嫁喰わず」
「頬張って食うは花嫁こればかり」
というあられもない川柳が。新婚の妻は、お上品に食事しているのに夜は大口を開けて......。なんて男性の願望も含まれているようです。
真っ昼間、明るい時に行為に及びたがるのは男性で、女性は恥ずかしがる、というのは現代と変わりないようです。
「中日に婿は初て昼とぼし」
「真っ昼間するは女房もぬすみ物」
彼岸の中日は、姑はお寺参りでいなくなるのでチャンスです。
回数を重ねるうちに、妻の体も開発されてゆきます。
「こうかヘこうかヘと女房下で言い
そして、夫が早くいってしまうと、妻は欲求不満に。
「先んずる時は女房ふそく顔」
「ぬける迄おきなと腿へからみつき」
「ぬける迄おけば女房は機嫌也」
できるだけ長く挿入しておきたいのでしょうか。無修正動画一本を観たくらいの情報量が凝縮されている川柳です。
「いき過ぎた嬶けんびき揉ませてる」
「いく」という表現は当時もあったんですね。「けんびき」は首から肩の筋肉がひきつったことで、潮を吹くに匹敵するようなアクメ表現です。
「悪い癖女房喜び泣きをする」
「女房やらんとすその声かなし」
絶頂で泣いたり、切ない叫び声を発したり、生々しく官能的な情景と江戸男子のドヤ顔が浮かびます。
「死にますと言ふは女房の夜病なり」
逝く=死ぬ、という快感の境地。今の人より快感が深いような......。娯楽が少ないから渾身で性行為していたのでしょうか。「死ぬ」と同義の別バージョンの句も。
「玉の緒が切れるやうだと官女言い」
「儒者の妻ああ亡します亡します」
宮中に仕える女性はやんごとなき表現。儒学者の妻は「めっします」と漢文調、というネタ感漂う川柳。
そして快感を知った女性は気持ち良い体位に導きます。
「入り婿は母の意向でおっかぶせ」
「下になりなと入婿を好きな事」
入り婿というワードが何とも卑猥です。
「入り婿は茶臼を望み叱られる」
「女房を口説くを聞けば茶臼なり」
茶臼は女性上位の体位。男性がリクエストしても、女性は疲れるし動きが難しいのでやりたがりません。
「口をすくして女房を腹ヘ乗せ」
説得して上になってもらったものの、やはり正常位が良いと訴える妻。
「下にしてくれなと女房せつながり」
いっぽうで、自ら上になりたがるバイタリティーあふれる女房も。
「もふ覚えやしたと女房上になり」
「しつくして亭主の腹ヘよじのほり」
「さてその次の軽業は女房うへ」
さらに川柳はえげつない表現に......。
「手前のは白酒臼だなあ嬶」
「茶臼では柄洩りがすると亭主言い」
こちらは、愛液でグショグショになっている情景です。表現がオヤジっぽいです。
「また砥めなさると女房いやな顔」
「蛸を惜しがって辛抱婿はする」
女性器をなめたがる夫に、蛸のように吸い付く名器にもだえる夫......。春画のようなシーンが浮かびます。
性生活充実のために、大人のおもちゃに手を出す人も。
「その奇特女房ずいきの涙なり」
「ずいきの白あへを女房ねだるなり」
肥後ずいき、というのは男性器に巻き付けて使う物です。「隋喜」という漢字が効能を物語っています。
催淫剤もありましたが、ヒリヒリする副作用も川柳で報告されています。
「ひりつくがいやさと女房不得心」
大人のおもちゃで「りんの玉」という女性器に入れる真鍮の玉もありました。しかし女性の多くは異物挿入には抵抗を示していました。
「りんの玉女房急には承知せず」
「急には」という表現が、結局は受け入れてくれた、という展開をほのめかしています。
男性が性欲強すぎると、女性の方は消耗してしまいます。とくに「板ねぶ」と呼ばれる、しゃがむと湯屋の板に届くほど長い男性器の持ち主だったりすると、女性は痛いし疲れるしで肉体的に負担が大きかったようです。
「板ねぶとおぼしき人の青女房」
「青女房へのこの浮き名立てる也」
女房の顔色が青いと、夫は巨根という噂がたち、男性のプライド的には誇れることだったかもしれません。エロ川柳には自慢が混ざっています。こうして数百年後まで武勇伝が伝わり、後世の人をうらやましがらせるなんて、人として冥利に尽きることでしょう。浮世絵のように誇張や願望混じりなのかもしれませんが......。